物語の主題と各エピソードによるガジェットの比率とは?

主題が何かという大きな問題

ただし、こういった話において「ハヤテのごとく!」には大きな問題がつきまといます。それはすなわち、「『ハヤテのごとく!』という物語は、一体何がメインストーリーなのか?」ということです。ハヤテのごとく!という作品は、読者のほとんどが共有できるこれという主題が欠けているのです。

これは、「一話完結型ギャグマンガであった」というその出自上、ある程度まで納得いくところではあります。しかし、もともと一話完結でありながらも物語の中で時間を流し、さらに多くの「明らかな」伏線*2があり、そして回を重ねるごとに一話完結的要素が崩れていったことで、徐々に気になる状態になっていったのではないかと考えています。

そのマンガの―――その物語の主題が何か。それは作品すべてを通して読み取っていくものではあります。ですが、雑誌に定期的に連載される媒体であるマンガにおいては、ある程度明確にしておく必要があるとあたしは思います。必ずしもわかりやすさがすべてではありませんし、物語の主題だけがマンガの魅力ではもちろんありませんが、主題がある程度明確になってくる―――主人公の目的が明確化されている方が、その後の展開が多様であっても、そこがぶれなければその多様さを受け入れやすいからです。

ハヤテにおける話は多様です。それは、このマンガの持つ多彩なキャラクターとその構造から可能になることではあります。ですが、主人公は綾崎ハヤテという少年なのです。この受け身の少年がいったい何を目指しているのか、それを通して畑先生が何を描き何をあたしたち読者に伝えようとしているのか―――今週224回目を迎え、もはや長期連載と言ってもいい状態の中で、それが見えない*3のは、やはり問題だと思うのです。昔の言葉で言えばハヤテの「自分探し」的物語考えればそれが主題たり得ますが、それならばもっとハヤテというキャラクターには葛藤があってしかるべきだと思います。でも、そうではない。ハヤテは明らかに主人公なのに、彼には目的がない。流されるままです。



ギャルゲコミカライズ手法とバランス感覚の欠如/明日はきっと。
http://d.hatena.ne.jp/kiyolive/20090522/1243003867


これ、丁寧に書きたいのだが(というか、少し書いたの間違って消えたし・・・)・・・うーん余裕なく忘れ去ってしまいそうなので、喚起コメントだけあげておく。


結論からいうと、僕は、現代ってのは、主題とガジェット(適当な言葉が思いつかなかったのでこう書くが、意味としては、主題とは関係のないエピソードのこと)を考えた時に、ガジェットに振れ過ぎて本質を失いやすい時代なのではないかと思うんです。いい方を変えると、本質の主題、木でいえば幹の部分ではなく、枝や葉の部分を注目する方向へ現代はシフトしてきましたが、シフトしすぎて(笑)、そもそも幹との関係が失われやすくなるんだと思うんですよ。

本来は、仮にガジェッドである非主題エピソードがフレームアップされたとしても、幹との関係性に置いて、そのガジェットは理解されるはずですし「されなければいけない」と思うんですよ。「主題の本質の理解」を最も優先順位の高い価値を置くというのは、僕は、物事の正しさを考えるべき重要な選択基準だと思います。

よく、たとえば本や漫画を、「それをどう受け取り解釈するかは十人十色で何が正しいかは決められない」という相対論が、さも正しいように言われますが、僕は、間違っていると思う。やはり、絶対的とは言わなくとも、供給サイドと需要サイドの両方の一地点である「主題の本質」ってのが、、、それがグラデーションであれ、あって、その「幹」からの距離で相対観は図られるべきなんだと思うんですよ。でなければ、文脈というものに意味が失われてしまうと思う。


けど、これって、「選択基準」であって、いやそうじゃないよ?ということは可能なものなんですね。抽象的にいうと、絶対と相対の戦い。そして、現代社会というのは、視点がバラバラになって=価値が多様化して、そのバラバラなものの「統合する軸」を壊すことに執念を燃やしている社会なんですね。なんでだろう?。考えてみれば、そういうforce at workは働いているけど、なんでか?って考えたことがなかったなぁ・・・。いやあったかな?。


いや、何となくそう思った。。。。そう考えると、赤松健さんのネギまって、えらい作品だなーと思う。明確にこのバランスを意識してマーケティングしながら、「それでもなお」物語の軸がほぼ絶対に失われない。だから、たぶん50巻を超えてなんていうめちゃくちゃな巻数にもならないと思う。物語の主題が、安定して進んでいく。エピソード断片(ガジェット)を消費することによる「主題の喪失」を回避しながらも、エピソードの断片による「読者の多視点共感への誘因」をちゃんと形成する・・・うーん感心する。


そうそう、基本的に「多視点への共感」をすると、世界に広がりが生まれて、様々なタイプの読者を吸引できたり、読者の想像力を喚起していまの時代にとてもフィットする・・・・また週刊連載などの形式の、「そのつどの読者の吸引」に功を奏するんだけれども、これって、「主題の喪失」を招きやすいんだよね。構造的に、視点をバラバラにすれば、どれが主軸か分からなくなるにきまっているんだから。


ハーレムメイカーも実はこの問題点を孕んでいる形式なんだよね・・・。あーどっかで余裕があったこのことも書きたいんだがなぁ・・・。ああ、、さすがにもう眠いので、、、、寝ます。