『偽物語』 西尾維新著 たとえ偽物であっても、自覚のもとにそれを貫くことは、実は本物より強い本物なんだ(1)

偽物語(上) (講談社BOX)


うわーん、おもしろいよー。


まったく、何がいいかっていいづらいんだけど、麻薬のように面白い。めっさ、たまらん。昨日3時半ごろまで、頑張って読んでいたが…・そのまま寝落ち。本を読みながら、意識を失ったのは、ここ数年で久しぶりかも。ふつうはちゃんと、電気消して、フェイドアウトするんだが。いま半分というところ。ひたぎさんの、Sが、、、、やばすぎます。激かわです。


ふとおもったんだが、僕の中で「正義の味方」については、「パトレイバー以後」及び「Fate以後」という概念の分水嶺があるようで、、、これを現実のアメリカとかで言うと、911以後と同じ意味なんだと思うんだけれども、それは、正義の味方というものの定義を、まじめにリアルに突き詰めているかどうか?、そしてそういった動機の持つ論理的な帰結を、抽象的マクロ的に「結果」として書き手が、読み手が理解しているかどうか?ということ。


詳細は感想で書くけれども、この何のマクロ背景もない関係性だけの物語が、なぜころほどまでに胸に萌える・・・じゃなく燃えるのかといえば、ここに登場するキャラクターが、「このこと」を深く理解していること、また物語自体の設計が、「このこと」をどうしようもなく前提として描いているところに、とても新しさを感じて、それが軸になって、物語世界へ僕の心は強烈に引き込まれるんだろうと思う。ただかわいいだけ、ただ魅力的なだけ、そういったガジェットだけで萌えることは、実は僕にはあまり出来ないようなのだ。


一貫して、この物語の主人公、阿良々木暦は、自分の正義の味方たろうという動機を「偽物だ」と断じている。そして、その反対の存在である羽川翼を「本物」であると断言している。


こういう現状認識から生まれるだけで、この物語の関係性の奥行きは、とんでもなく深く深まることになる。ただの萌え小説、ただの趣味で描かれた物語と侮るなかれ。中身のないようなぽつぷな会話の一つ一つが、こういったとんでもなく深い現状認識に到達しているが故に、実は主人公たちは「真の意味で会話をしている」のだ。感情の奥底をちゃんと、ストレートにぶつけて会話しているのだから。こういう会話を描けて、小説を進めることができるのは、ものすごく才能がある証拠だと僕は思う。最近北方謙三さんの簡潔な文章で、それを深く認識した後だけに、これがよくわかる。



だから、おもしろいんだ、とおもう。



これって、ひたぎと暦の会話にすごくストレートに反映する。もうとんでもなく攻撃的でサディスティツクなひたぎさんだが、彼女は、たぶん彼女の内にある世界への怒りが、そういった攻撃性に転化していて、そもそも普通にしゃべっただけで、人を追いこんで精神的に破壊してしままいがちな厳しい衝動を持っている。もうヤンデレレベル。というか、こういう感情コントロールが壊れてしまっている女の子って、多いんだよね。現実のリアルにも多い。地雷女とかぶどう女とか、友人がたとえていっていたが、その手のタイプ。説明はしないので、言葉から想像してみてください(笑)。まぁこの手が、DVをやっっちゃったり、やばめのことしやすい人ですねー。こういう人を見極める嗅覚がある人は、目を合わせるのも避けましょう。デンジャラスなんで。


えっと、いきなり彼氏を愛故に拉致監禁する(苦笑)ひたぎさんですが、彼女の世界への怒りと破壊衝動は、それを平然と受け止めてくれる人がないと、暴走して彼女自身を滅ぼすものなんですが、さすがに彼女くらいクレバーな人になると、それを世間の普通の環境で開放しない。そもそもそしたら警察沙汰だし、どんな目にあうかわからないよ(笑)。・・・そんな倫理や常識スレスレの攻撃を、暦君が平然と受け止めるが故に、まるでラブラブカップルな会話のようになりますが、これって精神的に引いたら、もうヤバイどころの話じゃないですよ(笑)。すぐDV関係で、心中まで行きつくもの(笑)。


けど、暦君の「常識が壊れしまって、全ての人を助けちゃうという壊れた動機を持つ」が故に、ひたぎをどこまでも受け入れてくれるわけで、、、そんな暦だからひたぎは、超ウルトラぞっこんMAXハートラブなわけで、もう力関係がすごく不思議なんですよね。ウルトラSの支配関係にあるのに、主人が暦君という・・・(笑)。一つ間違えば、どっちも、すぐ関係性が壊れて、ボロボロの人間関係に陥りやすいギリギリの線上を二人は歩いている。っていうか、みんなだけど(苦笑)。けどね、、、これって、僕が嫌いなある種の弱さのかばい合いの依存関係なんですが、、、、なにがかっこいいかって、これ二人とも、、、というかキャラクターほとんどみんなが、それに自覚的なんですよね。自覚的になった途端、これほど美しいものはなくなる。それは、暦の「正義の味方を志向する自分がどうしようもない偽物である」ということの自覚と、ほぼイコールの話で、自分の「ニセモノ」さを深く深く痛恨として諦念として理解しているんだよね。



そして、、、、、たとえ偽物であっても、自覚のもとにそれを貫くことは、実は本物より強い本物なんだ、という発想もこの世界の基調低音として存在している。そこが、ぼくにはたまらない。こういう覚悟が成熟した大人だと僕は思うんですよね。なんか、そういうことを読みながら思ったりしてしまいます。