『JARHEDA ジャーヘッド』 サム・メンデス監督 ジェイク・ギレンボール主演  戦争シーンのない戦争映画〜湾岸戦争で、米軍兵士が戦ったのは敵ではなく『退屈』だった

ジャーヘッド プレミアム・エディションジャーヘッド プレミアム・エディション
ウォルター・マーチ ウィリアムス・ブロイルズ・Jr

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2006-07-28
売り上げランキング : 30489

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
ジャーヘッド-アメリカ海兵隊員の告白ジャーヘッド-アメリカ海兵隊員の告白
中谷 和男

アスペクト 2003-06-25
売り上げランキング : 302581

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


評価:★★★★☆星4つ半
(僕的評価:★★★★★星5つ)

高校生だった僕は、朝、新聞を取ったとき朝刊一面にイラクがクェー侵攻したのを知った。こんな近代社会でも、本当に戦争をやっている国があるんだ・・・と衝撃を受けた。ましてや、僕らと同じ近代都市文明に生きるアメリカの若者が、数十万、数百万規模で派兵されるのだ。いまでも、あのときの衝撃は覚えている。


■外国人が見た「アメリカの闇」〜病めるアメリカ社会を観る


初監督作品にして、アカデミー賞を受賞したイギリス人のサムメンデス監督の『アメリカンビューティー』。彼は外国人でありながら・・・・いや、外国人だからこそ、アメリカ社会の病的な本質を、鋭くえぐります。

アメリカン・ビューティーアメリカン・ビューティー
トーマス・ニューマン アラン・ボール

角川エンタテインメント 2007-10-12
売り上げランキング : 26394

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

彼の視点は、ストレートに現代アメリカ社会の闇を描いており、それゆえにずっと注目している監督です。僕は、「病めるアメリカ社会を観る」という文脈で、さまざまな映画や本・現象をウォッチャーしていますが、近年では、もっともアメリカ社会の本質を描いている監督だと、僕は注目しています。さて、ではこの作品で、メンデス監督が描いたアメリカ社会の病みの本質」とはなんなのでしょうか?



■戦争シーンのない戦争映画〜湾岸戦争で、米軍兵士が戦ったのは敵ではなく『退屈』だった



スクリーンを全編を覆う「乾いた空気」。無味乾燥な非・現実感は、退屈というものが人間に与える感覚を、見事に再現している。似たような効果は、テレンスマリック監督の『シンレッドライン』でもあったが、サムメンデス監督の映像作家としての力量が、際立っていたということであろう。テレンスマリック監督よりも、わかりやすかった。わかりやすいというのは、それだけ人を感情移入に誘う、エンターテイメントな文脈で描けるということで、高尚なことを、抽象的なこと、難解なこと『こそ』を、エンターテイメントに仕上げる人こそが僕の理想の物語作家なんので、やはり、サムメンデス監督、素晴らしい。

シン・レッド・ラインシン・レッド・ライン
ジェームズ・ジョーンズ

ジェネオン エンタテインメント 2004-11-25
売り上げランキング : 9930

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


これは、ヨーロッパ映画・・・とりわけフランス映画なんかでよく再現される、生きること不毛感や、無味乾燥な感じなのだが、もっとストレートにいうと、「非現実感=リアリティの失われた感覚」のことだ。「これ」を映像で、空気で、意図を持って表現できるのは、さすがの才能だと思う。こういうのは、「見ればわかる」し、言葉では説明しにくいので、ぜひ見てください。映画をたくさん見ている人ならば、あーこれのことかぁ、と思うはずです。さて、僕は今回見た映像の中で、『Ray』で見事にレイ・チャールズ演じた、ジェイミー・フォックスの黒人の三等軍曹(アンソニーの上官)が呟いた言葉、全シーンの中で一番、強烈に印象に残っている。

『俺は海兵隊になれたことを毎日神に感謝している』


『こんな光景、ほかじゃ絶対見れないぜ』

(引用不正確)

このセリフは、上官の黒人軍曹(ジェイミーフォックス)が、部下のアンソニー(ジェイク)に対して、言ったセリフで。この前後で、イラク軍が、油田に火を放ったために、何もない砂漠に突然巨大な火の柱がたちあがったロングショットと、そのための油田から飛び散る黒い雨という神秘的な映像の間に挟まれる。



