次世代の物語としてのまおゆう〜ジャイアニズムDXのまおゆう特集に記事を書かせていただきました。

ジャイアニズムDXのまおゆう特集に記事を書かせていただきました。


ここで90−10年の20年を超える「次世代」の物語のキーとなるポイントの一つとして、勇者の苦しみを引き受けるという選択をしたメイド姉の英雄物語の解体としての脱英雄譚について解析しています。


そこはこれまでの僕の基本的な提示視点ですが、前に書いていない部分は「商人が世界を壊し再創造する」という話です。善悪二元論を超えるキーの役割とキャラクターとして商人という部分にフォーカスしているのは、僕のブログの記事をずっと読んでくれている人は、渋沢栄一出光佐三の話を覚えていると思います。あの話です。それが、橙乃ままれさんの作品のコアとどう結びつくのかは、ぜひ読んでください、と宣伝。


『雄気堂々』城山三郎尊皇攘夷と開国の狭間で
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081013/p1
雄気堂々〈上〉 (新潮文庫)


ちなみに、この脱英雄譚の話って、昨日、海燕さんとLDさんとやったラジオで開設したんですが、エヴァQでシンジくんが主人公格を奪われてただのモブキャラになることの構造と全く同じというのが瞬時にわかった。これ、物事を繋げて考えている効果ですねー。映画見た時に瞬時に、そうか!と思ったもの。その後、LD教授が、ブンダーに乗るミサトさんが、シンジが主人公であることを止める「選択肢を用意した」という主張の意味もすぐ分かりました。「早く逃げニャー」というマリの言葉の意味も凄くよくわかった。エヴァンゲリオンTVおよび旧劇場版は、脱英雄に「至る(=英雄の解体は志向するのに、その先が描けない=あげて下げる鬱展開の無限ループ)」90年代の最大の結晶点であって、それを克服しようとすると、新劇場版のような主人公格の剥奪という脱英雄譚の物語になる。これは、自分でもいい読みの視点だなーと思う(笑)。

エヴァンゲリヲン新劇場版 1000ピース シンジとカヲル―エヴァンゲリヲン新劇場版:Qポスターイラスト― 639-11

エヴァのニコ動のラジオで、まおゆうの話がいきなり!というコメントがあったが、逆に、こっちのまおゆうの話では、新劇場版Qの話をしてしまう。ああ、物語はつながっているなーと思う。それなりに筋のいい見立てや解析のスキームをもつと、いろんなことがリンクしてつながる、もちろん、作り手が考えている最前線に立てば、そうなるのだろうと思う。こういうので友人と話し合えれば、本当に楽しいと思う。


ちなみに、この脱英雄の物語が行きつく先が、主人公格の剥奪と、それが故にフラットで役割の呪縛から解き放たれた、周りにいる人との『絆』言い換えれば、友達との関係性に回帰するという僕の解釈は、自分でいうのもなんだけど、ようつながったなぁ!!!(笑)と感心する。というのは、これっていま書いている一連のライトノベルココロコネクトのこと)やジャンプの作品(ここではワンピース)が、友人との絆モノに回帰していているという僕の分析とダイレクトにつながるからだ。そしてそのテーマは、ずばり友達の作り方!というやつだ。いま書いている途中だけど、ココロコネクトの分析の最終回は、↓という名前になっている(いま書き途中)。

ココロコネクト ステップタイム』 庵田定夏著  友達の作り方をみんな知りたがっている〜友達との絆の構築が今の若者の求めるもの(4)
ココロコネクト ステップタイム (ファミ通文庫)

それは、ビジネスマンの僕の実感、、、、人類が矛盾をはらみつつも、一つのステージを超えて、この繁栄が少なくともじわっとゆっくり続いてゆき、終末的に世界が滅びることがないんだ、ということが、本当によくわかった。最後の問題は、北と南の格差問題だったのだが、、、それも、新興国市場の台頭、人口ボーナスのデモグラフィック的予測を見れば、もう人類は大丈夫!少なくとも100年くらいは楽勝で成長することは、もう確実だ。

2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する
2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する

これは、巨大なパラダイムの変更で、もう世界が滅びるという黙示録的終末ヴィジョンを我々が持つのが難しい時代パラダイムになっている、ということを示すんだろうと思う。そしてレスター伯さんと『アマガミ』や『日常』の分析をした時に、実は、団塊のJr近辺、いまの30代以上は、日常と非日常を分けて思考して、その帰るべきところは「非日常」にあってその二元的分裂の中に生きているが、20代以下の世代にとっては、「日常」が生まれた時から、そして未来も継続していくという一元的な世界観に生きていることが分かった。それが巨大な違いで、永遠の日常というネガティヴなものではなく、、、『永遠の日常』というのは、非日常で自分が輝けるかもしれないというオヤジという自分たち世代(=自分たち以上のことです(苦笑))のルサンチマンが生んだネガティヴな逃げ用語なのだ!、、、、これが若い世代(今の20代以下)にとっては、一元的に(=要は外、外部、裏返しが存在しないフラットさという意味)日常が継続していて、そこから逃げるという想定すらも、言い換えればルサンチマンが存在しないのが常態として継続するのだ。そしてその日常とは、、、、、そう、主人公格が奪われて(=終末の否定・輝ける高度成長の終焉)、非日常が失われた世界、、、、それが「日常」。そして、そこで最も大事なのは、、、、たぶん、ただ単に「場」に、に「居合わせただけの人々」、LDさんは縁と読んでいるが、それとの関係性の上下が、世界のすべてになる、、、、それは、友達との関係ということだ。そして、、、話が飛躍するように感じるかもだが、この「場」ってビオトープであり、コミュンケーションの重層的になる場で、、、おっとこの話は早すぎる、、、(笑)。海燕さんともう一人しかわからないよねー(笑)。まぁ、それはまた、ゆっくり解析します。今日はまずはメモメモ。


http://gianism.jp/?b=5

http://gianism.jp/article.aspx?a=41

ジャイアニズムDX (エンターブレインムック)

■参考記事

ジャイアニズム Vol.2 (エンターブレインムック)』のマブラヴ特集に記事を書かせていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120324/p1

メイド姉が目指したモノ〜世界を支える責任を選ばれた人だけに押しつける卑怯な虫にはなりたくない!(4)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100512/p1

英雄譚の類型の倫理的欠陥〜魔法騎士レイアイース(1993-96)に見る、全体主義への告発(3)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100511/p1

善悪二元論を超えるためには、歴史を語り、具体的な解決処方を示さないといけない (2)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100510/p1

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著  
その先の物語〜次世代の物語類型のテンプレート (1)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/p4

ココロコネクト』 庵田定夏著 自意識の病の系列の物語の変奏曲〜ここからどこまで展開できるか?(1)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121003/p1

ココロコネクト ミチランダム』 庵田定夏著 伊織の心の闇を癒すには?〜肉体を通しての自己の解放への処方箋を (2)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121126/p1

『コロコネクト ユメランダム』 庵田定夏著 あなたには思想がない〜Fate/staynightの衛宮士郎のキャラクター類型と同型(3)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121030/p2