伊奈英次 作品展「EMPERORS」と山崎豊子著『二つの祖国』

伊奈英次 作品展「EMPERORS」
http://www.zeit-foto.com/exhibition/index.html

日本の天皇とは摩訶不思議な存在である。2600年連綿と続く王朝は世界に唯一であり、現在の平成天皇が125代目にあたる。そして北朝をあわせると129代の天皇陵が東京、奈良、京都、大阪、淡路、山口に点在している。それらの陵はどれも宮内庁によって管理され,静寂と尊厳に包まれている。

 私が天皇陵に興味をもった直接的な出来事は、昭和天皇崩御であった。昭和という時代が終わったその日から、何か皇統に吸い込まれるような特別な興味が醸成していった。これらの歴代天皇陵は江戸時代末期の『文久の修陵』という陵墓修復作業によって今の姿に整備され、前方部分の拝所で祭祀が行われている。この文久の修陵事業と、王政復古による明治維新は並立しながら日本の近代天皇制確立へと進んでいく。そして敗戦によって現在の象徴天皇制へと収束していった。

 陵墓を訪ねると、日本の時代や歴史が感じられる。神話時代、古墳時代、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代、そして明治昭和へと推移していく時代の流れは、まさに日本史そのものである。悠久の時を刻む陵墓の景観は、その時々の時代を反映しているように感じられる。

 古墳時代の巨大古墳から昭和天皇の陵墓まで、現在の時空間の中で静かに佇んでいる光景は、何か信じられない虚構の世界に迷い込んだような錯覚を与え続けている。                                      

2008年8月 伊奈英次


これ、面白そうだなー。ブリジストン美術館の横らへんか、、、帰宅途中だから、なんとかよってみっかなー。考えてみると、125個所…北朝も入れると129箇所の天皇陵があるんですよね。それに全部行ってみる、写真を並べてみるというのは、確かに何かをかきたてられる行為ですね。じじいいになったら、ぜひふらふらこういうの歩いてみたいなー。ちなみに、昭和天皇大正天皇は、高尾山の近くで、JR高尾駅からすぐ傍の武蔵稜墓地にあるそうだ。124代分すべて宮内庁は管理しているんですね・・・凄い組織だ・・・。よくサイキックものとか、SFもので、日本の闇の組織やエスパーたちを司る大元締めで、宮内庁の下部組織が出てくるんですが(笑)、なんか、考えてみると、そういう想像力で妄想してもおかしくないほど、深く古い組織ですよねぇ。

http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/124/index.html
宮内庁HPより


http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/

http://www.nikon.co.jp/main/jpn/feelnikon/comfort/webgallery/200508ina_eiji/index.htm


写真集『EMPEROR OF JAPAN』(Nazraeli Press,USA)というのが、全世界で1000部ほど出ているということですが・・・ほしいけど、、、買えないなぁ。国会図書館でも行けばあるのだろうか…。写真集は、置く場所がないとなかなか手に置けないですよねぇ。写真集の醍醐味は、何もない空間で、それだけを音楽でもながしながら見ると、ハイになって、トリップできてその空間に入っていける感じがあるので好きなんですが・・・余裕がある時でないとできない鑑賞スタイルだもんなぁ。


さて、読書するというか情報接種するには「時」があって、何か一つのことに熱中していると、それに関連するいろいろな情報が、ふとつながったり目にとまったりするものなんですよね。


■彼らはない一致団結して、天皇陛下を守ろうとしたのか?〜個人主義よりもコミットされる風土はなぜ生まれたか?


いま、『二つの祖国』を読んでいて、個人主義的な東郷茂徳元外相でさえ、天皇陛下を守る、ということでは一致団結しているんですよね。戦後の僕からすると、あれほど内ゲバの激しく、内部の派閥争いがひどい日本の政治軍事のエリートたちが、一貫して、なんんの疑問もなく「天皇制の護持」と天皇陛下に責任が及ばないようにする、というその動機というか根拠が、リーズナブル(=合理的)に分からない。

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瀬島龍三さんの本を読んでいても、基本として軍部の独走、統帥権干犯問題などは、憲法の「輔弼」事項に関する運用上の伝統が抜け落ちているという、制度・運用上の欠陥に、その原因が集約できるというのはかなり当時からの常識のようで、、、だとすると、そもそも天皇という権力の空白的なシンボル自体をなくしてしまえ!という思考のほうが、足し算引き算的な問題で、すぐ思い浮かびそうなものなのに。なんらかの、バイアスというか常識感覚が戦前にあったということだろうと思うんですが、僕は「その当時」の人でないので、リーズナブルに分解して組み立てないと、それが理解できない。さすがに日本人なので、なんとなーく、「そんな感じ?」みたいなニュアンスは、わからないでもないんですが、、、、やっぱり言語化して分解できないと、そもそも他人に説明できないので、座りが悪い。