前半は殺人マシーン・・・・一人前の軍人、海兵隊になるための、過酷な日常が描かれます。でも、これもなんだか現実感がない(ように、僕は感じた)。そして、砂漠に駐留しても、戦争がはじまってからでさえ、この非日常感は消えません。だって、戦闘というリアルがはじまらないんだもん。人間は常に、肉体感覚、とりわけ強烈な痛みや快感を伴わないと、リアルを感じません。なんで、安定した平和な社会で、リストカットなどの自傷行動やサッカー・ダンス・SEXに象徴されるような、快感と肉体感覚が強烈な行動に人がひきつけられるかは、それが理由だと思います。平和だと、退屈で、暴力とSEXを求めるんですよ、人間は。だから、アメリカの都市の中にいるときの不毛感が、えんえん続いているだけに僕には見えた。そんな退屈さの中で、どんどんみんな、半分正気を失ったような・・・感じになったり、でも、かといって合衆国軍人としてそこまでおかしくもなれない、みたいな微妙な感じで、過ごしています。本当は、昔の戦争ならば、陸軍前線部隊は、すぐ戦争の悲惨なリアルに体験します。たぶん、相手方のイラク軍は、、イラクの一般市民は、強烈いこれを感じているでしょう。本当は、アラブの側、イラクの側から、スピルバーグ・サムメンデス級の監督が、高い技術を持って、湾岸戦争イラク戦争の映画を描けると、素晴らしくいいのだが・・・。つまりアメリカの市民は、そのあまりに高度な戦争形態と、圧倒的な兵器技術レベルの差ゆえに、戦闘というリアルさえも、体験できないのです。これは、正気な世界でどんどん気が狂っていくみたいなもので、日常の退屈を早回しで見ているようなものです。そんな、なんだかわからない不毛な閉塞間の中、突如、この神秘的な、SFとしかでもいいようのない、ロングショットが現れます。



これは、美しかった。その光景を見て、軍曹が、そう呟くのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・みんなはどうだったのだろう?僕は圧倒的に共感してしまった。「この光景のためならば」、全ての安楽な生活、ブルジョワジーの安定した財産や、妻や、子供、そのすべて捨てても、これは惜しくない光景だよ!って僕は聞こえた。そして、それに納得してしまった。とりわけ、この解釈でいいのかわからないが、同じこの超クールで優秀な指揮官の軍曹(だったと思う)が、湾岸戦争終了後、スーパーで荷物を配送している低所得労働者をやっているシーンが一瞬流れるのだが、、、、それを見て、さらにその思いが強くなってしまった。



考えても見てください。ストレートに聞いちゃいますが?。




生きていて楽しいですか?(笑)




火の出るような充実感を、味わっているでしょうか?皆さん??(笑)。資本主義のシステムは、人に役割を課し、その枠の中でこま鼠のように毎日回り続けるのを強要します。日本などは、まだそれほど所得が二極化していない平等な社会ですが、それでも、おかしな犯罪がいっぱい起きるほど人々は閉塞しています。ましてや、最後のこの米兵達の戻る日常は、僕らと同じ都市生活者で、その軍曹のような低所得階級は、白人で言うならばプアホワイトで、黒人も、もうまともに生きていくのがバカらしい貧困の中に生きている人ばかりでしょう。新自由主義の行き渡った二極化した社会の下側に生きる労働者の、悲惨さといったら、もう19世紀のマルクスエンゲルスの時代の悲惨さにそれほど劣りません。多少豊かな日本のサラリーマンだって、毎日満員電車に揺られ、すきでもない仕事、同じことの繰り返し。主婦でも似たようなものです。


でも、そこから逃れるには、戦争に従軍するのも、一つの手です。まだ戦争のリアルな悲惨さも知らない僕らは、かなりの確率で、この圧倒的な体験にひかれると思いますよ。表立って、そんな人格を疑われるようなことは、言わないでしょうけど。まさか、



退屈さを忘れるために、戦争に行きたい!



だなんて。。。。・・・・・もちろん。そんないつまでも続く無限の地獄のような日常の退屈さ・不毛さから、戦争にいったとて、その退屈さから逃げられるわけではないのだよ、というテーマも、あります。しかし、それは、この退屈な世界では、リアルを感じたいぜっ!っている人がいるという裏のテーマが隠れていることも、僕は理解してみるべきだと、思いました。だから僕は、これを単純な反戦映画にはとらえられなかった。少しづつその退屈さで、おかしくなっていく主人公のアンソニーに感情移入すれば、殺人マシーンと訓練され、戦争に行くことは間違っているよいな!という陳腐な意見に回収できるとは思います。事実、そのテーマも大きいですから。が・・・・しかし、同時に、このちょっとしかない黒人軍曹の上官と、あまりに圧倒的な自然(戦争の非現実的な美しさ)の見事な光景は、、、、その黒焦げのアラブ人の一般市民の死体さえも・・・・・むしろ退屈さを破ってくれるとても、魅力的なモノに感じた。資本主義のシステムの中で、駒としてスーパーの裏で物を運ぶだけの最底辺労働者である自分に比べれば、、、、、。そんな『光景』を見るために、全てを捨てても・・・・捨てるものは、退屈です、、、悪くはないではないですか?。


