『自殺島』 森恒二著 バトルロワイヤルの果てには、新たな秩序が待っているだけ〜その先は?

自殺島 5 (ジェッツコミックス)

評価:★★★★4つ←まだ連載が終了していないので、見込みですがね。
(僕的主観:★★★★4つ)

■「生きていること」そのものが目的になること〜動物としての人間まで戻らないと「生きる」実感が消失していること

新刊が出てたので買ってみる。読んでいて思ったんですが、この手の「生きることそのものを目的とする」物語というテーマは、前回の記事で書いたように、物質的な基礎条件があるレベルを超えると(=僕はGNP1万ドルクラスの資本主義経済と考えている)、貧・病・苦といったわかりやすい「欠乏」が失われ、生きていくことの優先順位がつかなくなってしまう後期資本制の真綿に包まれた都市社会が生まれるので、その中で生きる人々には、「生きていること」の実感が曖昧になってしまう。が故に、それを、もう一度ゼロベースで考えるどどういうものなのか?と問い直すという欲望・テーマがベースになっていると僕は考えています。言い換えれば資本主義が進展したすべての国家・民族・地域で発生する、人類の課題と僕は思います。最も世界で最初にこの資本主義システムが発展した、西ヨーロッパ、北米、日本で特に先鋭して先行して現れていて、たとえばイギリスのロンドンでのジャック・ザリパーなどの猟奇殺人の存在もそういったもんだろうなーと思いますし、アメリカの1920-30年代のスコット・フィッツジェラルやアーネスト・ヘミングウェイらロストジェネレーションの文学テーマでもありますし、近くは70年代西海岸のニューエイジ思想なんかだって、ようは根源は、僕はこの「日常の退屈」という生きている不全感(=実存が壊れているという問題)からくるものだと思っています。日本では、やはり日本が真の意味でのストックを保有するにいたった1980年代以降から、自殺率の急上昇などとともなってはっきりと自覚されてきた課題だと思います。日本での90―00年代のバトルロワイヤル系統の物語の流行って、そういうことも関係あるんじゃないかな?、と思うんですよ。まぁ文脈を社会から読み取るのって、相関データも取らないものなんで、しょせん仮説なんですが、僕はこの「仮説」を用いて文脈読みすると、様々にかなり腑に落ちることが多いので、この視点はなかなかいいですよ、とお勧めします。バトルロワイヤル系は、スティーブンキングの『死のロングウォーク』や日本だとそれを下敷きにした?らしい高見広春さんの『バトル・ロワイヤル』とかありますね。あとは、アメリカの『ハンガー・ゲーム』とか。この話題は、『自殺島』を最初に読んだ時も思いついたので、↓でも説明しています。

このテーマは、現代資本制社会では、基本テーマなので、同工異曲が沢山ある。僕は「戸塚ヨットスクールの原理」と言った感じで呼んでいるんですが、ようは、「生きること」そのものを目的にすることができる状態になれば、人生は輝きに満ちるということをもう人間は動物なんだよ!)ってメッセージの物語化です。


自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションに
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110407/p2

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■1990年代以降の日本社会の課題は失われていく動機の回復〜物質的な水準が満たされることによって問われる、「それではいったいあなたは何が本当にしたいの?」という問い

