『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』 深井 智朗著 ドイツ(というかヨーロッパ)については勉強が足りなすぎる自分を再認識しました。

プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)

評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)


ルター派プロテスタンティズムが、ドイツ建国の精神的な支柱になっていた、という部分が、凄く面白かった。


まずカルロゼンさんの『幼女戦記』を読んでいて、神のために!とか、帝国(ライヒ)のために!とか、皇帝陛下の御ために!というのが、なんでああいう風に言うんだろう!と疑問が思い浮かんだんです(笑)。僕は、これまで、ドイツやプロイセンの歴史にあまり詳しくなかったので、この言葉の意味がいまいちわかっていなかったんのかもしれない、とこの本を読んでふと思いました。というのは、大日本帝国について、「天皇陛下万歳」とか「大日本帝国万歳」という決めセリフ?がありますが、これの聖なる狂気というのは、わからないなりに、狂信的で、聖なるものを含んで、というような微妙なニュアンスは、わかるんです。なぜならば、帝国が形成される過程や、天皇という存在がどう変遷してきて、その後どうなるのかということも、自分の人生で体感しているので、「なんとなく」わかる。けど、なんというか、ああ云う聖なる狂気、全体主義的な狂信的な文脈にあわさって、それが正当化というか、ちゃんと意味を持ってきた「歴史の背景」が、あるので、もちろん自分の母国ということもあって、微妙に割り切れない感覚があるんですよ。割り切れないというのは、単純にネガティブに切って捨てられない、ああ、当時に生まれていれば、自分だって、それはそう思うし、そう叫ぶよなぁ、と。そして、歴史の積み上げがあるので、結果から断罪さえしなければ、当時にはポジティブさとネガティブさが、同時にあるはず、みたいな、歴史をちゃんと学ばないと、結果論からの逆算や、何もシンパシーがないイデオロギー的な感想になって、世界を見誤るなぁと思っていました。


幼女戦記 (1) (角川コミックス・エース)



んで、僕の内面に、神のために!とか、帝国(ライヒ)のために!とか、皇帝陛下の御ために!言葉って、ほとんど響かなかったんですよね。ずっと。なぜならば、知識がないから。歴史がわかっていないので、ネガティヴにさえならない。さすがに、ハイルヒットラーは、とてもネガティブになるんですが、その過去に当たるww1などの、ドイツやプロイセンの意識がさっぱりわからなかった。


その端緒が、凄いつかめた気がしました。


ようは、日本の天皇陛下万歳大日本帝国万歳と、ほぼ同じ感覚なんだ、ってことが。


ようは、ルター派の教会が、政治と結びつき、世俗世界の管理に深く浸透していった過去のドイツやプロイセンの長い長い積み上げがあって、この言葉は生まれている。


あ、えっとね、いつも不思議だなと思っていたのは、「神と、帝国と、皇帝陛下」って、一緒くたに忠誠の対象とするのは、少し変でしょう?。日本でいえば、「大日本帝国と、天皇陛下と、神様」が等符号で結ばれているのは、いろいろな社会工学的な欺瞞や理想、政治などの歴史過程を経て生まれているので、そういう背景がわからないで聞くと、???となるでしょう。だって、そもそも、神と人間であるはずの天皇がイコールで結ばれるのが、外から見れば?となる。だいぶ無理がある発想なんで(笑)。現人神(あらひとがみ)って、だいぶ意味不明でしょう?。もともとドイツのシステムを輸入したのは知っていたけど、具体的にどんなシステムなのか、というのが今回わかっていなかったんだんーと非常に納得した。


これ、領邦国家の領主(政治指導者)の宗教が、その地域の宗教を決めるというルールがあって、ルター派の教会が、日本の仏教の寺みたいに、戸籍や生活世界の支配のための、学校でもあり洗脳装置でもある、みたいな機能を数百年にわたって積み上げているからこそ、神様のことと、世俗の支配者のことが、文脈的に非常に重なりやすくなっているんだ。なので、「神と、帝国と、皇帝陛下」は、微妙に違うはずなのに、だいぶ重なって感じる意識が歴史的体積によってつくられている。


それ以外にも、アメリカのプロテスタンティズムとドイツのルター派プロテスタンティズムが、まるで違うものだったのは、目からうろこでした。考えてみれば当たり前なのですが、僕はアメリカの方ばかり見ていて、プロテスタンティズムというとアメリカのものしか頭になかったんですね。非常に気づきになりました。


この辺りは、レスター伯と、もっと突っ込んで話したいなー。と思う今日この頃。でもまぁ、読書すればするほど、自分の無知さに、驚きます。頑張って、いろいろ読もうとまた強く思う読書でした。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)



十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離 (岩波現代文庫)

Hillary Clinton says she won't run for president in 2020, but vows she's "not going anywhere."

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Hillary Clinton says she won't run for president in 2020, but vows she's "not going anywhere." Clinton ruled out another campaign during an interview posted Monday by TV station News 12 Westchester. However, she said she'll keep speaking out. (March 5)

一時代が終わった、と思う。民主党は、バーニーサンダースさんら、まだ前回の失敗に懲りないというか、候補者の乱立が続いているけれども、この人は潔く。2016年の大統領選挙では、ほとんどトランプさんが勝つと感じていましたが、ずっと、ヒラリーさんを応援していました。というのは、まじめにスピーチなり意見を聞けば聞くほど、大した素晴らしい人で、実績も十分を通り過ぎるくらいあって、今でもなんで大統領に慣れなかったのか、とさびしくてたまらない。まぁ、未来はどうなるかわかりませんが、ちゃんと宣言したのは、一区切りをとても感じました。

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ヒラリーさんは、本当にめちゃ嫌われるそうには嫌われているので(なんでかさっぱり僕はわからない)、煽る立場のトランプさんにすれば、くみしやすいと思うんでしょうねぇ。



ちなみにツイッターでの二人のやり取りは面白い。


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ちなみに、ヒラリーさん的なポジション、とまではいかないけれども、有力候補としては、カマラ・ハリスさんが注目ですね。


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ちなみに上でも書いたんだけど、民主党は、本来勝てるはずなのに、自滅している構造があると思うんですよね。いまの大統領選というかアメリカの政治の問題は、共和党もう民主党も極端に偏りすぎて、中間層が支持できる(たくさんの個別の意見の妥協案を取りまとめる)中道派がいないというのが問題なんですよね。なので、極端の代表例である、バーニーサンダースさんらが力をまだ持っていると、またトランプさんにやられちゃうよ、と思っています。ちなみに、いま議員としては大注目の、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez、AOC)さん(なんと29歳!)も、内容的には、マイルドな表現をしていますが、ほとんどバーニー・サンダースさんと同じ思想、意見ですね。ただ、ちなみに、「マイルドな表現」という部分は重要で、主張は同じ社会主義的なものでも、それをマイルドに言えるというのは、重要なポイント。妥協できるかどうかというところだから。

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2019-3-2-【物語三昧:Vol.6】海燕とペトロニウスの少女マンガ講座-第2回 成田美名子著『CHIPHER』双子というテーマ with 海燕さん


2019-3-2-【物語三昧:Vol.6】『CHIPHER』成田美名子 with 海燕

海燕ペトロニウスの少女マンガ講座-第2回です。2019年は、遠き坂の上の雲におわすLDさんという巨人を超えるための第一歩として、彼の強くない領域で、戦おう!(=逃げ)というコンセプトで、やりはじめています。海燕さんと少女漫画の傑作をまずは紹介していくラジオをして自分たちの少女漫画好きを見直そういう戦術です。そこで、今回は、成田美名子さんの『CHIPHER』を紹介します。続編の『ALEXANDRITE』を含めると1985-1994連載。80年代のアメリカを描いている作品。読んでいないと、人生損していると思えてしまうくらいの傑作作品。ペトロニウス的には、本当の友達とはどんなものか?と考えるときに、常に、ロイとハルが友達になっていく過程を振り返るほど、人生に衝撃を与えた作品。逆を言えば、ここまでならないと、それは友達じゃないんだ!と、自分の中で割りきりが生まれた気がする(笑)。ちなみに、『ALEXANDRITE』を見て、アメリカへのあこがれが、具体的強固になった。当時大学生で、どうしても見に行きたくてコロンビア大学に旅行で見に行っている。写真も残っていて、自分の惚れ込みようにうに、驚きます。

愛蔵版 CIPHER 【電子限定カラー完全収録版】 1 (花とゆめコミックス)


ちなみに、せっかくつくったのでラジオの前提として海燕さんと用意したメモ。基礎知識をまとめているので、あげておきます。


◆作品データ的知識
前作『エイリアン通り』の大ヒット(500万部)1980-1984ちなみに、いまでは、エイリアンという言葉は、ポリティカルコレクトネスで、あまり使用しないと思う。フォーリナーかな。

サイファ』1985-1990 白泉社 LaLa 花とゆめコミックス
『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト)1991-1994

1985-1994 ぐらいに描かれた、アメリカの物語。

エイリアン通り(ストリート) 1 (白泉社文庫)

ALEXANDRITE〈アレクサンドライト〉 1 (白泉社文庫)


・双子という文学テーマ。タッチ、エデンの東カインとアベルの聖書の話。最も近い競争相手。なりたかった自分(反対の自分)を常に比較されて見せられる恐怖。お互いの違いを知るとこで世界を知っていく。だいたい、女の子?という異性が表れて、完結している世界に日々が入る。


・『エデンの東』(East of Eden)は、1955年.監督はエリア・カザン。原作はジョン・スタインベック
エリアカザンの映画は、父親との和解がテーマ。原作のスタインベックは、複雑で、トラスク家の3世代に渡る物語。大河小説。サリーナスは、北カリフォルニアの農業で有名な街。アーティチョークとか。母親が住むモントレーは、今では観光の水族館で有名。イワシの缶詰なのの港町で、色濃く面影を残す港湾都市。少し南に、クリントイーストウッドが町長をやっていたので有名な、カーメル。北カリフォルニアの典型的な風景。

ケイレブ(キャル)・トラスク/ジェームスディーン
アーロン・トラスク:品行方正な兄
アダム・トラスク:正しい父親
アブラ・ベーコ:ヒロイン?キャルの相手役。
キャシー(双子の母親)
エデンの東』は、一卵性ではなく、二卵性の双子。キャル・トラスクとアロン・トラスクの兄弟。二人の確執の物語。前半は、アダム・トラスクとチャールズ・トラスクの兄弟。さらにその父親のサイラス・トラスクの話も描かれます。そこから延々と確執がつながっている。

エデンの東 (字幕版)

エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)


・読んだ年代(2019年との差異)
1985年スタートなので、ペトロニウスが小学生のころ。もう30年も前!。読んだのは、中学生だったとおもう(既にあと数巻で終わりというところだったはず)。なので、1989から1990くらいのところで読んでいると思う。
日本のバブル期。経済絶頂期。円が強かったころ。

サイファの普遍性のポイントってどこ?。リテラシーの高いよみ手と、自由な書き手がそろった、稀有な文学的香りのする作品。後半の苦しさは、いまのような「物語のトンネル」とでもいうべき「下げてから上げる」「あげてから落とす」という「落差」に耐えがたいといわれやすい(2019年)マーケット。受け手を想定している物語では、なかなか生まれないかも。津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』(1996-2005)の後半の有馬編を思い出させる。

彼氏彼女の事情 コンプリート DVD-BOX (全26話, 650分) 庵野秀明 カレカノ アニメ (PAL, 再生環境をご確認ください) [DVD] [Import]


・『タッチ』との共通性の話。

white-cake.hatenadiary.com


タッチ 1 (小学館文庫)


・成田美奈子さんの作家性。人間の二面性。『NATURAL』へ引き継がれる。

NATURAL 1 (白泉社文庫)


サイファ(ロイ・ラング)とシヴア/ジェイ(ジェイ・ラング)の過去のエピソードが素晴らしい。

・卓越した構成力。序盤から伏線が敷かれている。双子が陸上で記録を出していることなど。

・後半、恋愛要素が薄れていく。人気的にはどうだったのか?

