『放課後のトラットリア』 その1 異世界トリップものコアの一つは、世界をもう一度インプロヴィゼェーションに戻すセラピー効果

放課後のトラットリア 1 (メテオCOMICS)

面白かった。というのは、異世界トリップものの構造を、良く知っている人の展開なんですよね。その(1)さすが、と感心。(2)もう一つは、やっぱりレベルが違うなーと、、、その人間理解に。この記事は、その(1)になり、もう少ししたらその(2)を掲載します。


異世界トリップものコアの一つは、世界をもう一度インプロヴィェーションに戻すセラピー効果を期待

まずは、まさか異世界モノとは思わなかったです。『まおゆう』も『ログホライズン』もあるわけで、そこまでやると、似たような話に、、、、ならなかったのが凄いなーと。これ、展開というかマーケティングは、だれが考えているんでしょうね?。作者が、ちゃんと考えているとしたら、えらいもんだなーと思う。マーケティングよくわかっているもん。それぞれの昨比のテーマが、凄くずらされているから。これって一言でいうと、食べ物!だよね。コラムでも、食べ物の起源や歴史、料理の仕方などが、詳細に書かれている。もちろん、物語の中でも、それが主軸のテーマになりそうな予感。ようはこれって、食べ物がコアの作品になりそうなんだよね。いや、もちろん異世界モノのコアは、(1)どうやって元の世界に戻るのか?というと、(2)彼女らが来たことで、その世界がどう変わるか?という2点がコアであることには間違いない。マクロ的な構造ではね。でも、それって、もう手あかにまみれているほど多い話で、いかにずらして書かれても、アーまたそれかよと思われてしまいますし、まおゆうやログホラのような王道でやるなら、その仕掛けも相当の規模が要求されます。そしてなによりも、ログホラでやってるんだから、そんな仕掛けを思いつくくらいならそっちでやれよ、という話になってしまうでしょう。あまり分散させるのはよくないので。とはいえ、『放課後のトラットリア』では、ガジェットとして料理があるんですが、そこがむしろ主軸になっていて、この異世界に来た」という意味の効果を強く演出しています。ああ、、、これは、うまいなーと思いました。僕は、異世界に行くという物語の効果の、大きな魅力の一つにインプロビゼーション(1回性)の再現があると思っています。


いろいろなところでいっていますが、異世界ファンタジーを基本形とする『小説家になろう』のサイト(ままれさんも、ここでログホラを書いている)

http://syosetu.com/

なんですが、ここでたくさーーーん読んでいると、異世界トリップという類型の可能性が様々に実験されて展開しているので、このテーマに人が何を求めているのかが、非常に色濃く出ていて、赤裸々で、良くわかるようになってきます。


一つは、セラピー効果。


「ここではないどこかにいきたい」というのは、人間の原初的な欲望ですが、いまがつらいのか、この系統が凄くもてはやされる昨今ですが・・・。その中で、たくさんなろうの小説を読んでいると、人生をやり直す系と呼んでいるのですが、もう一度異世界に生まれ直して、人生をやり直す系統がたくさん見られ、かつ人気を博しているようなんですね。異世界に行く系統の類型には、いろいろあるんですが、まるっきり「転生」したケースでは、もう一度、子供のころから生まれ直して、人生を追体験するんですね。いまの肉体と精神を持ったまま転移するケースと、肉体は別といろいろパターン分けをすると面白いですよ。この「転生」か、それとも肉体を保持したままの異世界トリップなのかは、実は作品で語りたいこの大きなコアの違を生んでいると僕は推測しています。


リアデイルの大地 Ceez著
http://ncode.syosetu.com/n1247p/

無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 理不尽な孫の手
http://ncode.syosetu.com/n9669bk/

Knight's & Magic
http://ncode.syosetu.com/n3556o/

ナイツ&マジック 1 (ヒーロー文庫)