二つの祖国〈上〉 (新潮文庫)二つの祖国〈上〉 (新潮文庫)
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■悪妻のエミーの書かれ方と個人主義的な生き方の批判は、何か間違っている気がする・・・

ちなみに、先日書いた主人公の天羽賢二とチャーリー田宮の生き方が鮮やかな対比になっており、同時に二人の妻であるエミーとナギコの二人も同じような対比で描かれる。有閑マダムさんがコメントをくださったが、エミーの悪妻ぶりは最低の描き方をされていますよんねぇ。日本人との道徳観としては、古い世代にしてみれば、信じられない振る舞いですもんねぇ。こういう個人主義でわがままで自分のエゴしか見ていない女性を、山崎豊子さんは同性だけに許せなかったのかもしれませんね。・・・でも、僕は嫌いになれないです。


というか、そもそも天羽のほうに我がままを感じてしまいますよ。だって、そういう女性を「妻に選んだ」わけでしょう。・・・たとえそれが意に沿わないお見合いであったとしても。難しいとはいえ、あまりに妻への理解がなさすぎる。彼の理解と時代背景(戦争がなければ!)があれば、ほんとうは我儘でバカなかわいい女なんだと思いますよ。僕は、よくいるこの手の我がままな年中買い物ばっかりしている見栄と派手の女性は、醜くて大嫌いだったんですが、、、個人的には、楽天の野村監督とサッチーを見て、あの妖怪のようなばばあを、野村監督がとても愛しているのを見て、、、そののろけをテレビで見ているうちに、なんか、サッチーがかわいく見えてきてしまって・・・ああ、、、ようは、「どのように見るか?」の姿勢の問題に過ぎないんだな、と自分の偏見を、情けなく思ったことがあります。まぁどちらかというと僕は、フェミニスト的にいえば、男尊女卑の視点があるのかもしれませんがね、、、それは「男が気量で包み込むものだろう!という」男性側にかなりキツイ視点で物事を見ているわけですから。


この本を読んでいて、エミーの悩みやもがきや強い我儘な主張は、無力な一人の人間としては、とてもとてもよくわかります。ましてや、いいところ(プチ成金だけど)のお嬢様でアメリカナイズされて育って、自分のアイデンティティに悩めるほどの自我の深さを持たなければ(苦笑)、こうなるにきまっているじゃないですか。そしてその「こうなる」は、彼女の責任じゃないんだもの。これは夫に度量があれば、ツンデレのかわいい奥さんのはずなんですよ。どう見ても、ナイスバディの天真爛漫な人に見えるし(笑)。グインサーガという僕が愛するファンタジー小説で、シルヴィアというツンデレのかわいいお姫様がいたんですが、この人が夫の愛を得られず、自我をズタズタにされて、史上最悪の悪妻、妖婦になっていくんですが・・・・なんか、同じようなものを見ているような気がして、胸が痛くなりました。

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■正しい生き方とは?責任を引き受けるとは?コミットとは?

というのは、もちろん個人として「正しい」生き方は、ナギコや賢二などの、ちゃんと自分のアイデンティティ(=責任を取り、よって立つところを確立させる)ことだとは思います。ただ、みんなそれほど頭が良いわけでもなければ、そういった自我の懊悩を持ているキャパシティがあるものではないはずです。なのに、「正しい」生き方をして、悩み、どんな降ってくる刻苦をも引き受けて自分の体内で昇華せよ・・・なんて、エリート主義的な!って思ってしまいます。正しく悩めるのは、それだけ恵まれた人なんですよ。もちろん、天羽賢二のように、対立する価値観の中で、引き裂かれて人生が苦しみになってしまうかもしれませんが、それは「生きる」こと、生を深く追求していることであって、、、やはりそれは、恵まれていると、僕は思ってしまう。悩みが多い分だけ、それを支える自我があるのならば、その人は人間として充実して生きれるのだか・・・・そういう人間が、エミーのような、ある境を越えられない人を愛しつつんで上げなければ、いったい誰が、この世界で責任を引き受けるのだろう?と思ってしまいます。・・・まぁ人間は平等ですので、責任をとって守る側と守られる側に分けるのは間違っているので、戦争に翻弄されもっとも苦しんでいる天羽賢二いうべき言葉ではないと思うのですが・・・。

