『激動の昭和史 沖縄決戦(1971/東宝)』 岡本喜八監督 無名の人々のエピソードの緻密さが出来事の深さを感じさせる

激動の昭和史 沖縄決戦 [DVD]

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)



■無名の人々や小さなエピソードの総体としての全体が浮かび上がる

岡本監督のスピーディーな演出が数多い登場人物を飽きさせない。

それぞれがほとんど1シーン、2シーンの登場だが、強烈に印象に残る。

リズムある映画のテンポが2時間半という長時間をだれさせない。

この作品はストーリーのわかりにくさもあってか、他の岡本作品に比べ評価はあまり高くないようだ。

確かに戦争映画としては「日本のいちばん長い日」「肉弾」も優秀な作品である事は否定しない。

しかし、無名の人物の描きこみの緻密さは「日本のいちばん長い日」以上だと思う。

軍司令部の動きから一庶民まで、それぞれの沖縄戦が実に細かく描かれている。

そのエピソードの豊富さにおいては他の戦争映画は、この「沖縄決戦」に足元にも及ばない。

戦争映画の傑作だ。


「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/okinawa.htm


他の感想サイトを見ていて上記の評価に、なるほどと思いました。「無名の人物の描きこみの緻密さ」が、圧倒的に多い。これは、僕のそれほど多くない戦争映画体験を思い出しても、確かにいえる。とにかく、エピソードが豊富だ。小さな無数の計算されたエピソードがこれでもかこれでもかと連なり、全体を浮かび上がらせていく様は、素晴らしい映画だと感じた。そういった無名の人を扱ったエピソードの連なりをドキュメンタリー風に淡々としあげているのだが、実は、俳優陣は超豪華。牛島長官役の小林桂樹、参謀役の丹波哲郎仲代達矢らと豪華に出てくる。こうしたスター俳優が沢山出ているにもかかわらず、小さなエピソードを重ねる演出にしたのはなぜだろうか。


映画を見ていると、これは既にもう戦争というよりは、ただ単に市民も含めた人々が、ひたすら殺されたり自決していくだけに見える。戦略的に、このような状況に追い込まれてしまったこと自体が、そもそも許されないんだろうなーと思う。というのは、個々のエピソードを見ても、どう考えても挽回する方法が思いつかない。局地的な戦術レベルでも、勝負にならないと思うもの。戦術レベルで「ちゃんと対等に闘う方法」レベルが設定されていないと、近代の戦争はひたすらの虐殺行為になるということがこれでよくわかる。ちなみに、なぜこうなったか?は下記の本が凄く納得いくものだった。


大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

さて次は防空だ。
きのうウェワク上空の戦闘で、君も見ていた通り、日本の高射砲の命中したのは63機中2機。つまり3パーセントだった。米軍は発揮、発揮が並んだ編隊という面だ。それを日本軍は高射砲弾という点で消そうとしている。
 わが第四航空軍もずいぶん米軍の船団攻撃に出たが、その護衛船の発射する防空弾幕は筆舌に尽くしがたい。空が真っ黒になる面の幕だ。一機といえどもこの幕の中に突入することはできない。しかもレーダーで見ているらしく、こちらが接近すると、一機一機なんて目標にしないで、その前に弾幕を立てるんだ。一体何万、何十万発の弾丸を使うのか、戦場で見た者以外にはわからない。


