本人の声を聴くことが、難しいことへの理解への早道

吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)

亡くなってしまったのですね。まだ、彼の思想に到達できるほど、僕の思索は進んでいないけど、何となく、もう少しかな、という気はします。。。。まー勘違いかもしれないけど(苦笑)。


さて、最近の戦前の話に戻るんだけど、阿川弘之さんの海軍提督三部作を読んでいて、日本社会の暴走、特に土俗的な共同体体質の病を押さえる機能は、戦前の日本社会にも十分あったことがわかってきた。海軍の組織のリベラルさ、近代国家としてのレベルの高さ(問題点は海より深いが…)、そしてなによりも、日本の君主にして30代の後半の若さである昭和天皇からして、深く染まっているリベラリズム自由主義)の伝統。日本が、旧枢軸国の中で、、、というか、ドイツとイタリアを簡単に一まとめするのもどうかと思うが、少なくとも、自由主義の伝統が色濃く存在する英米系の国家から見ても非常に普通の国だったことがわかってきた。「持たざる国」とか、いろいろゆわれているが、太平洋の、アジアの覇者である列強(パワーズ)たる大日本帝国は、東のグレートブリテンと同レベルの存在であって、まったくそういうのは捏造だ、と思うようになってきた。まぁ、それは言いすぎなのかもしれないが、ステージの違いってのはあるはずだ。だって、あの時代の開発途上国のレベルで言うのならば、トップランナー級なわけだからさ。それを「ないない」いうのは、子供のわがままな気がするぜ。


じゃあ、、、なにがわるかったんだ?。何が、あの狂った戦争への決断を後押ししたのか?。


いくつかの仮説があるが、どうも陸軍悪玉説とかよりは、僕には、究極的には、国民の民度の問題とマスコミによる熱狂のコントロールをできなかった部分が、いまは、根源だなーと思っている。。少なくとも、民衆が非常に強く陸軍的なものを支持し、熱狂していった事実は否定できない。議会制度が整い自由主義の伝統がある国で、かつ貴族制度、そして官僚組織による横の争いの強烈に強い日本という複雑な社会では、物事は独裁者の決済なんかで簡単には進まない。そこで、重要な発火点は、民意ってやつだったとおもう。なぜならば、空気によって意思決定が進みやすい国だからだ。だから、現時点での日本の史観では、戦争を熱狂的に支持した朝日新聞に始まるマスコミ組織に対する弾劾があまりに弱すぎると思う。民意とマスコミのミスリードとによる空気形成については、もっと徹底的に攻められてしかるべきだと思う。特に大マスコミは、その組織をすべて温存しているのは、許されることなの?と思う。


・・・・と、まぁここはもっと追究されるべきだが、次に来る発想は、では、日本の国家としての制度で、かつそこで形成されている組織、特にエリート(指導者)の仕組みによってこれを抑え込むことができなかったのか?。という点だ。これは、僕は、十分できたはずだ、と思う。それくらいには、戦前の日本のレベルは高い。また、民衆の暴走への危険について、頂点の天皇陛下から、さまざまな階層の選良たちは、よくよく理解して、国家の制度設計をしている。だからこそ、革命も共産主義も日本には浸透しなかったのだ、これは、物凄く大きなポイントだ。だから、井上茂美大将が、なぜ海軍は陸軍の暴走を止められなかったのか?と嘆くことは、彼の軍官僚としての人生を見ているとよくわかる。統帥権に関する組織としての楮を少しづつ改変させられていくその過程は、最初の時点ではそこまで大きな問題ではなかっただけに、ものが見える人からすれば許しがたい「妥協」に見えたのだろう。もちろん、日本の海軍と陸軍の統合的視点が欠けた制度設計の問題や、そこを束ねる「元老組織」という国家統一、統合的な視点で指針を決める最高意思決定機関が、もともとはあったがうまく機能せず骨抜きにされていった過程を見ると、制度的な欠陥のように見えはする。けれども、天応という超越的な権威を設定して、元老という長老組織を置いて、官僚が陥いる「部分最適」と「プロセスの不可逆性(=一度動くとやめられない)」を上位から一刀両断に変更するという制度設計は、十分に先進的で、現代でも機能するものだと思う。だってイギリスの立憲君主制のそのものだもの。ようは、貴族の伝統がない日本では、この長老が、、、華族制度もそうだけど、十分に育成されなかったことが、問題だったのかもしれない、、、、。華族制度は、イギリス型の貴族による貴族院の機能を、期待したんだろうが、、、日本には、どうも貴族が浸透しにくい土地みたいなのだよな、、、この辺は、制度設計上の問題点だったんだろうなー。

なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか

おっと、でも、それでも「なんとかならなかったのか?」の問いに、何とかなるチャンスは十分にあった、と思う。たぶんこの暴走を防げたのは、議会側か海軍かどっちかでしかなかっただろう、と思うと、海軍の思想や組織の在り方が、たぶん日本の暴走を抑えられた祭儀のポイントとして評価できるのではないか?と考えてみる。まだ仮説だが、、、、。だとすると、これほど自由主義伝統がある素晴らしい組織の何が問題を誤らせたのか?といえば、、、海軍の選良たちを見ていると、その抜きがたいエリート意識にあるんじゃないかな?と思う。うんとねー凄くリベラルな人々なんで、当時のほかの日本の組織の人々に比べると、もっとも現代的なんだけど、、、、、民衆を全く信じていない、というのは、当時の日本の官僚やエリートたちの基本のような気がするんだよね。。。。