この転生、日常をもう一度生まれてからやり直す系統の類型は、常識的に考えて、あまり面白くないはずです(ちなみに上のは、おもしろい方です)。だって、冗長になるに決まっているじゃないですか?。一人称の視点で、「あれ、僕は生まれた」とかから延々と描写するんですよ。うざいですよ、普通。物語が始まる前の、ただの端的なtangibleな事実じゃないですか。でも、人気。何がその人気を支える、コアなのか?と考えた時に、もう一度「自覚的な意思」と「失敗した前世の記憶と体験」を持って、人生をやり直すことは、そこに発生する日常の平凡な出来事を再認識する=インプロヴィェーションが発生しているんだと僕は思っています。インプロは、初めての体験をする時にキラキラ感じるあの感じ、ぐらいに理解してください。僕のマイ用語なんで。何でも初めてのことは印象深いですが、慣れると人は退屈と飽きで、摩耗していきます。要は人生をやり直すことで、平凡な出来事そのものを再確認すること、、、後、自分がどこで間違えたのか?を、自己認識する旅になります。これが、セラピーでなくて、なんであるか?と思っていいでしょう?。僕は、この作品群をセラピー系統群と思っています。


たとえば『無職転生 - 異世界行ったら本気だす』は、かなり良い展開をしている良質の小説ですが、このコアは、ニート引き篭もりで事故死してしまった男が、自分がどこで間違えたのかを、子供時代から再度家族を持って、家族と関わることで、その「間違えたポイント」を理解して克服していく描写は、とてもうまいと思います。特に、ダメな父親であるパウロを許し愛していくことへの「気づき」(=ここでは邂逅のシーンね)とかは、あきらかに30歳ぐらいを超えて父親に抱く感慨と同じもので、それをメタ的に(=もう一度人生をやり直しているから)一つ違う選択肢をとるだけで、永遠の決別と家族のトラウマになりかける物語の流れが、さっと、とてもほのぼのとした父と息子の情愛のエピソードへ転換していく。このへんは、凄くメタ的で、作者は素晴らしいなーと思っています。もちろん、ただのセラピー(=自己満足)で終わる場合もあれば、この作者さんのように、物語のダイナミズムに目覚めて、「物語」を語り出す人もいますので、まぁ要は適正と才能なんですよね。


■物事の技術的過程プロセスの体験と本義への実感は、世界への感受性を変える効果がある

さて、もう少し話を続けましょう。では、このインプロヴィゼーションを感じさせる効果を「どのようなガジェッド」で演出、表現するかというのが、この系統の物語類型の多様性を作るんですが、『放課後のトラットリア』では、食事。食べ物を再現するということを通して、それを行っています。たぶん、パンです。それで、またずいぶん違ったテイストになる。これがオリジナルかといえば、なろうを探せば(きっとほかでも)山ほど異世界でお菓子屋さんをするなど出てきます。これなんか、その系統かなー、ぱっと思いついて引用したので、これがいいかはともかく、現代世界の料理を持ち込んで、異世界で人気店や金儲けをというパターンは、多数みられます。


魔法使いの菓子屋  久藤雄生著
http://ncode.syosetu.com/n1324p/


ただ、ままれさんは、博識ですよねー。それとも勉強しているのか?。とても原理的なものまで踏み込んでいるんですよ。そこが、他のものとはかなり違う。インプロヴィェーションが起きるためには、その技術が原理的にどうなされているかのプロセスまで描写すること、なぜそれが生まれたかの本義を描写することなしには、生まれません。このへんは、やりすぎると、うざい知識の説明になってしまうので、その兼ね合いはとても難しい。逆に、上の『魔法使いの菓子屋』ぐらいだと、現代文明の結果としてのお菓子の話をしているだけなので、それをどう見出すか?味覚は?原材料は?もし作るならプランテーションがいるのか?流通機構は?などなどまで、全然踏み込みません。そこが、うざくなくて、さらっと読めてよかった。とはいえ、もちろんだから悪いわけではないですが、僕は、できれば、もう少し深みのある方がいいなーと思うし、原理まで踏み込んだ方が再読したいと思わせるんですよね。

