『高校デビュー 』 河原和音著 環境の激変に左右されない「一途な思い」

高校デビュー 13 (マーガレットコミックス)

評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★★★5つ)


読了。遠距離恋愛編も14巻まで読了。

基本的には、最初の「高校デビュー」というコンセプトが素晴らしかったんだな、と思う。最初の数巻のそこでぐっと感情移入が入った。この物語は、中学時代に部活に全力投球だった部活少女長嶋晴菜が、そのありあまる体力と動機(笑)で高校では彼氏を作ろう!と頑張るんだけど、センスがかなりずれていて、全然もてないって悩んでいるところから物語は始まる。この「センスがずれている」って、すごくよくわかって(笑)、部活とか何かに一直線の人って、「人の視線を気にする」ことの敷衍として「自分の容姿がどんなカスタマイズに向いているか」ということに凄く鈍感になるんだよね。ようは、容姿についてのセンスがない。そういう人がやりがちなのは、自分にカスタマイズするのを無視して、マニュアル本を「そのまま」適用すること(笑)。この晴菜ちゃんって、がたいのいい筋肉質なスポーツ大好き元気少女なんで、そもそもフェミニンな服装がまったく似合わないうえに、TPOを無視したドレスコードを選ぶことで、それが凄いギャグになるんだけど、、、それって本人にしたら凄く深刻なことなんだよね。だって、本人は、本気も本気で、てきとーな理由でそれをやっているわけじゃないんだもの。本気で彼氏が欲しがっている(笑)。。。。ああ、、、そうか、彼女が欲しいとか、彼氏が欲しいとか、まぁ「自分の欲望」なんだけど、そういうのって、なんとなく「けっ」って思ってしまうのは、どこまでも貫く真摯さがけっこうみんな少ないからなんだろうと思う。なんでも、「やろう」と思ったら、自分がへこたれても、環境が変わっても、バカにされても、当初の目的を純粋に貫いて、逃げない「真摯さ」が僕は美しいと思う。そして、全編13巻にわたって、ひたすら貫く真摯さ(逆にいえばそれしかない(笑))があるからこそ晴菜ちゃんに、はまったんだなー。


そして、そういう逃げない強さを貫いている時に、小宮山ヨウくんに出会うんだよね。


ルックスが良すぎて女の子と関係にトラウマありまくり(笑)だけど、観察眼の凄く鋭い彼に、師匠!!!と、もてるためにはどうすればいいかの指南を仰ぐ・・・。これも僕がすぐく好きなストーリー。何かをへこたれずに追求している時に、なぜだか、これだ!!!という師匠に出会う時があるものなのだよ、人生は。そしてそのタイミングを逃さず、獲物を捕らえるように(笑)、師匠を、師匠として「教えなきゃいけない」ところまで追い込んでいく(笑)。ようは、あきらめないこと、その「思い」が尋常じゃない強さであることを示し続けて(笑)、断られても、傷つけられても犬のように突いていく。何もない徒手空拳の人が、何かを要求しようとしたら、「ある種の信仰に近い信頼」を示さないと、人は動かないよ。んで、ヨウくんも、その情熱にほだされるんだよね。凄く女性不信の彼には、最初女の子として、晴菜ちゃんを全然見ていないと思う。でも、受け入れたのは、彼女の「人としての誠実さと一途さ」に真剣さを感じたからだと思う。スタート地点で二人の関係が、交わらなかったはずの二人の関係がはじまったのは、彼女のこの「物事への真剣さ」ゆえだよね。これは恋愛とは何の関係もないこと。人としての本質に関わること。


そして、上手いなーと思うのは、フェミニンな格好をしている晴菜って、ほんとモテなさーって(笑)のが、絵の力で限りなくよくわかるんだけど(笑)。まぁ基本路線がボーイッシュやパンツなど、コーディネートを変えるので、めっちゃくちゃかわいくなるんだよね。もうびっくりするくらい(←って僕の好みかもしれないけど(苦笑))。絵を少女漫画の変身的にきらきらに描くのではなく、本当に自然体の絵で、晴菜の顔の絵は全然変わってないんだけど、服装の雰囲気を変えただけで物凄く「しっくり」来て、おおっかわいいっ!!って凄く思った。これって、晴菜ちゃんの持つ「容姿」と「雰囲気」のミスマッチを解いてあげたからなんだよね。おお、、、小宮山ヨウ、やるなっ!!!って思った、この手のカスタマイズができるやつってのは、基本的にものすごく頭がいいやつだと思う。あまり極端にヨウが成績がいいという描写はないけれども、こういう「本質読み」ができるやつって、物凄い分析好きなはず(&ひねくれている)なので、本当は琴子ちゃんに対しての入江くんのように、物凄い成績の差があった方が、物語としてはわかりやすかったかも。