90−00年代の多かったバトルロワイヤル形式の作品について、LDさんは、そもそも『新世紀エヴァンゲリオン』(旧TV版)で「僕は乗らない!(=生きることを拒否します・行動する動機がありません)」といった主人公(=視聴者、見ている我々の感情移入先・同化先)に対して「では、どうすれば。乗ってくれるんだい?」と優しく外部環境の方から問い直してくれる形式なのだ、と喝破しました。つまり動機がないならば、動機を作ってあげよう!。動かなければ、君が死ぬよ!(笑)って、キュウベエ的に環境を設定してくれたわけです。これは、製作者サイド、クリエイターの視点で考えればよくわかります。80−90年代に、エヴァのシンジ君を代表例に「生きる・行動する動機がありません!」ということが強烈に共感を生む動機LESSの世代が沢山増えたわけですね。けれども、物語を作る側としては、「真っ白な世界で何も動きません」じゃー話が進まないので、つまりは作劇術として話を進ませるための外部環境を考えざるを得なくなった。なら、「目の前に死が迫っていれば、動かざるを得ないでしょう?」と考えたわけですね。『Fate/Staynight』なんかは、その敷衍系で、「君の一番の願いをなんでもかなえてあげよう!」という設定も付加するんですね。このどっちも、ひたすら動機を生み出して、行動する意欲を乱そうという設定に基づいています。このバトルロワイヤルと「なんでも願いをかなえてあげる」系統の発展は、動機をめぐる問題として読むと、非常に納得する展開です。ちなみに、PS2版もありますし『Fate/Staynight』は、傑作ですので、ぜひぜひお薦めです。未経験の人は、ぜひゲームで体験しましょう。はっきりいって、アニメと映画は好きな人以外見る価値ないです(少なくとも僕的には)。このへんの集大成は、やっぱり『魔法少女まどか☆マギカ』でしょうが、ちょっと究極進化系の上に相当省略が入っているので、文脈の「果て」という感じを感じたいならば、この90―00年代の最後に見る作品でしょうねぇ。

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さて、ことほど左様に、1990−00年代の我々日本人は、動機を失っているのですね。動機にもいろいろありますが、いちばん基礎の第一層である「生きる」という動機がまず消えていますね。まー自殺者が先進国中最大を誇るわけですから、そりゃーそうでしょう。これって、小室直樹さんがよくおっしゃっていた、まさに急性アノミーの典型例だと僕は思います。ようは、日本社会が後期資本制の成熟社会に突入したが故に発生している現象なんだろうと思います。必ずしも「物質的に豊かになった」ということではなく、近代社会の基本原則である「分業」によって個人がバラバラになった「役割社会」による効率性追求が行きついたにもかかわらず、アメリカでいう教会(=宗教)の存在やヨーロッパの斜陽になって200年以上の「終わらない日常」を生きる共同体を防衛する分厚い知恵の集積が全くない・・・・いいかえればセイフティーネットがまったくない状態で、バラバラな個人が孤独で分断されている社会に急速に突入した上に、、、、それに対しての自民党政権(=とそれを支持した日本国民)の無能さというか鈍感さが極まっていた、ということだと思います。へんに近代国家のフロントランナーの割には、アジア的な農村共同体のムラ社会がかなり生き残っていたが故に、個がバラバラになることへの防衛が甘くなったんでしょうねぇ。。。。西田幾太郎らの京都学派とか岡倉天心とか、いいとこ突いている思想家はいっぱいいるんだけど、、、。まぁそこは、ファシズムを生んだ後進資本主義国・・・旧枢軸国(アクシズ)系の国の悲しさで、ストックが、、まぁ植民地による収奪が少ないので、なかなかねぇ、、、。このへんは西洋文明、特にアングロサクソン系の国家に一日の長がある。

