消費と生産のバランスを!(特に学生のうちは)〜インプットとアウトプット、受け身と行動をバランス配分で生きないと人生を失敗するよ

ツイッターとかmixiを見ていて、ふと思ったんだが、24時間四六時中、消費(ようはエンターテイメントを楽しむこと)に邁進している人って、とても多いのですね・・・。なんか、見ているだけで不安になります。というのは、これだけ消費できるということは、学生なんだろうと思うのですが、、、そんな消費ばかりに人生を配分したら、自己成長がゼロになって、、、、人生終わってしまうよって思うんです。


いや僕も学生のころは、1か月こもってゲームばかりになったこともありましたよ。けど同時に、1年間何も遊ばずに勉強したりもしました。自分の中で、自己成長や来るべき社会でやりたいことをするための準備と、今の自分を遊ばせて心を豊かにする受け身の消費を、強くバランス意識で考えていたもんです。ようバランスなんですが、、、、よく覚えてほしいのは、消費ってのは、自分も世界も全く変えない、逃げの癒しだってこと。より高い喜びや、より深い楽しみをするためには、「自分自身が作り出すこと」や、より高く深いコミットをしていって、自分の「受け取る力」を変えていかないと、その消費自体の「楽しみ方」のレベルも下がったり、低いままでいってしまうんですよね。


いやーおおきなおせわだよーといわれるかもしれないですが、、、、ニートになるとつらいですよ。生活に不安感があると、心が「消費を十分に楽しむ」余裕がなくなるし、、、消費ばかりしていると、人間飽きて感受性が鈍化するんですよ。忙しくて苦しい中で消費するくらいが一番、最高に楽しめるんですよ。僕のブログの目的は、「できればより深く物語を楽しむために」ですから、、、、。なんかおもわずいっちゃう。それに就職活動の時期だと、、、こういった不況期でもあるし、ものすごぉーく不安になります、そういうの見ていると。まーもー僕にはほとんどかんけーねーとは思うけど、いやほら、似たような趣味の人って、同士みたいなものだから(笑)、なんか幸せになってほしいなーとか・・・まぁ幸せの形は人それぞれだから、とはいうけれども、ある一定の「クリアすべき水準」というのがあるんですよ。それは、「主体的に自分の現実をコミットできること」「他人の依存できる素直さと、他人を依存させた上げるだけの独立した甲斐性のバランス」みたいなものは、この世界で個人として社会の中で生きる社会人として生きていくべき、必須なんですよ、これがないと、いくら物質的に自由でも、いつも不安を持って生きることになる。これが僕の言う「成熟」ってやつです。別に成長なんかしなくても、勝たなくても、、、、いや、成長したり勝った方がいいけどさ・・・そういうのなくても、幸せにはなれます。けど、成熟なくして、確実に、人は不幸になります。間違いないです。そして、成熟というのは、自分に勝つこと、自分の本質を見極めて、それにわせて現実にコミットすることです。「これ」ができないと、生きている不安感で、どうしようもなくなりますよ。


時々、家庭環境が物凄く良くて(これもの凄く確率低いです。時々いるけど)ナチュラルボーンに成熟している人はいますが、まぁ世の中の過半は、そんな恵まれてはいません。だから、より成熟できるために、受け身の消費だけではない部分に、人生の時間割を配分しておかないと、しんどいですよ。いやまー20代も半ばを過ぎると、、、、というか日本社会では、大学を卒業して就職した時点で、「物凄く高く激しいモチヴェーション」がない限り、もう人生を変えるのは難しいです。そういう場合は、手持ちの、それまでに溜めたもの(これがないと悲惨)で生きて、受け入れていくしかありません。


ああ、、少し僕は混同して書いているな・・・えっとね、大学卒業前の高校生やら大学生ならば、「自分の生きるエスカレーター(僕はそう呼んでいます)」・・つまり、生きている基盤の骨太のルートそのものをひっくり返して、より劇的に、より深く幸せに生きていく方法があります。平凡な、何のとりえもないと思っていおる、そこのきみ!!!、そんなの同じ世代の95%ぐらいそんなもんです(笑)。この辺の時点ならば、楽ではないものの、いくらでも一発逆転も、全然スペシャルな生き方を出来る方法もなんでもあります。日本はそこまでは自由な国だもの。いやー「目的がない人」は、悩んでいないで少しでもいい大学に行こう。つまりは、それは「選択肢の幅」を獲得する行為なわけだから。