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僕は、大戦末期のフィリピン従軍の戦記をいくつか読んで、日本軍の悪逆非道さとサイテーな人間性に胸がむかつき、自分もこの末裔か、と悲しくなる気がしていたのですが・・・最近、ふと考え方が変わるような気がしました。先日、合宿である事業に関する戦略議論のファシリテーターというかコンサルタント的なことをやったのですが、この事業が、「そこ」になった理由を探すと、いっぱい出てくるんですね。ようは、なぜその事業がダメになっているか?は、いっぱい出てくるんです。そして、そもそも今のビジネスは、予算は「必達(=コミットメント」」です。けど、たくさんの人が、


「そもそもできるわけがない予算や計画を、上のやつらが勝手に押し付けたんだから、できるわけがない!」

と、悪態をつくんですね。これ、本音だと思います。僕もいつもそう思って呪っていますし(笑)。でもこのプロジェクトのリーダーのSマネージャーさんと僕だけは、どうしても感情的にその意見に乗れないんですね。んで、部下たちと対立してしまう。もちろんSマネージャーさんも、僕も、同じように「上から押し付けられた無謀な計画」に従事させられ、責任をより深く取らされる立場に悪わけです。でも、「押しつけられた」とは思わないんですね。というのは、僕もそのSさんも、「リーダー」なんですよ。人を率いる立場にあり、そういう「役割にコミット」している人は、「一切の言い訳はなし!」なんです。もちろん、僕だって、Sさんだって中間管理職で、実際は、給料だって部下たちと差はほとんどないし、それ以上の労苦を引き受けて、なんら美味しいことがありません。けど、この事業を指揮しているSさんには、「この事業をよくすること」と「この事業に従う人々の人生」に関する責任を強く感じているんですね。マクロ的には、文句を言って事業が悪くなれば、ただ単にリストラされるだけです。また、どんなに、「人の手が足りない!」とか「資金がない!」とか、「上層部から冷遇されている!」とかいっても、マクロの経済環境やリソース配分から、ミクロの前線部隊に与えられるものは、ほぼ所与のもので、変えることはできないんですよ。だから、「手持ちの駒(=リソース)で、なんとか状況を打開しなければならない」という圧迫感で、常にリーダーは頭を悩ませるんです。文句を言っていればいいやつらは気楽です。責任を外部転化できるんだから。だから、人を率いる立場にある人には、「言い訳が許されない」「現状の持ち駒だけで物事を打開する」苦悩があるわけです。何度も繰り返すが、リソース(=資源配分)には限りがあるので、ヒトモノカネが揃っていれば、やれますなんていうわがままをいっても仕方がない部分がある。最近、リーダーの本質は、「常に責任を外には持ち込まない覚悟」なんだな、と思うようになりました。いや、リーダーではなく、物事を解決するときには、常にこういう発想でないと、「できないいわけ探しをする(ポリアンナ風)」ことに精力を使ってしまうんですよ。それ、無駄ですから。人生は、常に準備不足。準備されていないところでなした結果で、次のリソースの回ってくる量が変わるんです。


この『二つの祖国』のフィリピン戦線で、忘れられないシーンがあります。


「俺たちは、言い訳なしないって決めたはずじゃないか。」

たしか、こんなセリフだったと思うのですが、兵卒の天羽忠が、ふと指揮を執る下士官たちが苦悩して懊悩している姿を一瞬かいま見て、気がに悩まされるマラリヤ地獄の熱帯ジャングルになんの装備もなく、玉砕することしか許されないような状況下で、部下を率いていかなければならないリーダーたちが、おもわず吐露する言葉を聞いて、、、「上には上の悩みがあるんだ・・・指揮するものの悩みを垣間見た・・・」と思うんですが、、、、そうか、、、、当時の日本陸軍の士官は、世界でもまれに見る高等教育を受けている優秀な現場指揮官で、米軍に物量で勝てないことも理性でわかっていた。しかし、、、、それでも、彼らは彼らの「役割にコミット」したんですね。それは、ある種のすがすがしさと、どうしようもないところまで追いつめられて尚、責任に悩むリーダーたちの苦悩を、自分の仕事と重ね合わせてしまいました。まぁ逃げ道がない状況に追い込まれていたんで、仕方がないという側面は、否定できませんが。でもこういう誇りある人がたくさんいた事実も、否定できないんだな、と。・・・もうどうしようもないような大きなマクロの波にさらわれてしまったら、「個人が為しうることなんて、すごく制限されたちっぽけなものになってしまいます」。その中で、苦悩し続けるのが、人生というものだし、誇りある人間というもの名じゃないか、と思うわけです。つまり、罪は現場の人間だけではなく、それのマクロを作り出した設計者にある、と。まぁ近代国家では、今度はそういった指導者を「選択した罪」というものが、社会の参加者全員に帰せられるわけですが(苦笑)。