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ちなみに、バラバラな個人が孤独に分断されているマイケル・ムーア監督の『ボーリングフォーコロンバイン』な社会は、近代社会そして資本主義社会の帰結であって、これを回避する方法は存在しません。それを回避したいという人はイスラム原理主義のような宗教による神聖独裁とかデヴィッド・フィンチャー監督『ファイトクラブ』のようなもう一度人類を動物に返せ!的な反近代思想であって、全くナンセンスなバカの思想です。またグローバル化は、特に日本人や先進国の人間を、さらに孤独に追い詰めますが、これも正しいのです。だって、グローバル化によって、富める国(北側の先進国)と貧しい国(南側の後進国)の格差自体は、どんどん縮まるのですから。そんなのはっきり統計に出ている。日本人やアメリカ人など先進国の弱いものを守れ!と叫ぶ人々は、地球の経済によって後進地域の人々に死ねもしくは先進国の奴隷となれ、と叫んでいるに過ぎません。まぁ、単純な左翼活動家がダメなのは、問題の視野が狭いからですよねー。マクロの問題は、本当に難しい。弱者を守っているつもりが、経済植民地によって他の国の人々の奴隷状態を固定化するわけですから。ちなみに、この反近代思想の究極地点は『ファイトクラブ』です(笑)。フィンチャー監督流石ーーーと当時唸りました。ねらいどころが分かりやすくて、本当にえがった。もう最高の、地球を原始時代のバトルロワイヤルに帰す!!最高の方法論です。まぁテロリズム思想ですね。当時アメリカの批評界とかで死ぬほどたたかれてました(笑)。まぁ、教育とか席に与える影響は、最悪ですわな。ああ、、、その手があったかぁ!っておもっちゃうもん(苦笑)。この作品、もうカタルシス的にも本当に最高なんで、ぜひ機会があれば。僕の超好きな俳優二人エドワード・ノートンブラッド・ピットによる最高の演技が光ります。


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さらにちなみに、反近代思想のわかりやすい結実なんかはユナボマーマニフェストですよね。これも、ああなるほどーこいつは、『ファイトクラブ』を目指しているんだ!と思うと、死ぬほどわかりやすくなります。あと、地球を滅ぼすか科学者の動機ってのは、この反文明・反近代思想が背景にあると、ぐっとマクロの世界観が深まります。弱者の思想といわれますが、「何も持ってない人々」にしてみると、非常に魅力的な思想だからです。ほとんどのテロリズムの理由は、貧困ですからね。それに付け込んだ、反近代思想を持つやつらによる子供の洗脳が、だいたい原因。どうせ生まれつき何もないならば、みんな滅びちまえ!!!という言葉には説得力があります。ちなみに弱者の思想というのは、この思想は、基本的に、貧乏人の思想だからです。金があって、豊かになると、このへんの動機はすぐ消えます。ちなみに、先進国で起きるこの動機は、お金の欠乏ではなく、「退屈」による生の不全感が動機になります。

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この反近代思想の文明を無に帰す!という思想の、その後、っていうのが、アレクサンダー・ケイの『残された人々』とか、、ようは、それの展開の宮崎駿の『未来少年コナン』の世界です。『風の谷のナウシカ』もそうですね。まさか僕のブログのメイン読者で、マンガ版『風の谷のナウシカ』という世紀の傑作を読んでいない!という人はいないと信じたいのですが、これは本当に素晴らしいので、ぜひに。・・・そして、反近代主義(=無産共産主義の極致)の権化である宮崎駿は、同時にその反面として究極の近代主義者でもあって、科学教の信者で、弱者を守るために近代化を徹底して推し進めるシンボルというか最も見事なキャラクターが、『もののけ姫』のエボシ御前だと思うんです。僕は、この系統のキャラクターを、全能の神を目指した科学者の系譜、とか呼んでいます(いまつくりました)。・・・僕は、彼女が大好きでねぇ、、、。弱い者の救済のために、森を壊し、豊かな深い森にすむものけたちを殺しまくり、、、徹底的に近代化を推し進めるその悲しみに、、、そのことが何を意味するかもわかりきっている知性がありながら、、、、。このエボシの究極の姿が、世界を滅ぼし三角塔を作り上げたブライアック・ラオ博士であり、漫画版ナウシカ墓所を作った科学者たちです。ああ、、、連関しているなーと思います。このへんは、社会思想史とか経済思想史の基礎を学ぶと物凄くよく整理できるので、その導入口としては、稲葉振一郎さんわかりやすくて僕は凄くお薦めです。これら反近代史思想の円環の話は、こうしたルソー・ホッブス・ロックら西欧の社会思想家(経済思想)の系譜を知っていると、非常に面白いのです。文学的にいえば、これはユートピア・反ユートピア思想の系譜ですね。このへんは、以下の二冊を読むと凄く整理されるので、頑張って勉強してみるのをお勧めします。ただ読み流すのではなく、何度も、自分で意味を考えながら読まないと見がないですがね。けど、繋がってくると最高ですよ。ちなみに、宮崎駿さんは、このへんの流れに凄く敏感なので、エッセイがめちゃくちゃ面白い。『出発点―1979〜1996』とか、非常にお薦めです。これを読むと、日本の屈指の思想かなんだなーと思います。ましてや、その具体的展開がある人ですもんね。