ただねー既得権益が激しすぎて、大学卒業後からの人生をの根本部分を変えるのは、物凄く難しいです。日本は高齢者の支配する、斜陽の国ですから。大学卒業後の20代後半で、劇的に人生変えたいのならば、まーよほどいいルートに乗っているか、もしくは、それこそ海外に出るぐらいしか方法はないです。リスクは、死ぬほど高いけど。


とすると、では20後半を過ぎている人はどうするの?というと、、、、なかなか一発逆転はもうありません。日本はそこまでに勝負がかなり決してしまう国だと思うんですよ。いややれなくはないですよ、「物凄く高く深く激しいモチヴェーションと行動力」があれば。けど、そういう人は、別に「どこのステージでもやれま」ので、あまり参考にならないんですよ、僕みたいな、パンピーの残りの90%の人材にとっては(笑)。そもそもね、激しい・・・現実の周りの環境変数を飛び越えるオリジナル動機を持つ人は、「オリジナルに生きる」人であって、自分の中に目的がない人には参考にはなりません。そういう人は、あるいみ、というかはっきりいって、変人であって、参考になる人ではないんですよ。また、そもそも動機なんて、生きる目的なんて、持っている方がおかしいんであって、そんな異常な人を手本にしても、人生損するだけだと僕はいつも思っています。だから、そうですねーその年齢を過ぎたら、静かな「受け入れ」と「諦め」を持ちながら、生活環境を豊かにしていくことに専心するべきなんだーと思います。まーもちろん、社会は「金をもらって社会に有益なことをして」生きることを許される社会だから、その「生産」部分のレベルを上げていくことは、できればしたほうがいいとは思います。日本はプアワーキングとかいっても、貧困率の低い方でも最も貧しい国の7倍以上の所得があるんですから。正直言って、蟹工船のような話は嘘で、日本社会は、全世界でもっとも格差の少な国であって、過去もいこれからもそうだと思うんですよね。あきらめて生きるのならば、この国ほど素晴らしい国はない。アニメとかもそうですが、イギリスのガーデニングと似てて、趣味に生きるのならば、これほどミクロの世界にとぅてはどうでもいい趣味が満ち満ちている国は少ないですよ。これって鎖国のおかげだと思うのですが、時間の暇つぶしの趣味というのは、盆栽とか金魚の交配とか、もーなんでもござれの本当に中産階級が豊かな国なんですよ、この国は。・・・そんななかで、もっと成長に駆り立てて、そもそも動機がない人に、動機を持て!目標を高く持て!!と駆り立てるのは、犯罪なんじゃねーかって思います。


ただし、もちろん、マクロの大枠の姿勢は、「あきらめて」「受け入れる」ことを選択するのは、無駄に精神病や鬱にならずにすむに必要なことだとしても、、、、とはいえ、やっぱりちょっぴりの希望と野望があると、人生はスパイスになります。この辺は、現実のコミットの具合ですが、、、そもそも希望や野心がないと、現実を生きるのが、かなり難しい。というのはね、実は動機を強く持っていいきている成功ノウハウ本の著者たちのような人が勝ち組であるとすると、仮に社会的には弱者だろうが年収が低かろうが、コミュニケーションと趣味によって生活を豊かにしていくことができるというのも、実はこれもある種の特殊な才能で、これも別の形での勝ち組なんですね。僕は分かってきたのですが、社会的には何もなくても、勝ち続けている投資銀行のディーラーや弁護士や、ベンチャーの社長よりも、はるかに人生を豊かに楽しく生きている人はたくさんいるんですね。趣味に生きている人なんですが・・・・でも、この世界でも、実は「才能」というものが厳然とあって、そういう何もないなかに、「有」を生み出していく「人生の楽しみ方」をしっていて、どんどん深めていける人と、そうでない人がいるんですよ。人生って、この両極があって、実はこのバランスがいい人ほど、とても豊かな世界を生きている。。


そして、世の中のほとんど過半の人は、このどっちでもない「ふつーの人々」なんですよ。このフツーには、実はアドバンテージがあります。というのは、「何もスペシャルでない」代わりに、どっちもバランスよく伸ばせる可能性が高いんですよ。動機や才能がある人は、いやおうなしに、「それ」によって、人生を翻弄され劇的な人生を歩みます。それはそれでオリジナルですが、非常に「疲れてリスクの高い」世界でもあります(笑)。