第20話 「透明人間?みゆきとあかねがミエナクナ〜ル!?」

ギャグ回というべきなのか、おもしろい話だったけど、僕的にはさっぱり興味がわかない回だった(苦笑)。こうして、個々のアニメのエピソード毎を分析していると、自分が「何に本質的に興味を持つ人なのか?」ってのが、良くわかる。その人(=キャラクター)の動機の構造、根源を明らかにするとか関わる話でない限り、僕はさっぱり興味を持たないらしい。19話の黄色や18話の黄色と緑の話は、はっきりと、そのキャラクターが「悪と戦う」という、ちょっと普通ではありえない行動を「為す理由」もしくは「為す在り方」を描写するエピソードだった。そして、そのキャラクターの動機(=ミクロ)が、より大きな「自分の内面の悪と戦う+敵を救済する」という大テーマ(=マクロ構造)と、どう結び付くか?というところに、激しく萌え&燃えていた。けど、それが外れるか、もしくは弱くなった瞬間、急激に熱が冷める(笑)。


これって、シチュエーション・コメディなんだと思う。もう少し狭義に言えば、シットコム的なもの?。「透明人気になったら?」という、アイディアを展開した脚本。50話、1年間という長丁場だし、こういう基本コンセプト(=女の子が悪と戦うヒーロもの)をベースに、シュチュエーションコメディを演出するのは、手法的には当然だし、あまりに動機にフォーカスするだけの心理劇になれば、子供はついてこなくなるので、これはこれで面白いんだろうと思う。あとは、全体の比率とか、どこまでシュチュエーションの使用の仕方をこだわったか?とかそういう玄人的な見方になるんだろうなー。


んで、ようは何が言いたいかというと、全体のテーマに深くかかわらないエピソードになると、『キャラクターの掘り下げ』と僕が言っている、「見方」を僕はこういう長丁場のアニメとか物語では、行うみたいなんですよね。これは僕の「物語の見方」です。というのは、物語というものは、どれだけ、そこにいるキャラクターという架空の記号が、「人間なるもの」の射程距離に届いているか?が僕は、素晴らしい物語だ、という感覚があるようなんですね。もう少しわかりやすく言えば、おもしろい物語には、必ず「ああ、このキャラクターはまるで本当に生きているみたい」「別の世界でこの人は確実に存在している」という真理的な実在感が感じられる、というようなこと。けど、「他者」であることや、そもそも「受け身で消費している」我々には、とても、この真理的な実在感を感じるのは、難しいようなのです(経験上)。この辺は、評論家の中島梓さんの『わが心のフラッシュマン』で描かれているロジックを僕なりに咀嚼している考え方なんですが、この「そのキャラクターがまるで生きているような実在感を獲得する」のは、もっとも、たやすいのは作者本人なんですよね。

わが心のフラッシュマン (ちくま文庫―ロマン革命)
わが心のフラッシュマン (ちくま文庫―ロマン革命)

作り手の創造の手法によるようですが、天性の物語作家には、この感覚は基礎のようです。物語や架空の世界を、論理で設計する人には、この感覚は訪れてこないらしい。『5分後の世界』を書いた村上龍のあとがきに対して、中島梓が言った言葉がとても興味深く思い出されます。村上龍は、今までとは全く異なる感覚がこの小説を書いている時に訪れた、と書いていて、それはうろ覚えですが「最初から最後まで世界が全部『見えて』しまったような・・・」みたいなセリフだったと思います。細かくは、忘れてしまったのですが、この感覚について、中島梓は、自分が小説を書くときは、いつも同じ状態なので、そもそも「そうでない」人がいるのがとてもびっくりだ、とその時書いていました。ちなみに、評論家の中島梓とベストセラー作家だった栗本薫は同一人物です。

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

おっと話がそれた、僕は、この「まるで世界が実在して、そこにキャラクターが本当に生きている」ようなビジョンを見る方法がないか?というのが、僕の物語読みとしての、一つの到達点であり目的であります(笑)。。病気ですねぇ、、、(苦笑)。子供時代に、現実が凄く頑張る割に現実が常にどうでもよかったペトロニウス少年は、「物語の世界に行ってしまえないか?」という、いつも「ここではない世界」のことばかり考える、非常に不毛な子供でした(笑)。その性格や体感感覚は、どうも死ぬまで治らないようで(笑)、現実をとっても充実させたり体感する方法をがんばって学んだりできるようになった今でも、全く本質が変わりません(笑)。Something Orangeの海燕さんが、下記のようなことを書いている。

萌え萌えになれない。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120622/p1


先日読みあげた『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』に、オタク第四世代の特徴は「素直」だということだ、と書いてあった。かれらはとにかく素直で屈託がない、前世代が持っていたコンプレックスやルサンチマンをまったく持っていないのだ、と。

 じっさい、それは当然のことに思える。ニコニコ動画が会員数一千万を超えたいま、オタクだろうが腐女子だろうが、ごく一般的な趣味だ。ある意味ではオタク趣味は「普通」になった、ということもできるだろう。そしてそれはたぶんいいことだと思う。

 ぼくは上の世代の、また同世代の屈折と韜晦がろくでもない結末に繋がるところを見ているから、なおさらそう思う。しかし、その一方で、一種の疎外感を感じることも事実だ。オタクがどれほど「普通」になったとしても、結局、ぼくは「普通」じゃないんだよね。ぼくはファンタジーがあって初めて現実を生きることができる人間なのだから。

ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略
ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略