大本営参謀の情報戦記』 p83


筆者は、戦争は「鉄量で決まる」という書き方をしているが、米国の戦争に関するドクトリンを調べると(当時もちろん日本はこの秘密文書をすべて諜報戦で手に入れている!←もちろん活用できていないが(苦笑))彼らの基本構想に、どうも「面で制圧する」とい発想があるようなんですよね。逆に日本では「点で必中する」という発想に偏りがち。もちろんこれは、国家としてのリソース(=物量)が桁が違う故に生まれた発想なんでしょうが、米国の攻め方は、弾幕・・・・とにかく部隊が到着する前に、凄まじい量の砲撃によって面制圧を実施して、そこに敵が跡形もいなくなった後に部隊が展開するという形をとっています。これはよく考えれば、前にルイス・マイルストン監督の『西部戦線異状なし』で書いたとおり、WW1で機関銃と要塞、塹壕によって防御側の防衛力が極端に上がってしまって戦線が膠着してしまうことを、戦車の機動と航空戦力の火力によって、機動力を取り戻すという大きな戦術史の流れがあるように思えます。そうした圧倒的に防御側が有利な状況(塹壕と機関銃による2次元空間の面制圧!))に対して、航空機による制高権を維持して圧倒的な火力で防御側を粉砕することによって、部隊の機動を確保するのがWW2の戦術な骨格のようなんですが、それを愚直なまでに教科書通りに展開しているんですね、米軍は、特に、被害が大きくなるはずの、上陸作戦での「弾幕による面制圧」の砲弾量は凄まじい。空から鉄板が降ってくるような感じのようです。これに対して、「線」で対応することや、戦車ではなく「一人一人の兵士による肉弾戦」が、どれだけ効果がないことは、、、というよりも、この「弾幕による面制圧」と「個人による突入」が、いったいどういう現象を生むかは、見るまでもないですよね。沖縄戦というのは、この末期的状況なんです。つまり相手が面で銃弾を浴びせている中に、どんどん兵士が飛び込んでいく・・・・。これが戦争と言えるものではなて、一方的な虐殺になってしまうのは、わかりますよね。それでも、上陸作戦は、水際で撃滅される危険が非常に高く、それ故に、凄まじい量の鉄量や航空機による支援砲撃、艦隊による支援砲撃、落下傘部隊となどなど、物量を大量投入し、制高権を維持することが徹底的に行われる模様です。このアメリカ軍が主に採用する物量による面制圧を映画で最も直に感じたのは、僕の戦争映画体験ではスティーヴン・スピルバーグの『プライヴェートライアン』の冒頭からの約20分間のオマハ・ビーチにおけるノルマンディー上陸作戦を描く戦闘シーンですね。映画史に残る傑作と言われています。けど、いま思い返すと、これというのは近代戦における、面制圧されている空間にどうやって人間の部隊が!突入するかって話なんですね。当時の連合軍ほどの物量をもってしても、これだけ凄まじいのです。実際にぼろ負けに近かった太平洋側での日本軍であっても、アメリカが上陸作戦を敢行した場合には、砲弾の備蓄と陣地の要塞化ができている場所では、凄まじい被害が出ているんですもんね。硫黄島とかを見ればわかる。


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ちなみに、この「面で制圧する」という発想と、そのための制高権を確保する、という基本戦術が、戦略にまでつながってくると、下記のようになるんですね。ヨーロッパ戦線のドイツ軍と違い、戦争の後半は国力と科学技術が追いつかなくなって、しかも伝統的に日本陸軍はそもそもが陸軍が対ソ連、ロシアを仮想敵国としている軍であって、大陸で会戦形式!(奉天会戦による包囲殲滅作戦!)をメインとして考えられている軍隊だったんですね、、、、いいかえれば、大陸で大規模な機動戦闘を想定して展開する軍隊であって、アメリカの海兵隊のような上陸作戦を主体として海の上での面制圧!を考えている軍隊でなく、また戦略的にも海軍と陸軍の連携が取れない(=航空戦力が独立していない!!その上に統合幕僚部もない)んですね、、、それはそれは、組みやすい相手だったでしょう。根本の戦略思想が、ほぼ欠落しているんですよね。太平洋という海の大海原での防衛線をするために戦略がないんだから。


けど終戦後に占守島に攻めてきたソ連軍を日本軍が撃滅しているように、それなりの空間が確保されているところで、物量(=砲弾備蓄)が確保されていると、さすがに装備が多少に二流でも日本陸軍はかなり精強だった模様ですね。ようは、大陸での機動戦闘を想定している軍に、しかも砲弾と航空戦略による支援なくして戦えっていうんだから、そりゃー全滅するわな・・・。アメリカ軍に全く歯が立たなかった日本軍だが、対米戦に備えていた占守島では、ソ連軍の侵攻に対して、これを撃滅している。人に教えてもらうまで、こういう事実があったこと自体を知らなかったので、せっかくなので情報を載ってみる。ちなみに浅田次郎さんの新作のテーマがこれのようですね。・・・これは読まねば。

終わらざる夏 上
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しかし、ソ連軍の陸上部隊を撃滅できているのは、不思議だ。これはなんでなのか?。考えてみるに、対米戦のために武器弾薬の備蓄が相当数あったこと、また濃霧のために効果的な航空機による支援や艦艇による砲撃支援がなかったことによることではないかなー。逆にいえば、装備だって沖縄戦とそう変わらないであろう旧式であっても、制空権と制海権を持たない状態での野戦では、日本軍は非常に強かったということでもあると思うんだよね。そもそも会戦形式に強い陸軍部隊を、航空支援なしの孤立した地域でしかも後世に出ないで陣地を守る戦争に駆り立てるから(補給のあてもなく)、次々に玉砕してしまうんだよね。そもそも、大日本帝国の「絶対防衛線」の戦のひき方、、、、言い換えれば安全保障の境界の考え方からして戦略的に甘かったということなんだろう。そもそも大海軍と航空戦力を要するアメリカと闘うのに、それじゃー話にならないんだ。陸軍は、そもそも対ソ戦を考えている部隊構成だったんだろうなーと思う。戦略レベルでの間違いあがあると、戦術では全くどうにもならない見本のようなものだ。