ただ、、うーんこう書いていると、なんでも「上からの命令を我慢しろ」といっているように聞こえるので、書いていて変な気がするんですが、「そういう不合理性」とは別のことが言いたいんですよ。ドイツ人の「役割を徹底的に全うするという美徳が、アウシュビッツでどんな行為を生んだか」を考えると、なんでも従えばいいという意識は、非常に危うい。この辺は、下記に引用したように、マクロを勉強しよう、見とおそう、非合理的なことには、合理的にマクロで反論・反逆し返そうという健全な近代市民の参加意識を同時に持っておきながら、、、、それでも、個々の最前線のチームというミクロの中では、コミットメントすることに、「ダメな理由を求めたり」「一人だけ抜け駆けして得をしようとする」ことを避けて、成し遂げるというモラリティーが必要なんだな、、と思うのです。


労働者にまで「経営スキル」が必要となるようなネオリベ社会は間違っており、是正されるのではないか?


「そもそも、労働者にまで経営スキルが必要となるような社会の方が間違っているのだ」


という考え方があります。


たとえば、ネオリベに対して懐疑的な左翼の方々は、以下のような認識です。

2008年05月23日 CrowClaw そもそも「経営学」が成立してしまう資本社会が理不尽だと思うんだけど。「合理性」を言うなら先進国の被災者より途上国の人間を救済すべきでしょ。経営学の外部としての社会は徹底して不合理の世界ですよ。

2008年05月28日 hokusyu ドラッカー読んだこと無いけど、反ナチスだから経営学ってのは、単なる「政治的なもの」の封殺に過ぎないんじゃないの。

(赤太字による強調は私が行った)
中略

ドラッカー的な仕事観こそが、人生を豊かにする最適解なのではないか


現在の人間の欲望システムと、現在の人間の技術水準と、入手できる資源の量を組み合わせると、

おそらくは、ドラッカー的仕事観が最適解なのではないでしょうか。



だから、現実的な処方箋は、むしろhokusyu氏の主張とはまったく逆で、

大多数の普通の労働者(制限時速10Kmではなく、制限時速50Kmを望むような)は、少なくとも「はじめて読むドラッカー」シリーズぐらいは、しっかり読んで、経営の原理をよく理解しておいた方がよいと思います。



少なくとも、歴史的経緯と今後の世界トレンドを見る限り、見通せる限りの未来社会においては、

そうすることで、顧客も、経営者も、資本家も、上司も、部下も、自分の家族も、自分自身も、幸せにすることができるような、

そんな社会情勢が続くと思います。




経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由/分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1#seemore


ただ、、、、こんな強い個人意識を持たないと生きてはいけないのか、と思うと、結構大変な競争社会ですよね。まぁとても健全だとは思いますし、そうあるべきだとも思いますが。

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たぶん物事を正しく「全うする」「為す」ということには、こういう構造が隠れているんだと思う。与えられたリソースで、それを所与として覚悟して責任を真っとすることは、神でも天才でもない僕のような非凡な一般ピープルには、それしかできないことなんだ。そして、そういうモラルやエシックスのようなものがないと、人生は生きていくのにつらいと思う。


だから、もちろん、僕は黙って「上に従うことが美徳」だなんてさらさら思わない、アメリカナイズされた世代なので、武士道的な現場指揮官の美徳は、ミクロ的には人が生きる上で仕事をする上で絶対必要な倫理だと思うと同時にいくつか問題点を、マクロ的に考えてしまう。そもそも「逃げ道がない」ような戦略的な環境下に、国民を追い詰める指導者なんて許されるはずもありません(当時の状況下でそれが、難しかった・・・というのはわかります。だから自衛戦争という概念が出てくることも、ようわかりますが・・・。



