『少女不十分』 西尾維新著 西尾維新の描く小説家が小説を書く理由・・・という物語(というあたりがメタ的だよなー(苦笑))

少女不十分 (講談社ノベルス)

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

ものごっつ!素晴らしかった。

ただし、西尾維新さんの過去の作品を読んでいない人には、この感動が激減してしまうと思うので、なんでもいいので一シリーズか二シリーズ読んでから手をつけましょう。僕はいーちゃんの作品と『化物語』シリーズしか読んでいなかったけど、そうだね、、、『化物語』で語られていたテーマのほとんどが、ほんの数行の説明ですべて、壮絶に理解できました。・・・・だから、あの描写か、、、とめちゃくちゃつながって、感慨深かったです。ちなみに、タイトルも表紙の絵も、かなり、、、、うーん(苦笑)とロリ方向にひねっているので、いやまーあの、あまり先入観は一切持たないで読むといいと思いますよ。そういうんじゃないから(笑)。わからんでもないけど、、、この表紙はないだろーというか、このレベルの話ならば、表紙とかなくてもよかったのに、、、、と思いつつも、マーケティング的にはこっちが正しいかぁ、、とは思う。とっても、マイナーな系統の話だもんねぇ。西尾維新でなければ、まず手に取ってもらえないほどの、、、。やっぱこの売り方で正しいのかもなぁ、、、。・・・・ちなみに、ちゃんと感受する力がある人であれば、結構へこむ話ではあります。まぁ、でもハッピーエンドだから、それでもいいんだけどね。でも、わかる人には、このテーマがはらむ苦しさに、きっとぐっと心が鷲掴みにされるでしょう。でも、暗くつらいものを背景に含みながら、最後はオチの付け方の読後感は良かった。まぁ、作者自身も書いているけれども、この物語はその前で終わってもいいものではあると思うけど、物語としてはそういう循環をさせるべきだよな、このネタとしては、、、と思いつつ、、、、。


ちなみに、この作品を一言で薦めるならば、


西尾維新さんの過去の小説に登場するヒロインたちや登場人物の動機が、これによってめちゃくちゃよく理解できるようになる


でしょうね。特に、ひたぎさんとかつばさとか、もう、はーなるほどーーーって思ったもん。暦くんの性格も、まじで理解できた(理解できるとさらにへこむけど・・・)。『化物語』や『傷物語』でいま一歩登場人物たちの動機が解明しきれない・・・・うんぬんの記事を書いていましたが、この小説を読んで、個人的にはそれはなくなりました。事細かに説明してもいいのですが、この時点ではそうするよりも、読んだほうがいいです。あと、この現実だか物語だかわからない仕掛けというか文体が、西尾維新のとてもうまいところですよね。これによって、彼の過去に描いていた小説がメタ構造的な意味を持つようになってしまうし、いやーほんとうまい。さすがとしか言いようがない。これは、作中の小説家が出会った女の子に対する作者のメッセージなんですが、、、なんとなく、ああそうか、西尾維新の『化物語』で、いまの物語類型で行きついたラスボスって、女の子なんだな、、、と思ったことがあったんですが、異形の他者、理解不可能な他者って、こういうことか、と思いました。。。。


囮物語 (講談社BOX)クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社文庫)化物語 ひたぎクラブ 【通常版】 [DVD]


ちなみに、この作品は、なるほど、出るべくして出る作品だな、と思いました。というのはテーマは、辻村深月さんの『スロウハイツの神様』とまったく同型。小説家が小説を書くのは何のためか?というものの答えが描かれている小説だからです。僕は、『スロウハイツの神様』の感想で、この作品を読んでいると西尾維新が思い出されて仕方がないと思っていたら、後書きが西尾維新さんでびっくりした、と書いたのを覚えています。あのテーマへの返歌?的なものだと僕は思います。あれにイスパイアされたのは間違いないでしょう。


スロウハイツの神様』 辻村深月著 この絶望に満ちた世界を肯定できると力強く断言することhttp://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110616/p3

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)



だから、どっちの小説でも「いい」と思える人は、確実にもう片方を読んでも感動しますので、お薦めです。ちなみに時系列的には、もちろん辻村さんのほうが先なので、『スロウハイツの神様』を読んで、それに対する西尾維新さんの後書きを読んで、その続きとして、この『少女不十分』を読むといいと思います。もちろん、繰り返しますが、西尾維新さんの作品を過去読んでいることは必須の条件です。