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫)


「なぜ日本は制空権を失ったか、『軍の主兵は航空なり』これを戦前に採用しなかったからだ。日本の作戦かはいまでもまだ『軍の主兵は歩兵なり』と言っている。海軍が大艦巨砲主義という「日本海海戦の思想に止まっていて時代遅れだと、陸軍が海軍を非難するが、その陸軍は奉天会戦時代の歩兵主義から一歩も進歩していない。どちらも頭が古くて近代戦を知らないのだ。軍人の全部ではない、作戦課という一握りの人間が勉強しなかったのだ。大正4年日本で初めて航空兵を作った堀中将は最後まで航空の独立を主張した異才であった。


中将はついでクラウゼヴィッツ戦争論に言及する。


百二十年昔のクラウゼヴィッツの時代でさえも、戦場で制高点を占領することが、戦勝の要諦だと戦争論で述べている。
 戦争は昔から高いところの取り合いであった。高所から見下ろす優越感と安全感、低地にいて見降ろされるものの無力感と不安感、飛行機を持たないあの時代にクラウゼヴィッツはそう書いた。その時代の高所は山であった。

そこへ飛行機が出現した。クラウゼヴィッツの制高点を飛行機という文明の技術で作ろう、米国はそう考えた。制高点の人工的創造である。それには制空権をもって、これを維持することだ。そうすれば飛行機で山が作れる。


中略


制空権を維持して相手に奪われないようにするためには、後から後から新しい飛行機を作って、新しい操縦手を作って送りださなければならない。日本が高度七千メートルの飛行機を持っていたら、米国は高度八千メートルまで行ける飛行機を作る。九千メートルになったら、一万メートル。一万メートルになったら、一万二千メートルと、日本軍の上昇能力の上へ、上へとつくってくる。日本軍の零戦、一式ともに最初は米軍よりも優秀であったが、後が続くない。


 要するに制空権を持続させるには、後方の国力が物をいう。軍の主兵は主力なり、というのは国力の裏付けが必要となってくる。それなくして戦争は勝てないのだ。」


さらに大本営の絶対国防圏の設定について。


大本営作戦課はこの9月、絶対国防圏という一つの線を、千島-マリアナ諸島-ニューギニア西部に引いて絶対にこれを守ると言い出した。一体これは、線なのか点なのか?。いま仮にウェワクに敵が上陸したとして、どこの部隊が増援に来られるのか?。いままでのブーゲンビル、ラエ、フィシュハーフェン、マキン、タラワ島みんな孤島となってしまっていて、一兵どころか握り飯一個の救援もできていない。アッツ島が玉砕するまでの間、隣のキスカ島は何ができたか?。要するに制空権がなければ、みんな点(孤島)になってしまって、線ではない。線にするには、それぞれの点(孤島)が、船や飛行機で繋がって援軍を送れなければならないのだ。そのために太平洋という戦場では制空権が絶対に必要なのだ。


大本営参謀の情報戦記』P82-83 


ここまで見ていて、いろいろわかってきたんだけど、戦争の技術ってのは本当にアレクサンダー大王とかハンニバルの時代から全然変わっていなくて、機動力を確保して戦争に臨むと物凄い強いんですね。このへんの戦術理論は、ほとんど孫子とかそういうレベルで変わってないんじゃないでしょうか(笑)。人間が、、、猿が、なぜ霊長類として世界に君臨しているかの理由は、組織戦に強かったからだもんね。弱い個体でも組織的に連携すると、異様な強さを発揮するんですよね。生物界の淘汰でもこれは事実。戦術でいえば、高機動力による制高権の確保ができれば、戦闘は勝ったも同然。同レベルの組織力がある軍隊であれば、芸術的な戦いになる。けれど、古今東西で、軍隊が同レベルになることはほとんどあり得ません。相手との戦争技術の差もありますし、何よりも「科学技術(=武器)」によって格差が存在する場合がほとんどなんですね。この格差をどう見極めて、自分にとって有利な状況に持ち込むかが勝負なんですね。


そもそもヨーロッパ戦線と太平洋戦線の地球を跨った二方面正面ガチンコ作戦なんかできる部隊展開能力と物量を持つのなんか、地球の人類史上アメリカ合衆国しかないんです。しかも世界最高の海軍国で航空機航機動空母艦艦隊を擁する大日本帝国陸軍と、世界最高レベルの陸軍国のドイツとガチンコとか、おかしいですよ(苦笑)。


