『ヘルプ 』(原題: The Help) 2011 テイト・テイラー監督

ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★☆3つ半)


■内在化された物語をわかりやすくすると「単独視点の物語」になるけど、現実は絡まった物語なんだな

非常に面白かった。アメリカ・ウッチャーの視点で、なるほどと思った部分がこれを見ていてあった。これまで、黒人解放の公民権運動の話、また女性解放や女性の地位向上の話などをそれぞれ単体の視点ではいろいろ読んできた。けど、そのどれもが、「それぞれの内在的な視点での歴史」であったんだなーと思った。というのは、やはりこういった差別の問題は、まずは純化して、その内部にいる人々の抵抗の視点に集約させて描くことで物語を自立させるというステップを経るんだろうと思う。だから、黒人の物語は、「黒人のみの物語」になる。それまで虐げられてきたり、自分で自己表現をできない時間が長い場合は、まずは、彼ら自身の内在的な視点を自立化させることが優先されるからだろうし、それ以外方法がないのももちろんだろうと思う。そしてそれが故に、実際の事実が意外に具体的に外の、実際に体験していない観察者からはわかりにくい。


というのはね、ああ、南部の黒人差別の話って、物凄く女性の自立の問題と「強く結びついているのだ」ということが、この作品を見ていると強く思う。この作品は、黒人差別の根強いミシシッピー州の黒人メイドたちの物語なんだけれども、実は、主たるテーマは、専業主婦たちの話であり女性の自立の話なんだと思う。ここでは、家庭とメイドと専業主婦以外の人間はほとんど出てこない。ようはこれは「家庭」の物語なんだ。そう思ってこの物語を見ると、アメリカ南部の持つ重厚な歴史以外の部分でも、女性の自立と家庭の崩壊、そして、、という近代社会、いや現代社会の先端のお話につながるので、そのテーマで見ると、日本人でもとてもわかりやすいかもしれない。


■ウィリアムフォークナーのヨクナパトーファ・サーガってあれもやはり家族(親密圏)と因習の物語なのかもしれない

ここでふと思い出したのは、アメリカの文学者のウィリアム・フォークナーの物語。ヨクナパトーファ・サーガは、読んだことはあるが、難しきてさっぱり当時の僕にはわからなかったが、アメリカを学びさまざまな映像や経験を経るうちに、この因習的な南部の曽祖父からの縁の物語は、いま読んだらもっと深くわかるかもなぁ、、、。ミシシッピーに訪れてみたいよ、、、。

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

って、話は戻るんだけど、フォークナーの物語で凄い印象的なシーンがあって、もう本の題名や筋は忘れてしまったんだけど、強く印象に残っているのは、主人公の祖父(曽祖父だったか?)が、黒人と相撲(というか格闘技?)を取っていて、上半身裸で汗と汗がぶつかり合う、むっさいのを主人公が子供の時見ていたんだけど、、、これって、HELPを見てもわかるけど、非常におかしなことなのです。というのは、白人には、黒人への物凄い嫌悪感があって、黒人の肌に触るなんてこと!という意識があるんですよね。しかもそれこそ、物凄い昔の話なんだよ。たぶん1900年代ぐらいとかそれ以前。そんな差別が、べっとり心と体に染みついている時代に、自分が尊敬するめちゃめちゃ好きな祖父が、そういうことをやっているのを見て、主人公は、良くわからない気持ちになっていくんだよね。。。。もうどの本のどんなシーンだったか忘れたんだけど、、、これってすごく印象的で、綿花栽培をしていたりする奴隷たちが日々火を囲んで詠い踊っていた、黒人の共同体に躊躇なくその牧場主の祖父は入っていったわけで、、、南部の牧場主といえば、中世の貴族とほぼ同じ存在で、理性ではそんなことありえないんだ、、、けど、たぶん。実際、そういうのはたくさんあったと思うのだ。だって、一緒に暮らして、住んでいるんだから!。南部の奴隷主であるジェファーソンに、黒人の子孫がいるかいないかの論争があったけど、奴隷を持つ大土地所有者の家に、混血の子供がたくさんいるんだから、、、、まぁジェフサーソンに関して事実かどうかはともかく、まぁそういうのが常態であったのは間違いないんだろうね。この辺の差別の感覚というのは、生まれ育ちに抜きがたく染みつくものなので、たぶん、論理や理性ではなかなかわからないものなんだろうと思う。けど、どこでそれが宿るかといえば、間違いなく家庭などに根深く染みついた因習だろうと思う。それ以外で再現性があることがあるとは思えないもの。そして、たぶん、その家庭が再現し続ける業・因習を描くことが、もっとも趣深い文学になるんだろうなーと最近思う。


