『国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて』 佐藤優著 国事に奔走する充実感

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫 さ 62-1)国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫 さ 62-1)
佐藤 優

新潮社 2007-10
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評価:★★★★★+α星5つ/マスターピースだ!
(僕的主観:★★★★★+α星5つ)


国家の罠佐藤優著 /千の天使がバスケットボールをする
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/8b444e0e0e34d2c0ed4a8ddd89aac0c5

樹衣子さんから、あなたは絶対好きだと思う、とのアプローチを受け読了。すばらしい、よく僕という人間をわかっていただけているようです(←こういうのうれしいですねー(笑))。死ぬほど面白かったです。というか、マジで何度も涙ぐみました。なんというか、自らを偽らない誇りに、ぐっときますねぇ。いまの裁判や自分が犯罪者になることよりも、26年後の外交文書の公開をターゲットに歴史の審判を仰ぐという姿勢・・・自らと使命を共にした仲間(鈴木宗男氏)に、私ぐらい最後までついていく覚悟です、という情・・・・それに正確無比な情報の分析力、、、いやぁシビレました。


■あらすじと概説

>外務省は、途轍(とてつ)もなく優秀な情報分析官を失った。おかげで読書界は類(たぐ)い希(まれ)なる作家を得た。退官した外交官がよく出すノー天気な自画自賛本が100冊かかっても敵(かな)わない密度の濃さと面白さ。



米原万里さんの書評 より

この故・米原麻里さんの書評が、とても的確。これは世にいう、鈴木宗男事件の顛末を、逮捕されたノンキャリアの外交官佐藤優氏が描いたものだ。こういった暴露本は、たいていその事件自体の意味をひっくり返すほどのことはない場合が多いが、これは違う。日本社会の本質まで切り込まれていて、歴史的に価値が有る本だと思う。

>著者は自己弁護や復讐(ふくしゅう)のためにではなく、あくまでも26年後に公開される外交文書との整合性を目論(もくろ)んで本書を記した。清々(すがすが)しい読後感は、この歴史に対する誠実さからくるのだろう。

米原さんの評だが、まさに、僕も同じ読後感を味わった。彼が、日本国の国益と未来の歴史という大きなモノへ仕える人間であるという視座が非常に強く伝わる。この辺は、大いなるものに仕える意識の強いキリスト教徒だなぁ、と思う。それにしても、あれほど無能な外務省に、これほどの高い国益意識を持った職業官僚がまだ存在したことに感動を覚えました。まぁこの優秀さが、ノンキャリアから来るという部分も、日本社会を特徴づけるなぁ、と感慨深かった。この本を一言で云うならば、ハラハラドキドキするエンターテイメントの小説物語としても充分読み応えのあるという不思議な作品だ。しかも読み終わった後に、職業に対する誇りや、日本社会の構造的問題点が、スッキリ整理できる点も、著者が、とんでもなく優秀な情報分析屋であったことを思わせます。その是非や歴史的正当性はともかく、2002年の日露平和条約締結のために、人生の全てをかけて戦った男たち・・・政治家鈴木宗男と外務官僚佐藤優の物語である、とか書いても全然おかしくない見事なも物語だった。凡百のスパイ小説ではかわないエンターテイメントだった。検事が、もし条約締結がなっていれば、今頃、鈴木宗男氏は、英雄として官邸に登りつめ、佐藤優もひかれて官邸入りしていたことは間違いない、というセリフは印象的だった。


■国事に奔走する充実感

このノンフィクションの究極のテーマは、国益だ。国益という言葉が、何度もキーワードとして出てくる。佐藤優氏の行動と動機の源泉は、常に、国益だ。まさかいまどきの外務官僚から、これほど真摯な国益(=ナショナルインタレスト)などという言葉を語られるとは思わなかった。見えないだけで、まだまだ日本にはこういった人物達が隠れて活動しているのだと思うと少し嬉しくなった。彼の外務省ロシアスクールのキャリアのメインは、北方領土問題の解決と、ロシアと日本という対米従属ではない多極主義的なスキームの構築だ。まずは、その可否を問うのは置いておく。それは、対米従属・米国単独覇権主義のサポートを国是とした小泉政権の評価の歴史手価値の有無を問うことになるので、一言ではいえないからだ。、、、、、この佐藤優というノンキャリアの日本国家の外交官僚の半生を、一つの『物語』として読んだとき※1)、彼のモチヴェーションの核は、国益に身をささげること、なのだ。


※1)こういったノンフィクションや自伝系の読み物は、僕はすべからく、主観を突き詰めた物語であることこそが読者獲得------いいかえれば、著者の主張したいことの、世間への一般化・浸透が可能になる第一義要件だと考えている。


それにしても見事な官僚魂を感じる。精確にいうと、官僚というよりは、国益という正義に身をささげる公僕(パブリックサーバント)だと思うのだ。彼は、ケインズ型の公平分配政策に軍配を上げる評価を下しているように見えるが、その点も、パブリックサーバントらしい。この言葉は、ケインズの造語だもんね。・・・・・なのに、あきらかに、彼は組織に仕えていない(笑)。




