『ソードアート・オンライン 4 フェアリィ・ダンス編』 川原礫著

ソードアート・オンライン 4 (電撃文庫 か 16-8)

読了。うーん、おもしろかった。いまってこういう形のネットゲームって、あるのかなー?。そのへんの情報疎いので、、、。いやあるのはあると思うんだが(検索すればいろいろ出てくる)、登場したてのMMORPGで、ファイナルファンタジーとかリネージュⅡとか、物凄いやってみたいと思ったけど、、、ああいうキラーコンテンツみたいなものって今あるのかなぁ?。ゲームは、本当にしなくなってしまってもう何年もたつものなー。誰か、こういうのやるのなら今はこれ!みたいなものがあったら教えてください。やれないとは思うけれども、、、(苦笑)、完全にそのへの情報が空白になってしまったので。この小説を読んでいると、物凄くMMORPGがやりたくなるよ。

この物語が僕がとても好きな理由は、読んでてわかったんだが、テーマが僕の琴線い触れる部分に、ガッツリ触れているからなんだと思う。それは、うーんうまくまだ言語化されていないが、「魂の転生」問題とかの、オリジナルな「絆」とは何か?って部分で、これって並行世界の話を語る時も、この考え方がベースにあるんだと思う。うーんとね、「その魂がその魂である根拠は?」とか、「現実とはいったいどこの現実を指すのか?」とか、「関係性を真実たらしめる絆は、虚構以外で存在することはありえるのか?」ととかとか、そういうこと。

MMORPGとか、虚構世界でのアバダー(=もう一つの擬似現実)という設定は、このテーマに凄く近接するし、かつそれがリアルで体験できる可能性が着々と高まっているという事実が、この手の話を非常に、理解しやすいものにしつつある。僕も病気とかしなければあと30−40年ぐらいは生きると思うのだが(笑)、それくらいの年月が経ったら、世界はいったいどれだけ変わっているのか、って凄く見てみたい、と思う。だって、僕が中学生の時には、携帯とかネットってなかったんだぜ!。小学生のころには、ファミコンすらなかったんだぜ!。

これまでは、虚構世界でのアバダー(=もう一つの擬似現実)という設定は、夢想に過ぎなかったんだけれども、ストレートではないにしても、さまざまな仕組みが、迂回しながら「それ」を実現しようとしつつsる気がする。ある種の人格の使い分け、というのは、別にネット世界のような二重構造がなくても、社会で激しく行動して動いている人にとっては、「時間の差」というものが成立するので、それはそれでこれまでもったとは思うのだ。けれども、それはマクロ的に「別の世界」を作り上げるということではなかったはずだと思う。極端なことを言えば「時間差」の最も大きなものは、ヴェネティアのマルコポーロ商人が、中国の帝国に商売の旅をするようなもの。それぞれの地域が距離の壁に断絶されていることにって、「違い」が生まれた。でも、このグローバル社会でそれは非常に小さくなっている。人間が掌握できる関係性の範囲は、それほど変わらないものだから、そういった差異が生み出すものは決してなくならないが、マクロ的にリンクされていることと、そういったこととまったく異なるものだと思う。


えっとね話がややこしくなった。


まっ・・・・ソードアートオンラインのコアの魅力は、ちゃんと書きたいので、また別途書きます。


寝ます。