まぁもっとも実質ドイツのヨーロッパ大陸を運用前提とした陸軍を粉砕したのは、ソ連軍ですよね。だから戦後のヨーロッパのバランスは、ソ連に傾いた。アメリカはヨーロッパ大陸から離れた大陸国であって、そもそも海軍による輸送展開によって成り立つ軍隊だからでしょう。圧倒的な陸軍国であるソ連には、少なくとも地の利がある場所では物量で負ける。アメリカが対ソ連戦のために、ひたすら航空戦力の優位性と核ミサイルなど戦略兵器での優位性に傾くのはこのためでしょう。ガチでヨーロッパでそれ陸軍と闘うだけの戦略は、微妙でしょうから。


えっと、この「格差」の見極めが、戦争では最も大事なようです。日本は、そもそも海軍の航空機を主とする機動艦隊では、たぶんアメリカより強かったと思います。特にゼロ戦の優位性がある時は、圧倒的に強かった、と言っても過言ではないでしょう。だから短期決戦では、勝てるに決まっているんです。当時の航空兵の錬度や空母部隊の充実ぶりを見れば。いろいろ本を読んでいても、なんとなく感じます。断片情報で(しかも物語とか)思索しているんで、まー僕の描くことはあまり信じないでほしいのですが(苦笑)、たとえば、『永遠のゼロ』とか読んでいて、海軍の太平洋での戦いを大枠で見ていくと、実際に、かなり紙一重で勝てそうな感じがあって、決して天秤がアメリカ側に極端とは感じないんですね。きっと山本五十六とかも、「戦争前」にはそういう感じはあったんじゃないかな、と思うんですよ。それほどに航空機による「科学技術の優位性」を確保した上に、空母による機動艦隊の戦術を確立しかかっていた日本海軍は強かった。けど、これが陸軍の島での防衛線になると悲惨な玉砕ばかりになるのは、島防衛に関する戦略がない上に、防衛線の基礎である「鉄量(=砲弾)」の確保と輸送がまったく機能しなかったからなんでしょうね。それは、防衛するという概念自体に、陸軍と海軍と航空軍の統合した「戦略」が欠如していたからでしょう。また、一時的な海軍の「相対比較の優位性」が、ほぼ1-2年で「学習する軍隊」であり「巨大な後方支援能力」を持つアメリカに追い抜かれてしまうことの自覚も甘かったようですね。


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なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか
なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか


鉄量の確保がそれなりに成り立って、ちゃんとした空間(=大陸が前提だったから)であれば、きっと装備が二流でも日本軍はここまで弱兵にならなかった感じがします。最近、アメリカ陸軍最強と言われるの日系人部隊442nd Regimental Combat Teamが気になっているんですが、同じ日本人が、連合国の物量のバックアップがあった場合、ほとんど素人(戦闘経験なし)が最初にヨーロッパ戦線に投入され、ジャップとののしられながら、世界最強のエリート部隊、独軍降下猟兵の最精鋭である第1降下猟兵師団を撃退しているのです。彼らが得意としたのは、肉弾戦による突破力で、バンザイ突撃と呼ばれたそうです。これらは装備のレベルがそれなりに同等で、極端な武器の差(戦車や航空機支援や支援砲撃の量)がない場合には、こうした集団による突撃力(=高機動戦法)がいかに効果があるものなのか、というものを雄弁に物語っているのではないでしょうか。悲惨すぎる教訓で「大和魂による精神力で敵を撃滅する」ということの意味のなさを我々日本人は徹底的に学んだはずだです。けれども、状況が同等に持って来れた場合は、兵士の気合いによって戦闘が逆転できるものである、というのもまた事実のようですねー。ということは、兵卒、下士官が世界で一番優秀だといわれる旧日本軍にあって、戦略を指導したエリートたちの責任がいかに重かったか、と思う。日本社会の構造的な問題点として、現場とエリートが相反して共同体化してムラ(=小コミュニティ)を作って敵対しあうという組織の癖があります。だから、戦争時のような非常事態時での、臨機応変の対応ができずに、硬直化していく。理由は簡単で、非常時には、現場で功績をあげた人間がごぼう抜きで抜擢されなければ、現実のスピードについていけなくなるからです。アメリカの強い点は、ここですね。大統領によるポリティカルアポインティーはかなずしもいいものとはいえないですが、それだけ瞬時に指導部を入れ替えられるという柔軟性は、圧倒的です。日本のように無能とわかった指導者が、共同体の防衛本能の「身内意識」によって守られるということを、粉砕しますから。だから非常に時になったアメリカは強い。


1943年8月20日。442連隊に先駆け、第100歩兵大隊は北アフリカに向けて出陣した。欧州解放戦線の一端であるイタリア戦線への投入が決まったのだ。
 しかし「なぜジャップがこんな所にいるんだ!」友軍からは奇異の視線で見られ、第100歩兵大隊は激しい差別を受ける事となった。彼等を傘下に加えようとする部隊などおらず、第100歩兵大隊はほとんど独立部隊として各地を転戦する事を余儀なくされたのである。


