皇帝ディオクレティアヌス〜間違ったものを目指してしまったかもしれないが、ではどうすればよかったんだろう?

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)

いま中巻まで読み終わる。田舎の貧農出身に生まれた青年が軍のたたき上げから、皇帝に成り上がり、自分と同じ境遇の仲間と300年にわたるローマ帝国の荒廃を食い止めた男。ディオクレティアヌス。彼は何を見ていたんだろう。なんの贅沢もない最前線でずっと戦い続け、、、ローマの男の最も高貴にして姿勢の義務である「国家の安全保障」を20年にわたり完遂した男。


自分が生まれた時から蛮族にほしいままに村が町が殺戮されるを見続けた青年は、軍隊を志し、、、そして何十年ものキャリアが彼を軍事のプロとして皇帝という役職まで到達した。彼が四頭政で目指したものによって、少なくとも彼の在位中の20年間劇的な安全を帝国にもたらした。


けど、中巻の最初に塩野七生さんが書いているが、何かを為すためには、「その本質」につながっていないと、どれほど偉大で優秀で頑張ってもだめなんだ・・・・・「ローマン・エンパイア」の本質を失っては、それは継続しないんだ・・・。


彼の晩年、、、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認して、世界を変えていく姿を見て、、、彼はどう思ったのだろう。妻も娘も殺された報告受けて・・・・。