『MOON ―昴ソリチュードスタンディング』 2巻 曽田正人著 (2)戦後日本人にとっての「世界」であったアメリカ的なるものとヨーロッパ的なるものを超えて

MOON 2―昴ソリチュードスタンディング (2) (ビッグコミックス)

評価:★★★★★星5つ マスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)


■戦後日本人にとっての「世界」であったアメリカ的なるものとヨーロッパ的なるものを超えて


曽田正人さんの傑作『シャカリキ』の記事で、近代スポーツを突き詰めていくと、その果てに「ヨーロッパ的なるもの」が見えてくると書いたことがある。同じように、村上龍などの作品を読んでいると、戦後日本人の自由と解放を突き詰めていくと、「アメリカ的なるもの」へ到達すると書いたことがあります。日本の泥臭ーい世界から、主人公が突き抜けて自己を追求していくと、その果てにある「自由」の象徴として、「世界(=日本的共同体のしがらみから解き放たれたより広い世界)」が、見えるという意味です。具体的にいうと、日本の漫画でもなんでも物語って、、、いや、現実の出世とかでも、日本的しがらみを振り払ってアメリカに留学したりするという話が本当に多い。樹なつみさんの『朱鷺色三角(トライアングル) 』とか、成田美奈子さんとか、それに津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』の主人公の父親も、日本的「家」の暗いしがらみから解き放たれるために、NYへ旅立って、JAZZピアニストになるでしょう?。村上龍の『愛と幻想のファシズム』に出てくる、革新政権のトップとして出くる万田という首相が、僕は興味深いのですが、最後まで彼の正体はよくわからないのですが、どうもCIAの手先と労働組合のトップという二足わらじをはいて権力を得た人なんですよね。ローマ帝国では、蛮族の王族やエリートを、ローマ貴族の家にホームステイさせるみたいことで、価値観を植え付けて洗脳させていくシステムが揃っていたんですが、それと同じで、日本の政権には、フルブライト留学制度などを見れば、そういったシステムでアメリカの価値を信じて政権に就く人が戦後つい最近まで多かったですよね。宮沢喜一元首相は、フルブライト一期生だったですよねぇ、、確か。えっと、話がずれてしまったが、とにかく、日本社会は、近代化(=西洋化)という夢を追った上に、戦後アメリカに叩きのめされたこともあって、日本の島の中に閉じ込められたエネルギーの出口として、ヨーロッパとアメリカがあるわけなんですよ。

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そんでもって、凄いな、本当凄いな、と思うのは、これまで『カペタ』や『シャカリキ』『め組の大吾』で自己を極める話を、、、そして極めた先であるアメリカもヨーロッパも書ききってしまっているが故に、『昴』では、あっさりと主人公は、駆け上るんです。昴は、たった11巻の前作品で、ヨーロッパとアメリカを駆け回って自分の居場所を作り出してしまうんです。


そう、、、才能はすべてを肯定するんです。


それまでの日本のエンターテイメントって、がんばってがんばって、最終回にアメリカに行くとかいう話ばかりだったのが、あっさり話の途中で、そういう段階を超えているんですよ。凄い射程距離だよ、これ。ああ、考えてみると、『のだめカンタービレ』もあっさり、ヨーロッパに留学して、ヨーロッパを中心に生活の基本が進み始めていますね。まぁ音楽家の世界は、ハイエリートの金持ち世界なので(千秋を見ればよくわかるよ、ウルトラお坊ちゃまな上に、血統書付)あまりびっくりしていなかったんですが、昴は、、、、この少女は、本当に何もないところから、世界い這い上がっていく。胸を打つよ。

