このか、やばい・・・かわええ・・・・223時間目「ネギ・パーティVSフェイト・パーティ」

この絵は、神だな。もうどうしていいかたまらん(って、なんでメガネっ娘なの?←いやそれがいいがっ!)。ふと思うのだが、このかって、正しい形で育ったのお嬢様の典型なんだよなー。ふむ、、、自分の娘はこういう風に育てたいね。『Fate/zero materal』で、凛の母親の遠坂葵(これが、素晴らしいのだよっ!)を評して、武内さんが「育ちのいいお嬢様がそのまま母親になった」といっていたんだけども、同じものを感じるんだよね。このフレーズは気に入ったんです。


・・・・ほのかの、あの感情の安定感、家庭的なところ、、、、はっきり、いいところのお嬢様ってイメージを掻き立てる。僕は、働いているパンツスーツのメガネがキラリと光る女の子(かつ、抜けていて天然だと最高!)が趣味なんで、あんまりお嬢様タイプは視野になかったんですが、これって考えてみると、自分の娘を育てるには、とてもいいベンチマークだな、と思うんですよ。だって、ほのかが娘だったら、、、やべ、脳死しそうですわ。


あっ、あと今週は、暦ファンが、続出すると思います。個人的予想。


閑話休題


それにしても、なんというか、、、ネギまって、話が走り始めて深刻になると、とぉーーーても『Fate/staynight』を連想させるんだよね。

「多くを救うために 少ないもの小さいものを切り捨てる


この決断ができない者にリーダーの資格はないね


全てを救おうとして 全てを台無しにしてしまうだろう」


基本的に「世界を救う」という系統の話になると、どうしてもミクロとるかマクロをとるか?という二元論の選択肢が、読み応えのある物語となるんですよね。ましてや、ナギ、ネギとスプリングフィールド家は、なんというか、器がでかいんで、「世界の困難」を自分に取り込んでしまうような性癖の持ち主ですよね。性格は真逆だけど、動機の持ち方としては似ている。やさしすぎたり、真面目すぎたり、情動が極端な人は、そのまま世界のマクロを自分の心に引き付けてしまうからだろうなぁ。


・・・ちなみに、



「幻」と「仲間の命」比べるまでもないと思うけどね?


by アーウェルンクス
223時間目「ネギ・パーティVSフェイト・パーティ」

このセリフって、学園祭の時の、千雨のセリフを凄く連想させる。



「私は私の現実を守る!」


160時間目:世界が平和でありますように

この「何を現実と考えますか?」という議論は、マクロとミクロの選択という物語のドラマツゥルギーを考える時に、とても複雑になるような気がするんですよね。いや僕もまだうまく解釈をできてないですが、ここでいう千雨の「現実」ってなんだろう?か、とか、フェイトのいう議論って、何か大きな穴がある気はするんだけれども、同時にすごく真実をついてもいるんだよね。・・・・なんとなく、、、もやもや・・・。



この質問に対するネギくんの答えは楽しみです。



だって、この質問への答えで、彼の器のでかさが非常によくわかりますから。世界の平和を捨てることができない生真面目な性格なのはわかりますが、かといって、ミクロ(=アスナや生徒たち)の命に秤をかける選択を、どういうロジックで表現するかは、非常に器を表わすことですもんねー。ネギまって、実は、何を現実とするの?って言う問いが、根底にすごく深く問いかけられているような気がしてならないんですよね。日常と非日常・・・・この振り子って、そういう構造ですもん。


最近のコードギアスもそうなんですが、物語って、ダイナミックに話が進んでいると、コメントというか感想入れづらくなりますね。一言いおうとすると、際限なく前提や背景を解説しないと、なんか、うまく説明できない気がする…。かといって、こういう断片だと、なんか、全く思っていることが伝わらない気がするし・・・。難しいものです。


ちなみに、自由人ラカン・・・・この人って、この漫画の中で、唯一本当の意味での大人な感じがするなぁ。この人に比べると、タカハタ先生ですら青二才の子供に見える。なんというか、あらゆることに、大人の安定感を感じる。しかも、かっこええ・・・、、、なんかちゃんと自分で生きている大人で、自分で自分の人生に責任っているって感じがぷんぷんして・・・この漫画ではそういうことはないと思うけれども、この手の大人な人には、だいたいかわいい女の子は、すべてお持ち帰りされてしまうものが、現実なんですよねぇ。だって、女の子から見て、これほどかっこいい大人はいないよ。頼れるし、おもしろいし、なにより健康的にちょっとHなのも最高。自分が経験の少ない女の子だと考えてみれば、非常にわかるはず。危険なオヤジだ(笑)。


魔法先生ネギま! 18 (18) (少年マガジンコミックス)