『モテキ』 久保ミツロウ著 「自分に自信をもてない人は根源的に行動が受け身になる」っていうイタい話オンパレード

モテキ (1) (イブニングKC)

評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)


さて、全体として、藤本幸世くん(29)というダメ人間に、過去関係があった女の子から一斉に連絡が来て、モテ期到来か!ということで話がはじまります。これって、全体的に俯瞰すると「人間関係の棚卸」もしくは「過去の女の子との関係性のレヴュー」ということうになっています。エロゲーなんかで、いろいろな女の子との関係性をシミュレーションするという「網羅性」というか「俯瞰性」は面白さの一つなんですが、それって、非常に安全な主人公(=空白の視点)」があって、そこからどういうふうに「差別化していくか」というもんなんですが、それと似ていますね。ある種、短い(漫画にして数巻分)くらいの分量でエピソードをまとめ上げるには、つまり、いくつかの視点の体験的にするには、良い構造なんだと思います。


これ、やっぱり「自分に自信をもてない人は根源的に行動が受け身になる」っていうイタい話オンパレードですね。


よくいう非モテの議論なんですよね。この時代の今はもうない?かな草食系男子ってのも、この文脈でとらえることも可能でしょう。まぁ草食系男子も、非モテ(=動機の根幹で自身が喪失している)というのと、80年代以前のようにわかりやすい形で動機が世界にリンクしないが故に薄く見えるという、MECE的にいうと二つの方向性があるので、単純じゃないですけど、、、。


この作品は、非モテ的な人間がアクションを起こそうとする時には、根源的な部分で地震がないと「一歩前に踏み出せない」が故に、どこまで行っても、どんなに上手く行っても、最後の最後でヘタレるというということになり、生きていることに絶望しちゃう、という非モテ的なルサンチマンになります。


考えてみると、久保ミツロウさんの全作品の共通点です。「男が手を出してくれなぃぃぃぃーーー」って悩む女の子(笑)。思えば、みんなそういう関係性がセットされていますよね。『トッキュー』なんか凄く典型だった。これ、女の子の側から見ると、凄く腹が立つと以下、しんどい状況でしょうね。基本的に女子が欲しいの「いいわけ」だから(笑)。男に流されされちゃったーとか、いいわけが欲しい(=主体的決断じゃなくて、巻き込まれちゃいました)のは女性の方も同じで、ようは、引っ張ってほしいわけですよ、大抵は。その牽引車のはずの男がまったく動いてくれないと、自ら動かなきゃいけなくなるんだけど、女の子というの「受動的な立場」であるとかなりいいわけやわがままが聞くという構造的ポジションがあるんで、この特権を自ら失うのは嫌なんですよね。なぜならば社会的に男尊女子が、そうは行っても固定化しているというか、事実ある中で、この特権失ったら、オヤジ化するかマッチョ男化しかないわけですよ。それって、元々動機ある人にはいいけど、そうでない人には、凄く行きにくい。こういう社会を男性が作っているくせに、男性の側から手を出さない(=主導しない)というのは女性からは、許せないでしょうねー(苦笑)。

非モテ議論のルサンチマンが、先鋭化してテーマになっている人って結構いて『ボーイズオンザラン』や『ルサンチマン』が凄く思い出される花沢健吾さんなんかそうですよね(ちなみに『ルサンチマン』ってものすごい傑作ですよ!!)。えっとこの非モテルサンチマンとかのテーマって、何を語っているかはもうほぼわかってきていて、「根源的に自信が喪失されて」自分自身の行動において勇気の一歩(=自己信頼を糧に、不確定な状態で前へ飛び出す)が持てないが故に、全て状況において先を越されるもしくは状況の奴隷にしかなれなくなるってことですね。そうして、行動する気力を失って、シゴトや社会にエントリーするのをやめる→ニート化、廃人、自殺というような流れになるわけです。僕的な言葉でいえば、アアストサイダーでナルシシズムの檻の入る初期状態の話。この基本的な自己信頼が喪失していて、不確実下での行動するエネルギーがないというトラウマ、内的病いをどう克服できるか?というのが、このルサンチマンの物語の基本構造です。先に結論をいってしまいましたが、『モテキ』は、過去の女の子との関係性の棚卸をしようとする、最後の最後で踏み出せなくてまたふられるということを繰り返して「なぜ、おれってこうなの?」と自問自答のイタイ苦しさを繰り返いして、自分自身の「問題点」、最重要課題を突き詰めていくのですが、それの結論というか結果が出てないんですよね。はっきりとは。そのへんが、物語としては弱い。いや人生としては、そんな感じだと思うんですよ。はっきり結論が出ないまま進むのが人生だから。けど、物語は、物語なので「結論を明快に明示しない」と??なってしまいやすい。ちなみに「なぜおれってこうなの?」という結論は出てて、それは、青春時代や幼少期に「基本的な地震」を確立しなかったからなんですよね。まぁ究極は「親が悪い家族が悪い」という家族論に行くか、何もなかった青春時代の不毛さの後悔というような、反復するロジックのループに落ち込みます。まぁ、「そこ」は問題点ではあるけど、解決の「出口」はないだけどね。

トッキュー!!(20) <完> (少年マガジンコミックス)ルサンチマン 1 (ビッグコミックス)ボーイズ・オン・ザ・ラン 1 (ビッグコミックス)


つまりこの系統の物語には、最後をキレイに物語的に終わらせるには、主人公のトラウマの問題点をはっきり設定して、それを解決をしたから、最後に足を踏み出すことができて幸せになれましたというのが基本類型なんだ。もちろんここからのずらしは幾多のバリエーションはあるにしても、これが基本形。

ちなみに女性におけるこの自己信頼の壊れている状態、上手く説明するなーと思うのは、岡田斗司夫さんの『30独身女、どうよ!?』とかが見事でしたねー。もう一人なるほどなーと思った精神分析の先生の本があったけど、、、もう自分的にはあまりに当たり前で読まなくなったので、名前忘れちゃった・・誰だっけ?。思いだした、、、『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』岩月謙司という人だ。・・・この人その後どうなったのかな?。内容は非常に面白いパーツが多かったが、思想に無防備な点が多く、この手に人は、人生失敗しやすいよなーって思った覚えがある。あれだけトラウマにストレートな部分を無防備に本にすると、ストーカーとか敵も多く作りそうだし・・・。こういう人って、最後は宗教とか作り始めるケースが多い気がする。だって、思想性に防御や科学性がないと、それは思い込みだからねー。思い込みが悪いわけじゃないけど、「それ」が仕事の人は、危険になるんだよ。メインの仕事は、常に科学性と社会的な過剰反応からの防御を所有していないと、簡単に人生が終わるからねー。それと、後は、この類型の話は、本田透さんの著書が面白いんですよねー。あと鶴見済さんの『檻の中のダンス』(もう絶版だけど)がよかったなー。。。。この手の話は、何年前だろう?結構、前にかなり話してた気がするんだが、その後この系統の本は自分が興味を失ったせいか、全然読まなくなったので、5年くらい前で止まっているなー読書が。そういう意味ではここに紹介しているのは古い本ばかりですね。まぁ問題の本質ははあまりかわらないので、関係ないかもしれないですが。

30独身女、どうよ!?男は女のどこを見るべきか (ちくま新書)電波男萌える男 (ちくま新書)人格改造マニュアル