『モテキ』 大根仁監督 森山未來 長澤まさみ主演 なんで『モテキ』?〜コミュニケーションの弱者を赤裸々に暴露するっていう開き直りをもっと展開すべきだったのに、普通の物語に終息してしまった

モテキ 劇場版 (森山未來, 長澤まさみ, 麻生久美子, 仲里依紗, 真木よう子) [DVD]

評価:★★★星3つ
(僕的主観:★★★☆星3つ半)

先日、年休を取って奥さんと一日デートしてきたのだが、、、うちは、3カ月に一回くらいはなるべくそうしたいなーと思って、おいしいものを食べに行ったりします。いーじゃないですか、双子の子育てって、すげー大変なんすよー。ちなみに新宿で映画見て、恵比寿で和食食べて、酵素風呂!(はじめていった)いって、いろいろ下町を散策しました。最後は、おいしいチョコレート屋さんで、本気のチョコレートを購入、これもうまかったーー。幸せだったーー。・・・というようなことするんですが、なんか気分変える映画でも見ようと思ったけど、あまり思いつかなかったので、あんまり考えなくてもいい系を、ということでこれを選んだ。僕のチョイスではないんですが、頭つかわなそうで見れそうなのがこれだったのでした。


なんというか、普通の映画だった。たぶん妻も思っていたので、誰もが思うだろうと思うけど、前半と後半でかなりテンションが変わる。前半の作りが見事で素晴らしいだけに、後半失速していくのが少し残念ではあった。


■なんで『モテキ』?〜コミュニケーションの弱者を赤裸々に暴露するっていう開き直りをもっと展開すべきだったのに、普通の物語に終息してしまった

モテキ』って、ドラマ化もしているそうで(見ていない)、なんでこんなにメディアで取り上げられるんだろう?って思うと、前にも書いたんだけど、いまの時代をとても切り取っている部分があるからなんだろうと思う。ようは、人と絆を作れなくて歳を重ねてしまった孤独というものを抱えている人てのが、主人公の幸世君で、そういう人をスタート地点にして絆の再構築を描いたり、、、、いやむしろその人の孤独そのものを赤裸々に暴いてさらしていくというところに、この系統のテーマの面白さがあるんだろうと思う。さらすとか暴露にはユーモアというか、笑いが付いて回るからね。ちょっとひどいようだけど、笑いによる客体化は、実はいいセラピーだったりもするしね。昨日読んでいたきづきあきらさんとサトウナンキさんの『うそつきパラドクス』も系統外れるけど、根源のテーマは似ているかもしれない。

うそつきパラドクス 1 (ジェッツコミックス)

メイド諸君!』 きづきあきら + サトウナンキ 実存とストレートに結びつきすぎる生き方
http://ameblo.jp/petronius/entry-10019668890.html

モテキ』 久保ミツロウ著 本質のコミュニケーションか・・・
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110611/p6

モテキ』 久保ミツロウ著 「自分に自信をもてない人は根源的に行動が受け身になる」っていうイタい話オンパレード
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110616/p1

ある意味、ひどいっちゃーひどいんだけど、自意識の空転をエンターテイメントで描くには、笑い、ジョークにしてしまうというのはとてもいい手法なんだと思う。本当にひどいと笑えないからねー。そういう意味では、全然もてなかった男にモテキがくるってのは、エンタメ化しやすいテーマですよね。


そんで、下のyoutubeとかで予告編見てもらえれば、わかるんだけど、前半は、このさえない主人公の幸世君(森山未來)が、なぜか松尾美由紀(長澤まさみ)に出会って、、、かなりい関係に、、、という話なんだけど、なんかあっつぁその日にキスしちゃったり家に泊めて一緒のベットで寝ちゃったりと、なんだこれ、なんだこれ???見たいなことが起きるんだけど、そこで、いきなり踊りだしたりする表現が素晴らしく面白かった。ようは、ミュージカル形式。自意識が空転している人が、頭の中で起きている感情などの変化を、実際の現実に投影して表現してしまうという「つながりの良さ」にはびっくり。相性がいい表現なんだと思う。また、訴えたいこと、この『モテキ』というテーマの本質である、自意識の空転というか痛さをユーモアやジョークに還元するという、面白さの本質ととてもマッチするんだろうと思う。だから、前半のこのシーンくらいまでの面白さは、素晴らしかった。この、はっちゃけ感、が最後まで行けば傑作になったと思う。そこが残念。


■30代のツボにはまる音楽のオンパレード

最後に、オザケン(←僕は小沢健二の大ファンです。フリッパーズギターからすべて!)の歌が流れてきた時も、うぉーいいなーと思ったが、奥さんもかなりヒットしていたんですが、とにかく音楽の選曲が、僕の感覚的には今の30代が青春時代にはやった曲ばかりなので、その辺の層をターゲットにしているのかな?って思いました。こういう同時代性って、すぐ廃れる、、、けど、でも、これが、今の20代に向けていないで、ナツメロに近くなっているジュディマリオザケン竹内まりや岡村靖幸大江千里、B'z なによりもTMネットワークのセルフコントロール!!(←いたでしょう?ああいうやつ!!(笑))とか、こういうのを使用するのは、ある意味、ノスタルジー的演出だし、様式美にちゃんとなっている確定した過去を選んでいるところは、監督というかこの作品のプロデュースしている人のセンスがいいのだろうなー。これ、この映画に使われている音楽集とかで、CD出して売るって方法とかも考えていそうだなー、、、。