・結局、何がいいたいのか? 「愛されたい」。「自分は特別だと思いたい」。存在の根拠を見いだせない孤独感=『涼宮ハルヒの憂鬱』あたりのテーマ? 少女漫画は男性文化にテーマ的に先行している?

・少女漫画のチャレンジが認められていた時代の話。

・アニス・マーフィが、素晴らしい女の子。双子に対する区別が、最後まで見事に一貫している。タッチの南ちゃんが、思わせぶりだったのと比較すると、見事。

・アニスの成長っぷりが、めちゃたまらない。『エイリアン通り』て(1980年12月号から1984)のヒロインの成長で、見せ方を学んだのだと思う。エイリアン通りは、舞台は1979年から1982年にかけてのロサンゼルス。シャール・イダニス・モルラロールと、川原翼(この子は、1965年生まれ!、、おれより年上だ、、、)。

エイリアン通り(ストリート) (第4巻) (白泉社文庫)


・『エデンの東』。カインとアベルの話。双子のテーマというのは、「ありえたかもしれない自分」という視点で、成田さんのあらゆる作品に出る主要なテーマ。
 アレクサンドライトのレヴァインの、霊につかれる話も?(名前確認)同じ。同じスタート地点であれば、様々に「ありえたもう一人の自分」を顧みれる。そうすると、「なぜ今の自分になったのか?」が、その反射で理解できる。
 この路線をうまく理解するには、「和也が死ななかったタッチの世界」という設定で読み込むのは、非常に正しい。


・アヴェニューaで検索すると、イーストビレッジに当たり。今はルドルフ・ジュリアーニ(1994年1月1日から2001年12月31日)までニューヨーク市長。彼のおかげで劇的にNYはとても治安が良くなっていて、地下鉄もそれほど怖くないと思う。いまでは。

BANANA FISH(1) BANANA FISH (フラワーコミックス)

・風景が細かい

サンバーナーディーノ郡(英: San Bernardino County)の表示が見える。最初に、UCLA?まで行く道は、たぶんフリーウエィの10号線だと思う。表示から見ると、サンバーナディーノやリバーサイドのあたりに住んでいたんじゃないかと思う。この辺は、内陸部で、郊外といった感じ。uclaには、10号線が込むので、車で行くには、1時間半は最低でもかかるので、ちょっと遠いかな。サンバーナディーノでも銃乱射事件がありましたねぇ。

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ほんとは、パサデナとかグレンデールとか、ロスダウンタウンの北の方に住むのが郊外だったらありじゃないかなと思う。もしく思い切って南のトーランス、さらにマリブビーチの方のサウザンドオークス

そうえいば、サウザンドオークスも、銃乱射が最近あったな。

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カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサウザンドオークスで2018年の11月7日午後11時20分ごろ(日本時間8日午後4時20分ごろ)、飲食店で銃乱射事件があり、現場に急行した警官を含む12人が犠牲になった。このほか、容疑者も現場で死亡しているのが発見された。

現場となったボーダーライン・バー・アンド・グリルには、事件当時少なくとも200人がいた。この日は学生のラインダンス・パーティーが開かれていた。

イアン・デイビッド・ロング容疑者(28)は元海兵隊員で、精神衛生上の問題を抱えていた。


サンバーナーディーノ銃乱射事件は、2015年の12月の純乱射事件で有名。障害者支援の福祉施設で17人を射殺。実行犯サイード・リズワン・ファルク(1987年6月14日 - 2015年12月2日)はパキスタンアメリカ人であり、サンバーナディーノのラシエラ高校を卒業し、卒業後は保健衛生指導員として働いていた。


・「友達」って素晴らしいというテーマ。主に、ロサンゼルスのHALとロイの話。西海岸的なのは、とてもマイノリティが主軸。日系のハルに、建築やPCを教えたのは、マーク(アフリカンアメリカン)。壁にぶつかって、何かをあきらめなければならない時、それを見舞ってくれて、アドバイスをくれるのが友達になっている・なので、「積極的に友人に介入する」姿勢は、いまの時代とは、だいぶ違う感覚かも。JBとシヴァの話が、素晴らしい。


・UCLA、コロンビア、NY大学、ジュリアード音楽院など、出てくるのはアメリカの中でも最高峰のトップエリート校。そういう意味では、輝かしい美しいアメリカしか見ていない面はある。樹なつみさんの『パッションパレード』で、中西部のド田舎での偏見や差別や、アフリカンアメリカンの絶望的な人生を深く迄えぐって、バスケットボールの話につなげるものなどと比較すると、理想的過ぎるきらいはある。


Hoop Dreams [Import anglais]

HOOP DREAMS(1994)

パッション・パレード 朱鷺色三角2 1 (白泉社文庫)


サイファとハル、ジェイクとレヴァインという友達の話。対になっている。


・『花よりも花の如く』と性善説の話。「世の中そんなに甘くない」。性善説が過ぎると、物語としてウソつけ、という感じになってしまう。サイファが、どうしようもない傑作なのは、起きた出来事がマイナス過ぎて、その後何とか生きていくには、生前説というか、いい人にならざるを得ないので、、、巨大な負債がある。なので、よい側面ばかり見ても、世界はそういうものだ、という気持ちにさせる。
花よりも花の如く 18 (花とゆめCOMICS)

http://petronius.hatenablog.com/entry/20120601/p7

ただ、一点、これはと思った点がありました。それは、この作者が、最初の第一話で選んだのが、非常にまじめな青年の主人公が痴漢に間違われて仕事を奪われかけるという話です。それは、痴漢だ、といった女性の側がどうも疑心暗鬼というか被害者妄想が強い人で、勘違いかうそを言っているという話の流れでした。結局、この女性は、ある程度回心して告訴を取り下げて、という話で終わります。・・・・が、僕は現実的に考えると、この話って邦画の周防正行監督の『それでもボクはやってない』になって、最後まで冤罪が晴れない、というのが普通だと思うのです。主人公は自分が明らかにやっていないのが(観客も)わかっているわけですが、いいかえれば、自分が悪くないにもかかわらず、人の悪意によって人生がめちゃくちゃにされるということの恐怖を描いているわけです。この場合はね。そこで、この物語は、痴漢を主張した女性が正しい心を取り戻して、ちゃんと事実を直視する勇気を持ってほしい、、、的な希望を託させるわけです。僕は、痴漢や冤罪に知見が深いわけではないので、この犯罪自体の話を言いたいわけではなくて、成田さんの話って、こういう風に「人の誠意が通じる」「きっと話せばわかってもらえる」というような非常に、合理的というか、ある種の悪意が解消されることを信じているポジティヴで前向きな意思がああって、それに主人公が悩むという話が多い。『サイファ』の時ぐらいまで、それに違和感を感じたことがなかったのですが、日本が舞台の作品を見せられると、、、、この前作である『NATURAL』でもそうだぅたのですが、何か違和感を感じるんですよね。これは僕が、世の中は底が抜けたような『どうにもならない悪意』もたくさんあって、それは「自分が生きている範囲」「自分が見通せる範囲」「物語の展開の内部」では解消されないことが多い、ということを信じている人だからだと思うんですが、そんわけないじゃん!と、嘘くさい前向きさを感じてしまうのです。きれいごとすぎる、、、と。

海燕ペトロニウスの少女マンガ講座



2019-2-4【物語三昧:Vol.3】TONO『カルバニア物語』人間らしさを失わずこの過酷な世界で生きていくこと with 海燕


カルバニア物語(17) (Charaコミックス)

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン3 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督  2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない

ソフトシェル ブレイキング・バッド シーズン3 BOX(6枚組) [DVD]

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン1-2 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督 みんな自分の居場所を守るためにがんばっているだけなのに - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

上記の続きで、今回からはかなりんネタバレになるので、見ていない人は、前の記事だけにとどめるか、ぜひともドラマを見てください。現在、2019年の1月23日。順調に、シーズン3-4まで消化。


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■シーズン1を見ていると苦しくて見ていられないほどなのに、何がそんなにアメリカで受けたのだろうか?(この物語のコアとは?)


アメリカ史上、最大の評価を受けたドラマ、といわれるほどの人気だったブレイキングバッド。

衝撃的かつ独創的な映像世界で米国TV界を席巻した大ヒット・シリーズ「ブレイキング・バッド」は、2008年より、「マッドメン」や「ウォーキング・デッド」など質の高い人気シリーズを輩出しているベーシック・ケーブル局AMCで放送スタート。直後から視聴者の爆発的な人気と共に批評家が熱狂し、同局のオリジナル番組のブランドを決定付けたモニュメント的な作品だ。2013年に全5シーズンで完結するまでには数々の主要なアワードに輝き、2013年、2014年にはエミー賞作品賞を2年連続受賞、2014年にはゴールデングローブ賞の作品賞を受賞するという快挙を成し遂げた。中でも、主演のブライアン・クランストンの熱演は鬼気迫るものがあり、”近年のハリウッドで最も素晴らしい演技”と放送開始当初より各方面から絶賛の嵐。エミー賞では主演男優賞を4度受賞したほか、相棒役のアーロン・ポールも同賞助演男優賞を3度獲得して記憶に残る名演を披露している。麻薬組織に銃撃戦やバイオレンスなど派手に魅せる過激な描写もさることながら、家族のドラマや追い詰められた人間の心理に誰もが自分を重ね合わせることができる人生の皮肉と残酷さを伝えて、普遍的な感動を呼ぶ本作。番組の生みの親であるヴィンス・ギリガンのブラックなテイストとユーモア、鋭く現代社会の問題をつく視点も秀逸な、アメリカTV史にその名を残す傑作シリーズだ。

スーパー!ドラマTV 海外ドラマ:ブレイキング・バッド

僕自身も、これを見始めたと同僚に行ったら、毎回どこまでいった?と聞かれ、熱いトークが生まれる(まさに今現在毎週聞かれる(笑))ので、会話のためのネタではなく、本当に好きなんだな、と驚いたんですが、、、こんなに一つのドラマで会話のネタがずっと続くのは、ゲームオブスローン以来。このドラマが、いかにアメリカ人の中で深く心に刺さったかが感じられます。まぁ、僕の周りだけなので(笑)、アメリカ人と大仰にくくるのは無理かもしれないですが、いろいろ記事を見ていても、このクラスの人気は、ここ最近だと『ウォーキングデッド』と『ゲームオブスローン』くらいかなぁ、と思います。まぁ僕もまだまだアメリカのドラマは初心者クラスなんで、コツコツこの世界に触れ続けていると、いろいろ出てくるかもしれないですが、いやはや『ブレイキングバッド』は、本当にたくさんの人が、ナンバーワンに挙げる作品です。

ウォーキング・デッド コンパクト DVD-BOX シーズン1


とはいえ、実は、最初ちょっと不思議でした。


シーズン1を見始めたとき、ちょっと後悔したんです。というのは、末期に近い肺がんのウォルター・ホワイトの「余命がない中で」、さまざまなことに心が揺れ動くシーンの連続は、もう見ているのがつらくてつらくて、、、、。それでも見続けるし、しかも、やめられないほど面白い。。。。とはいえでも「苦しいんです」。周りにがんで亡くなった人がいるわけでもないのに、これほど夜寝ればくなるほどの苦しさ。僕は、何度もうやめちゃおうかな、と思うほどでした。これ、苦しすぎて、見るのあきらめた人、いっぱいいるんじゃないか?と思ったんですね。実際、絶対いると思うんですよね。