 イタリア沿岸に上陸した第100歩兵大隊は、初陣から激戦に見舞われる事となった。敵は世界最強のエリート部隊、独軍降下猟兵。しかも精鋭中の精鋭で知られる第1降下猟兵師団だった。
 このため第100歩兵大隊は上陸後わずか一週間で死傷者40名を出すに至った。しかし友軍が戦線を放棄して撤退する中、第100歩兵大隊だけは頑として戦線を離れず、壮絶な銃撃戦の果てに勝利をもぎ取ったのである。
 この勇敢で献身的な行為は友軍に広く伝わり「イタリアに第100歩兵大隊あり」と新聞で大きく報道された。また彼等の「銃剣を着剣して全力で敵に肉薄する突撃戦法」は「バンザイ突撃」と呼ばれた。(本家日本軍のそれは自殺戦法だったが、第100歩兵大隊の場合は実に効果的に敵を殲滅したそうだ


 ローマを目指して連合軍の進撃が始まり、第100歩兵大隊は、ノルマンディー、バルジ、硫黄島と並ぶ激戦「モンテ・カッシーノの戦い」に加った。独軍機甲師団を主力に、降下猟兵師団、装甲擲弾連隊、重砲陣地といった圧倒的な戦力で連合軍を待ち構えており、激戦は必至だった。


 1944年1月17日。遂に連合軍の総攻撃が開始された。だが開戦と同時に激しい砲撃を受けた連合軍は早くも敗色が濃厚となっていた。あちこちで戦線が崩れると共に、補給線は消滅して物資が届かず、負傷者の後送すら出来ない。命令系統は寸断され、下士官が部隊を指揮するという、混乱の極地に達していた。


 第100歩兵大隊も強力な砲火に晒され、負傷者が続出した。さらに悪いことに、両翼の英軍、仏軍は全滅し、第100歩兵大隊だけが戦線に取り残されるという最悪の状況であった。弾も食料も尽き、医薬品も全く無く部隊には負傷者しかいないという極限の中、第100歩兵大隊は深く塹壕を掘り、ただひたすらに戦い続けた。



 連合軍の部隊のほとんどが敗走し再編成を行っている中、最前線にはいまだ第100歩兵大隊の姿があった。いまや第100歩兵大隊は連合軍に唯一残された橋頭堡となっていたのだ。



 物資が尽きた独軍が後退を開始すると、第100歩兵大隊は先陣に立って追撃を開始した。この攻撃が呼び水となり、連合軍は一気に独軍を攻撃し、モンテ・カッシーノの戦いに勝利する事が出来たのである。
 ようやく友軍と合流できた第100歩兵大隊を見た軍の上層部は、最前線が如何に凄惨なものであったのかを知る事となった。第100歩兵大隊は負傷率97%、死亡率50%という大損害を出しながら戦っていたのである。通常60%以上の被害を受けた部隊は「全滅・戦闘続行不可能」とされ部隊の再編成が行われる。また米軍では60%を超える損耗を受ける部隊は稀であった為、第100歩兵大隊の97%という被害は尋常ではなかったのだ。


 しかし彼らは尚も進撃を主張し、前線から離れなかった。これにはさすがの上層部も「もういい!お前達は充分、よくやった!もうドイツ野郎は逃げちまったよ!」と後方での休養を勧めたものの「俺達が戦っているのはドイツ軍じゃない。俺達は差別や偏見と戦っているんだ。それに勝つには命をかけて頑張るしかないんだ」と言い放ち、進んで前線に立ち続けた。また部隊の負傷者達は病院を抜け出し、すぐに原隊へと復帰していった。


 ……そしてローマ解放時、最前列には第100歩兵大隊の姿があった。戦史上では英軍が一番乗りをはたした事になっているが、実際には第100歩兵大隊が居たのであり、政治的な思惑で彼等の存在は闇に葬られたのである。


 その代わりといっては何だが、第100歩兵大隊はイタリア戦線で一番初めに大統領から表彰された部隊となった。



Go For Broke - M1 Bayonet
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm


話がずれたので戻すと、沖縄戦は、そもそも映画的というか物語として成り立ちにくいと思うのです。というのは、そもそも「日本軍VSアメリカ軍」というような、組織だった戦闘はなく、ほとんどただ単に殺されるか自決するかという、ただ単に悲惨なエピソードが無数に存在するだけで、戦争映画の重要なファクターの一つである「戦い」がまともに成立していないのだ。軍同士の組織的戦闘があれば、どんな悲惨なモノでも「血わき肉躍る」物語は見いだせようし捏造できるが、そもそも「戦い」にすらなっていないのだ。この出来事を「映画にする」というのは極めて難しいものだったろう。脚本は、新藤兼人だが、これをこうした無数の無名な人物のエピソードを多量にドキュメンタリー風に見せていくことで浮かび上がらせるのは、素晴らしい決断だと思う。そして、ほぼ全く「米軍」が出てこない、もしくは人間としての顔も人格も見えない、という演出方法も見事。この映画の主目的は、沖縄戦という巨大な戦場を大きく有機的にマクロから捉えることだったのでしょう。なぜなならば、個別の「戦闘」という物語になる場面がほとんどないために、何を描くかが凄く困る題材だと思うんですよね。だから、それをミクロの積み上げによって為し得ているところが、素晴らしい才能です。