「組織人ですから」




と言い切るその真摯な姿勢は、明らかに組織ではなく国益に仕えているのだ、という強い自負を強烈に感じる(笑)。おもわず、ウソつけ!(笑)って思いましたもん。それにしても物語としては、なんと魅力的で、かっこいいのだろう!。この本を読むと、佐藤優氏が生きる『佐藤優という物語』のあまりのダイナミックな誇りと行動力に感動を禁じえない。僕は、短い間のみ留学でアメリカで暮らしたことがあることをのぞけば、出張や旅行こそかなり行ったが、海外では暮らしたことがない。が、海外で、日本の情報から切り離される時間が長いと、自分が日本人の自覚を迫られ、ナショナリスト的になっていくのがよくわかる。肌の色、立場、様々なものが、自分を日本人だろう!と突きつけてくるからだ。そうした経験を、自覚的に考えたことがある人ならば、国家と個人の距離や、海外に出たときのナショナリズム国益意識というのは、よくわかるはずだ。逆に、出ていなければ、たぶん絶対に実感できない。そうい意識を踏まえた上で、国事・・・・・・公共の、マクロの次元に仕えることの誇りというものは、とんでもなく凄いものがある。もう、死んでもいい、ってくらいのもんだ。こういうのは、明治国家建設や国を動かす意識を持って働いている人には、非常に強い。それが悪い方向に出ると、凄まじい犯罪になるので、、、良くも悪くもですがね。前に『沈黙の艦隊』というマンガで、普通の政治家だった男が、世界的事件に巻き込まれていく過程で、「国事のために奔走する充実感を感じる」や「国事のために働くことに、足が震える気持ちです」というセリフがあったが、それをすごく思い出しました。

沈黙の艦隊 1 (1) (モーニングデラックス 1411)沈黙の艦隊 1 (1) (モーニングデラックス 1411)
かわぐち かいじ

講談社 2001-05
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僕が知る限りの官僚としては、たぶん、彼は変人の類ですね(笑)。ただ、貫けはしないものの、こういう意識を持つ人は多い。そうでなければ、安い給料で、あれほどの仕事量はできないよ。



■シゴトをするときに従う原理




仕事をするというときに、



1)組織に仕える人





2)使命(ミッション)に仕える人



がいる。いやもっと精確に言いうと、場面場面でこの二つを天秤にかけながら判断していくというべきだろう。



この図式は、



1)ルールキーパーRule Keeper


2)ルールブレイカー Rule Braker



と、僕は勝手に読んでいるのですが二つに分けられると思う。


ルールを作り出そうとするか、それともルールを守ろうとするか、の差です。ちなみに、2)はかっこいいので、これが正しいように思いがちですが、ほとんどの2)は逸脱者で法律違反者です(笑)。組織は、そのシゴトと人員の過半が、2)のルール逸脱者であったら、組織は崩壊してしまいます。物事のパラダイムや根本を変えてしまうことやイノベーションを行う人間は、すべからく2)です。が、2)は、常に現行の体制からの逸脱者や犯罪者として現れてくるアウトサイダーであるために、その評価というものは、非常に難しい。明治維新を成し遂げた英雄たちも、徳川幕藩体制からすれば、ただの犯罪者でです。そういう意味で、佐藤氏は、強い使命感を持ったルールブレイカーだったんだと思います。ルールを破るということは、必ずしも経費を使うとか、そういったせせこましいことではないです(笑)。そんな小さなことは、実はどうでもいいんです。米国との・・・正確にいうと、アングロサクソンとの同盟を選んだ、吉田茂以来の日本の国益の根本を支えている外交体制を、国際均衡主義と独自外交のスキームに組みかえること、そういったこれまでのパラダイムとなるべき根本のルールを、崩壊させるという行動こそが、ルールの破壊者なのです。


これは、、、、非常に難しい問題だ。僕も佐藤氏の理念と国際情勢分析には、国際均衡主義を経の体制作りという意味では賛成したい。けれども、日本国家体制が、まだ戦前と同じ独自外交に踏み出すだけの体制が、本当にあるだろうか?。あの無能集団の外務省などに。。。。本来は、鈴木宗男氏と共に官邸入りしてそのビジョンの政治レベルで発揮して欲しかった、と思う。彼の行動は、既に官僚というレベルを超えている。彼の目指しているのは、ナショナルインタレストに基いた使命に従がう選良(エリート)としての行動であり、、、それは、すなわち政治家の次元の話だ。ある種、機関の歯車でなければいけない官僚の器ではなかった、という部分もあるのだと思う。


まだまだこういった人間を、これからの日本は必要としていると思う。本当に素晴らしい本にであえました。樹衣子さんありがとう。ちなみに、全然書ききれていないので、②に続きます。たぶん。