でも、アメリカでこのドラマの人気の出方は、どちらかというと口コミでじわじわ広がっていって、ものすごく深い共感と理解に支えられて大ヒットしていった感じなんですよ。実際、僕の友人連中の、テーマや内容について、共感や言いたいことがあって、何回も話し込むところからいって、「単に面白いから」というエンターテイメントを超えた、時代の広範な要請とリンクしている感じがします。あっ、言ってみれば、日本の1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』のアダルトチルドレン的な感性への共感とシンクロみたいな、物語のコアの部分が、物語の枠を超えて、「その時代」のテーマと大きく結びついていた感じ。


「物語のトンネル」に耐えられない人は増えているのか?:弱いなら弱いままで。:海燕のチャンネル(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ

物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない - ジゴワットレポート


こういう物凄く暗く、苦しく、重いにもかかわらず、凄まじい共感と反響を呼ぶ作品が、長く愛されたりするのを見ると、ああ、やっぱり物語の価値は、物語が受け入れられるかどうかは、結局のところ「質」であり「おもしろさ(その深み)」何だよなぁ、としみじみ思います。つい最近、「物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない」という話題が、語られていたが、もちろん、そういう人が一定数必ずいるのは事実だと思うんですが、まぁ、そんなの作り手側、クリエイターが気にする必要性って全くないよなぁ、と僕は思います。比率的に、あまり議論する価値がない感じがする。なので、あまり価値がある議論には、思えない。「そういう人もいる」というだけの話。トンネルに入ったくらいで、物語が見れなくなるということは、基本的には、その物語がいまいちだからだと思うんです。もしくは、単純にその人の、その時の嗜好に会わなかっただけ。


もちろん、時代的な感性として、一部を少し超えて、物語のカタルシスにつながるまでの「しこみ」みたいな苦しさに耐えられない(乃木坂春香の話で、僕らはそんなに弱くない!とずっと語ってますね、アズキアライアカデミアのラジオの方で)感性があることは事実だとは思います。けどそれって、結局のところ、受け手が、エンターテイメントに何を求めているか?と問うたときに、日常の仕事とか現実が苦しいので、せめて物語の世界では、楽しいこと見ていた!という要望。もしくは、その逆で、波風のない日常では味わえ内容のは、波乱万丈のワクワクドキドキが見たい!とか、、、まぁ、物語全般に受け手が望む態度の一つに過ぎないので、まぁ、ここで言えることは「いろんな人がいる」というだけのこと(笑)。人類は、ずっと昔の古典や物語を振り返れば、まぁ、やっぱり楽しさも、怖さも、ハラハラドキドキも、みんな見たいんですよ。なので、一時代の、少しの傾向を見ても仕方がないんだと思います。一時期のマーケティング分析的な、分析って本当に害悪だとおもう。だって、それに「合わせて」調整して作品を創造したり、ただ儲ければいいといって作品を創るのは、「創造する」という仕事に携わる立場から言って、とても難しいと思うので。


って話がずれた。


えっと、このめちゃくちゃ見ていると苦しくなるところに、いったいどんな、2008-2013年ごろのアメリカをシンクロさせるような、背景があったんだろう?、とちょっと考え込んでいたんです。。。だって、こんなに見るのがつらいのに、大人気を、しかも口コミでするなんて、なんらかの社会的にシンクロする大きな背景があったんじゃないか、と思うってしまうからです。そういう背景から、この物語のコアは何だったんだろう?という疑問を少し温めていました。


そこで、いろんな友人に話してみて、数人の友人から、全く前提を振っていないのに、同じ解釈を聞かされたので、たぶん「この解釈」がそれなりに当てはまっているのだろと思うのですが、それは、アメリカのドラマにおいて、主人公が明らかな悪人で、かつその悪人の内面を徹底的に描いて、それが落ちるところまで落ちていく過程をすべて、描き切った作品は、これが初めてだとおもう、ということでした。いろいろな言い方をしていましたが、みんな言うポイントは、主人公のウォルター・ホワイトがもうひどいくらいの「悪人」それも「極悪人」であるのですが、


・主人公が言い訳しようがない極悪人であるにもかかわらず、ずっとその内面を赤裸々に追い続けている

・主人公は最初から悪人だったわけではなく、「家族を守るため」という真摯で正義の目的のために、どんどん「悪人」になっている

・極悪人が主人公なのに、だれもが共感し、人気が出続けた
(正義の味方スーパーマン!大好きなアメリカではありえないこと!)


このようなポイントです。ようは、正義大好きのアメリカ人にはありえないくらいの、極悪人の内面過程が、ずっと描かれるのに、人気が出たというエポックメイキングな作品だ、というのです。


ちなみに、この議論は、『アナと雪の女王』で、僕は一度描いていますよね。まさに同じ話です。


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アナと雪の女王』の最も重要なポイントは、これだけ人気が出たにもかかわらず、雪の女王という怪物になり果てたエルサの内面と、そこに追いやられた具体的なエピソードが、とても肯定的に悲しく描かれているところですね。それまでだったら、退治して、殺すだけの対象だった邪悪な魔女のことがこれほど肯定的に、というか、「そうとしかあれなかった」家庭が描かれるのは、画期的なことだといわれました。アメリカ社会の、善悪二元論、、、単純に正義だけで割り切れなくなった感性が、本当に広がりを見せているのだな、と思います。

アナと雪の女王 (字幕版)



■Be a man! 報われることが一切なくとも、家族のために戦い続けろ、それが男というものだ


さて、「極悪人の内面過程を描いた!」というのは、具体的にどういうことを言っているのでしょうか?


この作品の「始まり」であり「ボトムライン」は、気の弱い?ウォルター・ホワイトというだつの上がらない公立の化学教師、けれども善良で、それほどエゴを主張しないような、、、、そういう存在が、「家族を守り、自分の死後、家族が安楽に暮らせるように」という目的ではじめた、メス(麻薬)づくりに、深く深くコミットして、逃げられなくなっていくというお話です。つまり、先ほど説明した、フローズンの「エルサ」と同じ話なんです。魔女といわれるような存在。害をなす、邪悪な存在。それを倒すことで、物語はカタルシスを得てきましたし、そういった悪と正義という二元的対立が、人々をとても共感させる類型です。けれども、成熟してきた、そして自らの正義を疑うようになった米国の現在は、「ではその魔女はなぜそうなってしまったのか?」を丁寧に考えるようになりました。Let it be(ありのままで)という言葉は、とても投げやりで、もうどうしようもなくなったというニュアンスにたしかに聞こえます。エルサが雪の女王という魔女になり果てるのは、「そうとしか生きることができなかった」悲しみと苦しさが隠れています。エルサの子供の頃や育つ過程を見れば、彼女が妹と国を愛するとてもやさしい人であるのがわかり、、、彼女に選択肢も逃げ道もなかったのがわかります。けど、邪悪な存在は、うち滅ぼされ、殺され、、、そしてめでたしめでたしとなります。日本における勇者と魔王という二元論で、魔王は、なぜ魔王になったのか?と考えるのと同じことだろうと思います。本当に成熟した物語類型では、悪はなぜそうなってしまったのか?が問いかけられるようになります。


では、ウォルター・ホワイトは、なぜそんな極悪人になったんでしょうか?。


僕は、ウォルターの仕事を評価し、彼に深くコミットさせようと、麻薬ディーラーの大ボスの一人であるグスタボ・"ガス"・フリング(ジャンカルロ・エスポジート(Giancarlo Esposito))が、彼を説得するときの言葉や理由に、この作品おテーマが、これでもかとえぐられるように表現されていると思います。ちなみに、ガス、カッコよすぎて、やばすぎです。このあと、スピンオフの作品『ベター・コール・ソウル』(Better Call Saul)がつくられるのは、ますが、わき役陣があまりに素晴らしすぎて、スピンオフができるのはよくわかります。特に、僕は、ガスが見てていつもドキドキします。こんなに格が落ちない悪役というのは珍しいと思います。なんというか理想の、悪のラスボスです。容赦なさ過ぎ。

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話を戻します。ウォルター・ホワイトは、なぜそんな極悪人になったのか?



ザ、マッチョイムズだ、と僕はツイッターでつぶやいたんですが、何とかなしい話だろうと、グッときました。友人が、涙目で、男は強く、家族を守る存在であれ!と言われたら、逃げられないよ、としみじみいっていて、そんなに深く刺さる言葉なんだぁ、、と感慨深かったです。3人ぐらい同じ話さをされたので、みんなここにグッとくるようです。ああ、全員、アメリカ人で、男性で、白人でしたね(笑)。しかもみんな「たとえ報われなくとも!」というところで、涙するようです(笑)。ちなみに、僕もほんと胸に刺さった。


もう既にね、リベラリズムが広がった成熟した現代(2019年)とかで、男らしくあれ!とか、男が女子供を守るんだ!なんて言説は解体されて、ちょっと笑えるような「大きな物語」で、既に時代遅れだというのは、みんな思っていると思うんですよ。けれどもね、たぶん、それなりの年代の人は、この価値観で「すでに育って」しまっているので、もう時代が全く意味をなさないとわかっていても、この桎梏から逃げられないんだろうと思うんですよ。


しかも、「男であれ!!!(Be a man!)」というセリフが成り立つ、というか、法律も常識も何も守ってくれない殺し合いの世界では、これが成り立ってしまうんですよ。それを、この弱肉強食の世界で生きている、大先輩である先達、ガスに、激しく言われたときに、ウォルター・ホワイトは、胸に刺さるんですね。戦いの世界で、ルールがなければ、マッチョイムズというか、強さこそすべてという荒々しさになってしまいやすいですもの。


しかも、、、、運がいいというか、とても悪いことに、ブルーメスという特別な麻薬を作る、才能が、ウォルターにはあったんです。


才能がある、、、言い換えれば、やろうと思えば、彼は、その世界で強者として、弱者を踏みつけ生き抜いて、家族を守ることができるんです。できなければ、破滅です。なら「やる」しか、選択肢がないんですよ。そう追い詰められて、シーズン3で、ずっと、自分が犯罪者であることが受け入れられなくて、常識にうろたえていた、ウォルターに少しづつ覚悟が芽生え始めます。


その覚悟とはすなわち、自分の家族を守るために、自分の才能を徹底的に使い、極悪人として、邪悪な存在になる覚悟です。シーズン3は、この過程が、じわじわ見ることができます。しかも「才能がある」ということの怖さが、とてもここで描かれている気がしました。というのは、最初は「家族に財産を残す、守る」という消極的な、受け身の姿勢であったんですが、どんどん麻薬の世界に深入りしていくにつれて、自分がその世界で特殊な才能を持つことがわかってくるんですね。そこで、、、、彼は強い自信とプライドを、、、それもものすごく強く持つようになっていくんです。なぜかといったら、才能があるから、現実を動かす能力があるからなんですね。そして、それにおぼれ、それにからめとられ、それに支配されていく過程が、とても丁寧に描かれます。じわじわと、「自分の思いどおりにならない」ことに対するいらだちと怒りが、彼を支配していき、、、自分がコントロール、支配できるように、何が必要かを、倫理も道徳も吹っ飛ばして、行うようになっていきます。



■どんなに受け入れがたくても現実を直視して覚悟を持たなければ、人生は最悪に転がり落ちる-Half Measures(中途半端)からFull Measure(肝が据わった本気)に


シーズン3の最後の数話、31:Abiquiu(悪の住む町)、32:Half Measures(憎しみの連鎖)、33:Full Measure(向けられた銃口)から、シーズン4の第1話、Box Cutter(ガスの怒り)までは、もう止められなくて夜中の3時までかかってみてしまった。というのは、シーズン3全体というのは、なんというか陰鬱で、どんどん状況が悪くなっていくさまが描かれていくのだけれども、その最悪の現実を直視して、覚悟が決まるのが、33話(シーズン3の13話)だったので、スカッとしたカタルシスが得られるのだ。状況はさらに悪くなってはいるんだけれども(笑)、でもそもそも、既に本当は抜け出ることができないところまで来てしまったいるから、覚悟を決めるしかなかった。


