6-9話を一つのセットとしてみる視点―アッソンとソヨンの愛が、何を世界にもたらしたのか?

獣の奏者〈1〉 (講談社青い鳥文庫)


■6-9話を一つのセットとしてみる視点―アッソンとソヨンの愛が、何を世界にもたらしたのか?

6話「ソヨンのぬくもり」

7話「母の指笛」

8話「蜂飼いのジョウン」

9話「ハチミツとエリン」

エリンの4部作(6−9話)が素晴らしかった。ルイさんのエリンに関するコメントが素晴らしくて、泣けた・・・。ああ、この「見方」が痛切にわかって鑑賞していらっしゃるんだな・・・と自分と同じように感じる人がやっぱりこの世界に入るんだなーと、ちょっとうれしいです。これ、6−9話の4話分は、神がかった出来ですね。小さい演出一つ一つが、物凄く渋く光っている。これって、一貫して見事につながっている。ワンセットですね。ここにソヨンとアッソンの太陽のような温かさあふれる愛に包まれた娘の人生ってのが、見事に表現されていますよね。1話から、延々と伝統に縛られた共同体の因習ある日常をコツコツ描いていくのですが、そこには父親のアッソンは、エリンが生まれる前に死んでしまって不在です。それが故でしょう、正直言って、ソヨンはいつも、何か悲しみに耐えているような、哀しみを抱えています。けど、それは、「幸せのかたち」なんですね・・・それは、そういう死してしまうことも含めて「アッソンと共に生きること」「アッソンのいる世界で生きること」をソヨンが決めたからなんです。ソヨンは、神ならぬ人が、「現実と世界を受け入れて生きる」ということを選び、受け入れているんです。それが、哀しさを感じさせると同時に、より深く豊饒な何かを感じさせるんでしょう。英語の、I miss youは、「あなたはいなくなってしまって、もうここにはいないこと悲しむけれど、その悲しみ自体を受け入れ、その時に感じるどうしようもなさ、世界の残酷さに畏敬の念を感じる」というふうに、僕はいつも意訳しているんですが、人がいなくなるということは、物理的にいなくなるのではなく、そのことの悲しみを受け入れることに、世界がそういう風な仕組みになっていことを感じて、その孤独の中に打ち震えることによって、この世界のより大きなものとつながっていることに気づく契機をもたらすことなんだと思います。愛する人の不在とは、そういうこと。

エリンは、8話で蜂飼いのジョウンに出会うんですが、こんないい人に出会うのってご都合主義じゃないですか?・・・でも、キャラクターというのか「その子の持つ潜在性」ってのが透けてみると、そうあるべきが当然だ、という気持ちが人の心にはわき出るんですよね。これは別に二次元でも三次元でも同じだと思う。エリンのような、世界を愛し、そこへ知の探究心を持って集中する姿勢を持つこの元には、こう人が・・・こういう師が訪れるんだ・・・と納得してしまいます。こういう納得感を書けると、物語の説得性が、ご都合主義であっても、ご都合主義に感じなくさせるんですよね。

・・・・そうそう、ルイさんが言っていた、女の子が空から降ってきたり、川を流れた来たりした時に、養えるだけの甲斐性は重要だよね!というセリフには、爆笑しながらも、非常に同感でした。まぁよっぽどのことがない限り、このまま女の子を拾って育てていて、人里離れたところで暮らしている偏屈な男がいたとしたら、この子は、嫁さんになってしまうと思うんですよね(笑)。その男がちゃんとした人間であれば。LDさんと『フタコイ』とかの話で、話をしていたのは、ハーレムメーカーの非倫理的な部分を唯一正当化してしまうのは、「甲斐性だ!」といっていたんだが、たしかに、もし内面的にハーレムでないければいけないような、何らかの理由があったとしたら、あとは、それが継続して抱擁できるだけの経済力を基盤とした甲斐性なんだよね、それがすべてを肯定する。


考えてみれば、数百年前くらいで、まだ近代社会ができあがっていなかった時代は、どっかから人間が降ってきたり流れてくるってことは、結構あったんだろうなぁ?とかしみじみ思ってしまいました。ああ、でも、まだ世界の半分以上では、似たようなことはあり得るなぁ・・。まだまだ、過酷な世界だもの。・・・・浅田次郎さんの『中原の虹』で、親が死んでしまって、流民となって幼い弟を連れたボロボロになって歩く女の子の逸話が出てきましたが、なんかそんなこと連想しました。このある満州馬賊の妻のショートスト―リは、本当に小さな一話なんですが、世界の苦しみを集約していて、素晴らしい話だったなぁ・・・。話がズれた。

中原の虹 第一巻中原の虹 第一巻
浅田 次郎

講談社 2006-09-25
売り上げランキング : 51418

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


それにしても、ここではちみつかぁ。養蜂ってのは、実はこの前見たアメリカ南部の映画『The Secret Life of Bees(邦題:リリィ、はちみつ色の秘密)』もそうだったんですが、なにか世界の真理に近い感じがしますね。より自然のサイクルと近い生活をしているからなのかもしれないですが・・・数年前の北米のミツバチの大量死なんかを思うと、エコロジストの警告が何となく気持ちが分かるなぁ。そういえば、スキマスイッチの『雫』も、最後の『After the rain』も素晴らしい歌ですね・・・。聞くたびに泣けます。そういえば、これを見るたびに、なぜか韓国ドラマの『チャングム』とシルクドソレイユの『KA』が連想されて仕方がない・・・なぜだろう。


■現実を直視すること---ほんとうにたいせつなものを知っている人は、現実から目をそらさない


とりわけ、おっしゃる通り、8-9話の「溜め」のなさが素晴らしくて、、、泣けました。

7話と8話に「間がない」事が凄いですよね、この作品。
序盤の5話はあそこまで丁寧に「はじまりの前」を組んでいるのにここでは1話たりとも話数を割かない。
仰る通りで、ここは一時でも、という「溜め所」なんですよね。