これはねー、よくわかるんだよ。海燕さんは、物語に「真実を見てしまう」というような言い方をしています。僕もね、この表現凄くわかるんだ。これって、2層ぐらいのクラスがあって、まずは世代的な特徴もあって、たぶん、そうだなーいまであれば70年代前半に生まれている人ぐらいまでしかわからないかもしれないなー。やっぱり、動機が濃い世代の時代に生まれていないと、こういう感覚は共感がないかも。既に。栗本薫は、60年代後半がギリギリかも、というような言い方をしていた覚えがある。・・・そして、その中でも生得的に、さらにとっても暗く重い自意識をしている人が、この感覚が強いんだよねー。まぁ、こういう人って、表現者になる人なんだろうと思いますよ。何か過剰なものが、心にある人。だから、海燕さんや僕なんかも、膨大なテキストを膨大な物語体験をしても「まだ足りない」とほざくんですよ。僕は、岡田斗司夫さんの「自分探しの趣味」という言葉で自分をうまくいなして誤魔化していますが、いやーこれって、とっても強い衝動なんですよねー。自分でも、現実的には、もうそれほど過不足はないんですよ、、、自分の才能と努力でできるかなりギリギリのところまで現実は到達していて、自分の物語をなんとか生きてもいるんで、僕の中に現実的には過不足は本当はないはず、、、、ないはずなのに、、、それでも、物語を「何かの真実」を求めてしまうこの暗い情念(笑)。アホちゃうか!と思うんですが、損得・・・合理的な計算を抜きにするような強い過剰な衝動がなければ、こんな意味不明なブログでも何でもやらないですよ(笑)。行動のスタートは、過剰さによってしか生まれませんから。とにかく、情念が暗い自意識を抱える人は、人生が濃いんですよ。濃さの出方は、いろいろだろうけれどもね。(幻想が)濃すぎるので、物凄く(現実の)人生が薄くなる人というのもいる。


おっと、で、それを物語の世界の真実を見たい!、言い換えると、「ここではない世界に行きたい」、さらに薄くいいかえると、より深く物語を体験したい、という感じに薄まっていって、その世界は本当にあるんだ!・・・・だとすると、そこにいるキャラクターは本物の人間であるはずだ!という反転というか、追及が始まるようなのです(笑)(←病気ですねーーー)。ちなみに、評論家中島梓が分析した、彼女がより世界の真実を見るために必要な物語の大前提は、『終わらない物語であること!』ということでした、、、そして、その理論と自らの衝動にのっとて作家栗本薫は、『終わらない物語』を目指して、グインサーガを書くことになったのです。・・・・彼女の病のせいで、終わらないと約束された(=promised land)グインサーガは、130巻で終わってしまいましたが…・

見知らぬ明日―グイン・サーガ〈130〉 (ハヤカワ文庫JA)
見知らぬ明日―グイン・サーガ〈130〉 (ハヤカワ文庫JA)


はぁはぁ、、、今週は、あまり書く内容がないので、話が全然違う方向へ…(笑)、なので、そうなると、、、キャラクターの積み上げというものを、どれだけ自分の中に深く体感して密度を上げられるかが、「物語世より深く楽しむために」必要な態度となるんですね。・・・って、このわけのわからないロジックは、、、わかるかなぁ、、、、たぶん海燕さんならわかってくれると思うけど、、、本当は、上記の最初で描いたように、マクロとミクロがリンクして、そして時間と空間が広大に描かれていくサーガとなった時に、この「もう一の別の世界が、ありありとそこにある」という感覚が生まれるのですが、、、、通常の物語を体感する時でも、この作法のに準拠すると、ここのキャラクターの深みを際限なく追求するという方向へ向かいます。えっと、僕が、たとえば、こういう子供向けの番組ですが、プリキュアのキャラクターにどういう「深さ」を読み取っていくかは、これまでの記事を見ているとわかると思うんですが、そんなことは製作者も考えてないよっ!ていうような(笑)暴走に突っ走るんですが、製作者とか関係ないから!だって「世界はそこにあるんだから!」というような感覚による返答になるんです。・・・・・うーん、これわかる人にしか、ほんとわからない返しだなー(笑)。、海燕さんわかりますよねぇ?(笑)。


・・・・・・・・・話が盛大にずれた・・・・。




まぁというような物語を体感する時の「僕なりの作法」に従うと、今回で凄く注目すべきは、まぁ僕が好きというのもあるんだけれども、緑のなおちゃんだなーと思うんですよ。この子自信に溢れているおねえちゃん体質なんですが、なぜだかはまだ分かったいないですが、それを突き崩す演出が多いんですよねー(笑)。虫が嫌い、とかね。とにかく、いい感じに、緑をいじめるのが、どーも脚本家さんたちは好きみたい(笑)。引き出されていますよ、魅力が!(笑)。あと、、、意外に、ずっと気になっているんだけど、ビューティーが、なおをほめる発言すごく多いんですよね。そんで、なんかあると、なおは、よくビューティーに抱き着いているような・・・・はっ、百合かっ!とか、どうでもいい妄想がまた膨らみます。まぁこの辺の、心理分析は、暇な時にまた書きマース(笑)。書くと積み上げになるんですよ、、、ほんとに。


みたいな、キャラクターの積み上げを、自分の中に、重ねている今日この頃です(笑)。でも、本当に凄い作品は、作法なしに、どかんと、心に直撃するんだけどねー。




うう、、、、いっしゅうさんの↓この素晴らしい記事への言及まで行きつかなかった。。。それはまた来週!。


コラム「プリキュアシリーズの勧善懲悪から救済まで」
http://www.geocities.jp/isshuu_a/smileprecure.html#lcn001