『モテキ』 久保ミツロウ著 本質のコミュニケーションか・・・

モテキ 3 (イブニングKC)

評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)

いろいろ読んでいると思うところがあるなー。


この幸世って主人公、なんで毎回失敗するかっていうと(いや、いい男だと思うよ、彼・・・コミュニケーションも上手いし)、それは、女の子との関係に「本質」というか、そういうものを求めているからなんだよね。


「ちゃんと本音の話をしようよ!」

みたいなことういって、みんなにふられるじゃん(笑)。あれ、確かに外側から見ているとウゼーーーって思うよ。いや、男としては、凄いわかるんだけどね。好きな女の子と真剣に愛し愛されたいじゃん、確かに。


僕のブログを読んでいる人は、僕は人間の関係性には「本質」を求めなければ!という意識がとても強い、ちょっちうざい(笑)性格なのはわかると思います。「本質」ってなんだよっ?って突っ込みが気そうですが、それは、「その人がその人たる所以」の一番求めているところを理解しつながっていること・・・なんですが、これってまぁあまりないですよね(苦笑)。ようは絆のことですが。でも『モテキ』を読んでいて、考えてみれば、こと女の子との恋愛に限っては、この本質を求めるコミュニケーションは、非常に確率の悪い、というか良くない形式だなーとか思いました。スタート地点は特にね。まーそもそも重いしね(笑)。そのことをちょっと思いついたので書いてみます。



そうえいば、前回ラジオでレスター伯さんが、『アマガミ』の主人公で「ちゃんと恋愛をできなかったから」、「ちゃんとしたれないをしたい」と意識がとても女の子に対して紳士な姿勢にさせているんだ、みたいなこと聞いて、おおっ!て思ったんです。


というのは、僕は対女の子との関係において「下心以外の姿勢」があるとは、考えたことがなかったんですよ(笑)。


下心って、はっきりいえば性欲(笑)。だから僕は、「男と女は対等な友達になれるか?」という問いに対しては、全く否定的で「なれるわけないじゃん」って思っています。対等な友達というのは、「本音で本質を話せている」という意味で考えてなんですが、それって、僕の経験からいうと、女の子と本気で向き合うためには「まず前提としてHしてからでないとムリだよね」とずっと思ってきたんです。経験上、たとえ恋愛感情がなくても、Hしただけで急速に深い話ができるよに思えるんですよねー。逆に、Hしていないと、どれだけ長くつきあって真面目に話していても、心を裸にして向き合うことってあり得ない、と思うんですよねー。一般的には。(ちなみに、基本同じではありますが、男性はなぜだか言葉によって本音を話すことが可能な感じがします・・・なぜだろう?。)ということで、僕は男女の関係って、性欲とHの下心がスタート地点にないと話が進まないって思っています。もちろん例外レアケースで、Hがなくとも、相手の本質に踏み込む恋愛話は、物語に特に少女漫画や恋愛ものの漫画に溢れています。けどそれって、物凄いありえないレアケースなんであって、それが基準となるのはありえない。そのなかで、レスター伯さんが、『アマガミ』の主人公に投影していたことは、「ちゃんとした恋愛」ってことだなーーと思って、おおーと思いました。そういうのがベースにあるので、『アマガミ』は恋愛の話っとしては、とてもよく出来ている。「女の子の側の本質にどう答えるか」って話になるからです。



けど、、、、、10-20代の男の子に、そんな性欲を抜いたカスカスの薄さをほんとに期待できるのか????って、実際には僕は思ってしまうんですね。



えっとねーなにがいいたいかというとまとまっていないんですが、女の子とちゃんと向き合う恋愛をがしたい時は、、、、逆説的に、とにかく「本音や本質は無視して」「まずやれるところまで野獣のように突き進め!」というのが最初期の男の子のもつべき姿勢なんじゃないかと思うんですよ。もちろん、「本音を無視する」わけだから、いろいろ衝突や失敗や傷つけあうのことって、あると思うんですよ。でも、そこからしか「本音の話」ってスタートしないんですよ。なのにね、『モテキ』の主人公って、やってしまう前から、「本当に好きな人と」とか「ちゃんと本音で話そうよ!」とか、そういう話ばかりしているんですよ。いや、そういう話って、Hしちゃって、相手に深く踏み込んで、お互いにドロドロ絡まっている「後」の関係性の中でしか意味を為さないコミュニケーションだから!って思うんですよ。ちなみに、幸世くんといつかちゃんは、同型の問題点を抱えていると思うので、上記の男の子はすべて女の子に取り換えても成り立つはずです。



なんかねー順番を間違え得ている気がします。相手とちゃんと向き合いたいためには、「事前に」言葉で話そう!とかそういうことでは意味を為さないんだろうと思うんですよ。「相手と本音で向き合った関係性を築く」には、そもそも、ドロドロっに関わりあって時間と空間をゼロ距離で共有していて、初めて「話し始める(=結論が出るかは不明)」ことができるんですよね。そうでないと材料もないし、そもそもお互いが本音んでしゃべることはありえないもん。小宮山夏樹ってのも、、、こういう子は、ずっとつきあつていないと、本質は全然見えない。言葉で本音をしゃべってくれる人ってのは、まずもって皆無だしね。本音は、行動の中にしかないんです。



そういう時間と空間を共有する関係性が構築される「前」に、この話題降っても、うざいし、意味を為さないだけなんですよ。



なんか、、、、、別にそんなことわかってなんになるのか、いまさら、おれ、とは思いますが(笑)。リアルで女の子としゃべることが、そもそももうずっとないもんなー(苦笑)。シゴトしていると、そもそも出会いなんてほぼ皆無だからねー。まぁ結婚して子供もいるし、愛する奥さんもいるので、いまさらこのへんの導入部の話をわかってもどうなるもんでもないんですがーーー(苦笑)、、、、いやそうでもないか、、、結局、「絆」の問題とか、日本社会のコミュニケーション不全症候群な問題って、こういうところの性愛コミュニケーションがかなり基盤にあるんだろうと思うもんなー。このへんが解明できないと、社会問題自体が解明できないんだよなー。別にできたからなんだって思うけど(←ただの考察好きなサラリーマン二児のパパ)。



ということで、いい恋愛をしたいのならば、まず目指すことは、たくさんHすること(笑)かな。そこに幻想の「本音の関係性」なんか持ち込まない。まずは。男も女も。まぁやりすぎると、今度は幻想が持てなくなって、関係性による輝きが磨滅するので、そのへんは難しいけど、、、。でもさーこの主人公といつかちゃんとか土井亜紀ちゃんとかこのあたりで3−4名でしょう?。たとえば、10代から真面目というか、深くかかわろうと人間関係構築してたら、女の子との関係なんて二桁行かないよ。数人と好きか嫌いかわからなくとも、裸で(心も体も両方ね)幻想は持たないけど真摯にコミュニケーションしていると、そもそも、格段に「いい男いい女になるんだよね」。それでもてはじめる。やつぱり、「本音の部分を経験」している人は、とっても等身大で魅力的なんだよね。関係性とかに過剰な幻想を持ち込まないで、まともに相手を見て話をするし。


彼氏彼女ができると、急速にモテなかったのにモテ始めるの法則の理由が、いまここで明かされた!!!(笑)って、まーそういうことなんだろうね。



とかとか、そんなことを思ってしまった。