ナウシカ解読―ユートピアの臨界
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「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)
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風の谷のナウシカ 7出発点―1979~1996風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

こうされると、おおーーーつながっているなーと思います。ちなみに、いつも言っていることですが、「自分の中に仮説=大きなテーマを持って読書や映画を、、、物語を見る」、その面白さを知ってもらいたいというのがこのブログの持論です。一つの作品を見る時に僕なりの大きな文脈ってやつを、知ってほしいというのがこのブログの意味だと思っています。なので、ぜひこういった文脈で、様々な作品や事象を読み解いて経験してほしいと思っています。もちろん、それは違うんじゃないかな?とか、僕はこう読む読み方で見ている!といったコメントや意見は凄い嬉しいです。ちなみに、友好的にお願いしますね。敵対的な場合は、無駄な議論になるので、無視しますので。

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■「実存(=生きている実感回復)回復」の物語は、射程が短い〜格闘ものとしての射程は十分だが、これがスタート地点だとほとんどが殺し合いで終わる

さて、『自殺島』を読んでいて、分かりやすい「実存(=生きている実感回復)回復」の物語だなぁと思います。もともと格闘漫画など殺し合いや肉弾戦を描く物語には、このテーマをそもそも希求している作家さんが僕は多いと思っています。森恒二さんは、前に書かれていた『ホーリーランド』も非常に分かりやすい実存回復の物語でしたよね。弱虫の男の子がストリートのファイトにはまっていく過程は、このプロセスを見事に再現しています。

ホーリーランド (1) (Jets comics (846))

殺し合いでも格闘技でも、タイマン、、、対人の戦闘を描くことには、「何のために戦うのか?」「そこまで強くなって何を望むのか?」というテーマが前面に出るので、射程としてはわかりやづいです。たいていの戦士が戦う理由は、一つだからです。そのことについては、安藤真裕監督の『ストレンヂア』の記事で書きました。

そういった問いを発した時に、この羅狼って男は、ただひたすらに、「自分自身の内的なモノを燃やすこと」を目的に生きているんですよね。えっとこの意味をもう少し敷衍すると、この人って、「孤独」で「単独」で生きているんですね。いいかえると、「人と人とのつながりの中で生きていない」のです。それは、端的に言って、生まれの問題によって彼には、組織に生まれて馴致(=飼いならされて生きる)されて生きることができなかった「異邦人」だからなんでしょう。ようは、異邦人は、そこにある「共同体」に入ることができないつまはじき者なので、その育ちゆえに、彼には、「他人を、仲間を、組織を通して」喜びや生きる意味を見つけるという「発想」がそもそもないのでしょう。こうした人間は、もちろん同時に、「他者を人間」としてとらえることが凄く難しい、というか敷居が高くなります。他者を人間ととらえるには、自分と同じ共通項がなければ、同じ「類」のものであると思えないからです。


そうすると、神鳴流の剣士である月詠やこの羅狼のように、価値があるものが「自分の中にある手ごたえ」だけになっていきます。だいたいに、内的な手ごたえで最もシンプルでテンションが高くなりやすいモノは、基本的に「戦い」です。特に肉弾戦。現代人の退屈を解消してくれる一時の刺激剤としてサッカー・ダンス・セックスといいますが、ようは、「肉体」の開放や「肉体」の感覚を研ぎ澄ませてリズムに乗せることで、ある種の実存を感じる方法と言い換えることができるでしょう。ちなみにこのへんの議論をいいところついていたのは、鶴見済さんの『檻の中のダンス』で、映像がないし、絶版くさいので、その前の作品である『完全自殺マニュアル』だけ載せておきます。

