東日本大地震を「アメリカがどう受け止めたかについて」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2285

米メディアの報道合戦と人道支援の拡大

 M9.0の激震と7mを越える津波のニュースは米国人を驚かせるとともに、ほぼすべてのマス・メディアで空前の報道合戦が開始された。大手メディアは急遽、日本に特派員を派遣し、現地からの報道体制が強化した。アメリカ市民がこれほど身近に"日本"を感じたのは、近年にないことだ。

 テレビやラジオでは、派手な特派員報告や特別ニュース番組が組まれ、イラン・イラク戦争の開戦時を思い出させる。ニュースは当初、被災地の様子が中心で、継続的な余震と津波に関する分析や地震の原因、被災者の冷静な対応も話題となった。オバマ大統領を筆頭に、米国政府高官による「日本支援」のメッセージが次々と出された。


中略


日本人の苦手---情報開示と自己責任による行動
 原子力発電所の問題は、情報開示に関する日本の保守的で誤った姿勢を浮き彫りにしている。日本では「十分な知識のない一般市民の混乱」を懸念して、完全な情報開示を危惧する声は多い。しかし、それは基本的に間違っている。今回のように、現場の状況把握が十分にできない場合では、情報の取捨選択や開示範囲の判定は適切かつ効率的にできない。

 完全な情報開示をおこなえば、当然、一般市民は専門的な用語や数値などに戸惑うことになるだろう。しかし、日本には多くの専門家がおり、多数のメディアが存在する。またインターネットによる市民間のコミュニティー通信も高度に発達している。専門家やオピニオン・リーダーが、それぞれの見解により多様な判断や予測を出すはずだ。

 また、専門家同士の意見交換、時としては激しい口論なども必要だろう。そうした多様な意見を報道機関やインターネットで拡散することで、問題の明確化、争点の集約、全体的な総意が形成されてゆく。

 逆に、あらゆる情報を開示しなければ、多様な専門家の指摘も机上の空論になる。総意の形成もできない。


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 また、東京電力も日本政府もすべての情報開示を行うと同時に「開示した情報によりそれぞれのメディアおよび個人が判断し、行動したことについて責任は負えない」という明確なアナウンスをすべきだろう。つまり、情報がどの程度の信頼性があり、どの程度のリスクを含むかを明示すべきであり、この免責と情報開示は常に、表裏一体のものだ。

 多様な人種・宗教・文化を持つ米国では、こうした徹底した情報開示と総意形成の仕組みを長い歳月を掛けて形成してきた。だからこそ、十分な情報開示を行わず「安全である」かのような発表をする日本政府や関係企業の態度に米国は焦燥感を感じるのだ。

情報の開示、一般国民や海外(英語で)というのは、日本では凄く難しい。それは、指導層の意思決定が不透明で、異質なものとのコミュニケーションが凄く下手だからだ。これは日本の伝統的な欠陥だと言ってもいい、そんなことを思いました。