ちなみに、日本でこの家庭について、描いた面白い作品というかエポックメイキングな作品は、山本直樹さんの『ありがとう』だと思う。これは見事だったし当時の日本の時代性の凄い批評だった。リベラリズムが浸透し、個が自立していくと、構造的に家庭共同体の共同体としての縛りが崩壊していくのだが、その当時の日本の様を見事にカリカチャライズしていて、見事だったなー。何よりも傑作なのは、最後の着地点が、家庭というものが、入れ替え可能性ある、それぞれの構成員の選択によって成り立っているという(=絆には根拠がない)、リベラリズムの行きつく果ての身も蓋もない事実(苦笑)に、物語として納得できる感じで着地しているところ。古い形での共同体絆の解体が、選択透明性のある絆(=ようは、選べるのでいつでも脱退可能)に戻るための過程を見事に描いていた。まぁ、保守反動や右翼的な立場からは、到底受け入れられないだろうけれども、これが人類社会の事実だろうなにゃーと僕は思う。近代リベラルの行きつき一つの結論。とはいえ、2010年代に着る我々はこの「次」にすでにもう来ているけどね。これは古きトラウマ実存回収の物語で、それはすでに「終わって過ぎ去った」話。世代的に固着する人はいるだろうけれども、もう日本はこのステージは過ぎた、と思う。


ちなみに、アメリカとっくに過ぎている。古き「良き」かたちでの過程はすでに現代先進国では壊れてしまって、新しいステージに入ってしまっている、といわれている。西ヨーロッパでも、アメリカでも、日本でも同じだ。ちなみに、アメリカの家族の一つの転換点は、何が「良い」家族なのか?というテーマにいまのところ、ある程度の合意が生まれるところまで行きついているところです。リベラリズムの浸透、女性の自立&女性が働かないと家計が維持できない低成長時代と低所得の時代(=中産階級の没落)などで、既に「古き良き」男が会社に行って金を稼ぎ、専業主婦が子供を育てるという核家族の仕組みが、主軸となる中産階級による経済の成立が困難になりました。80-90年代の大統領選挙やアメリカの政治を見ていると、保守的な「アメリカの家族の復活」が強く主張されました。家族、言い換えれば、ちゃんと子供を教育する仕組み、再生産の仕組みがなければ、アメリカンバリュー、アメリカの良き価値観が再生産されないからです。ところが、この主張が行きついたところは、非常に面白かった。あまりに、核家族的なロマンティツクラブによって結ばれた男女の親密圏が、既にマジョリティとして機能しにくい現実を受けて、それだったら、家族とは何か?と問えば、正しく子供を教育し愛すことのできる「組み合わせ」だ、ということになりました。これ、わかりますかね?。つまりは、ゲイのカップルでもレズのカップルでも、どんな関係性のカップルであっても、子供を長期にわたって教育し、愛せる関係が、良い家族なのだ、という方向に落ち着きつつあるのです。これは、現実的に、それしかないという感じですよね。そこには、「正しい家族像」というイデオロギー像はなくなりました。もちろん反動勢力も根強いですが、それはどこの世界も同じこと。ちなみに、世界のリベラルの行きつく果ての社会、親密圏の在り方は、西ヨーロッパ、アメリカ(北米)、日本が10−20年ぐらいづつ遅れて大きな塊になっていて、それに、新興国が続くような感じかなー全てを見ているわけではないので、感覚ですが。

ありがとう 上 (ビッグコミックス ワイド版)

家族という神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実
家族という神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実


・・・・なにが言いたいのかっていうと、僕もまだうまく整理できていないんだけれども、世界の本質や歴史のマクロの動きを見る上で、一つの重要な視点として、家庭、言い換えれば親密圏の継承や構造の問題があるのだなと思うのです。その社会特有の親密圏の構造や因習の体系を知らずして、どうも物事を語るってのは難しいのだなーと。



■家族や親密圏を理解すると面白くなる物語の例〜血族社会の因習に苦しむ中国人青年の物語と

先日の相田裕さんの『ガンスリンガーガール』の記事を書いている時に、『ラマン』の映画に出てくる中国人青年の苦悩がすごくよくて、中国の血族関係の縛りの大きさってすごいドラマだよね、、、ってので、よくよく考えれば、樹なつみのファン・リーレンや吉田秋生のシン・スウ・リンとか、昔から物語として物凄い好きな造形のキャラクターで、なんで、こういう華僑のポジションで、インターナショナリズムと中国特有の伝統社会・家族形態のはざまで苦悩する青年や主人公という物語が、僕にはものすごくグッとくるようで、なぜだろう?って思っていたんだけれども、たぶんパールバックの『大地』でもいいし、樹なつみの『花咲ける青少年』でもいいのだけれども、この類型のキャラクターをとても子供のころに読み込んで、しかも大好きになって、、、ということなのかもなぁ。子供時代に刷り込まれたことは大きいもの。