この手法をうまく使用しているのは、庵野秀明監督の『トップをねらえ!』ですよね。この最終話は、伝説と言っても過言ではない出来なんですが、、、、これが岡本喜八監督の手法を強烈に意識して作られていることは有名です。そもそも白黒ですもんね。物凄い傑作なので、とにかくだまされたと思って、見ていない人は、見てください。素晴らしい出来ですよ。ちなみに、たくさんの場面をドキュメンタリー風に断片を散りばめるような、この感じの演出に全然違和感がないのは、まぁ庵野秀明監督のアニメ作品に慣れているからだと思うなー。元々大ファンだというだけあって、演出方法、とくに戦争における演出が凄く似ている。庵野監督の世代とかにすれば逆で、岡本喜八監督を見て、こういう演出を作りだしたんでしょうが、見ている世代の僕らは逆になってしまいがちですね。

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ところで、この作品がLDになった際に、庵野秀明がライナーノートを書いたというのは有名な話だ。庵野「戦争とは何かが実感としてつかめなくなった自分たちの世代こそ、その時代を生きた人々が作った映画から多くを学ぶべきなのだ」という意味合いのことを語っていて、その表れなのか、エヴァンゲリオン劇場版』における目を覆いたくなるようなネルフ本部の虐殺シーンは、『沖縄決戦』のイメージやカットバックをそのまま取り入れたもののように見える。また、『エヴァ』の中で出てくる「彼我兵力差は1対5」は『沖縄決戦』において大丸二郎が言う台詞であり、OVA『トップをねらえ!』では『沖縄決戦』の「海の色が見えない」を「宇宙が黒く見えない」にアレンジした台詞が出てくる。


まあ、そんな元ネタ探しをして喜ぶつもりは毛頭ないのだけれど、庵野秀明が『沖縄決戦』をインスパイアする姿勢が、同じようにアニメで戦争を疑似体験しようとした富野由悠季などとは全く違っているのは面白いと思う。『沖縄決戦』は敵の顔を見えなくすることにより、戦争という状況に置かれた人間の恐怖やデスコミュニケーションをリアルに表現していたわけだが、そうした部分に着目した庵野秀明の方が、「敵も同じ人間。善悪など存在しない」と言いつつもガンダムでそうした状況を全部解決してしまった富野よりもペシミストであり、リアリストでもあり、理想主義に俄かに飛びつくことの出来ない絶望的な世代論を展開している点で、富野や宮崎駿のような戦時中に生まれた世代を飛び越えて、戦中派の岡本喜八と通じ合ってしまっていることは興味深い。


この映画が、製作後30年を経過した現在になって俄かに再評価されるようになったというのも、容赦ない残酷描写や戦争映画としての面白さというエキセントリックな面というよりも、もっと何か、例えば、出口が見えずあらゆるものの価値観が根底から崩れ去っていく現代の空気とどこか似通っているものがあるからなのかも知れない。


http://www007.upp.so-net.ne.jp/mizutami/okinawakessen.htm

■沖縄と日本の歴史的位置づけについて

テンペスト 第一巻 春雷 (角川文庫)
テンペスト 第一巻 春雷 (角川文庫)

僕はこの池上永一の最高傑作である『テンペスト』を読んで、その最後のシーンが、見事に沖縄と日本の関係を表しているな、、、と思いました。というのは、沖縄最後の総理大臣に化けていた主人公の女の子が、愛し合っている薩摩藩藩士でその後明治政府に使えた青年のもとへ行くシーンなんですが・・・・。

琉球処分官が一通りの王国解体を終え、東京へ帰還することとなった前夜、雅博が思い出の鳳凰木に別れを告げようとやって来た。雅博は自分の数奇な運命を忌わしく思っていた。薩摩の武士として琉球を訪れた青年時代、心の底から琉球を愛した。しかしその愛情故に、藩主の臣下としては常に相反する感情に板挟みになった。新しく仕えた君主もまた琉球に興味があった。内務官僚になった雅博は再び琉球を訪れ、完膚なきまでに解体した。しかし心の片隅ではいつも琉球に恋していた。

