『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 伏見つかさ著 嫉妬に気づけるかどうかが、正しく相手を肯定できるかどうかの瀬戸際なのかもしれない

俺の妹がこんなに可愛いわけがない〈3〉 (電撃文庫)

評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★☆4つ半)


むむ、、、おっ面白かった。感動したー。。。何がって、主人公の京介が「妹を嫌いな理由」がはっきりと明示されているから。ああ、これを明確に描けるのは素晴らしい。ちょっと感動しちゃった。。。。なんでかっていうと、僕は思うんだけれども、人ってのは、「他人に嫉妬している」ことを認めることが物凄く難しいんだよね。だってそれは、「自分が何もしていない」ということを認めることとイコールだから。



相手の何かが「羨ましい」と思うということは、そうなるために努力した「相手の自信の積み重ね」を評価する、、、裏側からいえば、自分が何もしてこなかったことを認めなきゃいけないってことなんだ。



それって、ほとんどの場合、とても難しい感情。基本的にこれを直視できるって人はとても少ないと思う。自分自身の心の動きの長年の観察周りの人間を観察していて、自信の嫉妬を正しい形で「受け止められる」人というのは、とても少ない。そして、それができる時は、その人が成長する時だ。



黒猫が「それはそれ、これはこれ」と言った時は感動したなー。



うんうん、そうそう。なにも嫉妬の感情から自由になれということではない、、、だって無理だもの、人間。人間って、僕の言葉でいうと、「比較級の世界」で生きているもので、常に自分を周りとの比較で世界を認識している。これは、もうある種の端的な事実みたいなもので、どうにもしようがあるもんじゃない。けど、そういうマイナスの感情、、、、ではないんだと思うな、「何かに嫉妬する」ということは、それは実は、「そうなれたかもしれない自分」を省みていることで、それはチャンスなんだ。そこでわきあがるドロドロとした感情は、エネルギー。そのエネルギーを相手を否定することに使うのではなく、自分を変えることに使えれば、きっと世界は変わるはず。



いつも僕も思う。たしかに「それはそれ、これはこれ。」別のもんなんだ。分けて、違う形でそのエネルギーを接続しないと、人生失敗しちゃうなーと肝に銘じる毎日です。まっ、そうはいっても、ムカつくもんですけどね、嫉妬する相手には。