ましてや、そんな自分が、『戦士』になれるのだ。


ワレキューレの音楽に熱狂し、映画(これも凄い皮肉だが)で盛り上がる兵士達の高揚は、とても共感できた。



忘れてはいけないのは、戦争に行って気がおかしくなる人もたくさんいるのだが、火出るような高揚感を味わって、ちっぽけな自分を忘れ、大義を持ち物凄い規模を行動をする、という個人ではなしえないような巨大な体験をできる「得がたい瞬間」でもあるのです。その偉大な機能も忘れてはいけない。たとえば、建前はともかく合衆国憲法に忠誠を誓ったと、アメリカ人であると、本当に認められるのは、戦争にいったものだけです。戦争で苦しんで、悲惨な目にあった人以外に、戦争はダメだとはなかなか言えません。人間は、体験をしていないことは、陳腐にしか反論できないのです。ましてやこれほど魅力的な存在は。日常の退屈を破るのに、戦争ほど面白く楽しくエキサイティングなものはないのです。なんで、巨大な戦争をした後に、数十年経つと、すぐ人々が戦争を否定しなくなるのかは、この理由です。


ちなみに、この映画を、湾岸戦争を描いた映画、というのは、間違いだと思う。これは、アメリカの都市文明社会の、資本主義社会の先進国病の行き着いた姿を表わしているのだ、と思う。それが、戦争であってさえも。これは、『アメリカンビューティー』もまったく同じテーマであった。だから、病めるアメリカ社会を観るなのだ。・・・ちなみに、このテーマは、イラク側の視点からはまったく成り立たない。あくまで、すべてアメリカ(そして同盟諸国、資本主義の先進諸国)のみの視点である。そういう意味では、暴力的な、エスノセントリズムオリエンタリズムであるのだとも、思う。



■それでも退屈からは逃げられない



この中身をもう少し詳しく見て見ましょう。さて、そもそも古代のおける戦争の、時代のリニューアル機能やカタルシスは、もちろん否定できないのですが、しかしながら、この作品は、さらにその先まで行きます。この作品の主人公は、アンソニーです。彼は、狙撃兵。すなわちスナイパーです。

スターリングラードスターリングラード
ジュード・ロウ

日本ヘラルド映画(PCH) 2001-11-21
売り上げランキング : 10350

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

この『スターリングラード』はソ連の英雄的狙撃兵の局地戦での戦いを描いた作品です。もともと、狩猟であけぐれていた主人公は、天性のスナイパーで、次々とナチスの指揮官を倒し、英雄になります。もちろん、その殺すという行為に、主人公は、相当悩みますが、はっきりいってカッコイイ!ことこの上ない。まだ、近代戦が、いきついた時代ではないので、兵士がまだ兵士としてかろうじて、個人が英雄足りえた時代でした。(・・・・これって、グインサーガの3巻の巻頭の言葉だな(笑))


・・・・・・・・・・・・・・・・この『ジャーヘッド』の主人公は、実は、戦争映画にもかかわらず、結局、一度も人を殺しません。陸軍前線部隊であるにもかかわらずですよ!。行く先々全ての砂漠には、黒焦げになったアラブ人の一般市民や兵士ばかりです(実際には、ほぼ市民だけ)。空軍が爆撃して、すべて制圧後だからです。この映画では、戦争映画にもかかわらず、米軍の死傷者は、ほとんど訓練中か見方の誤射によるものです。誰一人、イラク人に殺されたものはいないのです(このへんの描き方は確信犯ですね)。そして、圧巻なのは、イラク軍人の指揮官を、やっとこそ狙撃できる寸前までいって、攻撃中止命令。その直後、空軍による爆撃で、その指揮官がいた基地は丸ごと灰になります。



・・・・・・・・・・・・・殺させてくれよ、とさげぶ主人公の同僚のスナイパー。



わかる、わかるよ。それはね、リアルを体験したいんだ。どうせ戦争をするのならば、殺し殺される体験をしなければ、あまりにも、意味不明だ。恐怖だけが、想像力を刺激するだけ。狂気に耐える、不毛な日常があるだけなのだ。これは、個人の兵士がほとんど完璧に意味をなさなくなった近代・現代の戦争形態をよく表わしています。大事なのは、数と兵器であって、個々の兵士の人格・力量は、まったく意味をなしません。結局、戦争に行ってさえ、不毛な日常のあやふやな非・現実感から逃げることが出来ないのです。これは、あまりに苦しい。


そんな都市文明社会の絶望を感じるには最高の映画です。