「この樹だけは私の本心を知っている」

雅博はこの樹の下で真鶴に求婚し、反故にされ、懲りずにまた求愛し、断られた。もしこの樹に意思があるのならば、学習能力のない人間だと雅博を嘲笑しただろう。月を見て泣いた夜、花びらの散るまで待ちぼうけした朝、雅博の素の感情をすべて知っている。

中略


「日本は琉球を解体した以上、幸福にする義務があります。そう信じてください。」


雅博の洋服の服の襟元からジャスミンの香りが放たれた。いつまでも嗅いでいたい真鶴が一番好きな香りだ。


中略


一八七九年、若夏。琉球王国沖縄県になった。


これって、植民地と本国の関係なんだよな、、、と思いました。お気楽な初期の植民地文学には、こうした地元の美しい女性と恋に落ちる宗主国の側の男性という陳腐な物語がたくさんあります。ほんとどの場合は、アジアの人々は、植民地になった側なので、白人の商人や軍人が書いた本ばかりですね。これはその類型パターンの物語の日本国版と言えるでしょう。これってなかなか両義的な問題で、何も考えずに宗主国側から見れば、事実にほとんど基づいているし、実態の関係もそうなんだから、それをカリカチュアライズして何がおかしいと思うでしょうが、オリエンタイリズムではないですが、ステレオタイプな主観を解体して、、、というか単純に植民地側から見ると、これって結構我慢がならない侮辱ですよね。まぁとはいえ、ちゃんと独立して支配を撥ね退けた国であればいくらでも反論はできるし、物語もイメージも作れるものですが、、、、沖縄やアイヌのように、徹底的に皇民化が進み同化された場合には、このへんは凄く難しくなりますよね。クレオールの評価という問題になるのでしょう。

クレオール主義 (ちくま学芸文庫)

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)    新潮文庫


話が少し折れましたが、その悠久のの歴史に終止符を打ったのだから、そこに住む人々に責任がある!という発想になるのは、よくわかる。それは、あまり難しいことを考えなければ、単純な強者の義務だ。佐藤優が、国際的な常識として、旧宗主国には植民地に対して、彼らに対しての責任があると考えるのが当たり前なのだ、という趣旨の話をしていたのを思い出す。この「義務」は、国際社会の中で、当然にその責務を果たせという強い圧力があるようなことが書かれていたが、なるほどなーと思いました。なぜならば事の善悪は置いて、「帝国」を形成するという政治的決断を為し、かつ他民族や文化を支配するからには、民族を超える「正しさ」を打ち出す義務があるし、そこに従った人々を幸福にする義務があるのだ。これは、歴史的に、その後、時間が経過も変わらない。なぜならば、そのような「歴史状況」を過去に作り出した責任があるからだ。このへんは、他異民族による帝国を形成したローマ時代から変わっていない。出来なければ、反乱されて、国がなくなるだけなのだ。だから、沖縄を日本に同化させた日本人は、少なくとも沖縄がそうなったよかったと思えるよう(本質的にそれは無理としても・・・)にする「義務」が少なくともあると考えるべき、、、、とすると、本当に大田實少将の沖縄戦の電報は、胸に痛い。

発 沖縄根拠地隊司令
宛 海軍次官

 左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし

 沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。

 沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧みるに暇(いとま)なかりき。

 然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅(わず)かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下□□□風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

 しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦烹炊(ほうすい)婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。

 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。

 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

 これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□

 一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。




大田實・海軍少将(日本海軍沖縄方面根拠地隊司令官)が、昭和20年6月6日に海軍次官に宛てた電文

沖縄戦を概括するには、読みやすさという意味では、小林よしのりさんの下記の本がいい。凄くわかりやすい。この人、人間的にも、政治的にも、なかなか僕個人としては、好きになるのが微妙な人なんだが(決して嫌いじゃないんだけどなーなんか側にいると疲れそう)、ただし、ゴーマニズム宣言スペシャルモノは、概括してみるには、凄くわかりやすいものが多いと思う。何度も書いているが、僕は、学者のような「正確な真実」を追うことによってマニエリズムに陥ること(苦笑)がしたいわけではなく、大枠の全体像がつかみたいなんちゃって読書人なのだ。だから、偏向していようがなんだろうが、ある程度の全体像を浮かび上がらせてくれる力量があれば、それで十分なのだ。そして、「それ」こそが物凄く難しい。時間がなくて、全く政治とか自分の目の前の現実以外に興味のない人間に、興味を抱かせて楽しませて、深いところに引きずり込むというのは超絶なおエンターテイメント能力がいる。塩野七生さんとか小林よしのりさんは、この手のタイプですよね。おおざっぱ過ぎるので、学者には凄く嫌われると思いますが。でもいいんですよ、ここから導入ではいって、細かく調べて理解する契機になれば素晴らしいのだから。あとは「読む側」が、思想的に極にあるものとかをバランスよく摂取して、バランスをとればいいのだ。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論
新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論


