『昭南島に蘭ありや』 佐々木譲著 設定の持つ可能性を生かしきれなかった〜大日本帝国臣民としての台湾人青年が、幼馴染の日本人の少女に恋をした物語

昭南島に蘭ありや〈上〉 (中公文庫)


評価:★★☆星2つ半
(僕的主観:★★★☆星3つ半)


■物語としては、いまいちではあるが・・・・

「物語」として、エンターテイメントとして考えると、イマイチのものだった。題材がとても美味しいものな上に、文章の出来はクオリティが高いので、惜しいと思う。

この作品の肝は二つに分解できる。

1)一つの祖国を信じられない人々

まず一つ目は、大日本帝国臣民にして台湾生まれの客家、梁光前という青年の、中国人にもなりきれないかといって日本人にもなりきれないという立場の曖昧さ、二重さがドラマツゥルギーの根幹にあります。山崎豊子さんの『二つの祖国』で、アメリカのロスアンゼルスに生まれた日系二世の天羽賢治が、アメリカ軍人である自分と民族としては祖国である日本(日本に留学中の弟は、大日本帝国の軍人となる)の間で引き裂かれていったテーマと同じものです。「単純に自己と国家を信じることがそもそもできない」という現代の近代人の苦悩を扱う時、このテーマは重要なモチーフであり、かつ「何が正しいかの自明性が失われている現代社会」で非常に生きてくるドラマツゥルギーでもあります。これは現代においても、全く失われていない「いま現実にあるドラマツゥルギー」なんだけれども、やはり戦争というはげしくナショナリティーが相争うマクロの背景があると、このことは凄く深刻に問いかけられるので、物語としては盛り上がるよね。


2)勝ち進む大日本帝国と、だれがその土地のために命をささげたのか?

またもう一つは、1941年の英領シンガポールが、日本の領土である昭南島となり、そしてまたシンガポールとなっていく歴史の激動期の部分。個人的に、そもそも大東亜戦争の初期のダイナミックに大日本帝国が勝ち進んでいく部分を小説で読めたのは、そもそもダメな部分(=日本がぼろぼろになって負けていく部分)ばかりクローズアップしがちなので、なかなかの興味深かった。何事も物事を見る場合は、全体像を感じ取らないと、判断を誤るモノで、そうでなくとも日本の侵略行為やダメさを刷り込まれているので、物事を公平に見るには、こういう物語を体験できるとことは、僕は重要だと思っている。

そして、同時に、この日本軍が勝ち進むのを、攻略されるシンガポールの英国軍人、抗日華僑義勇軍(ダル=フォースとも呼ばれる)という中国系住民の義勇軍の視点で語られるところが、侵略される立場からの視点で、刻一刻と迫る緊張感を与えて興味深かった。

本来この時点で、7〜8万ぐらい残っていた英国軍やオーストラリア軍でも、攻めてくる日本軍でもなく、たった1000人にも満たなかった抗日華僑義勇軍をメインの視点に据えるのは、この後日本軍による華僑の虐殺とこの義勇軍による強い独立意識を見ると、この数十年後この土地が華人による開発独裁国家としてマレーから独立することは、非常に自然に思えてくる。いや、マレー系が多いこの地域で、なぜシンガポールが、華僑の土地になったかわかったよ。

まぁ、帝国主義同士、日本もイギリスも、結局、人的リソースが足りなくて、植民地の人間を利用するわけだけれども、それがアジアのナショナリズムを啓発する(=植民地独立を促す)という皮肉な歴史のお話ですな。アジア独立のステレオタイプ歴史観なので、イデオロギーの可能性プンプンなので、単純に信じていいかは不明だけれども。

ただ、ただ単に抽象的な歴史のお話で聞いてもピンとこなかったが、こうやって物語で読むと素直に、このシンガポールという土地を守ろうとする中華系の気持ちに感情移入できるので、すっとこの時代の感覚やその後のシンガポールの行く末が、簡単に理解できました。インド人やマレー人との気持ちの格差や、同じ中華系でありながら台湾人がほとんど日本人と同じように、いや同胞のくせに日本人に協力する奴らとして深く憎まれているなど、考えてみれば当たり前ですが、なるほどなーと感心しました。こういうのって、物語として再現すると一発なんですが、文章で読むと、感覚がよくわからないんで、非常に勉強になりました。

ちなみに、このシンガポールという土地に対して血で購う意識で「防衛する」というか今日の意識と、大日本帝国臣民である台湾人(といってももちろん中華民族だ)の意識を比較対立させるのは、1)のドラマツゥルギーを際立たせる上でも、非常によく考えた構造だと思う。

ただし、この作品がいまいちと言える点は、この梁光前という台湾人青年のナショナリティーの分裂による苦悩を、奥深くまで進めることができなかったと思うんだよね。小説としては、シンガポール陥落から東条英機暗殺計画までのマクロの話を進めることで、小さくまとまってしまって、このテーマの持つ奥深さまで届かなかったと思うんだよね。もう少し生い立ちや家族ぐるみの付き合いをしている桜井家との葛藤の郷みたいなものを、深く、えぐく、ド汚く(苦笑)設定すると、もっといい話になったと思うんだがなぁ。そういう意味では、作者がこのマクロの背景をうまく勉強するための秀作という感じがする。


