『セディツク・バレ』(原題:賽紱克·巴萊 /Seediq Bale) 2011年 台湾 ウェイ・ダーション監督 見たいっ! 見たいっ! 見たいっ!

これは、見なければなるまい。単純に面白そうというのもある。やはり、社会が成熟してくると、いろいろなものが出てくる。もう絶対大傑作だと思うよ、これ。どう考えても。だって、日本の軍人のかっこよさとセディツク族のかっこよさが、二人が相対する場面を見ただけで、等しく描かれているのがわかる。それだけで、この作品の深さと意図がわかる。

1930年の霧社事件の映画化だ。台湾の植民地統治は、僕は、まだ断片しか知らない。李登輝の話(国民党の話)、後藤新平の植民地統治のマクロの話、『お家さん』の鈴木商店金子直吉台湾銀行による台湾のインフラ整備の話、佐々木譲の『昭南島に蘭ありや』の台湾人の商社マンの話、坂井三郎の戦記においてゼロ戦の基地があったこと、そんなものだ。あとは、僕はビジネスで、台湾に関わっていたので、直近の10年ぐらいの台湾はマクロはともかくミクロでどういうところなのかはよくわかっている。もちろんのこと同僚や友人もたくさんいる。

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しかしながら、台湾原住民との関係をより詳しく描いたもの、植民地統治の軋轢を描いたものは、これまで見たことがなかった。後藤新平京都帝国大学の土地区画調査のプロジェクトで、土地の所有権の概念があいまいだった原住民の調停方法としてこれを利用する話が出てくるぐらいだったと思う。しかしながら、ここに出てくるいわゆる台湾原住民、高砂族らこそが主人公の物語を見たことはなかった。そういう意味で、これが、出てくることは、素晴らしいと思う。もう、いまから楽しみで仕方がない。いったい何を見せてくれるのか?と。ああ、こういう物語が出てくると、視点が平準化されるんですよ。相手側の主観視点で、相手側の正しさを描いた物語に触れないと、人間というのは自己を相対化できないんですね。そして、両サイドからの視点を体感できるようになると、、、、世界はいきなり豊饒さを増すんです。それになんといっても、高砂族(この呼び方がポリティカルコレクトネス的に正しいかは僕はまだ知識がないんで、まずはこれで描きます)って物語見たかったんですよ。彼らって、義勇兵として密林のジャングルにおいて無類の強さを発揮した凄まじい軍人だったんですよね。大英帝国におけるグルカ兵のような。もうそれだけで、凄いドラマトゥルギーを感じるじゃないですかっ!。


1895年から1945年まで、日本が台湾を統治した期間は50年に及ぶ。台湾の近代化をはかる日本の植民地政策によって、それなりの社会資本の整備が進められたが、当然、いくつかの摩擦が生じる。1930年、壮絶な事件が起こる。霧社(むしゃ)事件である。

 もともと、台湾の山間部に住む原住民族のセデック族が、30年以上にわたって服従を強いる日本に対して、ささいな衝突から武装蜂起する。霧社という山岳地帯に住むセデック族のグループのひとつ、マヘボ社という集落の頭目モーナ・ルダオが、ほかの5つの社と合わせて約300人ほどの勢力を率いて、霧社にある日本の駐在所や、学校で開催されていた運動会に乱入する。もちろん、日本人ばかりを狙っての襲撃である。結果、約130人もの日本人を殺害する。日本軍は反撃する。物量で圧倒する日本軍を前にして、マヘボ社をはじめ、6つの社の全滅は明らかである。結果、1000人ものセデック族が殺害される。

 映画は、精密な調査に基づき、セデック族の日常から、日本統治の実態、事件の顛末を描いていく。日本の統治が始まって30数年経っているため、日本の教育を受けているセデック族は、丁寧で流暢な日本語を話す。日本人もまた、統治する関係で、セデック語を話す。但し、その話し方には、支配する側と支配される側との、微妙なズレが存在する。この辺りのニュアンスは、中国語や英語字幕では、なかなか理解できないかもしれない。


http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1366188446074/pid_1.html