ここをドラマにしている作品って本当に多くて、それは「グレンラガン」であったり…枚挙に暇がない。
勿論それが「悪い物語」というわけではないですし、ましてやエリンは幼い女の子で。
少しくらいエリンがベッドの上で抜け殻になっていたとしても、受け手は誰も責めないのに…。

その構成の「速度」が、言葉より雄弁に、この物語とエリンという少女、またエリンという少女を通して見える、母との素晴らしき日々を物語っていると思います。


エリンがこういった行動や思考を取る度に、ソヨンのアッソンと出会って以降の日々が後から肯定され、祝福され、満たされていくような気がしてなんでもないシーンでも、涙が止まらなくなっちゃうんですよねえ…。

ルイさんのコメントより

8話「蜂飼いのジョウン」 その人の目は現実を直視する
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090325/p1

そうそう、グレンラガンのカミナが死んだシーンを思い出しました。あのシーンは、「そうなったこと」の現実を受け入れられなくなって、「そこから立ち直る」というエピソードをバッチリ充実して描きます。立ち直る景気のためのエピソードが大きく構築されているんですね。そういうった大きなイベントがなければ、逆にいえばシモンは立ち直れなかったわけです。


それは、「大事な人が死んだ」ということを、そういう現実を「受け入れることができない」から。


にもかかわらず、エリンは、気絶から目を覚ました瞬間にそれを直視します。なぜか?。それは、もちろん愛する母が、心から愛する父親のアッソンの死を直視して受け止めて受け入れている人間だったからですね。死が決して、「共にあること」を奪うわけではない、ということを刻んで生きた人だからです。その母の生き様を受け継いでいるからこそ、母の死についても、目をそらすことがなかったのです。この前半部分の「日常」の執拗な描写に反して、この「溜め」・・・・現実を直視するというエピソードは、ノータイムで話が進みます。これは、エリンという少女が、どのようなすばらしい母親に育てられたか?ということを、脚本サイドが深く理解していることにほかならないと僕は思います。


そして、もっというのならば、この世界の「村の掟」・・・・それは、ソヨンにとっては、結局のところ差別され死をもって人生を奪われるような過酷なものでしたが、「人と獣が共に生きるため」にどうしようもなく必要になってしまう「世界の構造」「動かしようのない仕組み」を受容して、受け入れて、、、、、それの受け入れ方も、自らの死をもって、証明してしまうほど深くソヨンは受け入れています。


そう、霧の民という非定住民としても、動物を心から愛する女の子という本質としても、ソヨンという女の子にとっては「それは許し難いものであった」にもかかわらずです。


そのすべては、自分が愛する人と「共にある」・・・そう、その人が住み「世界」にインボルブされて生きることということの本質を、ソヨンが深く理解していたためです。人間はわがままに、自分の望みが世界に届きません。世界は、自分とは別に存在するものだからです。そして、今の時代の人間は、「自分の意思で世界を変えられる」と傲慢に思いこむ科学主義の、近代自由主義の本義が故に、その傲慢な意思を先鋭化させます。きっと、普通の人はだれもが思うでしょう?、エリンと二人で逃げればいいのに!!!って、、、けど、個人の我がままを、ソヨンは、自分の自由を優先させずに、共同体の倫理に殉じることにしているんです・・・それがどんなに理不尽であっても。彼女が、アッソンと「共にある」というのは「そういうこと」なんです。彼女は、それを「選択し」「決断し」それに対して、逃げも隠れもせず、最後までその決断に殉じました。そのおかげで、彼女の義父(村の村長)は罪に問われません、アケ村自体も大公にお取りつぶしの危険をまぬがれました・・・・本当は、その世界(=村)で村長の息子(=アッソン)の娘として、エリンは生き続けるはずでした・・・。そのすべてを用意したのは、この共同体の掟に準じたソヨンが、その命を持って用意したことなんです。


・・・そして、それほどの覚悟がありながら、死の直前に、気丈なふるまいを語るソヨンの足元は震えてすくんで、そのことを身体が怖がっている描写がありました…あそこで、、、あれを描くのか・・・と、僕は、涙が止まりませんでした。そうです・・・そういうのは「意志」なんですよ・・・意思でやっていることだけど、だって、数分後に怪物に食い殺されて死ぬんですよ・・・それが怖くないはずがない。ほんとは怖く、逃げ出したく、、泣きたく・・・それでも彼女は、世界のルールを受け入れたんです。それは、マクロとミクロのはざまのギリギリで、マクロを優先させるという行為を通して、ミクロを貫く行為。それが、この世界を生きる人間の、生き様なんだと思います。


そして、そういう人の娘だからこそ、エリンのあのまっ直ぐ見据える、現実を直視する視線になるんです。


それが、言葉でなくエピソードや行動や視線、振る舞いで分かるこの神がかった演出は、本当に素晴らしかった。

獣の奏者 I 闘蛇編獣の奏者 I 闘蛇編
上橋 菜穂子

講談社 2006-11-21
売り上げランキング : 1919

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

宮廷女官チャングムの誓い DVD-BOX I宮廷女官チャングムの誓い DVD-BOX I
キム・ヨンヒョン

バップ 2005-04-21
売り上げランキング : 11319

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

Cirque du Soleil: KàCirque du Soleil: Kà
David Young Michael Valerio Nico Carmine Abondolo

Cirque du Soleil Musi 2005-10-18
売り上げランキング : 53651

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

After the rainAfter the rain
cossami Mitsubaco

BMG JAPAN 2009-02-25
売り上げランキング : 2757

Amazonで詳しく見る
by G-Tools