魔法先生ネギま!(28) (少年マガジンコミックス)完全自殺マニュアル


それが、「命の遣り取り」になって、「自分と同じくらい強いやつを殺したり戦うこと」それ自体が目的になっていく、というような戦士という類型は、物語ではよく描かれると思うのです。


さて、そうなると、この羅狼や月詠にとって最も重要な生きる目的は、「より強いやつと闘うこと」になります。もちろん、微妙にこの類型の目的には差があって、羅狼は「より強いやつと戦うことで沸き起こる心の中の熱い実存を感じること」でしょうし、月詠ならば「より勝ちのあるように見える他者の存在を自分の手で止めることによる命の熱を感じること」になります。


これらの行為が、傍目には、殺人マニアやバトルマニアに見えるという意味では、外側からそっくりです。大本の動機は同じですが、そのための手段は少しずれていますね。こういうロジックのある動機を僕は、「自分自身の内的なモノを燃やすこと」と呼んでいます。


一言でいえば、彼ら彼女らは、「自分の内部にある喜び=価値」を「肉体を使った死を天秤にかける行為」でしか、実感できないということです。




ストレンヂア』 安藤真裕監督 戦士が戦う個人的な理由を物語にすると
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100624/p1


ストレンヂア -無皇刃譚- 通常版 [DVD]

格闘もの、つまり対人の激突で、「何のために戦うのか?」ということを突き詰めていくと、ずっと前にLDさんと議論になった、武士道の「葉隠れ思想」になるというのは、この思想が、「死ぬこととは?」「生きることとは?」という実存の感覚を非常に強く凝縮した思想だからです。このへんの議論は、以下ですね。ここの話は、実は展開しきれていないので、まだ課題ですねー。


LDさんのこの解釈は、僕は好きなんだよなー : 「葉隠」の物語〜「風雲児たち幕末編」吉田松陰
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100208/p1

葉隠」の物語〜「風雲児たち幕末編」吉田松陰
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/7bfae378c375abb3f35f2afc7781ba80

葉隠れって何ですか?〜武士道と葉隠れは違うんじゃないの?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080816/p2

シグルイ 1 (チャンピオンREDコミックス)死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)死ぬことと見つけたり〈下〉 (新潮文庫)惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス)拳奴死闘伝セスタス 1 (ジェッツコミックス)駿河城御前試合 (徳間文庫)


そして、葉隠れ的なものとか、こうした対人の格闘もので、「向こう側に行っちゃっている」話っていうのは、やっぱ『シグルイ』ですね。原作が南條範夫さん・作画山口貴由さんの。


「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの」
(『葉隠れ』より)


この言葉を、思いっきり、追求すると『シグルイ』的になりますね。ある種、この系統の究極到達地点だと僕は思いました。あまり究極すぎて、ついていけないけど(苦笑)。



■バトルロワイヤルの果てには、新たな秩序(グランド・ルール)が待っているだけ〜その先は?

ちなみに、元々の最初の議論に戻ると、

この手の「生きることそのものを目的とする」物語というテーマは、前回の記事で書いたように、物質的な基礎条件があるレベルを超えると(=僕はGNP1万ドルクラスの資本主義経済と考えている)、貧・病・苦といったわかりやすい「欠乏」が失われ、生きていくことの優先順位がつかなくなってしまう後期資本制の真綿に包まれた都市社会が生まれるので、その中で生きる人々には、「生きていること」の実感が曖昧になってしまう。が故に、それを、もう一度ゼロベースで考えるどどういうものなのか?と問い直すという欲望・テーマがベースになっていると僕は考えています。

ということなんですが、こういった展開には、


1)格闘技モノ〜ストリートファイトから最終的に『シグルイ』的な生の燃焼としての殺し合いに到達


2)サバイバル・バトルロワイヤルもの〜『バトルロワイヤル』的な殺し合いが生の実感ならば、万人の万人に対する闘争的なステージ作っちゃおうぜ!


