闘うことは本当に難しい。

先日、LDさんとのラジオで、ヴィジョニストの素晴らしさ、、、理に屈しないで、自分の思い描く夢を持ちながら目の前の課題を淡々とこなすことが世界を変えるという話をした。僕の何とか「論」は、ほとんど実話というか自分経験に基づいているし、現実に自分が見ていることを語っているつもり。だから、これは「言葉の次元」の話ではなく、現実に人が為せることで、「僕」がなせて、「僕の周りで起きてきたこと」だと思っている。決して、抽象論でも、空理空論でもないつもりだ。


だが・・・そうはいっても、たとえば、今は夜の3時半。ここのところ大きなプロジェクトにアサインされて、毎日深夜まで、へとへとなって鼻水も出ない感じで、仕事をしていると、まぁ好きでやっていることとはいえ、「もう勘弁して」という気分になってくる。1日が、何日も感じるほど濃密で、それでいて、物凄い勢いで時間が過ぎていく。なんだか、世界に取り残されている感じがする。。。。「世界が狭くなる」と僕は呼んでいるが、なんか疲れ切って、周りがよく見えなくなってきて、小さなことでも、心がボロボロな状態なので、物凄く敏感になってしまう。しかし、「こういうときこそ」、厳しさや苦しいことや自分のダメな心に「鈍感になる」ことが必要で、かつ、まわりの雰囲気やマーケットの状況に「より敏感」にならなければならない・・・・。なんかね、、、よく分からなくなってくるんだ、、、大切なことが何かとか、自分が何が好きだったか・とか、あれ、ごはんの味ってなんだっけ?とか(笑)。


いいかげん、勘弁してくれよ、ムリだよ、やだよ、ねてーよ、いい加減にしてよ・・・みたいな愚痴と「負の感情」が、なんかの「波」みたいに押し寄せては、消えていく・・・・こういう時は、もう理想論や、言葉なんて、役に立たない。世界が狭くなっていて、言葉とか理想とかそういうことは、もういい加減届かないんだ・・・・。人によっては、こういうふうに追い込まれる仕事は、ブラックな会社とか言いたくもなるんだろう。実際、それは否定しないし(苦笑)。


・・・でも、実際、公平に客観的にいろいろ見て、、、いやねーマーケット・・・・グローバルな市場とか組織いうのは、「それでもぬるいぐらいに弱肉強食」で、「身も蓋もないくらいに過酷な場所」だと思うんだよね、、、これくらいやって、弊社のベスト&ブライテストが気合と知力を結集しても、本当に成果を捥ぎ取れるかは、全然わからない。それは、倫理の次元とか、そういうもんではなくて、、、、市場って、外部なの。人間の理が通じない次元にあるものなの、、、それをねじ伏せて抑え込んで管理しようとするんだから、それこそ気が狂ったような、ヴィジョンと、気合いと、わけのわからないコミットがいるもんなんだ・・・・。


えっと、なにが言いたいかというと、「現実に何かを為す」ってのは、、、、もうねぇ、、、なんか、おかしなこと、無理なこと、不可能なこと(笑)なんだよね、、、言葉だけで軽々しく語れないものなんだ、、、だって言葉なんか全然届かない所にあるんだもの。だから、「頑張ればできる」とか「気合いがあればできる」とか「最後まであきらめなければできる」とか、僕には言えない。だって、ほとんど無理な要求なんだもの。言葉で、そういう精神論を語ることはできるし、「余裕がある状態」でそういうことは言うのは、誰にでもできる。


けど、「その渦中」の中にいて、それでも、なんで、「そこであきらめない」のか、といわれると、、、、、よく正直分からない。「世界が狭くなっている」時は、負の感情で溢れているし、理想やヴィジョンなんて、信じれっこない、、、、「ことば」なんてばかばかしくて聞いてらんない。理想やヴィジョンを聞くだけで、ボコボコに破壊してやりたくなるぐらいムカつく、そういう理想論を聞くと。。。。どう論理的に考えても、体感的にも、「あきらめない」ことはあり得ないんだもの。やってらんねーよこんなの(苦笑)。


だいたい「そこまで」やる時は、見返りもほとんどないというか、あり得るかどーか良く分からないものだし・・・・つーか「そこまで」やる時は、ほとんど人生かけているので、それが正しいのか、必ずいい方向なのか?とかすら、よく分からない。もちろん、今の僕もよく分からない。つーか、もーわけわかんねーよ。。。。。(←かなりもうヤになっている)。


でも、たとえそれが、意味がなくて、見返りがなくて、、、、耐えきれないほどでも、、、逃げるのがなんかやなんだよ・・・・なんで、そう思うのが、なんで、そんな苦しい道ばかりわざわざ選ぶのか(そうでない方法はいくらでもできる)自分でも、いつもよく分からない。何なんだろうって思う。そして、自分で望んでもないの、なんで、こんなめんどくさいことばかり振りかかるんだろうとか思う。って、そんな悲劇の主人公なこというほどにも大したことないんだぜ、、、どうせおれが能力ないから、無駄に苦労しているだけだ、、とか自分のゴーストがささやいて、コンプレックスと卑屈感で、また心が閉じる。


けど、わかんねーな、なんか、「その苦しみ」から抜けたくないんだよ。抜けたら、なんか間違っているんじゃないかと思って、朝またがんばって仕事に向かう。けど、もう電車の中で「もう嫌だー」とか(笑)後悔している・・・その繰り返し。


こんないつも苦しい人生に何の意味があるんだろう?とか思ったり。・・・そもそも「闘って生きる」人生なんて、サイテーだよ。穏やかに暮らせればそれが最高なのに、、、とか思うが、、、「これ」以外に、生きる方法を僕は知らない。「自分」から逃げることはできない、、、、、しょせん、こうやって「いつも苦しい」のが、「自分の本質」であるなら、まぁ、、、やるしかないよね、、、「そこ」から逃げて、全くいいことがないことも、もう知っている。やるしかないんだもの、人生は。もう、闘うのはこりごりだし、ヤなんだけど、仕方ないもの、それ以外に生きるすべがよく分からないんだもの。。。。


・・・というような生き方をしていると、なんかねービジョニストや勝つこと至上主義の「ことば」を聞くと、なんか、、、、もう、そういうのはいいよー聞きたくないよー、、、とか思ってしまう。


と書いているうちに、もう朝の4時。明日もこの分厚い英文の書類を読まなきゃいけないし、子供の面倒というか、家族サービスもしなきゃ(眠くさえなければ最高の幸せなんだが・・・)とか思うと、はーとか溜息。。。もっと、楽に生きたいなぁ・・・。