魔法少女まどか☆マギカ〜さーてどうやってこの物語を見ようか?

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [DVD]

友人のお薦めで、見ています。4話まで見終わりました。絵柄があんまり趣味じゃないので、言われなかったら見なかったと思うんですが、なかなかの「話題」作のようで、ワンクールに一つぐらいリアルタイムで追うやつがあってもいいよね、ということで見ています。ちなみに、僕は「魔法少女モノ」って僕はほとんど自分のテーマを持って見ていないので、つーか、たぶんセーラームーン以前でほとんど止まっているので(セーラームーンウテナは僕は見ていないんですよ―情けないことに・・・)さっぱりわかりません。故に、ほとんどテーマというか文脈というか、自分の見るべき視点がないので、めちゃくちゃな仮説をてきとーに立てながら見ることになるので、そのへんはご理解のほどを。解釈抜きで完全に没入できる、、、というほどではなさそうなので、どうしても仮説立てながらでないと、漫然と見ちゃうので。。。。つーことで、時々リアルタイムの感想を書くとは思いますが、全く背景知識がない、僕には凄い珍しいパターンなんで、いろいろ教えてもらえるとうれしいです。


ということで、めちゃめちゃ印象の仮説。


ちなみに、魔法少女といえば、僕は「魔法の妖精ペルシャ」とか「ミンキーモモ」あの辺を思い出すわけで、魔法少女が、現在の『ハートキャッチプリキュア』ような「戦闘に特化した」戦う存在になる前のイメージが強くあります。というか、あの頃の魔法少女モノというのは、「少女が大人に憧れる・大人になるため」の話だった気がします。決っして、拳に命を賭けた喧嘩命の大男相手に、ガチバトルをするような(笑)キュアマリン(超でかい拳に、小さいグーで重いっ切り勝ち殴り合いをするシーンは、ビックリした)のようなものではなかった気がします。、、、たぶんこれって、感覚的にはセーラームーン以降の魔法少女モノの転換があった気がします。男の子の専売特許だった「バトル」と「世界を救う」というドラマトゥルギーが、スライドしてきた気がするんですね。そうすることによって、魔法少女モノというのは、「世界を守るために・ガチバトルをするもの」という類型があったのですが、そこには、ある意味、昔の少年漫画ものと同じく、極端な苦悩・・・・「戦うことが意味があることなのか?(=善悪二元論の超克)」といったテーマや、「全体と個人をどっちが優先されるべきか?(SFの基本テーマ)」、これは日本でいえばエヴァンゲリオンに「乗らない!!!(=世界を守らない・滅びたっていい!)」というようながあるべきなんですが、少なくともハートキャッチプリキャの「世界を疑わないまっすぐな姿勢」を見ていると、魔法少女モノには、少なくともまだあまり極端な屈折は存在していないように思えます。今回の『法少女まどか☆マギカ』には、そもそも命を賭けて戦うことの意味って何?という、いきなり最初から直球ヘビーな問いを設問します。そして、その意味をまざまざと見せつけちゃう。脚本家のチョイスからして、そうした「重いもの」を直視するってのは、まず間違いないでしょう。しかしながら基本的に、「この問い」は、既に男の子、、、少年の間では、エヴァのシンジくん問題(=世界を守るために自分が犠牲になるのはOK?)で、既に僕ら「男の子」には常識的なものです。それを、魔法少女でやる意味は?。そして、どこへ持っていくの?というのは、気になります。まだ「見方」というか解釈の補助線がないので、とりあえずいま思いつくものをつれづれなるままに述べてみました。


読者のみなさんは、どういうふうにこの物語を見ていますか?