その舞台に立たないことは人生の終わりじゃあない

とらドラ!の23話「進むべき道」を見ていて、亜美ちゃんについてふと思った。彼女は、プライドが邪魔をして舞台に立つことにエントリーをしなかったため自分が竜二を好きだ、と気づいた時には、もう既に役がない状態になってしまった、という役どころ。彼女の客観スタンスは、「この自分がもう舞台に上がる時を逸ししてしまった」という後悔によって、構成されているように僕は感じる。だれよりもヒロイン体質な人生を生きているのに、完璧な疎外感を味わう部外者。


この後悔って、なんだか、せつないです。


そして、こういうことってよくあるよな、って思う。「自分の番が回ってこない舞台の観客でい続けること」ほど苦しいことはない。ましてや観客というよりは、かなりその舞台で主役を演じる人に近くにいたりすると、このつらさは倍増だ。けど、こういうことって、恋愛だけに限らず、たくさんあるはずなんだ。中学や高校ぐらいのころは、まさかこんなことが何度も起きる普通のことだ、とは思わず、世界の終わりのような気分になったりしたものですが、あにはからんや、自分が舞台にエントリーできないということは、よく起きることなのです。恋愛だけではなくあらゆることで。この後悔を抱きしめて、人は大人になる、と言い換えてもいいくらいだと僕は思います。


この後悔を正しく学んでいくと、「次」のチャレンジ時に、「舞台(=物語)にエントリーするチャンスがあった時に躊躇なく飛びこむ」ということを衝動を抱くようになるものなんです。こういうものは、「先に飛び込んだものが勝ち」な所があって、失敗も含めると、数をこなしたほうが得意になるものですからね。そして、正しい年齢の時に、正しい失敗と後悔を、たくさん持たなければ、人生は歪んでいくものだと思います。舞台に上がるべき時に鈍感なまま20代も過ぎると、なかなかこの感覚やチャンスを見つけるが難しくなりますからね。人間、もちろん、やり直しも新しいチャレンジも、どこからでもできます。けど、やっぱり正しい時に正しいステップを踏むことが、一番大事だな、といつも思います。


亜美ちゃんが主役になる舞台は、きっと未来なんだろうと思います。・・・・まぁ誠実だよね、それでもその舞台で正しい役回りを演じたいと思って、それがエゴだとしても、そこに入り込んでいくのは。そういうのって、青春じゃん?。北村君と、教室のドアの出口をふさぐシーンとか、もうなんか、青春で、僕の胸は甘酸っぱさでときめきました。あーもーねーなーこういうのって(笑)。まぁ違ういろいろないいこともいっぱいあるけどね、大人になると。でも、経験のない「その時」にしか感じられない、愛おしいものってたくさんありますよね。