しかし、現実を直視できなくて、言い換えれば「そうなってしまった自分」を受け入れることができなくて、つじつま合わせを繰り返しているうちに、人生は最悪のところまで転がり落ちてしまう。これシーズン3の最終話は、既に積んでいる状況で、このままいけばグスタボ・"ガス"・フリングに殺されただろう。そして、ある覚悟で、13話に「手を下す」ことになるのだが、これはもっと状況を悪くして、即ガスに殺されそうになる。でも、最悪のピンチを、素早い決断の連続で、切り抜ける。


これをみて、ああ、人間というのは、現実を直視して「覚悟」が決まっていないと、人生の坂を転がり落ちてどんどんだめになるのだなぁ、としみじみ思った。状況自体は、シーズン3中でも最悪になったのにもかかわらず、切り抜ける覚悟があるのは、「手を下す」「自分が手を汚す」覚悟が、腹が決まったからだと思う。そして、人生は、その通りだと思う。


実際、この作品で、ほとんどのトラブルは、パートナーのジェシー・ピンクマン(アーロン・ポール)が、引き起こしているのだけれども、彼が、なぜいいつもどんどん人生が、悪い方向に転げ落ちていくのかは、彼が基本的に中途半端にいい人で、優しい人であるがゆえに、覚悟が決まっていないので、坂を転がり落ちる雪山の雪だるまのように、悪くなっていのだく。


日本語タイトルには反映していないが、この中途半端はだめだ、というのが、シーズン3の最重要テーマになっているのは、英語でセリフを聞いて、英語タイトルを見れば、はっきりしている。32:Half Measures(憎しみの連鎖)と33:Full Measure(向けられた銃口)は、中途半端から、中途半端じゃなくなるというウォルター・ホワイト(ブライアン・クランストン)の心理状況を表している。


ここでいう本気は、「手を汚す覚悟」があるかどうか、だ。いつ死ぬか、殺されるかわからない状況では、即時の判断は、肝が座っているかどうかで決まる。ウォルターが、自分がはっきりと、この犯罪の罪を自らの手で御し、責任を引き受けるということだ。それができないこと、「現実を受け入れられないこと」は、30話:Fly(かなわぬ最後)で、「どこで間違えたのか、、、、」「どこで終わっていれば(=死んでいれば)」自分の幻想や嘘がきれいに終わったのだろう、と自問して、おかしくなっていくさまが描かれているが、ジェーン・マーゴリス(クリステン・リッター)を見殺しにした時点で、もう引き返せないところに来たのだ。


メスの販売もそうだが、自分の手を汚していないように見えることで、家族のためという言い訳を繰り返すことで、まだ犯罪者を相手にしているのだからいいのだ、と繰り返すことで、「現実を直視すること」から逃げているから、苦しくなるのだ。現実に踏み出す決断をしたら、その決断の「引き起こした現実」は、どんなに自分が望まなくとも、すべて自部の責任だと認識して生きていかなければ、人はナルシシズムの世界に住むことになる。もちろんそれは過酷なことだ、「なぜ自分がそうあらねばならないのか?」と苦しむことにはなるかもしれないが、けれども、そうして逃避していく先は、ジャンキーのように人生のコントロールを失って、どん底へ落ちていくだけなんだろう。たぶん、人は、やさしいから、中途半端になる。現実に起こって知ったからと言って、いきなりギャングや殺人者になることはできない。でも、きっと、その覚悟が決まらなければ、最初から一歩踏み出すべきではなかったし、すぐにでもすべてをぶちまけて警察に自首すべきだったのだ。「そうでない」ならば、自分の手を汚す覚悟をする以外は、方法はない。もしくは、そういう弱肉強食のみの犯罪の世界では、捕食され、殺される以外道はない。



■2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない


ブレイキングバッドが放送された2008年から2013年と書くと、物凄く象徴的に思えます。2008年のリーマンショックにはじまり、第44代バラク・オバマ大統領(2009-2017)の下で「正しくあろう!」と思い続けたアメリカは、最終的には45代ドナルド・トランプ大統領を2016年に選ぶことになります。この辺りの大きな流れは、とても象徴的だと思いませんか?。ちなみにthe financial crisis of 2007–2008、subprime mortgage crisisといって、リーマンショックというのは、ほとんど通じない気がします。正式なのは何というのでしょうか。


ええと、もう一度最初の問題意識に戻ります。この作品のコアは何だったのだろう?。なぜ、アメリカでこんなにも同時代的に支持されたのだろうか?と問う時に、ウォルター・ホワイトという典型的な優しい中産階級に属すると普通の男が、何一つ悪いことも、ひどいこともしていないにもかかわらず、病気になっただけで、家族が破滅する破産の危機にさらされます。オバマ大統領が、徹底的に進めたけれども、果たせなくて骨抜きにあった公的医療保険のことを思うと、この物語の背景は、まさに当時の、そして今のアメリカの現在の問題意識を貫いています。病気になった、ただそれだけで、ウォルター・ホワイトは、人生が崩壊しています。中産階級に属する普通の人生だと思っていたのが、実は、プアホワイトになっていた、もう家族も含めて未来が全くない状況に追い詰められているのです。



そこで、、、、、家族を守るため、最初は自分の為ですらないという、とても正しい動機で、彼は怪物になっていきます。



そこには常に、「誰が!、何が!悪かったんだ!!!」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。



そして、倫理と道徳を捨てて、ただひたすらに弱肉強食で生きると覚悟を定めた時に、弱々しい存在だと思っていたウォルター・ホワイトは、凄まじい才能を発揮します。オバマ政権からトランプ政権を選んだ、アメリカの中産階級の、投げやりな、けれども、、、、という感じがめちゃくちゃシンクロするように感じます。この文脈で考えると、共和党とドナルドトランプさんが、ラストベルトやプアホワイトに支持されたというストーリは、色々感じるところがあります。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち


ちなみに、ウォルターの妻のスカイラーを、見ていると、とてもローマを思い出しました。これも素晴らしいドラマなのでおすすめです。こういう赤裸々な人々の欲望が展開する群像劇は、なんというか、「こっち」のお話だなーとしみじみ思います。「こっち」って、どっち?(笑)と思ってしまうんですが。日本じゃないって感じ、で(笑)。


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【物語三昧 Channel:Vol.4】『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』14巻感想-with 哲学さん - 2019年2月17日 Sun JST

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下記の続き。14巻の感想。この作品は具体的に追いたいので今回は14巻単体での感想。感想なので、解説というほどではないっす。前半部の自意識のこじらせと、後半部の友達ができていく場面の落差、転換は何が起きたのかってのが見るポイント。自分がゆりちゃんが好きだ!(ゆりちゃん派)ということに、気づいた巻でした(笑)。


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『福岡市を経営する』 高島宗一郎著 最も成長が終わってダメージを受けた団塊の世代ジュニアこそが、成長より成熟なんていっていちゃだめだろう!

福岡市を経営する

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

何となくは知っていたのだが、ちゃんと追ったことがなかったので、いい機会だと思い軽い気持ちで読んでみた。そうしたら、2018年に読んだ中の本で最もインスパイアされガツンと来た本で、その圧力に驚いた。★5つ主客に両方で最高点だった。自分がこの本で強いインプレッションを得た点は2点。


1)成熟とか言ってんじゃねぇ!、打ち捨てられて沈み未来が暗い団塊のジュニアこそ、成長を目指し、希望を取り戻す先導役になるべきだ!


一つ目は、個人的な「生きる姿勢」として、大きな指針をもらったこと。

団塊ジュニアの私が「成長ではなく成熟だ」なんて言いたくない


この話、胸にずんと来た。著者と私は同い年。明らかな団塊の世代ジュニア。統計的にも世代的にも、時代に食い物にされ成長から取り残された打ち捨てられた世代。高度成長期の恩恵を受けず、その狭間で新しい時代にうまく乗れず、ただ沈んでいった世代。1971年から1974年第二次ベビーブーム世代なのですが、この世代が、時代のはざまのダメージを直撃させられた世代。統計的事実として、団塊の世代の子供たちである我々は、受験戦争が最も激化した時代に受験を経験します。そして、高校生にバブルがあり、大学生ではじけ、就職超氷河期になり、卒業する人が多いのに景気が沈むという最悪を経験します。団塊の世代が作った日本の矛盾を引き受けるように、非正規雇用が増える政策がとられ、就職できなかった人々はニートになるか非正規雇用になるか、というようなそれまでの日本がつくってきた終身雇用などの神話の物語からはじかれることになりました。その神話によって洗脳されて教育を受けたのに(苦笑)。本来、第二次ベビーブーム世代の我々は、世代的に次の「第三次ベビーブーム」を起こすはずでしたが、それはできませんでした。それは、団塊のジュニアが、マクロ的に矛盾を背負わされ、構造的に再生産ができなくなったからでしょう。日本の国家のライフサイクルとして高度成長から低成長縮小期に入った矛盾を直視されず、その犠牲になった世代でした。


この背景をベースに、識者やリーダーが、これからは成長より成熟だというのを、高島さんは「嫌悪する」という政治家としてはかなり激しい罵倒を何度も投げつけます。彼曰く、時代の犠牲になった我々だからこそ、最も希望がないことのつらさを知っている。また希望がない(=成長がない)ことがどれだけ悲惨なことかを体験している我々こそが、率先して成長を求めないでどうするのか!と。


これ、胸に響きました。そして、何が凄いって、この方は大学時代から、この強い炎、強い意志を持ち、いまに至るまで持ち続け行動に移し続け、結果を叩き出していることです。自分を顧みて、どうすれば成長がない世界で、成熟で豊かに生きられるのか?という逃げの回答を探していた、賢しらだった自分を反省をしました。もちろん、個人としては、未来がキラキラしなくなった、言い換えれば、成長がなくなり、経済のパイはシュリンクし、社会の参加意識は弱くなり、あまつさえ、日本メインの神話である終身雇用の大きな物語に自明に参加することも許されない、だからこそ、結婚もできない、お金もない、子供も作れない(マクロ的には、第三次ベビーブームが来なかったというのはこういうこと)、そういった「変わらない永遠の日常」の中で、成長を求めないで、どうやって心の安寧や、幸せを見つけ出すか?という問いは、低成長の時代を、そうはいっても人生のメインの時期として生きざるを得なかった団塊のジュニアにとっては、痛切に求めた慟哭であり知恵でした。しかし、、、、それは、自分個人の心の安寧の話。


高島さんが、経済界のリーダーや政治のリーダーなど、人の上に立つ人が、低成長とか成熟とか、そういった言葉を吐くのが許せなくてイライラした、というのは、本当にそう。社会は成長がないと、良くなることはないという構造があるんだと思います。下記で、アメリカのウォークアウェイという運動を紹介しました。これは、リベラリズムを標榜していた、左派が「狭い線引きでの自己」の権利獲得、既得権益を守るために、全体のことを無視して、部分の正義のみを主張しすぎて、他者に暴力的、攻撃的になる(パイが少ないので、自分が奪い取る行為が正義)ことが、広範に嫌悪を呼び起こしているさまを、よくよく示しています。なぜ、こうなるかは、まさに成長への希望がないので、アイデンティ・ポリティクスで、「狭い区定義した自己」の権利の拡充だけを狙い、他者を叩き潰すことが「必要」だからです。パイ自体がシュリンクしていく中での、自己の権利を拡張は、すなわち他者からの収奪になりますから。そうする、価値もっとも持っていると定義される人、、、、アメリカでは中産階級で、男で、白人などと定義できるでしょうが、、、それまでの社会のメインストリームの層から、過去に差別をしたのだという遡っての清算を求めて(これ自体は、いろいろ問題はあるが論理的ではある)ることになる。しかし、そういった「過去の罪を償え」ロジック+メインストリームの特権者はどんなに叩いてもよい!で、かつ、パイが増えない環境では、妥協ができなくなる。公正、フェアネスの基準(これは簡単に線引きは変わる)によって、どのへんで妥協するか?というバランス問題なのだが、要は社会統合ができなくなってしまう。社会の中で、部族(それぞれの属性などの小集団ごと)毎に殺しあって、モノを奪い合う北斗の拳状態になる。