物事の原理と原理がうまく描かれている小説のインプロヴィェーションを読むと、要は人生の再現ややり直しなので、非常に勉強になるんですよ。味覚をどう感じればいいのかが、凄くトレーニングになる。たとえば、僕は家庭を持って料理をするようになって、料理、、、原材料のチョイスからその作成過程のプロセスを分解して経験するようになって、初めて、味ってものが多層になっていることに気づき、実感するようになって、食事の楽しみ方が物凄い変わりました。制作過程を再現しなければ、これはわからなかったでしょう。


物事の技術的過程プロセスの体験と本義への実感は、「物事をどう感じとるか?」の世界認識を変えてくれるものだからです。


ちなみに、この自覚は、人生を幸せに生きるために、または、仕事ができるようになるための、非常に重要な気付きでした。わかりますよね?、物事をよく深く理解して再現できるようにするためには、その本義(=なぜそのことが生まれたのかの存在理由を問うこと)、とプロセスを断片にバラバラに分解して、個別の小さい断片づつで理解して「その連なり」として理解すると再現がしやすい、ということです。ビジネスで80年代にトヨタカンバン方式カイゼンに恐怖したアメリカの研究者や実務家が、この強さの秘密は、なんなのか?と深く考え抜いた結果、これはサプライチェーン(=プロセスを分けてその連なりとして管理している)を分解していることなのだ!ということに気づき、理論化して、モジュール化の手法を理論的に再現して、日本を圧倒していった1980−2000年代の出来事を僕は思い出します。暗黙知でやるよりも、表に出して理論化して、再現できる方が、圧倒的に普遍性を得やすく強いのです。

V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)
V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)

ちなみに、僕は、営業担当で中国を回りまくっていた時に、ある時気づいて、家で中華料理を再現してみようブームになったことがあります。まぁ、忙しくてたいしてできませんでしたが、それでも、道具や調味料をそろえていると、さまざまなことが深くわかるようになりました。中華料理が移民で、どんな国のどんな地域に行っても再現できる普遍性があるものであること(食材で味が変わりにくい=素材を基本とする日本料理とは別物)、また本当の調味料を手に入れようとすると、通常の流通ではなくチャイナタウンやそういう場所を探さなければならず、探し出すと、独特のルートがあること、、などなど。お粥一つでも、粥やマントウに対する概念もかなり日本と違うし、食べ方のスタイルや、どういう時に食べるのか?の習慣もかなり違います。お酒や飲み物との組み合わせも、、、、などなど、、、、こういうことがわかると、世界の具体的な手触りが大変化します。それが大きく積み重なると、世界認識、僕は栗本薫さんにならって世界への感受性と呼んでいますが、劇的に変化していくことになります。世界の感受性が豊かになると、、、、、わかると思いますが、世界がキラキラして、生きているだけで幸せな気分になれるようになります。これは、自分の実感・体感原則をカスタマイズしている行為だと僕は呼んでいます。・・・・この話、Basic Skillだな。。。いままでで、僕がいいたいことのコアがあふれている。。。。


中国家庭料理のおいしい教科書
中国家庭料理のおいしい教科書


さて、この『放課後のトラットリア』では、たとえば、小麦と大麦の違いとか、、、これってヨーロッパを旅したことがある人とかは、あれって?思ったことあると思うんですよ。大麦のパンってなんか、ぱさぱさしている。堅い系のパンは、スープなんかに浸すといいんだけれども、、、まぁ、どうなんだろう?いまではそれほど見るパンではないけど、こういうのの違いみたいな説明が入っていて、なかなかいい。これ、経験がある人があると、説明がされていると、おっ!と思うものなんですよ。体験を再編成できるんですよ、明確なロジックと理論があると。

美味しんぼ (1) (ビッグコミックス)