ちなみに彼は、日本人貿易商の桜井家と家族ぐるみの付き合いをし、桜井摩耶という少女に恋をしている。この恋自体の重さが、非常に理性的なものであることや、梁光前という台湾人が、「台湾人」や、「大日本帝国臣民」だあることや、「華僑の義勇軍に参加した義勇兵」であること「であることよりも」、そもそも軍事や政治的なものを拒否する「一般市民」として描かれているんだよね。

だから、ナショナリティの葛藤よりも、「戦争に巻き込まれた無力な普通の市民」である感覚が常に離れず、そもそも物語の主人公にならない。物語が発動しない。だって、自分のナショナリティや、「何のために生きているのか?」という自覚も、「そういう仕えるべきものをはっきり持つことへの憧れ」がないんだもの。主人公に。

ようは、ノンポリの普通の無力な市民なんだよね。こと戦争に死ぬほど巻き込まれても、あまりのそのあたりの意識が消えないので、葛藤が生まれない。かといって、グローバルかつコスモポリタン的な市場主義者でもないので、商人としても非常に甘い。これでは、物語が発動しにくいよ。そもそも、台湾人である彼の動機の設定が弱すぎるんだな。これは物語の構造的欠陥で、ただ短くシンプルにそつなく物語をまとめて終わらせるためには、動機を深めて風呂敷を広げるよりは、小さい秀作を作るのに向いている設定だとは思いますが。


3)植民地統治の不得手さ

ただ、昭南島はそれなりの期間、日本として統治されたため、日本の植民地統治や軍政の下手さが、垣間見えて非常に興味深かった。山本七平さんが、日本の軍隊が、南米などで一般的な警察力不可分なと「治安軍」として色が濃く、自ら機動して野戦を行う能力を有する「野戦軍」としての扱われてこなかったことが、こういった外征で効果的なガバナンスができなかった理由であろうというのは、わかるような気がする。


また逆にいうと、侵略される側の視点で描いているので、ラジオや新聞などの工作活動が、いや意外や意外、けっこう頑張って行われていて、軍事的敗北さえなければ、それほど遜色ないレベルにはあったんだ、と感心した。『二つの祖国』で描かれていた、東京ローズなどのプロパガンダ放送は、かなりの連合国には聞かれていたようだしね。ナチスドイツのプロパガンダ放送だった枢軸サリーやイギリスの大逆罪で死刑になった最後の人間であるホーホー卿などと比べても、決して遜色ない。そういう意味では、割とちゃんとやっていたんだとは思う。ただ、ものすごく大きな歴史や地政学的な「構造」上、単純に武力だけで進めれば、アメリカ合衆国には勝つ方法がありえないんだよね。そういう意味では、本当に残酷な戦争だよ。

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評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★星4つ)

『アジアでしか読めない本がある』のコピーで、絶版になったアジア関連の書籍を厳選して復刊し、アジア紀伊國屋書店各店で限定販売しているアジア絶版文庫シリーズの一冊。
本書は当時のシンガポール植物園副園長に就任していた英国人科学者による回想録。
http://www.asiax.biz/column/books/096.php


ちなみに、主人公の物語自体は、ちいさくまとまってしまったので、高く評価することはできないが、1941年のこの時期の南方の日本軍の大枠で理解できたことや、それも日本軍側の視点ではなくて、英軍とシンガポールの華僑義勇軍や貿易商を営んでいる商人たちや、司政官として派遣されてくる内務官僚の人生観など、ただ単に日本の軍人の視点を中心のする英雄物語でも戦争悲惨だよね物語でもない、モノが見れて良かった。

特に、戦争状態ではない、軍政状態の日本の植民地統治の稚拙さが、非常に際立って見えて、そのへんはほんとうに、長期に植民地を経営するという視点がないんだな、ということと、支配者として傲慢な差別観を持ちながらも(支配者はみんなそうだ)それでも、階層間や階級差を考えながら世界とうまく付き合うということが、全くできていないさまにもなかなか興味がわいた。というのは、日本って、そういう意味では新の意味でのノブレスオブレージを理解する「貴族」…人の上に立ち支配し差別するもの、という階級がなかったんだな、、、とかを思った。イギリスの植民地経営には、そういったものが多く出てくるので、その差をすごく感じた。

ちなみに、この昭南島というのは、つまりシンガポールが日本の領土だった数年間、この地に、博物館を作り熱心に研究を進めた人がいて、その中心人物が徳川侯爵という人で、、その人との思い出を描いた、上記の本は、非常におもしろかった。いろいろな人がいるものだ、と感心したのだ。この博物館の館長となった徳川侯爵は、この作品にも少し登場するので、背景を知っているとなかなか興味深く感じます。