『瀬島龍三 参謀の昭和史』 保坂正康著 スタッフ(=参謀)による横軸機能の独走〜企画立案だけで現場を無視するエリート主義

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)

来週、LDさんと海燕さんと、『風雲児たち』に関してウェブラジオをする予定なんだが、それでなんというか、どちらかというと近代日本の光の側面、日本人の誇りの部分、、、つまりはプラスの側面ばかりを取り上げている感じがして、もちろん、そうした「光の部分を正当に評価すること」は、とりわけナショナリズムなどの「決してなくなりはしない足モノの泥臭い部分」を無視してインターナショナリズム的な側面に走りがちな戦後の1945年以降には、健全な右翼の発想は必要だと思うので、ちゃんと注視すべきだ、、、とは思うものの、同時に、そうはいっても、「それって結局だめだったわけだよね?」という負の部分、反省して超克していかなければいけない部分を、無視してはいけないよね、と思って思わずもう一度手にとってみた。山崎豊子さんの瀬島龍三さんをモデルにしたといわれる壱岐正を主人公とする『不毛地帯』は、誇りある日本人として震えが来るほど、かっこいいのだが、、、しかし、これは、あまりに闇の部分負の部分が抜け落ちている。

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保阪氏は、この闇の部分を見据えて批判的に、瀬島伝説を分解しているので、まずは『不毛地帯』を読んで、震えが来るほどかっこいい日本人の姿を見て、その後、この闇の部分を見て、そのドラマツゥルギーと幻想を、解体してほしいと思う。こういった両極を同時に見据えること、幻想をどんどん解体していくことの中で、それでも幻想を見れること、、、が、この二元論の果てにある再帰的な現代社会で、ロマンチシズムを現実主義的に持てる唯一の方法だと僕は思うので。


ちなみに、瀬島が伊藤忠商事時代に、大本営時代と同じシステムで、業務本部という横軸の企画立案機能を作成するくだりが、僕には非常に興味深かった。この現場の情報を無視して、空想を練るエリート参謀システムは、旧日本軍の、そして日本の大組織の宿命だからだ。僕自身も、経営企画部や事業の企画立案スタッフ(=参謀のことね)で仕事を携わることが多かったので、このライン(=現場、最前線ね)をサポートするはずの、横軸機能のプアさと現実離れした(=現場を無視した)企画癖と、、、にもかかわらず、現場優先で「戦略不在」の日本社会の伝統との対立に頭を悩ませ続けて、、、今もっているので、この部分の問題点は、本当に興味深かった。


ここに日本社会の伝統的問題点があると思うのだ。


そして、ラインと横軸機能は、どちらも「ぜったいに必要なもの」で、それを止揚する方法論と運用の伝統が必要なのだ。しかし、そのどちらかが暴走するのが日本の伝統なんだよね。僕も、自分で振り返って慄然としたが、僕がスタッフ(=参謀)時代の仕事のやり方や、上司への仕え方など、、、、ここで瀬島さんが、伊藤忠時代にスタッフ心得を語ったものと、そっくりなんだよね。そして、そのやり方で成功してきた・・・けど、それは部分最適ではよかったかも知れないが、本当に全体最適になっているのだろうか?、そう思った。