自由洗脳社会へ至るデジタル新中世の到来〜情報キュレーション(視座にチェックインする)という概念から見えること

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

情報キュレーションという概念の実演〜福島原発の爆発とリビアでの空爆の関連性が示す人類のエネルギー問題http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110326/p1

この続きの思考です。全くとりとめないし、かなりてきとーですが、何となく大枠でいいたいことをわかってもらえるとうれしいです(笑)。


■大きな思考のテーマ〜自由洗脳社会に至るデジタル中世の到来

さてさて、ちなみに僕のブログを読んでいる人とか僕のコアな友人向けですが、佐々木俊尚さんの『電子書籍の衝撃』と『キュレーションの時代』はお薦めです。ぜひ読んでください。というか、僕の「大きな思考の流れ」にがちっとはまっている話なので、クリスアンダーソンの『FREE』もそうですが、僕の考察や会話の基礎部分を占めることは間違いなしのものなので、ぜひ読んでみてください。特に佐々木俊尚さんの本は新書なのでとっつきやすいと思いますよ。今後ラジオとかいろいろ話すときにこれを共有していると、かなり話しやすいので、物語三昧の必須の課題図書、と考えてください(笑)。

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略クリス・アンダーソン 小林弘人

日本放送出版協会 2009-11-21
売り上げランキング : 326


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


さてさて、それでは、何がいいたいかというと、僕の大きな思考の連続したテーマには、今後の人類の未来には、二つの方向性があると思っていて、それは、


(1)宇宙開発による人類の宇宙というフロンティアへの進出-そしてスターシードへ至る道!(笑)

というのと、


(2)自由洗脳社会に至るデジタル中世の到来-そして究極の管理社会から人類補完計画へ(笑)


という二つの大きなベクトルがあると思っています。後半のスターシード、管理社会うんぬんはちょっとジョークですが、この大きな人類史のベクトルが、そういう方向性を含むものであることは事実だと思っています。この基礎は、まぁ大元は、ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』やジョン・ロックのフロンティアの概念、ルソーの社会契約、アルビン・トフラードラッカー大前研一の『地域国家論』とか岡田斗司夫の『ぼくたちの洗脳社会』などが、ベースにあります。ずっと僕のブログを読んでくれている人かもしくは、僕といつも話している人、、、でこぽんさんやLDさんなんかは、このことがよくわかると思います。スターシードとフロンティアの概念は、LDさんと話していて形になって来たものです。

中世の秋 (上巻) (中公文庫)

地域国家論―新しい繁栄を求めて
地域国家論―新しい繁栄を求めて

富の未来 上巻

「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)
「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)

『「資本」論―取引する身体/取引される身体』 稲葉振一郎著 とてもよい社会思想史の導入書
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080422/p1

道徳感情論』アダムスミス著/自由競争の前提
http://ameblo.jp/petronius/entry-10002362694.html

国富論』アダムスミス著/最適化の果てに
http://petronius.ameblo.jp/petronius/entry-10002333519.html

このへんは、そのへの断片を感じる文章ですね。この話題とストレートに関連はないけど、何がいいたいかというと、経済を考える時に、市場という機能が、どのような条件で発動されるか?という前提を思考する議論になっています。完全競争というのは理論上はあり得ますが、実際の市場は様々な「大きな前提」に支えられて機能するものであって、その前提を考えないと、単純に市場万歳とは言えないよという発想です。ここでいえば、近代国家の基礎理論化ともいえるジョン・ロックの社会理論は、そもそもが当時のヨーロッパ大陸の成熟くして停滞した経済単位からの視点で、アメリカ大陸のフロンティア機能を関連付けて作られていることを意識しなければ、実は語れないのではないか?という疑問点です。経済システムにとっては、フロンティアがあるかないか、土地があるかないか、によって考え方の基本がまったく変わってしまうという視点です。

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)


えっと話がずれましたが、岡田斗司夫さんが提唱した「自由洗脳社会」という概念は、物凄いイメージを僕に書きたててくれました。いまから10年くらいも前の話です。


この話の大枠は、今後の世界はきっとモノの価値がゼロに近づいていく!(=原価と最低労働賃金に収斂していく!FREE!!)のだろう(まさにそうなっていますよね)。工業化社会とは、ものを豊富に溢れだし生産するもので、この生産過剰性から、「より多いものに価値を見出さない」「希少価値のあるものに価値を見出す」という人類の法則(岡田さんがいっていたこと=堺屋太一さんの『知価革命』からとった概念)から、きっと、モノそのものよりも、モノの価値や情報の方に希少価値が見出されるだろうというようなこと言っていました。ようはブランド概念ですね。当時(=10年前)ではこの考え方の具体例がないため、ただ単に、ブランド価値にこれが置き換わった陳腐な議論にしか現には展開しませんでした。また同時に、モノがあふれていてかつフロンティアがない社会では、ものの新しさ進歩に価値が見出されないために、人間は、より希少価値のあるフロンティアとして「内面」にその欲望を向けるであろう、という予言がありました。進歩の言い換えれば欲望のエネルギーが、物理的な場所(=フロンティア)が存在しない場合は、内面をいかに開発するかというふうにフロンティア進出の欲望が内面化されるだろうという予言でした。