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こうした社会を、それでも個々人の権利を拡大し(リベラリズム)、かつ社会の安定的な統合をぎりぎり維持するラインで妥協していくためには、絶対に「成長」が不可欠なのだ。成長への希望、可能性がなければ、人は、内ゲバで、限りあるパイを奪い合って殺し合いしかしないので、社会統合も絆も、異なる他者との相互理解もしようとはしない。だから、社会のリーダー、少なくとも組織で人を率いる立場の人が、成熟とか低成長を許容するようなセリフを吐くことは許されない。それは、希望がないので、内ゲバで殺しあえ、と勧めているようなものだ、という風に周りに受け取られるからではないか、と僕は思う。

団塊ジュニアの私が「成長ではなく成熟だ」なんて言いたくない


これは、個人的に大ヒットでした。というか、胸にさすように響きました。自分のこのブログの物語批評のこの10数年間の基本テーマ・文脈として、いや、僕が子供の頃からのライフテーマとして、成長と成熟の両輪をどう回すのか?というのがあったと思います。二つの異なる「志向」がマインドセットされていて、一つはベイシックスキルというカテゴリー(だけじゃないですが)で、どうやったら成長できるのか?、勝てるのか?に常に注目してきました。とはいえ同時に、低成長の沈みゆく黄昏の社会で、「永遠の日常」をどう楽しく成熟して生きていけるのか?、、、、時にこれは切実でした。団塊のジュニアである僕らの世代は、もっとも高度成長期の終わりの地獄をたたきつけられた世代なのに、にもかかわらず、団塊の世代の親から「努力すれば報われる(実際はマクロ的に報われない)」「頑張ればだれかが見ている(実際は、搾取しようと弱者を探して、食い物にされる)」などの、高度成長期の希望によって支えられた社会道徳や倫理を、徹底的に洗脳され、そのやり方に適合してきた時代でした。ぼくは、この「信じている価値観や行動指針」と、「外部環境が依然と全く違うものに変わっている現実」の信じられない乖離が、『新世紀エヴァンゲリオン』などのアダルトチルドレン的なものへの広範なシンパシーが生まれたのだと思っています。

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でも、「それでも」やはり社会の統治というマクロ的観点から見れば、「成長ではなく成熟だ」なんてのは、まったく役に立たない戯言なんだというのが身にしみました。ミクロの生活の安寧や、持続可能性や生活世界の習慣などは、もちろんこの成熟の技術って、重要なパラダイムシフトで、超長期にはトレンドがおかしいというわけではない。けれども、短期、中期、そして現実に「みんなというレベル」で考えるとき、リーダーシップ(リーダーだけではなく、すべての人にはリーダシップが必要という伊賀泰代さん指摘は正しいといつも思う)の次元では、成長は常に意識され、目指されるべきものなんだ、としみじみ思ったのでした。

採用基準


高島市長が、書いているこの本を全体的に読んでいけば、「様々な人がいる現実社会(ここでは福岡市全体)全員の合意」を作り出すことは不可能に等しい。それが、全体を通して、これでもかと伝わってきます。福岡市の市政自体に詳しいわけではないし、彼が言っていることが正しいのかのファクトチェックをしているわけではないのですが、読んでいて彼の感情の動きや行動だけを追っていても、明らかに価値観の異なる人々の合意を形成するコストは、現実のところ高すぎて、社会統治というのは、本当に難しいのだなと実感します。これは、どんな小さな組織でも、人が何人かいるところに生きていれば、合意形成のコストの高さは実感できるはずです。現代の日本は、価値の多様性や多様な生き方が認められたリベラルな民主制社会で、こうした多様な社会での合意コストというのは、ほぼ不可能なほど高い。既に、予算制約から、成り立たないところまで来てしまっている。ケインズ主義にふれすぎた社会を、持続可能性にするに、ネオリベラリズム新自由主義レーガノミクスサッチャリズムなんでもいいですが、その反動のトレンドが生まれたのは、ある種の大きな不可避流れなんだと思います。手法の問題点はあったにせよ。


こうしたほとんど合意形成ができないような多様な人々を、それでも「前に向けるのに必要なもの」は、希望です。希望とは、すなわち、成長への意志です。もっとかみ砕いていえば、いま現在、もめていて合意形成ができなくても、そこに向かって一緒に課題解決の努力をすれば、「きっとよくなるだろう」という未来への可能性が前提になければ、もっとも正しい行為は、リアル北斗の拳の「万人の万人による闘争」になってしまう。自分の主張とエゴを押し通して、限られたパイの取得領域をどれだけたくさんとるかがルールになってしまう。社会は構造的に、成長への可能性、希望を排すれば、既得権益の防御と奪い合いになり、合意形成のコストが、ただでさえ高いのに、ほぼ不可能になる。


これが、社会的に指導層にいる人が、成長を語らず、低成長とか成熟とか、そういった言葉を吐くのが許せなくてイライラするということの中身だと思うのです。僕も、日本の未来は真っ暗だ、とか海外の成長している国に逃げ出せ!という言説や意見に、どれくらいイライラしただろうか?。そもそも事実に基づいていないし、論理的じゃないし、感情的にもいやだといろいろあるのですが、それよりもなによりも、社会全体位のことを無視して無責任な言葉であり流布だったからなんだったんですね。ああ、そうだぅたなんだ、、、、、と。しかも、視点が狭すぎる。ちなみに、ぜひとも『ファクトフルネス』を読んでみてください。人類は、素晴らしく前に進んでいます。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

最近、僕が考えるキーワードは、「統治」という視点。早稲田大学大学院非常勤講師の藤井達夫さんの話していたのを聞いて、「これだ!」と思ったんですよね。僕は政治とかマクロを考えるときにいつもずっと疑問があって、例えば左翼は、どうしてあんなにも財源とか実行可能性を無視して不可能な理想を追い求めて大量殺戮にいつもいたるのだろう?と、また右翼は、なぜ現状肯定をしすぎて差別や嘘伝統を信仰して、進歩を受け入れずに頑迷になってファナティツクになっていくのだろう?とか、もう少しいかえると、なぜ幻想(イデオロギー)ばかりにすがって、現実があんなにも見えないのだろう?。何が間違っているのだろう?と。子供のころから見てて、いつも切実に思うのは、どう見ても間違っているように見えるんですよね(笑)。この「現実を直視していない」という言葉をもう少し開くと、「社会を、自らの手で統治するにはどうすればいいのか?という観点」がないからなんだな、とつながったのです。この辺りの権力の議論は、モイセス・ナイムの『権力の終焉』もよかったですね。

〈平成〉の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか (イースト新書)

権力の終焉

なんでも、夢の妄想のように、「思い」が「正義」が通じるわけではない。そこには現実という制約があって、使えるリソースは限られており、また期限が常に決まっている、というのが「現実」の条件ですよね。いいかえれば、目標は目標として、常に統治という観点(=限られた制約)で、どのように諸条件を妥協する、というか「目の前にある、あるもの」という限られた道具で、結果を出さなきゃいけない、前に進んで現実を変えなければいけない、というプラグマティックな意識がないと、現実はどんどん悪い方向に向かってしまう。理由は簡単で、現実に「直接手が届かなくなる」からだろう。思いだけで、世界は良くならない。


そういう視点でいうならば、統治という視点で見るときに、マクロの視点では、成長を考えないのは、卑怯だということ。また、高度成長が止まって、社会がダメージを受けた時に集中して苦しんだ団塊の世代ジュニアこそが、それをいわなくてどうする!というのは、ああ、いいストーリーだな、と個人的にとても納得したのでした。



また、団塊のジュニアの「僕らこそが!」というところに、ぐっと来たんです。



この後で話しますが、テクノロジーについていけない現在の40代、、、、自分のこと、団塊のジュニア世代が特にですね、もう社会にいらない、という岡島悦子さんの意見から導き出される見解に、さびしいとは思いながらもアグリーでした。もう既に、テクノロジーによるインフラの設計や改造を骨の髄まで理解していない世代は、次世代の社会にとってほとんどコストのようなもので、いらないんだ、という話は、余りに腑に落ちるので(経験的に)ああ、そうだなとしみじみ反論する気も起きないくらい自然に受け入れる話でした。

岡島悦子さんという方は、僕は今まで知らなかったのですが、現場のこういった未来の指導者層の教育等をずっとやり続けているみたいですね。分析に、ひしひしと現場感を感じます。なので、とても現実適用性が高い感じの概念が多い気がします。この人が現場でずっと悩み、戦い続けていく過程で、最終的な結論は、ここでは書かれていませんが、「現在の経営者及び経営者予備軍では使い物にならない」と(笑)結論を下したんだと思います。これは、先ほどの人口動態の世代論で考えると、まさにその通りなんですよね。団塊の世代から団塊の世代Jrにかけてまでの世代は、もう次の時代のパラダイムシフトについていけないというのは、マクロ的には、確かにわからないでもない。なので、世代を飛び越えた、次世代の層(40代で社長を生み出せるように)に対して早期教育や、キャリアパス、抜擢の仕組みを作るように制度を作りたいんだろうと思います。日本以外では、刺激的でも何でもないタイトルですが、日本ではすさまじく刺激的なタイトルでしょうね。ようは、この辺りの世代(僕の世代も含まれますねー)に対して、用なしなんで、静かに退場してね、といっているので。もちろん個々の組織の事情はあるので、単純には言えないけれども、ただ全体の傾向で、こういう制度を作って、それが成功するというイメージを作れば、一気に日本の組織はなだれ込んでいくのは、横並びなので間違いなくて、処方箋としては極めて具体的なものだと思いました。実際、最近の日本の組織、特に人事部での既定路線ですよね、ここで言われていることなのは。とはいえ、長く日本の大組織に勤めていると、魂なしの仏さんみたいなもので、コアの重要な部分を全く理解せず、もしくは居使いして、表層の形だけを取り入れて、全く意味をなさないというケースが多々あるので、これがどもまで本当の意味を持つかは、まだまだこれからでしょうね。

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40歳が社長になる日(NewsPicks Book)


この岡島悦子さんのトレンド分析正しい。けど、もちろん、社会にとって必要ないですね、団塊のジュニアは。現在の40代は、いらないです、というのは、まぁ、さびしいですよね(笑)。僕、ドンピシャなので。ここ数年、全力で老後の個人の幸せのために、友達の絆や、会社のシゴトではない何かにコミットし続ける姿勢が出たのは、こうした希望がないあきらめの境地があったというのは、一つの大きな理由です。もちろん、リンダグラッドン教授の100年人生になれば、セカンドライフも、いやマルチプルな人生があるので、そのために、様々なレイヤーで、活動してインフラを作っていないと、本当に人生がもったいない、というお話。でも、同時に、社会、いまの仕事の領域で、本当に何かできるリーダーは、世代的に若くてテクノロジーが体感できていないとダメだろうな、という実感もあったので、あきらめ入っていた部分もあるんです。自分の子供を見ていると、もうこりゃ全くかなわないな、としみじみします。もちろん米国に住んでいるので、英語で教育を受けているので、ナチュラルにバイリンガルというのも、多様性に慣れているという帰国子女的なアドバンテージもあるようにみえますが(実は僕は過去の帰国子女的アドバンテージは、移民が増えて社会が多様化した現代日本では、実はそれほど大きくなくなると感じています)、、、それよりも、息子がフォートナイトをやっていて、あっさりと世代も国籍も、しゃべる言語もちがう人と友達になってチームを作ったり(あったことすらない)、、、何かわからないことがあると、世界中のyutubeとか、検索能力が僕ら世代とはけた違いに高すぎて、確かにまだ子供だから自己で分析する能力や思考する能力は弱いとしても、そもそも情報の検索力や、広大なネット世界に日常的に生きているアドバンテージが、もう桁というより次元数が違う。ああ、、、人類は、めちゃ進歩してるんだ、と感心します。まぁ進歩というよりは、単純に、現実に適応しているだけですけどね。これ、さらに小さい娘が、何の疑問もなくI-padとか使いこなすの見て、もうこりゃ、デジタルネイティヴ世代とは、生き物が違うんだ、とあきらめたくらいでした。


