キャラクターの「関係性」を明らかにすること〜教えてLD先生!

キャラが回る
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キャラ配置/ユニットが回る
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ユニット考:WF分類
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フィクションの構造(改訂版)
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今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
http:www.websphinx.net/manken/ ←ここで マンガアニメの感想サイトやってます。


□「関係性」という抽象概念を明らかにすること〜概念を発見することと有用化すること

僕が、おおざっぱに「関係性」と呼ぶものは、実は射程が大きすぎて、実務上というか、物事を分析する上ではあまり役に立たないのですが・・・・つまりは、文系的マクロの幅広の概念であって、これを見つけ出すことはとても有用なことですが、、、、、実務には役に立たない大ぼら吹きである場合があります。それをある程度ミクロとして・・・ようは、数式化する、理系的な発想で、モデル化して理論化するという作業が、本来は批評家や学者には必要で、、、、経営でいうと、概念を見つけ出すのは、経営者の役目で、それを実際に運用・実施するのは、理系分析官僚的な行動と思考が必要になるようです。えっと。テキトーな意見なので、なんとなくそんなものか?ぐらいに考えておいてください(苦笑)。ちなみに、僕の「感情移入」という概念が複数で起きるときの・・・みたいな議論は、それを漫画の世界でミクロ的に理論化しているものは、いずみのさんの視線の力学です。理論は、モデル化されて汎用化できないと、本当の意味では力をもちません。



□「動機のドラマツゥルギー」を明らかにすること


で、この「関係性」という概念には、僕は類似の概念で、ここのキャラクターの動機にセットされた「単独のドラマツゥルギー」と、その動機が2者以上でダイナミズムをもつものとして、「ダイナミズムのドラマツゥルギー(=3者以上の力学)」とか僕はこれまでの議論でテキトーに語ってきました。

僕が自分のテーマである「人間の動機の解明」 とか、「マクロの大きな視点で見る組織力学のコントロール手法(=官僚制の解明ととイノベーションの関係)」みたいなテーマを実際に、実務に、人生に使えるようにしていくには、これをミクロのモデル化を少しづつ進めなければなりません。

「人が人へ動機を感染させること」を僕はよくテーマで扱いますが、これ・・・リーダーシップやカリスマ性のとても難しい理論化には、いずみのさんの「視線の力学」による人間がある対象に感情を移入させていく時の形式にはどんな類型とメカニズムがあるか?ということと非常にいい、補助線となります。ほんとうは、もっとマックスウェーバーとかもっと勉強したいのですが・・・。

また関係性を表現するためには、3者以上のキャラクターが「かかわりあっていくこと」で発生する行動様式の類型がも必要になるはずです。ここは僕はめんどくさかったので、完全に放置していましたが、、、ほほう、、、さすがです、LDさんの議論は、ここに光を投げかけるものですね。これ、凄く凄く、話したい・・・。ホワイトボードで、分析しながら討論したいですが・・・すみません、、、時間ないです(涙)。



□優秀な理論家ほど個別具体性を深く愛するものだ〜理論は鍛えなければならない!〜具体性から積み上げる理論の素晴らしさ

ちなみに、いずみのさんなんかはよくわかると思うのですが、LDさんには、小さな欠点があって、それは、非常にオリジナルに自分の言葉でMY理論を構築していく癖があり、、、そういう風に理論を形成する割には、現代の先端の理論や用語の定義などアカデミックな部分の歴史や既にあったことに対することとの関連性や比較が、甘い。だから、実はつっこまれと思うのです。まぁいちいちそんなことを確認するのも趣味としてはウザいので、必要ないちゃーないんですが・・・。サイト引き籠り的な感じで問題はないのですが・・・。簡単にいえば、MY用語が多すぎる(笑)。

けど、僕はいくつも彼にリアルに質問して、その膨大なバックグラウンドの具体性※1!!(←これが驚くほど素晴らしい!!自分より博識な人を、幅が広い人を僕はなかなかリアルでは見つけられないんですが、LDさんには、完敗です!)と、次々に構築していく大きな枠組みへの強い志向を実感して、、、、、僕は、これでも一流の研究者を見つけ出す目にはビジネスマンとして見る目があるつもりなので、彼は一流だ、と確信しているのです。だから、もっともっと語ってほしいし、もっと自分の理論を鍛えてほしいと思うのです。・・・というか、僕にはこういう理論的なものはできない、、、できる人、凄い人、それが得意な人こそが、その強みを伸ばして、世界に手が届くべきだ、と僕はいつも思うのです。、そうすると、世界はとても良くなる。おもしろくなる。この人の言葉は、聞く価値のある言葉で、この人が世界に手が届かないのは間違っている、と思うし、もっともっと上に行くべきだ、、、、それだけの才能があるのに上を目指さないのは、害悪ですらある!と僕は思うのです(・・・って偉そうすぎですね・・・すみません(汗))。って、上ってどこだ?って議論はありますが(笑)。いやーあいかわらず、人をたきつける偽善者という詭弁ですねー。。。。(苦笑)。どーも、僕は自分ができないことを人にやってほしいと、惚れこんじゃうことが多いようです。かっこいい人が、よりかっこよくなるのを見たいんです。自分が、凄いという人が、より凄くなってほしいんです!!(←超わがまま(笑))。

まぁーほんとはこの辺の話をもう少しモデル化するのに、いろいろ書きたいのですが・・・疑問やもう少し光を当ててほしい角度とか、、、いろいろあるんですが・・・。時間が・・・・。



※1賢しらに抽象的な用語やアカデミックな難し言葉を使うやつは全然怖くない。そういうやつは、本当は頭が悪くて、概念に振り回されていて、何もなさないやつらに過ぎないから。東大に多いなーこういうやつ。大学院や研究室でアカデミックな振りをしているやつらはたくさん見たが、そういうのが嫌で実務の世界に飛び出したが、それが正しかったのはいま実感している。特に、こういう傾向がある文系の大学院は、ダメ人間の巣窟で僕は嫌いだなー(笑)。その香りは、確かに魅かれるけれども(苦笑)。でも、・・・難しいを使うやつは、人生失敗する可能性が凄く高い。難解な概念を使用して、わかったきになったり、人を脅すことになれてしまって、、、愚直に具体性を積み上げる面白さや価値を失うからだ。膨大な具体性に裏付けられた人は、リアルでしゃべった瞬間にわかる。その抽象的な概念の、背後にある、積み上げたものを、大津波のように喋りまくるからだ。そういう人が、世界を真に変えるほんものだ!、と僕は思う。ましてや、学者は評論家、研究者や発明家、経営者、マーケッターには、死ぬほどの具体がないと、厚みがゼロで聞く気にもならん。具体性を愛さないのならば、生きる価値があるとは僕には思えん。

ちなみに関係性の感触の話でいうと、いずみのさんは、2回目に会った時・・なんとなく「弟みたい・・・」と思ったことを覚えている。ちなみに、LDさんは、会った瞬間から僕には「アニキ!」でした(笑)。たぶんブログでどこかで日記見たくそう感想書いていると思うけど。