いってみれば、異世界で『美味しんぼ』をやるわけだけれども、異世界フォーマットにすると、前にも書いたけれども異世界トリップには、技術格差を利用した植民地収奪的な視点があって、「もう一度ゼロから物事をやり直す、再現する」というインプロヴィゼーションが体験できる。また、それによる、つまり技術格差による、イノヴェーションが起きる瞬間の凄さってのを追体験できる。それが、ある種の「力」となって、それをもたらす異世界(=要は僕らの現代ね)から来た人々に権力を与えることになる、、、という構造は、通常のグルメ漫画と、微妙に違った視点をもたらす。それは、文明がどのように発展してきたか?、、、その技術の格差は、世界に何を、どんなイノヴェーションをもたらしたかの、再現が見れるんですよね、それがこういう系統の物語の面白み。

たとえば、このような視差を表現したのは、最近では、支倉凍砂さんの『マグダラで眠れ』を読んでいて思った。

マグダラで眠れ (電撃文庫)

ここでは、錬金術師というのをテーマにしている。主人公のクースラは、錬金術師ですが、ここでは明確な社会的な役割が与えられていて、物語をダイナミックにしています。錬金術師というのの社会的役割はなんなのか?というのを、戦争の最前線の町で、フロンティアの開拓を物語の主軸に据えることで、湖底的な社会的分業の枠に収まらない領域を開発発明する技術屋としての、錬金術師に焦点があっています。僕は、錬金術師のことは、もちろんファンタジー好きなので、それなりには詳しいですが、なるほど、ヨーロッパの歴史の中で、忌み嫌われながらも、この技術が存在できた理由が、この物語の説明で、凄く腑に落ちました。ああ、なるほど!って。社会において、その職業がどういう存在で、どんなことを具体的なレベルで行っているのかが描かれているからです。そこまで技術や日常の行動や作業まで描写したうえで、その社会でのマクロ的な位置づけを言及するのは、その技術だけではなく、その技術や行動を信じる人の意外や動機までわかって描かないと、全体像は描けません。


■歴史文明の発達のプロセスと本義を明らかにしていくことで

はてさて、この異世界ファンタジーの分類の一つとして、歴史文明の発達のプロセスと本義を明らかにしていくことで、私たちが住む複雑な社会で忘れられている、物事の「背後にあるもの」を「露わにする」ことでインプロヴィェーション効果を導き出すというのがある、というのが僕の主張で、それがファンタジーの存在の本義の一つではないか?、もう少し柔らかく言うと、魅力のコアなのではないか?というのが僕がずっと考察しているテーマです。このテーマは、小川一水さんの作品群の履歴でずっと語ってきましたので、過去の記事を少し引用してみようと思います。

作者は、ここで後書に「土木」「土木」と連呼しているが、土木という産業と技術の生の部分がよく描けている。日本の私小説や文学を読んでいては、まず滅多に出会わない発想、言葉が氾濫していて興味深かった。地下世界がどうなっているか?、とか鉱物とかに注目した作品って案外少ないですよねぇ。今まで考えたことも無かった発想や視点・世界観を提示しくれることこそが、センスオブワンダー。謎解きに関しても、ハリウッド映画『コア』なんかよりは十分納得できる大掛かりなもので、満足。ハードSFが好きな人には、少し物足りないかもしれないが、隠されているロジックは案外深いと思った。なるほど、プレートテクニクス理論や東北になぜ西日本のような巨大断層が無いかといったことを、物語に収斂させていく発想は、なかなかのもんです。まぁ、これが真実ですと主張したら『トンデモ本』なんでしょうが(笑) 。この「人が目を向けない世界に目を向ける」というのは、SFの基本。そして、この土木や鉱物資源に関する「こだわり」が、星雲賞受賞の『第六大陸』へ結びつくのだから、読み続けていると作者が成長している(笑)のが、よくわかって個人的には嬉しい。小川一水さんは、その興味が土木などの地に足が着いた『技術』にあるようで、理論よりもそういったものへのこだわりが散見されます。たしかデヴュー作の『イカロスの誕生日』も、飛行力学を非常にこだわって書いていて、僕のような好きな人には、たまらない描写が多く出てきた。


