中多紗江編に突入〜関係性に対するメタ意識があるかないかで、自分の人生の幸せや自分が大好きな人に恵まれて友達に囲まれるかどうかは凄く決まります

アマガミSS 5 中多紗江 上巻 (Blu-ray 初回限定生産)


こうしていろいろなタイプがいるという前提で見てみると、、、森島先輩とか凄いかわいかったけど、自分の中に「年上」という嗜好がほとんどないのが、よくわかる(笑)。同級生も無いんだよね、まったく。もう好みが完璧年下。妹タイプ(笑)。おれって、凄いわかりやすいなー。


ということで、妹タイプの下級生編に突入したんだけど、うーん、中多紗江もだめだなぁ。いやとてもかわいい(みんな)んだけど、なんちゅーか、基本的に、僕は強い意志がある人が好きなんだよね。目で見てわかる。ということは・・・?。。。


みなさん、恋愛ってたくさんしたことあります?。って、非モテにいったらマジギレされそうな発言だな、、、(苦笑)。数をこなすとわかるようになるんだけど、自分が「口説きやすい」「彼氏彼女になりやすい」「付き合っていて安定しやすい」タイプって、絞られてくるんですよね。確率的に同じになりやすい。たとえば、僕は、たぶん発言が、「断言とか言い切り」が多い人なので、自分の意見がない人や「誰かに引っ張ってほしい」女の子との相性はとても良くて、そういう子を口説くのは得意でした。。。というか、一緒にいると相手が、僕を好きになるケースが多かったです。・・・しかし、気づいたんですが、「自分が安易に形成出来る関係性のパターン」というのは、実は落とし穴が多いんです。僕は「自分の意見がはっきりある人」が実はとても好きで、親友にはそういう人が多い。特に、LDさんやでこぽんさんが典型だけど、「人間としては謙虚で引く姿勢がある(=僕とは正反対)」なんだけど、実は「コアの部分の頑固さや自分の意見はものすごくはっきりある」という人に、物凄い懐きやすい。そういう人が僕にとっては、最も大切で長続きする人間関係になりやすい。ということは、本当は、女の子も恋人になるならば、そういう人の方がむているはずなんだよね。けど、「自分が口説きやすいタイプ」や「作りやすい関係性」というのは、メタ的に眺めて意識しなければ、いつも同じように陥るんです。僕は、極端ケースで言うと教祖と信者的な「俺についてこい」関係性(笑)に女の子となりやすいのは、体感的に分かったんだけど、それは、幾度かの経験で、あまりいい終わり方をしないし、僕自身がすぐに、その子に対して飽きてしまって義務感で付き合うようになるというのが分かってきました。そういうことで、「入口は入りにくいけど」自分の意見を持っている相手、、、もしくは、基本的に「僕を全く信じていない」人が、僕は好きなんですね。そういう女のを子を狙うようになったんですが・・・(笑)。そういう子は、見事なくらいに口説けない(笑)。だって、前提で、僕の言い切り断言が嫌いな人なわけだから(笑)。けど、そういうこと付き合って、なるほど、そういうこの子とは、僕はほとんど飽きるということがなくて長い相性はとてもいいということが分かったんですよね。そういう関係性に対するメタ意識があるかないかで、自分の人生の幸せや自分が大好きな人に恵まれて友達に囲まれるかどうかは凄く決まります。ということで、自分がどんな関係性に親和性があるか?その結果短期的に長期的にどんな結末が導かれるか?ということを分析できていると、生きるのがぐっと楽になりますよ。


閑話休題


話がずれたんですが、ようは、人間には自分が形成するのに「得意な」関係性があるということが言いたいのです。なんとか萌とか、俺の嫁!とかいう意識も、ショートスパンで自分がどんなタイプに感情が動くかというパターンを示しています。まぁ「好み」のことですね。けど、やっぱりその、関係性体験の種類、というのは、パターンが長く生きていると決まっています。たとえば、僕は、紗江ちゃんみたいなタイプを調教するのは、大好きなんですが(笑←発言が鬼畜だなー)、こういうのって、確実に自分の短期的な欲望に基づいていて、ある程度、自分色に染めるとすぐ興味を失うのは経験的に分かっているので、この手のタイプとは、一切付き合わない方が自分の人生にとってはお得だ!ということを、大学生の時に僕は決めました(笑)。妹タイプ好きの僕にとっては、痛恨の出来事であり、一大決心でした!!!(笑)。つまり自分のことが好きな女の子は相手にしないというルールを作ったわけです(笑)。


また話がずれている、いやいいたいことはね、「得意な関係性がある」というのが、普通に生きていれば無意識にその「パターン性の法則」に人間は染まっていくんですね。つまり「似たような関係性の体験が繰り返される」んですよね。逆にいうと、自分の自然に形成される、世界との他者との関係性以外の関係性と出会うことが少なくなる、ということです。けど、いろいろなこういう恋愛シュミレーションゲームって、一度に様々なタイプの異性(女の子のやつでもいいんですよ)をフルセットで経験するじゃないですか?。それも、凄く出来がいいし、ティピカリーな類型化をして受け入れやすくされているわけだから、なんというかとても楽しめる。そうすると、非常に勉強になるなーと思うんですよ。何度も言っているんですが「同じ体験から」「同じ量の気づきを得る」人では、人生を深められないというのが僕の哲学で、洞察力が深ければ、仮に疑似体験であり受け手に優しきできているこういったゲームでさえも、「さまざまなものを、、、人が10受け取るところ100受け取ることは可能だ」と思う人なので、、、、、一度に様々なタイプの異性(女の子のやつでもいいんですよ)をフルセットで経験するというのは、関係性をメタ的に眺める凄い訓練なんだな、と思います。つまり、自分が自然に形成しにくい関係性も似たようなパターンで、強制的に同時期に体験するということですから。これは、そもそもリアルで経験しにくいことなので、非常に興味深いなーと思いました。これって、リアルではなかなか気づけない視点だと思うのです。そういう意味で、ハーレムメイカーや並行世界というのは、やはりこのような二重規範がある後期資本制の社会には、非常に親和性のある感受性なのだなーと思ったりとかなんとか。



しかし、このいろいろな種類の女の子とのショートストーリーって、なんかエロゲーみたいな流れだなー。というか、これって、同じ字空間の違うエピソードなわけだなから・・・これって、やっぱりハーレムメイカーの並行世界類型に至る初期形態だよなー間違いなく。


ヒロインと本気で恋しようじゃないか ―『アマガミSS』全ヒロインレビューのすすめ 前編―
http://d.hatena.ne.jp/pushol_imas/20110120/1295519236
レスター伯の憂鬱