LIFESelf Control

でも、後半は、いまいち。というのは、なんというか、脚本的に、物語的に、ちゃんとオチをつけようという監督の誠実さと有能さを凄い感じる作りで、このドラマの続き?(ドラマは見ていないのでよくわからない)で、アイディア勝負の映画を、とてもソツなくまとめている。けど、ソツなくまとまりすぎて、凄い生彩を欠いてしまった感じがする。いやほんと、きれいに作っているので、見てつまんなかったというマイナスのレベルには絶対落ち込まないんだけど、逆にいうと、突き抜け感がない。ああ、、、普通の話になってしまったね、という印象。奥さんも全く同じ感想だったので、一般の人が見てもそうなんだろうと思う。幸世君みたいなダメ男に、なんであんな最高に美人で乗りのいい松尾美由紀(長澤まさみ)が浮気するのか、、、、って、浮気するのはわかるんだよ、あの手の女の子は天然につまみ食いすると思うしね。けど、物語が進むために、、、、ネタバレだけど、美由紀って不倫している設定なんだよね。ずっとつきあっている男は、幸世君の何億倍も器がでかい、ちゃんとした社会人兼自由人で、、、

唐木素子(真木よう子)(←この人、うまいよね!!凄い演技!!!)という会社の先輩の女性に、


「自由人は、自由人で生きる資格のあるつしかやつしかやれねーんだよ!


お前にはその資格はねーンだよ、仕事しろ、ボケ!!!」(うろおぼえ)



と、その不倫している男のことに怒った幸世君は諭されるんですが、、、、うん、確かに不倫はひどいけれども、社会人としての対応も見事だったし、実際に、組織のトップはってあれだけの巨大イベントを自分で立ち上げている風格は十分に演技できていて、ありゃーーー勝負にならないわって(苦笑)、妻とうなづきあっていました。んでね、ようは、幸世君が、明らかに格でも器でも年収でもあらゆることで負けているにもかかわらず、それでも、美由紀(長澤まさみ)を奪う物語場の正当性が生まれるのはこの不倫しているという瑕疵を作ったからなんですよね。でも、これ、実際に上記のセリフでも書いているけれども、いや、明らかに器で負けているから、スタート地点にも立っていない幸世君(年収まともにあるの?)には、ほんとは戦う資格すらないんだけど(同じフィールドに立っていないので)、それでも、物語上はたしかに付け込む余地はある。けど、それに対して、美由紀(長澤まさみ)は、


幸世君とじゃ成長できない!


と、ひどく正しい答えをしておりました(苦笑)。女性の、あなたとじゃあ成長できない!というセリフは、まぁよくあるフるための逃げ言葉ですので、いちいち真に受けていたらだめなんですが・・・だって、そんな自分より常にちゃんとした人間・男でいてくれて自分を叱って引っ張ってくれって、何様だよっ!って思います。まぁこのセリフはく人は、不倫する女性がが多いです。だって、自分より立場が強くて、経済力があって、包容力があって、という男性は対象の過半が金持ちの既婚者ですから。もしくはうんと年上ね。この手の満足が一番うまくはまるのは、社会人の男性と大学生の女の子とがつきあう場合。経済力がある!というのは、相手を何倍もかっこよく見せるものですからね(苦笑)。まぁ、大学生のお金と比べて、だけどさ。


まぁ、一歩ゆずって「一緒に成長しよう」という意味でとらえても、僕はねー思うけど、恋愛に成長を求めたらそんなの恋愛じゃねーよって思いますよ。まぁ、僕の性格から来るのかもしれないですが、普段から成長に向かって驀進しているし、他人にも物凄い努力を要求する僕のような人からすると、そもそも、そういうのとまったく関係ないところで、「素の自分がいい」って思えて、素の自分が出せる空間でなければ、最奥の親密圏(=恋愛)は意味ないよ、って思うんですけどねー。まぁ、これは、成長が生きる前提になっていう人間が思うことなので、そうでない人は、こう思うのもしかたがないのかなーと思いますが、恋愛の純度が下がるような、成長なんていう関係ない概念を持ち出すのは、ほんとは、おかしー気がするなー。女の子はよく言うよね。これ。なんか、キレイごとな気がしてなーこれ。


えっと話がずれた。だから、幸世君の付け込むポイントをわざわざ作ってあげた、という物語場の流れが、あーそう「オチ」を付けてきたか、となんか、ああきれいにまとめようとすると、それしかないよね、的な「先が読めちゃう感覚」が発生して、失速した、と思ってしまいました。先が読めても、前半のような、脳内風景妄想をミュージカルダンスで表現してイタイ自意識をコメディーにするという手法の斬新さがあれば、そういうありきたり感はぶっ飛ばせたんでしょうが、そういうのもなりをひそめたので、、、いまいち普通の恋愛話になってしまった、、、と思いました。監督とてもうまくて常識人なんだろうと思うんですよね、こういう風にきれいにまとめるのは。


モテキ (1) (イブニングKC)