もっと本が読みたいし映画も、アニメもみたい・・・けど、そういう趣味の深さって、一時期の準備によるんだよね

ふと思う、、、もっともっと本とか漫画を読みたいし、映画も見たいなって。たとえば、アメブロで僕が好きでいつも見ている『手当たり次第の本棚』のとらさん『ノラネコの呑んで観るシネマ』のノラネコさんなどは、凄い頻度でブログを更新していくが、どんどん新しい分野広いジャンルでの本を読まれていく、、、こういうのって驚嘆するんだよね・・・。よくそんなに読めるよな・・・って。なんでそんなに時間があるの?って(苦笑)。


けど、たぶん他人から見たら僕だってそれなりに同じに見えるのだろうなぁ、と思う。だって、馬鹿みたいに書くもの(苦笑)。電車の行き帰りの通勤や出張の移動時に集中して読むとか、プラス毎日継続的にメモ取って書いているだけなんだが、、、、正直云って自分にとっては、好きな本や漫画、映画を見て、感想を書くというのは小学生の頃からのからの習慣なので、ほとんど負担がない上に、僕のトータルの日常生活の時間のうちに占める割合は、物凄く小さい。むしろ、書く方が明らかにストレス解消になるので、かかる負担は全然ないといっていい。


だから、たぶんある程度スタイルが出来て、ベースがあることというのは、他人が驚くほど低いコストで、驚くほどハイレベルのことができるのだと思う。ましてや、それが日常に積み重ねるものだと、長期間ではすさまじい量になっていく。これが意図的で、且つ目的意識を持ってやられていると、もう信じられないくらい人と差がつくものなのだ。3年くらい前からかな?ブログを始めたんだが、自分が書いている量を見ると眩暈がするよ(笑)。よく書くなーって。まー時間もないし、真剣に分析していないので中身のレベルは、感想の域をでない大したものではないが、それでもこれだけ思考を積み重ねれば、なかなか読書人としては、豊かになっていくよ、内面が。


・・・・ただやはり時間がないと、基本的には「自分が好きなもの」いいかえれば、「自分が楽なもの」に流れてゆき、実はハードルは高くて大変なんだけれども、それを超えると素晴らしいというようなものは、なかなか手が出なくなる。僕にとってのSFの古典や詩歌、サイエンスなどが、それにあたる。凄く好きな作品もあり中途半端によさは知っているのだが、余裕がない中で齧れるほど、敷居は低くない。経済、社会学、宗教学、心理学、哲学、歴史などなどは、いくらでも対応可能なのだが・・・。つまりは、基礎理論をそれなりにちゃんと収めたものは、非常に効率的に情報を摂取できるんだよねー。だから、何かを学んだり、何かを感受する時は、一度どこかで集中してその世界の本質を頭にたたき込んでしまわないと、コストが凄くかかるんだよね。そんなことを思った。


人生は短い。


あとどれだけ、僕は好きなものに、自分が素晴らしいと思えるものに出会えるんだろう?と思う。