ちなみに、この「容姿」と「雰囲気(=性格の本質からにじみ出るもの)」のミスマッチを解くという部分と「高校デビュー」というコンセプトが、この作品の根幹だと僕は思います。ようは、その人が持っている本質、、、自然体で等身大な部分と、世界とのマッチングを良くしてあげる=世界から受け入れられるというシンデレラストーリーですから。


そして、これが上手いなと思うのは、ようは、小宮山ヨウくんは、そういう本質が「見抜ける」んだけど、過去のトラウマもあって、竦んで「動けなくなる」なんですよね。基本的に、頭が良くて洞察力のある人の欠点は、物事を立ち止まって考えてばかりで行動してぶつかっていくことができないってことです。晴菜ちゃんと対極の問題点をヨウは抱えている。師匠が弟子に教えられる・・・ナウシカとユパの「教え子に教えられる関係」と僕はよんでいますが(笑)、ヨウにとっては、本質を見抜いてそれを告発したりいってしまうこと(=それがヨウにとっては誠実な対応だと思っている)ことで、ずっと人に嫌われたりうとまれてきた彼にとって、自分の人の本質を見抜いて告発することで、その人(=晴菜ちゃん)の人生がドンドン好転してよくなっていって、しかも自分に死ぬほど感謝してくれるというのは、稀有な体験だったと思います。そして彼自身は意識していないですが、これはヨウくんいとっては、救済だったんですね。彼自身の本質を、全開にすることで、世界にとってそれが価値があることなんだ!ということが、晴菜ちゃんが幸せになっていくことで、はっきりと実感できる。だからむしろ、男性上位の視点(=晴菜ちゃんは犬のようにヨウにしたっている(笑))にみえて、完全にヨウのほうが晴菜ちゃんに救われて、ノックダウンになっているん構造なんだよね(笑)。いってみれば、ヨウにとって、人生で初めて、自分の本質への理解者が現れたわけなんだから。


そう、お互いにとって、お互いの存在が、高め合っていくのに、とても必要な存在なんですよ。


ああ、こりゃーーーそりゃーお互いべたぼれになるはずだー(笑)って、ぐっときました。


それ以降の構成自体は、ありがちといえばありがち。後半ぐだぐだになってきて、物語としての完成度はかなりいまいちになるんだけれども、最初の構造がいいから、それでキャラクターが生きてくるので、その辺はすべて無視できるんだよねー。そういう意味では、あまり長くやるのはなーという気はするが、好きなので、長く書いてほしいという気持ちと悩む感じ。


これ、『イタズラなKiss』を好きな気持ちと同じなんだろうと思う。それは、ひたすら一途!って気持ちを貫くことのだよね。そういうのに僕はぐっとくるらしい。そういう意味では、最初につくった構造を、最後までテンション続ける多田さんの技術は凄かったんだなーと思う。なかなかそこまではできないものだから。だって、物凄いハイテンションが続かないといけないわけだから(苦笑)。


なるほど、、、僕は環境の激変に左右されない「一途な思い」というのが好きなんだ。これ、松岡修三さんの記事を書いた時もそうだし、多田さんの琴子ちゃんいついて思ったことも、河原和音さんの長嶋晴菜も。彼女も、基本的に「一度自分が選んだこと」に対して疑問とか悩みをほとんどもたないで一直線に向かっていく。ああ、もちろん環境や条件が凄く変わるので、大きな壁や悩み自体にはぶつかるんだけど、ゴーフォーブロークン!(当たって砕けろ!!)(笑)で、突破していく。基本的なキーワードは一途さ。本質が、微動だにぶれない信念の強さ。


これは、、、僕が、本質的にこの世界には、ありえない少ないものだって思っているからなんだろうと思う。ちょっと逆説的に。僕自身も、そこまで強い信念を、天然にナチュラルに持てる人間ではなく、考えて行動して滑って転んでいつも悩んでいる人だし、、、、だから、譲らない信念を、ウルトラ逆境の時も順風な時も、変わらず持ち続けることに、素晴らしさを感じるんだと思う。これって重要で、ようは、いい時とか悪い時、といった環境によって左右されるものは、嘘なんだ!!という強い告発(うぜーーー(笑))が僕の中にはあるようなんだな。だから、いつも「時」に試されないものは信用できないといったセリフやコメントが僕にはよく出てくる。





イタズラなKiss 1 (フェアベルコミックス CLASSICO)