よっぽど、昭和天皇のほうが、皇祖に対して日本に住む人の生活に対して責任があるという教育を受けているので、日本のエリートよりも、天皇のほうがよほど国民生活を心配している、、、不思議な構造だよ、、、、。ちなみに、まじめに昭和天皇の言行録とか、組織における機能とか、彼の生涯の言動や行動を見ていると、、、かわいそうで仕方がない、、、君主自らがリベラリストで組織の暴走を抑えようと必死なんだもん、、、それがまったく無視されていく様は、いやー日本人って、天皇をほんと駒というか道具扱いしているだなってのが、あからさま。昭和維新とか226とか陸軍の統帥権の言い張り、ああいうのって、、、、ほんとうに昭和天皇の意思と現行を無視して、道具扱いした行為なんだなーと、あまりの言行不一致に、理解しがたくなる、、、、。
裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)
裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

さて特に海軍の視点は、リベラルで現代的だから、この問題点がなかなか見えにくいんだけど、、、対米戦争を考える時に、日本と米国の国家としてのレベルの差、特に戦争遂行能力の差を計算する指標に、『鉄量』というのがあるんだよね。ようは、鉄の生産量を生産力比較する。ちなみに最大の差は、50分の1が日本で、この数字を計算した人は、アメリカと戦争するなんてバカバカしくて考えられなくなる。

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

これは、ちなみに当時の官僚組織での、国家政策プランを作る上での常識!!!だったので、誰もがほとんど知っていて事実だったのに、、、対米戦争にのめりこんでいくって、、、バカじゃない???としか外から見ると思えない。陸軍の中堅将校や、マスコミ、民衆がバカなのは仕方がないとしても、その他のすべての国家政策担当の上級官僚は、ほとんどこの事実は自明だったはずなのに、なんでそんな『空気』がうまれるのか、、、、。そして、この事実に基づいて、山本五十六は、ハワイプランを作成していくんだよね。ようは、いまだ海軍中心の世界で、空母による輸送で航空機の優位性を、つまりは軍事技術の優位性の一瞬を狙ってアメリカとの「戦争」に入ろうと考えるわけだよね。

山本五十六 (上巻) (新潮文庫)

井上茂美だか誰だかの本に、、、、、日本の軍人たちは、軍事力生産力など、、、、『その時の瞬間』の強さを声高に論争しているんだけど、もしくは、アメリカとの絶対的な工業生産力の比較を差に絶対アメリカには勝てない!と悲嘆するんだけれども、、、、けれども、日本の民衆が、技術や生産力で、いつかアメリカを上回る!とか、もっともっと(戦争しなければ)レベルが上がるとか、、、、そういうことが全く信じられないし、前提にもないんだよね、ということが書いてあって、なるほどと思った、、、。だって、坂本竜馬勝海舟が、明治維新の時代の日本人が出した結論は、圧倒的な科学技術、工業生産力の差を、屈辱的な関係にも耐えつつ、貿易立国として資本主義によって、商売によって国を反映させて富ませていけば、どんどん世界が無視できない国に成長することができる!ってことが、つまりには日本という国や民衆の未来の力を信じていたからそういう壮大なプランを形成したんじゃなかったけ?それで、世界の列強と呼ばれるイギリスと同じぐらいの国土と民衆を持つ、大日本帝国を形成してきたんじゃなかったけ???と思うんだよ。

誰が太平洋戦争を始めたのか (ちくま文庫)
誰が太平洋戦争を始めたのか (ちくま文庫)


だったら、アメリカとの絶望的な国力の差を、なにも、東南アジアの軍事的制圧とか満州の軍事的制圧とか、もしくは航空機優位性の一時的優位性によるアメリカとの位置的戦闘優位で交渉とか、、、そういう姑息な手段で、自分一代でかっこよく勝とうなんて言う子供のわがままみたいなことをするのはおかしくないか?って思うんですよ。日本の未来を信じていれば、満州から引いて、中国から引いて、アメリカと同盟を結び、もう一度国力を成長させるという手段だってあったんじゃないか、、、って、戦後の日本のアングロサクソンとの同盟は、まさにそれなわけじゃないですか?。歴史が、その戦略の正しさを証明している。また何が最も大きな敵かといえば、それは、民衆による革命(フランス革命)や共産主義革命(ソ連)や、ナチズムや全体主義ドイツ第三帝国)とかいう、現行の緩やかな発展と、そこに住む人々の自由を奪うことなんじゃないかな?と思うんだよね。日本は、そこまで持たざる国でもなかったはずなのに。


ということは、、、、、少し飛躍するんだけれども、日本のエリートには、日本の民衆や生活基盤そのものを軸に考える発想が弱すぎたんじゃないかな、と思うんですよね、、、。とすると、、、、おお、それって、吉本隆明なんじゃないか???、とふと思ったんですよ、先日。徹底的に、大衆、民衆の視点から物事を原理的に考え直そうという彼の発想は、こういう大きな支配者の視点からではない、もう一つの視点を構築しようとしていたのではないか?とか、ふと思いました。ほんとうにただ思いつただけだけれども(苦笑)。というので、買ってみました。


ふーーーーー全然関係ないな、、、、(苦笑)。


井上成美 (新潮文庫)