『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 ただ今読んでいます。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。5 (ガガガ文庫)

友人が、けっこうおもしろいよ、といわれて読んでみたのですが・・・いや面白いことは面白いけど、なんというか、『はがない』や『ココロコネクト』の系列のパラフレーズというか別展開のものなので、それほどオリジナリティを感じないなーと思いつつ、、、でもまぁそれなりにおもしろいので、、、と5巻まで来て、、おおっ、て思いました。


これは、確かに面白いかも。何が面白いって「起きた問題」に対する「解決のアプローチ」が普通とは違うのだ。いじめの問題って、よく起きるものなのだが、それへの解決方法って、物語でカタルシスあるように美しく描くならば、なんかよくあるパターンになってしまう。まぁ、それは運が良かっただけじゃん?というような。そうでなければ、いじめの深刻さの「告発」で救いようなのさを描いて、それを次の学生時代、進学した高校とか未来で解決したり癒す、というようなパターンとなるものだが、、、この解決方法は、なかなか見たことないっ!って、ちょっち唸った。


それと、主人公のヒキガエル・・・じゃなかった比企谷くん、、、、まぁよくいるハーレムの、、、、とおもっていたが、違う。うん、いいよ、彼いいよ!。5巻ぐらいから、はっきりと、彼の拠り所としている思想がわかってきた。ライトノベルって、だいたい4−5巻ぐらいで、ぐっと深くなるケースが多いんだよねー。これ同じ「友達を作りたい!」という系列の物語の中で、断トツに主人公が、魅力的になってきた。


この主人公は、『孤独である』ということがどういうことか、このとしてはっきり理解している!これは、、、、物凄い大人だ。とっても、魅力的に見えてきたよ、彼。だから、問題が起きた時の解決のための手法が、物凄い斬新になる。だって、彼はもうここで起きる出来事が「解決できる」なんて全く信じちゃいないんだもの。ああ、、、これは、凄く大人で、凄くよくわかっている。『俺の彼女と幼馴染が修羅場すぎる』とか『僕は友達は少ない』とかは、女の子たちがとっても魅力的なんだけれども、この『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は、僕にとっては、ビックリするほど、主人公の比企谷くんが魅力的に感じる。特に、5巻のいじめの話から、彼のスタンスが凄くクリアーになった。彼はもう既に、学園カーストなどの世界の差別は、どうにもならないものなんだ、ということを、世界も自分も簡単は(というかほぼ不可能)変えられないことを、死ぬほど良く理解している。彼は、物事が「解決する」ということはほとんど不可能なんだ、という「何でも解決できるんだ!」という楽観主義のマッチョイズムと集団同調圧力に対して、はっきりと否定のスタンスをとっている。ああ、いいなー。この孤高。これって、本当に、孤高だよ。


ただ今5巻ですが、たぶん、ここに出てくる登場人物たちとの距離の狭め方は、まぁ、普通の物語だろうと思うけど、、、、つまり関係性の、ラブコメの部分は、いまのところを見る限り、それほど展開はしないと思う。よくあるパターン。最近の友達を作りたい物語の系列の典型的バックグラウンド。よりも、物語的には、主人公の解決のアプローチが、凄い興味深い。きっと、この思想という過去のスタンスの延長線上だと、いろいろなものが見れるはず、、、これは楽しみ!。


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。4 (ガガガ文庫)