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物語の本筋とは関係なく、僕は、ああ、、、日本は、本当の意味でヨーロッパが作り出した近代社会に、モダニズムの最先端に、大衆レベルで到達つあるんだなーと思いました。日本社会で、自己を追求することは、全世界の中で頂点を目指すことと同義になるんですね。それが、「ほんもの」でさえありさえすれば、「甲子園的なるもの」のようなムラ社会の共同体システムの中での内ゲバ争いではなく、一気に、世界に飛躍するんです。それだけ、若者には、世界の頂点への可能性が開かれている、オープンな社会になりつつあるんでしょう。逆に言うと、それだけ才能の差が強烈な競争社会でもあるわけですが。


そういう物語が描かれるということは、社会がそういうものに近くなっているということだと思う。



■都市の空間設計とエンターテイメントと市民の距離の短さ


「ありがとう ベルリンに来てくれて」


これは、14話で、昴が街を歩いている時に、昨日きみを劇場で観た!という家族連れに言われるセリフです。この描写は、ああ、作者は、いわゆるバレエというものが、ヨーロッパ市民社会でどのように楽しまれているかについての理解が深いなーと感心しました。ヨーロッパの都市は、中世の城砦都市などを見ればいわかるように、壁でまわりを囲んでその中で完結する、都市国家を基本としています。もちろんこれは、ローマ帝国の駐屯地から発展したものが多いんですよね。そんでもって、この完結した都市の中に、生活のすべてがあって、そこに劇場もワンセットになっている。

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つまり何が言いたいかというと、これって中央集権的に巨大な産業を形成して物流網を作り出して、ベルト(産業地帯)を形成するような東京やロンドンやNY、サンフランシスコなど、近代の大都市とは違う形の市民社会があるんですよ、ヨーロッパには。


だから、とてもこじまんりとしていて、その町のお隣さんが、劇場にやってくるというような伝統や市民生活の在り方が根付いている。


もともと、日本でも歌舞伎座や落語などは、同じような小さな市民社会の中での、ごひいきさんたちに支えられて行われる芸能でした。だから、ベルリン国立歌劇場スターツ・オパー)といっても、ベルリンの町の市民(=普通の人々)が支えている、という感覚が根付いている。簡単にれば、芸人とそこに住む人々の距離が違いということですね。これは、大阪の吉本新喜劇宝塚歌劇団とかも同じ構造だと思います。マンガで言うと、『のだめカンタービレ』の主人公の千秋くんが、指揮者をするオーケストラの在り方なんかが、とてもこういう感じに近い。常設のオーケストラの在り方というのはこれをベースに作られています。だから、日本やアメリカなどの、中央集権的巨大都市の中で、市民ではなく大衆が、国家や芸術を駆動する社会とは、まったく違うんですよね。


だから、街を歩いていると「狭い街だから会うと思っていたよ」となんていって、昴が声をかけられてしまうんです。そして、世界中から才能あるスターが、「自分たちの町」に来てくれたことを、街を歩いている、隣に住んでいる人々が、応援して愛してくれるんです。こういう地域社会に根付いたシステムって、故郷を喪失する近代市民にとっては、とっても重要なシステムで、この都市空間設計がうまくデザインできない社会は、今後、才能ある人々の誘致に失敗するでしょう。ちなみに、このシステムを見事に日本で根付かせたのは、Jリーグの100年構想ですね。


Jリーグの100年構想
http://www.j-league.or.jp/100year/about/


これは、ヨーロッパ市民社会の真髄の一つです。この思想があったればこそ、多少いびつではあっても、Jリーグが、サッカーが日本に根付いたんですよね。これを計画した漢(おとこ)たちは、凄いやつらだと思います。ちなみに、僕のいう漢(おとこ)とは、志をともにする友愛に結びつく人間という意味なんで、一応、性別無視しています。PCではないですが、まぁ意味伝わりやすいので、これにしています。


これは、いかに芸術家にとって、ヨーロッパ社会のシステムが、居心地のいいシステムになっているか、ということの一つの例だと僕は思うんですよね。ちなみに、それを表現することで、いかに昴が自分の力だけで、居場所を切り開いて獲得して生きたか、ということが分かるようになっているところが、この作品の凄いところですねぇ。

昴 (11) (ビッグコミックス)