これまで、後藤新平の台湾の植民地運営をベースに、帝国がどう形成されるのか?という近代化の運動について考察をしてきた。このことは、佐久間象山が近代化のモデルケースとして、フランスのナポレオンのヨーロッパ解放の手法をモデルとしており、その後も、日本の近代化と植民地化の原型になったのではないか?という視点でいま調べている。調べているって、なんちゃって、考え?だけどね。素人だから。ただの連想・妄想ですが(笑)。

この霧社事件は、理蕃政策(りばんせいさく)を見直し、その後、台湾原住民を日本人と同等に位置づけ、皇民化政策の対象として切り替えていくきっかけになっているみたいなんだよね。これは、帝国の理念、帝国の倫理的「正しさ」をどう打ち立てるかという当時の大日本帝国の苦悩と表すステップで、とても興味深い。

ナポレオンのヨーロッパ解放と大陸制圧は、現地民衆の圧倒的な支援と現地の物資徴発に支えられていました。その後の日本軍の物資の現地徴発の考えからいっても、これとても興味深い類似性だと僕は思っています。もう一つ言えば、なぜナポレオンは成功して(実は最後には失敗しているから失敗のモデルケースなんだけどね)、日本軍は失敗したのか?どう外部・内部環境が異なっていたのか?というのは興味深いところです。それは、歴史を知ることになるからです。まぁ結論としては、民族自決の概念の浸透なんだなろうけれども、もっと具体的なメカニズムが知りたい。逆に言えば、初期のナポレオンの、あれだけ主権意識が強いヨーロッパ各国の制圧がなぜあれほど容易にできたのか?など。

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また、このテーマは、「帝国」を形成するというのは、どういうものだったのか?ということともつながっている。こつこつ大英帝国の歴史を調べているのも、その一環だが、最も近く結びつくのは、大日本帝国の帝国形成はどのような運動だったのか、だ。それはつまり、皇民化政策というものの、実態を見ていくことだ。まだそんなに、それをうまく表現したエンターテイメントや物語があるわけではないし、いい本がわかっているのではない遅々としたものだが(いいものがあったら、ぜひ紹介してください)、大城立裕の『琉球処分』や池上永一テンペスト』を見て、このあたりのイメージは非常に豊かになった。やはり、単純に学問的なものだけで見るよりは、イメージの喚起力がある物語がとてもいいと思う。そういう意味では、この映画は楽しみでたまりません。

何度も言うけれども、テーマを持って継続的に調べる、思い込みでもいいので自分のテーマを持って統合しながら解釈する(その後間違っていれば解体すればいい)、そして自分のアタマで考えるプロセスがないと、人は、自分でものを調べたりする意欲はなくなるし、何よりも頭に残らない。なので、テーマを持つことは大事だ。テーマは極端で偏っているほうがいい。重要なのは、自分のイデオロギーや偏見やテーマの「まったく反対の極の意見」も同時に収集して、自分の視点を構築する(=信仰する)と同時に、その信仰を解体する視点も形成するように努力することだ。そうして、バランスが取れる。すっごく、雑ないいかをすれば、日本の歴史を勉強する時は、いかに日本が正しく素晴らしかったか!という視点で主軸を形成しつつ、いかに日本が汚くて間違っていたか?という対抗視点を同時に作る。これ順番は、この順番でなければいけない。否定から入ると、虚無にとらわれて、アパシーに騙されるからです。



李香蘭主演の1943年の『サヨンの鐘』という映画も見れたらみたいなぁ、、、。どこかで見れないかなぁ。

ちなみに、文明を嫌った部族が、近代社会に接続されていくときに、何が正しかったことなのか?を考えるのにあたって、まさにこのテーマを全力で扱った沢村凛さんの『ヤンのいた島』をお勧めしたい。これは、素晴らしい物語です。

ヤンのいた島 (角川文庫)