あっ本題とずれるメモ的なものですが、日本の大東亜戦争・太平洋戦争が、なぜ「自衛のための戦争だった!というようなしょーもないいいわけ」が、あまりに潔くなく出てくるかが僕ずっとわからなかったんですが、この東京裁判のシーンを延々描写しているところで、天羽賢二がアメリカ側のアメリカ兵の意識で見ているので、よくわかりました。これって、アメリカが第二次世界大戦で、なんの関係もないヨーロッパに兵を出していることを、自衛のための戦争なんだ!とアメリカ自身が叫んでいるので、その対になっている意味で出てきた概念なんですね。つまり、アメリカが自分の都合のいい「世界新秩序」をつくって、ヨーロッパに権益を持とうとすることが、自衛のための戦争というロジックの裏返しなんですよ。ドイツ第三帝国がヨーロッパの多国間の秩序を壊して統一帝国になれば、アメリカに攻めてくるので、ということなんでしょうが、、、、それならば、明らかに大陸を侵略しつつあるヨーロッパ諸国に対しての牽制と、ましてやABCD包囲網などで1941年ごろから真綿で首を絞められるように資源のな日本を追い詰めるべき経済戦争を仕掛けているアメリカに対してたたかうことは、自衛じゃないか!と。これは、とても理屈が通る話です(笑)。


閑話休題



でもねー、その限界の中でも、たとえば、非合理的な戦陣訓などを作った東条英機元首相らマクロの設計者の罪は、否定できない。つまりは、最頂点にいる「将軍」レベルの人々には、現場の最前線までよくよく理解して、常に改善し続ける・・・なんというのかなぁ?幻想に騙されない合理的でリアリスティツクな改善意識がないとだめなんですよ。なんというか、日本の近代の制度設計者には、悪い意味での「官僚的な」側面が強くて、「おれがすべての責任をとってやる代わりに、俺様が王様だ!」という、価値体系を塗り替える存在が少ないんですね。見ている限り、明治の初期の因習のない時代のリーダーだけが、奥義的なグランドデザインを描けている。そもそも大元の「制度」や「戦略の本義」が間違っていると、部下は、たまったもんじゃありません。こういう将軍とか王様を作り出すという伝統が、日本には弱いので、やっぱりすぐに意見が統合されずバラバラになりやすい。それに、やはり現場レベルとか市民レベルでの「抵抗」の歴史的伝統が少ないんだなぁ。ようはね、市民革命を経ているかどうかって、お決まりのアジア専制主義非難になってしまうんだろうけど、、、、。もっとうまい、制度の政治の根本までねじ込むような、プロテスト(抵抗)の伝統や制度的システムが根付かないといけないのだけれども、やっぱり徳川300年の「お上意識」は、なかなかねぇ。

なんか、ふといろいろ思ってしまいました。



個人主義で自分の利益だけをわがままに追求する生き方と、それ以外の共同体的なものへのコミットを悩む生き方の対比


この個人主義で自分の利益だけをわがままに追求する生き方と、それ以外の共同体的なものへのコミットを悩む生き方の対比は、どうも山崎豊子さんの癖のようで、僕は東郷茂徳VS嶋田繁太郎東京裁判での論争にも同じものを感じました。この元外務大臣東郷茂徳嶋田繁太郎海軍大臣とのやり取りのくだりを手に汗握って読んでいたのですが、これは対アメリカへの宣戦の際に、海軍が無通告攻撃を主張したことに対する問答ですい。というのは、東京裁判の焦点の一つでが、パールハーバーが、なぜ奇襲という卑怯なものになったか?という部分で、その原因解析と責任の追及が、重要なポイントんだったからです。


対米開戦の際海軍は無通告攻撃を主張したが「余は烈しく闘った後、海軍側の要求を国際法の要求する究極の限界まで食い止めることに成功した。余は余の責任をいささかも回避するものではないが、同時に他の人々がその責任を余に押し付けんとしても、これに伏そうとするものではない。」


話は戻るんですが、ここでかなり個人主義的な、和を乱す行為を東郷茂徳元外相はするんですが、それでも、この人でさえ、天皇陛下に罪が及ばないようにと言っているんですね、この国体の護持は、とても興味がある。まだ僕には、論理的なリーズニングできない。まーあんまり本格的に読む余裕もないので、この辺でも、軽く読んでみようかなーとか。こういうヴィジュアルがあるやつは、読みやすいんだよねぇ。


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