ちなみに、沖縄論から昭和天皇論の流れは、非常に興味深かった。というのは、上記の『テンペスト』で宗主国としての義務の話があったのだが、昭和天皇という人が、日本という国(=民)と国土に対して、強烈な義務感を抱いていたことが、非常に分かるエピソードだからです。この人というのは、沖縄に対して、、、、非常な責務を抱いていたんだ、ということが凄くわかります。

全国46都道府県を巡幸するも、沖縄巡幸だけは沖縄が第二次世界大戦終結後長らくアメリカ軍の占領下にあり、返還後も1975年(昭和50年)の皇太子訪沖の際にひめゆりの塔事件が発生したこともあり、ついに果たすことができず、死の床にあっても「もうだめか」と沖縄巡幸を行なえないことを悔やんでいた。

また、1964年(昭和39年)の東京オリンピック、1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会、1972年(昭和47年)の札幌オリンピックバブル経済前夜の1985年(昭和60年)の国際科学技術博覧会(つくば博)の開会式にも出席している。特に敗戦から立ち直りかけた時期のイベントである東京オリンピックの成功には、大きな影響を与えたと見られている。

病臥した1987年(昭和62年)秋にも、沖縄海邦国体への出席が予定されていた。病臥し自ら訪沖することが不可能と判明した後は、皇太子明仁親王を名代として派遣し、お言葉を伝えた。これに関して、「思はざる病となりぬ沖縄をたづね果たさむつとめありしを 」との御製が伝わり、深い悔恨の念が思われる。代理として訪沖した皇太子明仁親王(当時)は沖縄入りし代表者と会見した際、「確かにお預かりしてまいりました」と手にしたお言葉をおしいただき、真摯にこれを代読した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論
ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論


ふと思うのですが、、、、何度も書いているんですが、僕は小市民のサラリーマンなんで(苦笑)、そもそも右とか左とかあまり関係のない(ほんとはそうじゃないのかもしれないが・・・)世界で生きているので、なかなかに政治的な意見は、ばっさり割り切りにくい。感情以外の価値判断基準があまりないんだもの。そして僕は戦前に日本が国策を誤ったのは、日比谷焼打ち事件を起点とする民意の暴走とそれに乗った大マスコミ、それしてそれを統御できなかったエリートを生み出す日本社会そのものの構造的問題点にあると思うので、感情による吹き上がり、というものには、なるべく注意深くありたいなと思っています。それは本当に、長期の歴史的に意味があることか?、構造的に暴走して制御できないものになるのではないか?、またちゃんと戦略的に考え抜かれている?ということを、ある程度考えたり人に聞かないで、感情で意見をいうのは、マクロと長期で確実に社会に害をなす、と思っています。


そして、、、、たぶんこのへんの感情によるナショナリズム的な吹き上がりや善意の暴走を抑えるのは、伝統的な教育の浸透(たぶん歴史だろうなー)しかないんですよね。高等教育を後半に受けるシステムがあれば、近代国家が何によって制御されているかの自覚が、後半に(薄くていいので)なければ、直ぐ国は暴走する。クーデターとか軍事政権とか、民意の低さの表れの何物でもないですから。民意が低いということは、長期的な継続能力が低いということで、国として弱いということなんだろう、と思います。


まぁ近代国家の国民であり市民であることの義務は、感情的な吹き上がりに組みしないで冷静であること、一事の政治屋や扇動に乗せられることなく長期の「正しさ」を考えて一票を行使して世論を形成していくこと、だと思う。それ以上は、やりようがないしねー。でも、そういったことが為されるためには、そもそもナショナリズム的な吹き上がりの愚かさの歴史的帰結(ローマやギリシアの政治体制の変移とか)とか、近代国家が運営される要件(軍事の文民統制の基本)とかとか、そういうことが、特に指導層の常識としてあって、かつイメージとして「それ」が分かっている国民が世論を形成していることが重要だよね、、、。そうでないと、長期の国益がすぐ損なわれる。一つ一つの政治的な敗北や国の政治核の腐敗なんてのは、いくらでも取り返しがつく。物事は100年単位なのだ。けど、国が暴走する仕組みを内包したら、100年に禍根を残すものなのだ・・・・。


それでも、日本人は「戦争」を選んだ
それでも、日本人は「戦争」を選んだ

戦争の日本近現代史 (講談社現代新書)
戦争の日本近現代史 (講談社現代新書)



ああ、、、、映画の話でなくなってしまった(苦笑)。



でも沖縄の全体像を少しでも知る手掛かりとしては、なかなかいい機会だった。こういう機会(映画を見る&ブログを書く)でもないと、関係ないもんね、普通のリーマンの日常には。