ここほれ ONE-ONE! (ここほれ ONE-ONE! シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)導きの星〈1〉目覚めの大地 (ハルキ文庫―ヌーヴェルSFシリーズ)


http://ameblo.jp/petronius/entry-10003528578.html

さらに、僕は都市計画や植民や入植の概念が、凄く面白くこだわっていろいろ調べているんですが・・・

この『導きの星』で、ほぼゼロの状態の文明に、火を与えたり、精錬の技術を与えたりと、人類史の技術的な発達を、異星人に伝えてゆき一歩一歩成長させるという描写があります。この辺は、SFマインドの基本の一つで、「今ある我々の世界」が、具体的にどうやって成立してきたかを、ゼロから再現しなおしているわけです。小川一水さんは、こういうSF的なマクロの視点、、、個人ではなく、全体がどう成立してきたかを、詳細にシュミレーションしなおして再現するという手法がお気に入りのようで、様々な単行本に出てきます。このドイツの何もない土地に、新しい都市をつくる・・・という発想は、まさにその手法の題材として歴史を選んだにすぎないという感じです。その悠久の時間を俯瞰するという視点を獲得したいがために、その都市に眠っている宇宙人という設定を与えたんですが、これは少々生かしきれなかったなぁと思いました。それは、帝国自由都市を設立するというテーマがあまりに面白過ぎて、この宇宙人はたぶんスターシードなんだろうけれども、そのテーマが消化不良に終わってしまっているためだと思う。


ちなみに、余談ですが、僕はこの「ゼロの土地・空間に、都市を組織をつくる」というテーマが自分の中に大きくあることに気付いてきました。これを「失われた日本の近現代史」のテーマ的にいうと、植民地をつくること、フロンティアを開拓すること、ということと深く関連することなんですね。台湾総督で植民地経営のスペシャリストだった後藤新平について凄く気になっていることや、北海道、蝦夷地開拓やそれの先にある樺太満洲の開拓なんかがそれに当たるんですよね。

風の邦、星の渚―レーズスフェント興亡記
風の邦、星の渚―レーズスフェント興亡記


『風の邦、星の渚―レーズスフェント興亡記』 小川一水著 世界を作り上げること、ゼロから植民して新しい街をつくることhttp://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081208/p3

上記の歴史や文明の発展過程を再現することはインプロビゼーション効果があること、また技術の格差を利用した植民地的な視差があることが、この視差の高低が人をひきつけていること(強くてニューヒーローないですが、根源的な人の欲望なんですよね、これ)など上記の文脈を考えていくと、「ゼロの土地・空間に、都市を組織をつくる」そしてフロンティアへの欲望という物語類型、そして開拓と侵略のお話になるのだな、と思っています。・・・これは、もう物語の次元だけではなく現実の世界に動いている物語となりますよね。

僕は、歴史が好きで、なぜ日本が中国に侵略したのかを考えると、もしくは、なぜあんなに満蒙はどうのこうのという話になったか?というと、大陸のフロンティアを開拓するという19世紀的な物語類型の存在なくして、考えられないと思うんですよね。フロンティアの開拓というのには、一つの大きな社会を駆動させるだけの根源的なものがあるのだろうと思います。西洋文明における新大陸発見やドイツの帝国自由都市の形成も、みんな同じなんじゃねーかなーとかとか最近考えています。

ちなみに、支倉凍砂さんの作っている『ワールドエンドエコノミカ』も『マグダラで眠れ』も両方ともテーマの基礎は、フロンティアへの思いですね。片方は、月の月面都市で「より先へ」を目指す男の子の物語であり、中世の停滞した社会の中で技術で「その先」を目指し青年の物語が、マグダラですね。どっちも同じ発想、同じ動機に支えられています。場所や時代が違えど、人間を駆動するものは、あまりかわらないのだな、と、、、、うーん、と思いました。

WORLD END ECONOMiCA Episode.1[同人PCソフト]


『放課後のトラットリア』橙乃ままれ著 その2 結局人間理解の幅と観察力の差が、筆力の差を生むのかも
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130319/p1

さて、その2に続きます。