ちなみに、では逆に物理的にフロンティアが開発できれば、世界はそこへ向かって大驀進をするであろうということも逆説的には言えるわけです。僕はこのことの対象が資本主義社会の、浮いたマネーの投資先が新興国であることから、きっと今後10年ぐらいで北東アジアでの大発展があるのではないか?と思っていましたが、現実はまさかまさかの世界の中心が中国に移行する東アジアシフトの時代が来るほどの、全世界的な新興国の大発展でした。こういう大枠の歴史観を押さえることは重要だな、と痛感しました。ちなみに、地球に残された後のフロンティアは、インド、中東、アフリカです。僕が時折、中東問題やアフリカ問題に興味を示すのは、物理的なフロンティアとして、僕が生きている間に開発されるかの性が高い地域を見極めたいというのもあります。自分が生きている時でないと、あまり関われないのでつまらないんでね(笑)。


そして、ここから演繹的に導き出せることは、そう、本当の人類のフロンティアの物理的なものは、宇宙開発!!!なんですよ。これの物理的な、予算的な、制約さえなくなれば、物凄い大躍進が地球人類に訪れます。僕が時折宇宙開発のことを言及するのも、これを気にしているからです。ちなみに、物理的、予算的な制約とは、『地球の重力を抜け出すためのエネルギーの大きさ』です。ロケットの大爆発を見れば、以下に巨大なエネルギーを無駄ともいえるほど消費しないと、地球の重力は越えられないか!ということが分かるでしょう。逆にこの制約がなくなれば、宇宙開発は一気に進みます。わかりますよね!。アーサーCクラークの『楽園の泉』の軌道エレベーターの開発です。小川一水さんの『第六大陸』では、月への宇宙旅行が商業ベースで成り立つためには、物凄く効率のいいエンジンが開発される必要がありました(日本字の技術者が開発したという話なんですよね)。ちゃんとその時のコスト試算がのっているところは、素晴らしい小川さん!と唸りました。

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)
楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

第六大陸〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

ということは、宇宙開発に人類がなだれ込むためのブレイクスルーポイント二つです。『楽園の泉』『第六大陸』に書かれていた通り(笑)、軌道エレベーターを開発すること(その基礎条件であるエレベーターを釣り上げられる強度のあるワイヤーになる素材の開発です。三菱が開発しているフラーレンとかああいうものね)そして、コスト効率のいいエンジンが開発されることです。これは、ヴァージングループの会長さんやスティーブバルマーとか、ホンダとかががんばっていますね。特にアメリカの金持ちやヴェンチャーが積極的です。「ここ」を見ていれば、宇宙というフロンティアへの人類の進出動向が分かります。ここ、ポイントです。試験に出ます(うそ)。


ああ、話がまたずれた、、、、


そして、宇宙開発が微速で進む限りにおいては、人類の欲望は、内面の開発に向けられます。内面の開発とは何か?って、それは、中世の状況を具体例として岡田さんは出していました。それは、境界のゴシック建築の光の陰影や、讃美歌や意味不明な神学論争など、とにかく人間の心か感じる、頭の中の世界の広がりを追求することです。ようは芸術ですね。極端に矮小化していますが、ようは物質的なフロンティアが広がらない停滞した状況では、広がりが内面に向かうと言っているんですよね。そしてこれが、ネットの広大な広がりと、非常に親和性があることは、間違いないことでしょう。それと、上記のモノそのものコストがゼロに収れんしていくFREE化の世界では、モノそのものの価値よりも、情報の価値、、、どういったものを選ぶのか、どう使うのか、どういう物語を内面に組み込むかという情報の価値に希少性が生まれ、そのことに価値が置かれる時代がきます。そこで非常に秀逸だったのは、この「情報の価値」・・・いいかえれば、人の持つ世界観についても、モノの価格という指標によって自由市場が生まれ、よりよいものが選別されて淘汰されていて、たくさんの人に支持され時代を超えて残る価値の高いものが選別されてきたように、「情報の価値」についても、ネットというインフラの登場によって同様の市場選別の機能が働くようになるのではないか?というのが、岡田さんの着目ポイントでした。これにはおおっ!!!!とうならされました。


ということは、新中世の到来(=モノそのものよりもモノに関する情報、さらにはそれを含む世界観が希少価値が見出される文明)を見るべきポイントは、ネットというインフラによって、価格を指標とした市場機能と同様の、選別淘汰機能が働くような「何か」がどのように構築されるか!というのがポイントとなります。


その指標の一つとして、視座(英語でパースペクティブ)という概念をベースに、それを紹介する人(=情報・世界観の発信者)をキュレイターと名付ける仕組みは、様々な企業で利用され始めており、確かに凄く有効なもののように感じます。もちろんこれがホントか?答えなのか?は全然わかりませんが、なるほど、『マルコビッチの穴』を上手く分解すると、こういうふうにできるのかもな、と思わせるものがあります。まーぜひこの文脈で見てみてください。なかなか興味深いですよ。