えーちゃんと井出くんの試合の熱さを見ていていろいろ思ったこと

ベイビーステップ(17) (少年マガジンコミックス)

井出くんとの回が本当に素晴らしいので、、、、何度も見返している。これ連載時は、地味でつまらないなーって思っていたんですが、こうしてワンセットで来ると、松岡修造さん(←テニス選手としてもの凄い大ファンだったんです!)の時に感じた、どんどん盛り上がってきて、二人の戦いに引き込まれていく吸引力みたいなものを感じる「感じ」が凄いあって、テニス漫画としては白眉だなーと思います。この感じって、羅川まりもさんの『しゃにむにGO!』でもあって、おおっ!と思ったんだけれども、これは少女漫画的な内面の積み上げで感じるものであって、テニスの技術的な部分や戦術の側面の演出というわけではなかったんですよね。そういう意味では、勝木さんの表現は凄いなーと思う。


ちなみに、yutubeで見つけたんですが、下の添付映像が、まさにそっくりのシーンですよね。股抜きショット。

ちなみに、1995年の全英オープンウィンブルドン)のベスト4(Quarterfinal)、サンプラスと松岡修造の映像ですねー。わかりますかっ!全英オープンのベスト4(Quarterfinal)、ピート・サンプラス(当時世界ランキング2位の)相手ですよ!。テニスが好きな人は、これがどれだけ物凄いことかわかると思う。しかも前の週のイギリスだったかの大会で、世界ランキング1位のステファンエドバーグを準決勝で破ったすぐ次の週の話です。


・・・・懐かしい。当時も夜中の放映で、ずっと見ていました・・・。いまの松岡さんって、ただの熱いだけのバラティーの人に見えるかもしれませんが、当時のテニス少年ペトロニウスにとって、神様のような人でした。。。出会いには時があります。


なにしろ、慶応義塾高校!!を中退してテニスの名門柳川高校に転向!!(偏差値どんだけ下がるだよっ!!(笑))してインターハイ優勝。大金持ちでエリート家系の父親(当時たしか東宝の社長)の反対を押し切って全世界のATPツアーを回ったため経済援助が受けられず、友達のモーテルに止めてもらいながら床で寝る日々か続いたとか・・・・・いい大学はいって、いい会社に勤める!ということが何もしなくてもできる男が、そのすべてを捨て去って、テニスに人生をかけていた姿は、、、、僕の人生に凄い衝撃を与えました。いい大学はいって、いい会社に勤める!みたいな、エスカレータ人生、、、それだって、かなり大変なことです。いい大学にいかないといけない、、、というプレッシャーをずっと感じていた、高校生当時の僕にとって「それだけじゃぁダメなんだ!!!」ということを、まざまざと見せつけてくれたのが彼でした。こんな、、、、こんな生き方もあるんだ!!!そして、、、そんな明らかに不可能とも思える(日本人が世界の舞台に立つテニス選手になるなんてありえないって誰もがおもっていました!!)ことを、、、故障に告ぐ故障を耐え、、、そしてエドバーグを破った後の全英ベスト4進出。。。。。ああ、そうか、、、そうなんだ、、、こういう自分の本質を追求する生き方があるんだ、そういうものを持っていないと、ただの歯車で人生が終わってしまうんだって、、、それまでの自分の感覚は、誰かに与えられたもの、与えられた役割に自分をはめる奴隷の生き方なんだったって思いました。それ以来、僕にとって、松岡修造さんは、ずっと尊敬する人です。無駄に熱いくらい、ちょっと狂っているくらい出なければ、「あそこまで」はいけないんですよ。


ぼくははしくんとマブラブオルタの冥夜の話をしたことを思います。無印で、ほとんどギャグとしか思えないような馬鹿な存在だった彼女が、地球が滅びようとしていると世界に行ったとき、その態度は何一つ変わらないののに、信じられなく気高く見えた・・・という話。



人の本質は変わりません、、、が、与えられた環境で見え方はぜんぜん違ってしまいます。



下の映像は、ある意味、暑さがうざいと毛嫌いされている(笑)松岡さんのタレントになってからのものです。けど、、、、この熱さは、僕にとっては、全世界の頂点の舞台で、世界ナンバーワンと戦い続けてきた若かりしテニスプレイヤー時代の彼を知っている僕にとっては、全く違った響きを帯びます。彼は、このほとんど馬鹿みたいに熱い暑苦しい思いを、実践で燃やしに燃やし尽くして、結果を捥ぎ取った男なんです。普通の中産階級?に育った僕からすれば、信じられないほどの初期のリソース、、、財閥の家に生まれた大金持ちの次男坊で、慶応の幼稚舎から順当に慶応高校に進んでいた「選ばれた恵まれた人」であった松岡修造という高校生の男の子が、夢だけを糧に、すべての「与えられた恵まれた役割」を捨て去って、ほとんど不可能な世界に足を踏み込んだんです。当時のテニス少年であれば、日本人がATPツアーに参加するとかプロになって食べていくなんて、そもそも「夢」ですらなくただの妄想だったんですよ。それがありうることを、初めて示してくれたのが彼でした。「いい大学、いい会社」みたいな順当で貧困な世界観しかない僕に、全く違う多様な世界の可能性を見せてくれたのです。そういう意味で、松岡修造さんは、僕にとって、ずっとずっと今でも尊敬する人です。だって基本の「生き方」がぶれないんだもの。タレントとして行動や言動も、これがテレビの枠の中で見れば、ただのウザイ熱さに過ぎないかもしれないですが、そうじゃないんですよ。僕はぶれない、覚悟がある生き方が大好きです。そんな風に生きるのは、なかなか難しいけれども、そうありたいと思って生きています。高校時代の夜中に、全英オープンをみながら絶叫していた思い出が、それを支える一つの動機のオリジナルになっています。