LIFE SHIFT(ライフ・シフト)



けど、、、、そうじゃなかったんですね。高島宗一郎さんの姿を見ていれば、団塊ジュニアの世代は、まだまだ通用する。というか、常に、社会の変化は、遅れるもので、それも一律に進むわけではなく、様々な重層化して、分布して変化します。そういう中では、旧来の価値化のやり方と、新しいやり方を「つなげる」ことには十分に価値があり、つねに、若者による現実の適応と吸収というアドバンテージだけではなく、年齢をこ重ねることによる、様々な履歴を体験して、現実にアクセスできるというような老人の叡智(笑)ってほど、40代は年寄りではないですが、あるんだなと思った次第なんです。なによりも、僕もわからないわからないといえども、長くブログを書いたりラジオを書いたり、テクノロジーには、親和性にある日常を送っているんで、「それ」を単純に社会に実装する意思が弱かっただけなんだなぁ、って。個人の領域だけに使用を限定しようとしてるから、だめなんだ、と。



まぁ、ひとことでいえば、やりゃ、できるんじゃないの?という話(笑)。



2)SNSが社会のインフラになり、ポピュリズムに落ち込んでマクロ政治が機能しなくなる環境での、明確かつ具体的な解決方法として都市サイズの復権、そして、リーダーが新しインフラストラクチャーに適合していくことこそ新しい政治の目指すべき姿


さて、成熟よりも成長を目指すべきだ!という高島さんの信念に、ぐっと来たのですが、、、、それ以上に、福岡市のよう規模の行政権力でこそ、日本を本当に良くするモデルが作り出すことができるという彼のイメージは、読んでてなるほど、と唸りました。あのですね、政治家が描く本は、たとえば、以前マクロンさんの本が素晴らしくて紹介したんですが、だいたいの場合、素晴らしい理念なんですよね。連合王国アメリカ、日本などの国が反動的な反グローバリズム政権にふれるなかで、フランスはよくぞ、こんな理念的なリーダーを選出したな、と唸ったんですが、最初から指摘されていたことですが、とても理念的過ぎて、たしかに、グローバリズムの肯定と両立すると、こういうストーリーになるんですが・・・・・でも、これって、どっかで暴動でも起きるんじゃないか、と思っていて、注目してたんですが・・・・やっぱり見事に暴動起きましたね。黄色いベスト運動。だから、理念的なのだめだよなーとしみじみまた思いました。

革命 仏大統領マクロンの思想と政策

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なんというかいろんな本読んでいて、抽象的には、どうすればいいのかの大枠の方向は、何となく感じるんですよ。けれども、実際に、先進国の富は、人類に再分配されているので、先進国(もうこの言葉も手あかにまみれてきたなぁ)中産階級の没落は、不可避なんですよね。先進国の中産階級に限定して再配分するのは、無理。なので、再分配を差別して求めて、移民を規制しナショナリズムが沸騰するのは、もう避けられない流れです。


けど、具体的に、どうすればいいのか?というのがよくわからない。


特に国民国家レベルでは、ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)の問題など、民主制の根幹の部分を破壊するであろうフェイクニュースSNSによる意思決定、合意形成への影響がいま世界中のホットトピック(2019年1月ね)です。


でも、実際に、具体的に、どう運営するの?というのが、見えない。「具体的に」というのが、さっぱりわからなかったのです。


高島市長の本を読んでいて驚いたのは、かなりの答えが書いてあるからです。もちろん、彼だけではなく、さまざまな政治のレベルでイノベーションや実験、トライアンドエラーが繰り返されているんだ!と、心底驚きました。日本国というナショナルな区分での政治は、悪くなる一方で(笑)、何もやってないんじゃないの?的な気分になるのがいつもでしたから。


えっとね、なんかバラバラなこと言っているなぁ、、、。僕のイメージはですね、2019年1月ぐらいの今の話題って、やっぱりフェイクニュースなどの拡散のメカニズムをベースにしたケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)によるアメリカの大統領選挙への影響などを見ても、そもそも、民主制を成り立たせる根幹が、揺さぶられている。なぜ揺さぶられているかといえば、まだこの辺りは現在進行形だけれども、テクノロジーによって、民意(ここでいうと投票行動など)が、かなりバイアスがかかってしまい、正常な判断ができていないようにみえる。またウソや偏った情報によって、民意が激しく揺れてしまう。この辺りのポストトゥルースは、世界のホットテーマなので、こつこつ考えているんですが、なかなかまだまとまんないですね。

www.newsweekjapan.jp

フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ (DOJIN選書)


さて、フェイクニュースポストトゥルースのような環境変化が与える民主制の打撃に対して、具体的にどうするか?という方向性が見えなかったんですよね。


でも、高島宗一郎さんは、かなりの割合が、このSNSによる民意の集約方法や、や情報の拡散の在り方について費やされています。学者じゃないので、細かく分析してあったり、手法の構造などが明らかにされているわけではないのですが、これって、まさに「政治家のSNSツールの使い方」が説明されていて、「行政が、ダイレクトで民意とつながって、現実を動かす現実的モデル」が形成されているのが、よくわかります。何によってよくわかるかというと、まさに「結果」によってです。様々な例が出てきていますので、ぜひとも読んでみてください。


ここで、僕が、面白いなぁと思ったのは、彼がアナウンサー出身でかつプロレスマニアだった点です。


さらに言うと、東京都知事大阪府知事に見られるように、タレントのようなメディアに知名度がある人間が、いきなり行政の長に選挙で勝って就任するというパターンであることも。これまでの過去の経緯を見ていると、メディアの知名度によって選ばれた政治家というのは、だいぶ何もできずに終わってしまっているなーといつもしみじみ思うのです。全部だめだったとは言わないし、致命的だったかどうかは、見る人のイデオロギーや角度によるので、なんともいえません。とはいえ、「メディアの知名度」自体を、行政に生かしているケースは、個人的には稀な気がします。


最もメディアを有効的に使えていたのは、橋本徹さん大阪府知事大阪市長(この辺全然僕はh知らないので、印象ですが・・・・)だと思うのです。えっと何をもって有効といっているのかというと、僕は政策の中身とかは全然わかっていないのですが、とにかく「物議を醸し出す」提示をして、それで民意をシェイクして、それによって物事を動かす手法。いわゆるポピュリズムですね。僕は、この言葉を、必ずしもネガティブにはとらえていません。資産を持たない民衆が、政治参加をどんどんしてゆき、敷居が下がれば、こうなることは目に見えていて、構造的な問題だと思うんです。衆愚政治、というやつもですね。大筋は、それまで市民(シティズン:国の防衛のために命を捧げ、パブリックにささげる)みたいな激しいコミットがなければ参政権もなかった時代から比べれば、大きな流れで、様々な人々に統治に参加できる方向に向かうことが悪いとは思えないですもん。

ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か (中公新書)


そんななかで、橋本徹さんのように、必ずしも密室ではなく、メディア機能をフル活用して民意とダイレクトに影響を与え合うこと自体は、方向性としてはわかるんですよ。どこからこれが来たかといえば、密室政治だったり、賢人政治だったり、官僚政治でも何でもいいのですが、「誰によって決められているか」という「政治をコントロールしている主体感覚」がない衆愚というか、人々が増えていきながら、それでも参政権があるという中では、構造的なものじゃないですか。そりゃ、SNSでも何でも使って、民意につながろうとするのは、おかしいことじゃない。


ただ、フェイクニュースのどうも本質のようなのですが、SNSなどの双方向メディアによる拡散環境においては、どちらかというと右であったり、保守的な偏見が強化される傾向があるようなんですね。これが、左翼やリベラリズムの行き過ぎによる反動の時代ゆえなのか、それとも、そもそも個人間のメディアにはそういう性質があるのかは、これからの分析が待たれるところだとは思うのですが、、、、でもね、そこはテクノロジーによって、僕は何とかなる部分が、将来的にはあるんじゃないかなぁと思うんですが。。。


あっと、ずれた。えっとね、橋下徹さんの時に、横で見てておもぅたのは、「政治的な論争をしているなぁ」という感じというか、「イデオロギー的な戦いをしているなぁ」という印象でした。いや、これは僕が知らないだけの偏見だろうとは思うんですが、なんかテーマというか扱っている題材というか素材が、イデオロギー的な気がしたんです。えっと、もう一つ言うと、イデオロギー的な視点になるのは、少し「視点が高い」んですね。国政のレベルの議論をしている。国政のレベルというのは、「そもそも根本的にどうあるか?」のデザインを話し合ってる感じがする(あくまで印象論、よーしらんので)。


何が悪いの?と思うでしょうが、えっとね、、、そういうのって既得権益で雁字搦めになって、老人世代がかなりの得票数を握ってしまう日本社会の構造問題から言うと、なんか議論だけして、何も動かなくなちゃうんだよなぁ、と思ったんです。実際スタックしちゃったでしょう?。道州制とか。これって、行政的に、独裁的に権力握らないと、ものが決められなくなってしまう。握るためには、さらに民意をシェイクして、、、という風になると、ちょっと悪い方向性のポピュリズムになってしまう気がするんです。実際、民意の支持をベースにした安倍首相にしても、なんとなく右翼的な安定した支持層を煽りに煽って、そこを固めて、、、、みたいな構造が見えて、そういうのを見ると、当然、左側の立場から言っても、そこまでいかなくても民主制擁護の立場から、根本的なポイントで疑問が出て、また話がスタックしてしまう。そういう、権力維持のためや「目の前のイシュー解決」のために、民意を煽るのは、長期的に見て、国民を馬鹿にするので、凄い危ないと思うんですよね。日比谷焼き討ち事件を、僕はいつも思い出します。


・・・・・今の日本の現実に、スタックして、思考停止して、禅問答のような論争している余裕はないと思うんですよねぇ。


ちなみに、安倍さんの構造は、トランプ大統領の構造ととても似ている気がします。けど、分裂している先進国の壊れた中産階級相手に支持をつなぎ留めながら、スピードの速い意思決定を、割り切って、民意を煽って動かそうとすると、こうなちゃうんじゃないかなぁと思うんですよ、構造的に。


僕は、イデオロギー的な「正しさ」にはあまり興味がなくて、統治のレベルで、どうやったら具体的に、前に進んで、よくなっていくかというのが興味があります。


で、この答えが、政令指定都市の福岡市ぐらいの規模の行政に特化した統治こそが、スピードとして速く具体的に統治がよくなるっていう、高島さんの実感は、ほんとになるほどと思うんですよ。