3)反近代思想のルサンチマンテロリズム〜実存の不全感から、ならばいっそ世界よ滅びろ!『ファイトクラブ』的な文明をぶっ壊す思想


4)ぶっ壊れた世界の中で、1)-2)を描く『北斗の拳』的世紀滅救世主伝説的な、サバイバル・バトルロワイヤルもの

北斗の拳 1 (集英社文庫―コミック版)


みたいな種類があるように思えます。ああ、このカテゴリー分けは、この数秒で僕が思いついた適当なものなので、MECE感が全然ない仮説です(笑)。えっとね、軸的には、(1)第一軸として、ミクロからマクロという流れがあって、生に対する不全感が、どうも個人のミクロレベルだと対人格闘技ものやサバイバルものになりやすい、という軸。サバイバルものってのは、さいとうたかをさんの『サバイバル』のような作品を想定しています。ひたすら文明のブランケットがない状況で、人はどう生き残れるのか?ということを問うやつ。これが、生の不全感を正すために、命防御の優先順位が高いピュアな状況を設定するという上記のテーマと繋がることが分かりますよね?。ここまでこの長文を読んでくれた人は。

サバイバル (1) (リイド文庫)

もう一つの二軸目は、この生の不全感を正すための「殺し合いの極限状態」というステージを要請するために、反近代文明的な文脈から、世界をぶっ壊しちゃうってやつ。これは、ぶっ壊すまでの過程を描く「以前モノ」と壊れてしまった「以後モノ」のに系統に分かれる気がします。これはマクロレベルの要請から入って、ミクロで描きたいことを描いているってやつですね。焦点の主体を、マクロにするか?(=文明そのもの)ミクロにするか?(=個人)で、本の言いたいことの核心が変わります。・・・ちなみに、まったく異なる軸でこのテーマを追うと、性愛ものになるんですが、今回の考察とはかなりずれるので、取り上げません。


さて、ここからが本題(爆!)なのですが、『自殺島』という久しぶりに質のいい、生の不全感、実存回復に焦点があった作品を読んでいくうちに、この4−5巻がポイントなんですが、これまでは、主人公が「狩り」をすることによって生の実感を取り戻すという非常に分かりやすい実存回復の物語が描かれていたところから、風向きが変わってきたことを感じました。ちなみに、狩猟が、人間を動物に帰す非常に重要な実存回復の可能なアクションであることは、村上龍がずっと言い続けていることで、このことが結実しているのが『愛と幻想のファシズム』です。素晴らしい傑作なのでご一読を。この作品に出てくる政治結社の名前は、ストレートに「狩猟社」だもんね。

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)

風向きの代わりというのは、これまで主人公の実存回復が描かれ、それがそれなりに成功しつつあるところまで行ったところで、この島が殺し合いの「万人に対する万人の闘争」という場であることが、殺しのリミット(=倫理)が壊れてしまった男が登場することで、再認識されてきました。これ、僕には凄い既視感だったんですよね。というのは、この系統の傑作だと思っている竹熊健太郎さんの『チャイルドプラネット』を思い出したのです。ちなみにこの作品は、いまいった1)−4)のすべてを網羅しているグッドな作品です。


チャイルド・プラネット 7 (ヤングサンデーコミックス)チャイルド・プラネット 7 (ヤングサンデーコミックス)


この作品で、まったく同じような状況で、ある区画に閉じ込められたウィルスに感染した子供たちが殺し合いを始めるんですが、その中の一人の男のリミッターが外れて、ひたすら暴力と性欲のままにふるまう狂った王みたいなやつが恐怖政治を始めるんですね。シュチュエーションがまったく同じ。そして主人公は、そこまでは強くないので(弱くないけど)、対処できないんですよ。なぜならば、自分一人だったたら逃げるとかの選択肢もあるんですが、好きな女の子を守らなきゃいけなかったり、自分の大切な仲間(=かなり弱い)を守らなきゃいけなくなったりするからです。


さて、このバトルロワイヤル(=殺し合い)の状況で、主人公はどうしたでしょうか?