ちなみに、作中の主人公である小説家が、真の小説家というか物語の水準を超えるようになったのは、「この体験(=この小説の出来事ね)」が自分の中にあったからだ、と言っているシーンがあるんですが、これまともに読めて(=読む価値があって)、量産できる小説家には必須のコアかもしれないなと確かに思いました。何にもまして、世界に、その人に「伝えなければならない」という切迫感。こういう、自分の中の欲望のもやもやが、結集して、相手に「伝えたい」という意思がない人は、確かに物語にはならないかも、、、とちょっと思った。



西尾維新さんの描く、小説家が小説を書く理由・・・という物語(というあたりがメタ的だよなー(く苦笑))

小説家が小説を書く理由、、、、誰に対して物語を物語る?と問う時に、ああ、みんなクリエイターってこうなるんだなーと思い感慨深く感じました。それは、同じテーマを、小説家の栗本薫さんが、評論家名義の中島梓の著作である『わが心のフラッシュマン〜ロマン革命序説』で同じ問いを発していて、その答えも同じものでした。


知的に誠実である、ということは、ある問題的に解答を出し、かつ実践でそれを変えることだと思います。

過去に文壇で

『文学は、飢えた子供を救えるか?』

という問いがはやったことがあるそうです。この問いは今でも有効で、食べることが出来ない空想が、役に立つのか?という問題提起です。全てのものを、『役立つか?』という思考に還元するのはどうかとは思うものの、ベトナム戦争やアフリカの飢餓を直面しながら、飽食に飽きる先進国の住民には、誠実な問いだと思います。この問いへの真正面から答えたのは、この本以外には知りません。

解答は、こうです。人間とは、生物としての本能が壊れた生き物であり、その欠落部分を自己幻想欲=物語を生み出すことで、生きている。だから、物語は、飢えた子供を救うことは出来ないが、1日でも飢えを忘れてワクワク過ごすことができる。そして、それは下手をすると一切れのパンよりも、より人間らしく生きるために不可欠なものかもしれない・・・・・。自分の物語のために死を選べるヒトという種族は、食べ物よりもロマンが不可欠なのだ。

彼女の評論は、ある意味冗長だが、その分結論へ至る「思考の過程」を知ることが出来ます。小説家としても大成している彼女が、物語が心の中で生まれてくるプロセスを、微細に事細かに描写していく部分が、とてもエキサイティングです。ある意味現役バリバリの物語作家である自分の心を対象とした分析というのは、かなり貴重なものなんではないかなぁ。

副題に「ロマン革命」とありますが、『文学の輪郭』『ベストセラーの構造』で分析した価値の細分化による共同体の喪失は、物語とロマンの復権を導くだろうと結論付けています。10年も前の作品とは思えませんね。

ああ、むしろ中島梓(=栗本薫)のもっといいのは、SFとの評論である『道化師と神』かもしれませんね。このシーンで、彼女が書きたい物語とは、『デビルマン』の「シレーヌ 血まみれでも君は美しい」という、あのシーンのような物語が書きたいんだ!と、喝破していたのを思い出します。

デビルマン(1) (講談社漫画文庫)

彼女は、SFで「人間なるものは何か?」と問うた時、それがどんな生き物であれ、いや生き物でなくてさえ、人間的なるものでありうるんだ、どのような異形、異端であっても、、、、そのメッセージがこの世界のだれかに届くことがあり、誰かの暗闇で苦しんでいる人の心に一筋の光を投げかけることができれば、それでこそ物語を書いていた意味があるんだ、いやそれこそが物語を書く意味なんだ、ということをいっていました。異形、異端への限りない共感と愛が彼女の作品には溢れていました。辻村深月さん、西尾維新さんのこれらの作品を読んで、このことをものすごく思い出しました。カテゴリーもて今も年代も全然違う人々ではありますが、強烈に背後に同じ匂いを感じます。



とりあえず、細かい解析はしないんですが、読んでみてください。できれば、『スロウハイツの神様』と読み比べて、同じテーマの展開の仕方を見ると、なかなか興味深いです。