これみんなわかっていることで、大前研一さんの都知事立候補から、橋下徹さんの話も、道州制的な視点ですよね。ようは、国家規模だと行政が遅くて、まともに前に進まないので、適正規模にした方がいいって言っているんですよ。これ、たぶん、もうほとんど、全世界的な、方向性の見えた考えだと思うんですよね。もちろん、最終的には、こうした広域行政地区(大都市圏)と、国家規模での関係を、どう考えるか?という国家デザインの話には、なるんですが・・・・・でも、それ以前に、じゃあ、「ある一定の規模の行政単位」を、「選挙に強い(独裁的に進められる権力を持つ)」行政官が、そこに住んでいる人の分裂する民意を救い上げ、シェイクし、こねこねして(民主主義は単純に多数決というわけじゃないと思うんですよ。少数意見との関係性にポイントがある)、そして、明確に国際競争に勝ち抜きながら、その地域に繁栄を明確にもたらした実績というか例が、日本にはありますか?というと、これ、まさに福岡市ですよね。東京もそうですが、こう自然に出来上がっているまだ人口が上昇しているような国の富や知恵が集積している大都市圏は、ちょっと例じゃない気がします。政治家が何もしなくても(笑)、構造的によくなってしまうトレンドにあるうちは。

福岡市は、様々なマクロの数値が、明らかによくなっていること、国際競争においてもいいポジショニングに立ちつつある。それでいて、福岡のローカル性がとても強まっているように見えます。えっと、グローバリズムを国家レベルでやると、、、その国の文化である必要がなくなってしまうのが問題なんですよ。グローバルシチズンは、国のこと考えない強欲な資本主義の奴隷なので(笑)。だから、その地域のローカル性が強まることは、すなわち、生活世界の空洞化を招きやすいグローバリズムに対する重要な評価ポイントなんですよね。普通は、グローバルな競争力が増すと、地域性がだめになりやすいんですよ。なんでそうなっているかというと、福岡市という「適正規模」云いかえれば国家より明らかに小さい単位の「行政的に同一性を持ちやすい」単位で、民意をガンガン動揺させて動かしているので、参加意識が生まれているし、それに対する手ごたえがあるんだと思うんですよ。


再分配を求めたり、現在の不満をぶつけるだけだと、必ずだめになります。だって、既得権益の奪い合いで、同胞と憎しみあって、パイを奪えというメッセージになっちゃうんで、リベラリズムが浸透しつつある先進国の市民は、自分の属するマイノリティ集団(みんな実はマイノリティなんじゃないか?と僕は最近思う。マジョリティという敵は、もういなくなりつつある)のエゴを叫びあうアイデンティティポリティクスの正義同士による万人の万人対する闘争になってしまう。ここで重要なのは、成長への希望。「いま現在は解決できない難題であっても」時間をかけて、知恵を出し合い、妥協をしあい、そして「未来を待て」ば、解決可能な構造に変わる可能性は十分ある、ので「持続可能な」妥協を考えるという姿勢。だから、既得権益の奪い合いになるアイデンティティによる正義の貫徹は、非常にダメな考え方。もうこの考え方は、未来がないとみんな思っているので、いろいろ悩むと、右翼や保守に投票しちゃう(笑)。それも極端でダメなんだけど、いまのマジョリティって、こうしたリベラルサイドに見えちゃうんだよなぁ。だから、リベラル側に対する嫌悪感が、社会に根深い。


あっと、話が妄想的な抽象的になりすぎた、えっとですね、高島さんが、ここでSNSなどを凄い使って民意をダイレクトに動かしているんですが、なるほどなぁ、とおもったのは、Facebookなどによる「物事の伝え方」の点。


曰く、顔が見える人格が大事なので、非常時じゃない時に、顔が見える、個人的な運営をしないと、機能しない。また「どのように伝えるか?」ということを、よくよく考える。この場合は、シンプルで、分かりやすく、という方向性に凄くよっている。つまり、ある特定の地域の行政官として「統治に重要」な部分にバイアスがかかっているので、かなり「うまく伝わりやすい」。これ、実はすごい難しいけれども、、、、知名度のあるメディア認知度のある選挙に強い人、、、、この場合は、さらに高島さんがアナウンサーであったこと、徹底的に、短い時間に、本質を、バイアスがあることも含めて、伝えていく訓練を若い時に(今も若いですが)徹底的に積んでいることが効いていますよね。また、フェイクニュース的とは言わないのですが、プロレスというのが、ガチの格闘技と、ショーとしての物語(ウソ)のはざまにあるところのものなんですが、それが大好きだったという点も、凄く機能しているように感じます。


まだまだ現象だけなので、僕もうまく伝えられないのですが、福岡市町というある一定規模の広域行政の長として、かなりの独裁的な力を持ちながら、丁寧に民意を吸い上げていく姿勢は、まさに政治家って、こうあるべきだし、これからのポストトゥルースという背景のあるテクノロジーインフラが進んだ僕らの住む世界で、マクロに立つ人は、こういう発想が必要なんだぁ、としみじみ感じました。

えっと、なんで選挙に強い政治家が、選挙に強くて意思決定ができるかというと、既得権益とずぶずぶになっている行政官僚(市役所などの官僚ですね)と、その相手である既得権益(=集票マシーン・組織票ですよね)と、話し合って、ある程度妥協させるテーブルに着くためには、「民意による高い支持」が必要だからなんですよね。だから民意とのダイレクトな情報交換ができている政治家、行政官には、時限的な独裁権力があったほうがいいんだと思うんですよね。それが、そもそも民主主義でしょう?。官僚や既得権益層に、意思決定を骨抜きされるようじゃ、話にならない。行政官僚制度が行き着いた僕らの現代社会では。


この人は、本当に具体的に「政治」をしている!と、生き生きと本を読んで伝わってきました。また、先ほどの国家レベルの議論になると、神学論争みたいなものになってしまうので、総論に落ち込んでしまわない、具体的な行政テクノクラートの視点として、福岡市という適正規模をマネージしていることが、明らかな「結果」に結び付いているなぁ、、、と感心しました。


僕はほとんど、福岡のことを知らなかったのですが、この本を読んで、少しぜひとも追ってみたい、と思うようになりました。いやはや、この若さで、しかも同い年の団塊のジュニアで、こんな人がいたんだ!と感動しました。


まぁ、きっと悪い面もあるんでしょうから、この本以外の、反対意見の人も少し追いたいとは思うのですが、それにしても、ここ何年も、いやもっとか?、政治に出口というかモデルがないなぁと思っていたんですが、久々に、これはおもしろい!と思う方を見つけて、、、ああ、日本も捨てたもんじゃないなぁ、やっぱりと、うれしくなりました。


そして、団塊のジュニアの、自分ももっと頑張らないと!と思うように勇気をもらいました。



福岡市が地方最強の都市になった理由


これ、もう売っていないんだなぁ。読んでみたいなぁ。。。

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たったひとりの闘争

『ゴブリンスレイヤー(GOBLIN SLAYER!)』Japan 2018 蝸牛くも著 尾崎隆晴監督 神々に、サイコロを降らせないというのことが、僕らが最後にできる唯一正しい回答

ゴブリンスレイヤー(1) (ビッグガンガンコミックス)

評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★★4つ)

アニメーションとしての出来がとてもよかった。きれいにまとまっているし、ゴブリンというこの中では天災的な位置づけですね。それに、人生と世界を壊されてしまった少年の復讐の物語。そして、復讐心が、ちゃんと癒しに結び付いていく。復讐心の癒しですよね。主軸は。軸がしっかりしているので、見てて非常に楽だった。


けれども、客観評価が★3と普通なのは、これは日本のファンタジー文脈の多様性の中の一つの系。ルーツの展開なので、これ単体で見て、傑作とわかるわけではないな、と思ったからです。僕の客観評価は、★4-5クラスは、たとえば、アニメーションを普段見ていない人が、その作品を見ても楽しめるか?とか、現代日本の物語文脈に慣れていない人が見てもちゃんと物語を理解すれば素晴らしいと感じるか?とか、もう一つは、たとえば萌えアニメ的なもので明らかに男性向けのセクシャルな視点が入っていてさえも、むしろ女性もこれ見たら面白いんじゃないか?とか、その逆も、明らかに女性向けであるのに、これ男性が見てもぐっとくるんじゃないか?などの、コンテンツそのもの、そして受け手の、属性やテーマなどの教会を超えても、ちゃんと見れば楽しいかどうか?というポイントが入っているからです。主観は、単純に好きかどうか。または自分のもつ固有文脈に位置づけられるか。



ゴブリンスレイヤーの魅力は何か?といえば、ファンタジーのお約束の中で最弱的な位置づけの、冒険者の練習みたいな敵である雑魚キャラのゴブリンについて、まじめにその位置づけを考えて物語を展開したこと。



「だと考えると」、日本の他のファンタジーものをたくさん知って経験しているという前提に立った、ある種のマーケィングの王道を外してきている、その「外し」を楽しむ部分が大きいので、これ単体で、物語に大満足することはないなぁとおもったからでした。


とはいえ、弱いゴブリンとはいえ、群れると新人冒険者などは簡単に殺され凌辱されること、繁殖が凄いので数は増がどんどん増えること、みたいな、、、あっと、もともとゴブリンの日本おファンタジーでのお約束の持つポイントは、(1)弱いけど群れて襲われるとやばい、(2)繁殖力が高い、とかなので、これをまじで考察すると、たぶん冒険者のような金で動くものにとっては対峙する価値が非常に低いので、かなりほっとかれる傾向があるはず。また、女性を、繁殖の道具として群れで使用するなど、エログロ設定は突き詰めればどんどん深刻になるはず。


けれども、そもそも数が多くて弱くて、という構造は、「勇者が魔王を倒して世界を救う」という物語のメインストリームの部分にとって、ほとんど必要がなくなります。なので、これ単体で物語を作るのが、凄い難しいはず。だって、動機を主人公に持たせるのが難しいじゃないですか。


だけど、ここで天災のように、目の前で家族を皆殺し、なぶり殺しにされて、帰る故郷を喪失したという少年の、復讐心の物語にしたのは、うまい。


そして、じゃあ、ゴブリンを殺せば、いいのか?というと、ゴブリンは数がいる天災と同じ位置づけなので、これを倒すには、どうやって家族を殺した自信と戦うのか?というような、途方もない目的にならざるを得ないところに落とし込んでいったのは、いやはや素晴らしい。ゴブリンスレイヤーの復讐を求める気持ち、愛する姉を奪われた怒り、自分がそれを成し遂げられるほどの勇者でも英雄でもないことへの恨み、苦しみ、無力と怒りなど、何度も何度も繰り返されて素晴らしく感情移入できる。


そして有力な冒険者になってさえも、ゴブリンを殺し続ける狂気を見せることで、彼の動機の深さがとても伝わる。


そうした時に、このアインディア勝負の物語に、終わりの落としどころ見つけるには、予測として二つくらいしかない。一つは、誰も助けてくれなかった、守れなかったという本人の公開を昇華させるようななにかの体験をさせること。それは、幼馴染の女の子を、姉の代りに守ることや、誰も助けてくれなかったことの代償に、自分が助け、そして仲間が助けてくれること、、、、って、そのままアニメーションのメインストリームの演出になっている。これ、きれいにまとめていると思う。



もう一つ、これが、こういうエログロというかグロテスクな、現実に過酷さをたたきつけられる物語が受けた背景には、2018年は、まだまだ新世界系の影響下があるんだろうと思う。



物語マインドマップ 9. 新世界系の登場~新たな竜退治へ

物語三昧ラジオ/雑談+物語講釈+新世界系+オルフェンズ 2017/10/01

物語三昧ラジオ/けものフレンズと新世界 2017/06/02

物語三昧ラジオ/新世界のビルドゥングスロマン+快楽線 2015/06/28

物語三昧ラジオ/PACTとセカイと新世界 2014/10/12


新世界系を一から話すと長くなるので、この辺で暇な人は予習してください(笑)。


けど、勇者じゃなくて、勇者の背後を守る名もなき戦士の話って、渋すぎ。こういうのができる、日本のアニメ、ファンタジーは素晴らしいなー。勇者が、僕らが守った街が滅びにやったら、困るもんね、というセリフが、ちゃんとあるのは、よかったねー。神々に、サイコロを降らせない、というのはいい。これって、ファンタジー作品を、たくさん読んでいると、「この問題意識」がどんどん深堀されているのがわかって、集合知というか、群で考えるというのは、凄いことなのだなぁ、といつもしみじみ思います。ちなみに、この問題意識の思考の流れは、下記のあたりがいい記事なので、もしよかったら、読んでもらえたり、ラジオ聞いてもらえると、理解が深まりまっせ。