この『チャイルドプラネット』という作品が素晴らしいなと思ったのは、弱者たちが、「大切なものを守る」ために、強大な武力をもった人間を押さえ込むのになにをしたか、という人間の文明と秩序が生まれる原初のグランドルールを見事に描き出したことです。絵でも行動でもね。それはね、物凄い強いやつを罠でおびき出して、物凄い弱いやつらで囲みこんで、網を投げつけて動かなくして長い棒でいじめ殺すのです!!!。もちろん、この殺される男はそれまでに欲望全開で殺しまくりなので、いじめ殺しても何ら、良心の呵責は生まれません。みんな、喜んで寄ってたかっていじめ殺します!。これって何を言っているか?というと、まさに人類が、、、、弱い哺乳類で会った人類が、長い生存競争を生き抜いてきた原初の力である「組織的暴力」というものの原初の発生を示しているんです。僕は中学生の時に、この作品を見て、おおっ!!!なるほど、文明とは秩序とはこうやって生まれるんだ!これが、ホッブスの言う万人の万人に対する闘争状態の収め方・・・国家の発生なんだ!と感動した覚えがあります。


このことを思い出して、、、、弱者が大切なものを守るには秩序を作らなきゃいけないんですが、強大な個人の武力を抑え込むために、より大きな暴力装置が文明には秩序には必要不可欠です。そのような時に、最も強い暴力とは何か?ということの答えは、組織的暴力なんです。そしてこれは、カリスマや個人の力では動かすことが難しいほどの、文明が進展していくある種の必然となります。つまり、グランドルールと僕がよく呼ぶもんで、必然的な歴史的帰結をもたらしやすい法則なんですね。文明・秩序が無に帰した世界では、個人の欲望がと出して狂った強いやつが(=倫理のリミットが外れている)個体が出てきて専制政治を生みやすいのですが、遅かれ早かれ、これらの暴君の暴力は、集団の暴力によぅって馴致されていきます。


やっとこの本(自殺島)を見て思ったことの本質が言えるのですが(笑)、それは、ああ、、、、、生の不全感からもう一度、生の輝きを取り戻すために、「文明を無に帰して」そして殺し合いのバトルロワイヤルをやってはみたけれども、そうしたシュチュエーション(=マクロの外部環境)を設定したところで、歴史の法則というグランドルールは変わらないんだな!と感じたのです。もう少し敷衍して説明すると、バトルロワイヤルの目的はなんだったか考えてみましょう。それは、後期資本制の行きついた社会では、生きるための動機が失われて生きやすい。それをもう一度ちゃんと実感しなおす為には、「生きること自体が目的」という万人が万人に対する闘争というシュチュエーションを仮設してみよう(サバゲーですね!←ちがうっ)。ということでした。けど、そういう新しい秩序の形成(=反近代思想の帰結として文明を無に帰す)をしたところで、結局のところ、人類は同じ道をたどるわけです。人類が人類である限り、そんなに変わらないんですよ。もう一度同じことを繰り返すだけ。ああ、つまりこの設問自体は、あまり先のない問題設定なんだな、ということです。


つまりね、思想的に物語的にも、この系は、筋が悪いってことです。


■何も持っていない者(=弱者)同士は殺し合うしかない〜恵まれているもの(=強者)にしかなかなか「絆」の可能性は見えない


さて、この先は、アイディア段階なので、また別個に話しましょう(笑)。長くなりすぎた。この「次は?」というお話が上記のタイトルです。近いうちに書きます。。