哲学を「する」ほど余裕はないんだよなぁ・・・

ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)


知り合いからすすめられて幾星霜。二回ほどとおしてはいるんだが、やっぱり集中力と時間がいるもので、哲学系統の本は、いまの生活スタイルではなかなか読めないなぁ。

ハイデガー現象学を読みこめたのも高校から大学にかけての暇がある時ばかりだった。独特の用語で、世界構築していくため、長時間読書の時間がとれないと僕のような凡人には理解がついていかない。「さらっと通して」全体像を理解するというのは出来るが、「そういう読み方」は、哲学書にはあり得ないものだからねぇ。哲学を「する」というのは、いま僕らが立っている大地の存在を疑うようなもので、そういった、絶対にあり得なさそうなものを、言葉一つ一つを峻厳な定義で積み上げて、世界を再解釈してしまう・・・というところにある。むしろ、結果よりも、その「過程」に意味があるもの。だから、時間があれば、学生時代に一つの哲学を徹底的に繰り返し読むような読書ができると最高なんだけどなぁ。社会時になると、細切れに時間を使っているので、なかなか・・・・なぁ。もしこのブログを読んでいる人が、学生さんならば、物理学とか数学とか、文系なら哲学とかの大元の本を、1年くらい精読して(できれば友人と輪読がいい)見ることをお勧めします。社会に出たのちも、その思考力は、きっとすごく役立ちますよ。内容自体は役に立たないでしょうが(笑)。正しく複雑に悩めるというのも、能力ですからね。表面で戯れながら悩んでいるような条件反射で生きるのは、僕は出来ないし、好きではない。そういった思索の糧になりますよ。そのためには、偉大な過去の哲学者たちの「思考のプロセス」に耽溺して見ると、いいです。