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まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」(1) (角川コミックス・エース)

petronius.hatenablog.com

petronius.hatenablog.com

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ちなみに、この問題意識というのは、英雄だけに頼るのは、まずもって人間として卑怯ではないか?という問い(=他人に責任を丸投げしつつ、安全なところ?から眺めることの卑怯さ)と、それにプラスして、英雄=一人の個人が世界を救うことができないほど世界は複雑なので、マクロを変化させるには時間と、一人の人間ではない集合知が必要というも問題意識が重なっていると思うのです。

魔法騎士レイアース 新装版 (1) (KCデラックス)

このあたりの問題意識が先鋭的にエンターテイメントの世界に現れてくるのは、CLAMPの『魔法騎士レイアース』や橙乃ままれの『まおゆう』の頃だと思います。この二つは、ちょっととんでもないレベルの傑作です。既に、1970年代には栗本薫が、グインサーガの序章?というのかなぁ、グインサーガの時代を「まだ個人が英雄たりえた時代」というような言葉を描いているので、この問題意識は、それなりに教養というか知識がある人々の中では、既に常識化していたのだろうと思うのだけれども、エンターテイメントとして普通の受けて、消費者が人気によって支持するようなエンターテイメントの領域まで理解し、受け入れられ、そのさまざまな可能性が物語として展開するような、引き返せなきくさびにはなっていなかった、と思う。けれども『ガッチャマンクラウズ』『まおゆう魔王勇者』『魔法騎士レイアース』のような、時代の楔になった作品群のみならず、このへんは、小説家になろうの作品で『勇者のお師匠様』『ゴブリンスレイヤー』『異世界再建計画』『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』など、もうこの問題意識が、空気のように当たり前に展開するようになっているんだなーと、読んでいてしみじみ感じます。日本のエンターテイメント業界は、どんどん教養深まってるぜ!と、感心します。戦争は、極端なイノヴェーションをもたらすけど、やっぱり長期間の平和の爛熟って、めちゃめちゃいろんなものに、深みと広がりをもたらしてくれるので、日本人としては、このWW2以降の長い期間の平和って、素晴らしいよなーって、しみじみ思います。あと、自分もうすぐ四捨五入すると50歳のおっさんで、30年以上もエンターテイメントの世界を、本気で眺め続けてきた蓄積があるからこそ、「この大きな悠久の流れ」が感じられるのだと思うので、生きててよかったーとしみ字も思いながら、物語を楽しんでいます。


petronius.hatenablog.com


勇者様のお師匠様 I


『勇者のお師匠様』『ゴブリンスレイヤー』『異世界再建計画』『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』あたりは、この辺りのファンタジー群でも珠玉の作品群なので、とてもおすすめです。問題意識云々いう以前に、エンターテイメントとしてとっても面白い。けれども、どれも、大きな文脈や、小説家になろう的な異世界転生(でないのもありますが)フォーマットに、いくつもの大きなひねりを与えて、この問題意識に答えを出そうとしていて、その素晴らしさやアイディアに涙というかため息が出ます。


記事があるものは読んでほしいのですが、『勇者のお師匠様』は、勇者が救った後の世界をがどうなるかを描くこと、戦後処理を度するかの難しさを背景に淡々と描いています。また、実はこの世界では勇者がキーではありません。勇者が愛する一人の男の子が、めちゃ無力なのに(笑)、戦略核兵器このボタンを押せる人のごとく、権力闘争の中で、それをどう位置づけるかという話になっています。


また『ゴブリンスレイヤー』では、世界を救う勇者の背後で、日常を守っているのはだれか?という問いを突き付けます。勇者が世界そのものを救っても、その間に零れ落ちる普通の人々の無念をどうするのか?という話。


異世界再建計画』では、チートな勇者が世界を救ったがゆえに、そのずっと後の時代に世界がめちゃくちゃになっていく問題が描かれます。チートの能力で、貧困と食糧問題に苦しむ世界に、勇者は、白米と稲作をもたらします。。。。これ自体は、善意であり価値があったのかもしれませんが、、、、その結果、その後の時代には、脚気が構造的な病気として埋め込まれてしまいます。日本の歴史を見るまでもなく、脚気の死者はすさまじい。これは、戦争で死ぬ数と比較してもはるかに多い人間を死に追いやるでしょう。。。チートで世界を変えることについて、この世界の神様(監視員)は非常に懐疑的ですが、それはこういう破局が生まれやすいからですね。主人公はその世界の修理を依頼されて異世界転生するのですが、彼は、勇者=くそやろう、と呼んでいて、うん、凄いわかる、、、とこのプロットに唸りました。

異世界再建計画 1 転生勇者の後始末 (レジェンドノベルス)

読むたびに泣いてしまうのですが、『異世界コンサル株式会社』では、すわコンサル設定の異世界転生か!ってその通りなんですが、、、、それが本質の一つではあるのですが、それだけでは、言い表せない素晴らしい問題意識が物語の本質に埋め込まれています。この世界の、冒険者たちが、貧困の若者がバタバタ死んでいく構造的に弱いものが食い物にされ死んでいく構造そのものを何とかしたい、と志した主人公は、なんと靴!を作るメーカーを作ることを志します。。。。ああ、まおゆうの、世界の殺し合いを何とかしようと思ったときに、そうだじゃがいもの栽培を広めよう!と思いつくのと同じですね。このへんの、世界をよりよくしていくこと、社会改良を、するにはどうすればいいかというエンターテイメントの世界での問題意識の深まりに、僕はほんと、いつも感動します。これ意識としては、僕の中では、高橋和巳さんの『邪宗門』から連なる問題意識なんですよねー。ちゃんと進んでるじゃん!現代社会!といつもいい気持ちになります。こういう問題意識が、一般に共有されている社会の、なんと凄いことか。いや、ほんと、面白い物語がたくさん。幸せです。

邪宗門 上 (河出文庫)


異世界コンサル株式会社 (幻冬舎単行本)

カマラ・ハリス上院議員は、合衆国初の女性大統領になれるか?/Sen. Kamala Harris announces 2020 presidential run

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フォー・ザ・ピープル(For the People)を選挙スローガンに。米国の祝日マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー(Martin Luther King Jr. Day)に、カマラ・ハリスカリフォルニア選出の上院議員民主党)が、ABCの「グッドモーニング・アメリカ」で大統領選挙出馬表明を行いました。数年前に、今後の有力な大統領候補になるだろうと紹介したことがあったので、継続的に追っていたので、ちょっとメモ的にブログに書いておきます。ちなみに、キング牧師記念日( Martin Luther King Jr. Day)は、アメリカの大切な休日で、公的機関はかなり休みになります。また、うちの子供たち(小学生)も、この時期になると、キング牧師の業績を学校とかで習ったりするので、公民権運動とアメリカのリベラリズムの業績を、振り返る重要な位置づけになっている休日です。キング牧師の誕生日が、1/15なので、1月の第3月曜日になります。ちなみに、これは、月曜休日統一法(Uniform Monday Holiday Act, Public Law 90-363)という法律で、なっています。Kamala Harrisさんは、ジャマイカ系と、インド系のルーツを持つので、また民主党のリベラルのルーツからいっても、この日を狙ってきたのでしょう。エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren)マサチューセッツ選出上院議員が、自分のルーツに、先住民の祖先示すDNA鑑定公表したりして、いろいろ迷走していますが、「自分が何者か?」を示すこと、それによって、どこの層のグループの表をとっていくかは、重要な選挙戦略なので、アメリカ人お政治家は、その人が「何者か?」というのを自己定義している部分は、常によく見ておく必要があります。とくん、僕らのような日本人には、このあたりのセンシティヴさが、ほとんどわからないので、気にすると面白いです。

www.youtube.com


さて民主党は、既にたくさんの人々が、予備選に向けて立候補していますが、なんというか、こういったたくさんの人を、絞っていく過程が予備選なので、結果だけ見たい人にとっては、この辺りの状況を追うのは、ちょっと早いかもしれません(笑)。けれども、この辺りの、候補の顔触れや、予備選で何がもめるか?イシューになるかが、今後のアメリカ社会の動向を占ううえで、とても興味深いので、コツコツ追ってみようと思います。

kamalaharris.org


これまでに民主党では、エリザベス・ウォーレン上院議員マサチューセッツ州)、カーステン・ジリブランド上院議員ニューヨーク州)、タルシ・ガバード下院議員(ハワイ州)、ジョン・デレイニー前下院議員(メリーランド州)、フリアン・カストロ前住宅都市開発長官などが、出馬の意向を示している。

2020年の民主党大統領予備選にはすでに少なくとも4人の女性が出馬する見通しで、大統領選を同時に戦う女性の数としては過去最多になる可能性がある。

www.bbc.com

民主党では、2020年の大統領選で共和党ドナルド・トランプDonald Trump)現大統領に挑む候補者の指名争いが既に混戦状態となっており、マサチューセッツ州エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren)上院議員ハワイ州のトゥルシ・ガバード(Tulsi Gabbard)下院議員、ニューヨーク州のキルステン・ジリブランド(Kirsten Gillibrand)上院議員、フリアン・カストロ(Julian Castro)元住宅都市開発長官らが出馬を表明、あるいは検討している。

www.afpbb.com

とはいえ、どんどんこういった民主党候補者が乱立してくると、以前書きましたが、民主党共和党に、ひいてはドナルドトランプ現大統領に負けているのは、アインデンティ・ポリティクスが激しくて、内輪の分裂が激しいからだと思うのです。そういう意味では、2018年の中間選挙での下院の民主党による奪還で、女性の議員やマイノリティの議員が見事に増えたことは、アメリカ社会のリベラリズムの浸透具合と、それに伴うマイノリティの権利がまだまだしっかり伸長していることを示すのですが、同時に「だからこそ」一枚岩になりきれず、共和党の保守的な政策や、トランプ大統領のあおりに対して、結束できず内輪もめで自滅しているという現在の構造が、なかなか克服できない。2016年の選挙戦から、さらに、その内輪もめは深刻の度合いを深めている気がします。


いろいろな意見があるでしょうが、2017年の中間選挙共和党が上院を守り切ったのは、事実上トランプ大統領の勝利だと僕は思っています。下院で弾劾されても、実際に罷免できないのですから。また、過去の歴史を見れば、大統領選挙で勝った政党が、次の中間選挙で下院を落とすのは恒例行事のようなものなので、これをもって民主党の躍進!とは全く言えないと思うのです。アレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員の登場ように、さらに激しいバーニーサンダース色の強い色合いが濃くなったのですから、行ってみれば民主党の分裂は、さらに強まっている気がします。もっとも、既得権益層とみなされて、かなり人気がなさがヒラリー・クリントンと並ぶナンシー・ペロシ下院議長が、老練でしたたかな政治家の存在感を示しているので、中道路線が民主党で見直されると、もう少し選挙戦が楽なのでしょうが、、、、いやこれはただ分裂が深まっているだけかな。

ja.wikipedia.org



petronius.hatenablog.com


回想録『私たちが手にしている真実・あるアメリカ人の旅路"The Truths We Hold: An American Journey"』。もう回想録が出ているのですね。まだ読めていない。でも、たしかに、ジャマイカ系とインド系で、この地位まで上り詰めてきたのは、ドラマチックな感じがするので、この時点ですら相当興味津々でしょうね。現時点では、民主党予備選挙の中では有力候補者ですが、まだまだアーリステージなので、コツコツ追っていきたいと思います。

The Truths We Hold: An American Journey


headlines.yahoo.co.jp


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