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吉田秋生が物語るシェアード・ワールド大河ドラマの流れ〜日常から非日常へ向かい最後に日常へ還る物語

僕は、吉田秋生さんの『BANANA FISH』にでてくるシン・スウ・リンの話が物凄い大好きで、、、彼がチビで下っ端で、、、ほんとに取るに足らないストリートギャングの小物だった時から、凄い好きで、、、、長い年月と巨大な物語のを経て『イヴの眠り』のころかな、、、シンが、初代中国の大統領としての最有力候補になっていたシーンがさらっと描かれるのを見て、、、胸が熱くて、泣きそうになったのを覚えている。・・・・これが最も憧れた人物は、アッシュ・リンクス。けど、シンは、彼の苦悩を救うことはできなかった…。その魂の苦悩の記憶を共有するエイジとは、民族や国籍全てを超える友でありながら、、、しかしアッシュを失った喪失に生きているエイジは、、、うう、、、思い出すだけで、涙が出てきそう、、、。またシンの物語が好きな人ならば、彼が『BANANA FISH』の主人公たちの孤独を受け継ぎ、、、その果てに見出した伴侶が、『光の庭』での何の変哲もない日本人の女の子だった、素晴らしいショートストーリーを覚えていると思いますが、、、それが故に、、、初代民主中国の頂点に立ち、華僑社会に君臨するシンの妻が日本人だということで、彼は政敵から徹底的な攻撃を受けることになるのですが、、、それもまた、泣けるほんとにいいドラマトゥルギーですよね。。。

イヴの眠り―YASHA NEXT GENERATION (1) (flowersフラワーコミックス)

ちなみに、吉田秋生さんという天才は、、、天才とか、別のそういう風に大げさに言わなくてもいいのだけれども、とにかく僕はこの人の大ファンで幼少期から刷り込まれまくっているのですが、何がいいかというとすべての世界がつながっているシェアード・ワールドの大サーガになっている点です。『BANANA FISH』→『ANOTHER STORY』→『YASHA』→『イブの眠り』→『ラヴァーズ・キス』→『海街ダイアリー』へとつながる主軸をベースに、実際は、『櫻の園』『吉祥天女』『カリフォルニア物語』も『BANANA FISH』の前段としてつながっています。それは大きく、日常から非日常に行きもう一度日常に戻ってくる大きな回帰と継承の物語を構成しながら、にもかかわらず非日常の大河ロマンを包括しているという稀有の物語作家だと思います。この人の全作品は、読んでいないとおしすぎるっ!てぐらいの素晴らしい物語群なので、是非お勧めです。僕の日常をめぐる考察やシェアワールドがどういうものか?ということへの、答えでありその軸となるものなので。



■テーマを持って世界と物語を見よう!〜アメリカ南部という僕らにとっての異世界を理解するためには

ちなみに、『HEIP』もそうなんだけれども、アメリカの南部を描く映画を見る時に最も重要なものの一つは、というかアメリカ映画全般に重要なモチーフなんだけれども、アメリカの大自然の美しさということを抜きには語れない。ほんと、きれいなんですよー。日本にはない大陸的な雄大な美しさ。南部は、その美しい雄大な自然と、黒人差別の因習、プランテーションによる大農園、ヨーロッパの中世社会の面影を残すチルバリー(騎士道)とKKK(白人至上主義)そしてジャズやブルース。こういったものが混然とのなった『匂い』がわからないと、何を描かれているのかさっぱりわからない可能性が高い。そういう意味では、ふと思いつく作品をいくつか挙げてみますが、、、このへんは、最低限(笑)読んで、あとはミシシッピーなどの大自然を経験してみないと、良くわからないかもしれないですねぇ。。。って、僕も、南部は数えるほどしか言ったことがないので、偉そうに言えるレベルではないのですが。。。でも、こういう風景や匂いを知って、アメリカに出張に行ったりすると、ちいさなことで、いろいろな気づきが連想されて泣きそうになります。。。地域の歴史やにおいを知っていると、その人が、「〜出身です」とか言われると、それだけでいろいろなことが妄想(笑)されてとても楽しいです。

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あっ、あとは南部の美しさ話描いた映画といえば、『Forrest Gump (フォレスト・ガンプ/一期一会)』が、最近では一番わかりやすく、きれいな映画かなー。それでも、1994年くらいなのか、、もう古いんだなー。アメリカのこの時代を駆け抜けた世代の人が経験するイベントをすべて追体験できる凄くきれいな映画。僕は、ベトナムで、ババを助け出そうと走るガンプのシーンは、いつみても涙が止まらないほど大号泣します。

Life is a box of chocolates, Forrest. You never know what you're going to get
人生はチョコレートの箱とおんなじ 開けてみるまでわからない

このセリフも、とてもよかったなー。いまでも聞くと、ぐっと涙が出そうになります。