自殺者1万人を救う戦い - SAVING 10,000 - Winning a War on Suicide in Japan

http://www.saving10000.com/?lang=ja

見たいと思っていたのだが時間がなくて、今日早起きしてみた。さすがに朝から超重いへヴィーな内容で沈んだけれども、見てよかった。僕はポジティヴな方であるし、いまポジティヴに思えるほどに人生としては運がいい方だと思うし、できれば前を向いて生きていきたいと思う。けど、大事なのは、こういう現実も同時にあることを直視することだろうと思う。現実は現実だ。プラスもあればマイナスもある。それに生きる態度として、僕は、極端なマイナス・・・・それは、たぶん死だろう、、、それを含めて直視して生きていないと、世界の半分しか知らないまま生きてしまいそうで、いやだと思う。


個人的な感慨はさておき、日本社会は、自殺の領域について、公的なサポートや、社会の一部として適切に包含していこうという意思が弱いのだなぁ、と思いました。最後の東尋坊で見回りNGOをやっている方の叫びは、とてもびっくりした。・・・・弱者、、、といういい方は、ちょっと違うのかもしれないと最近思うのだが、とにかく社会の大きな空気にはじかれる人々に対して、日本は本当に冷たいよね。「和」ってのは、同調圧力の空気に従わない人を排斥していじめ抜くことで、メインの軸に属する人の結束を確認するってやつだからねー。露悪的に考えると。


暗い話なんだけれども、英語で聞くとまた違ったニュアンスを感じる。用語が英語に置き換わると、たぶんアメリカや英連邦の世界での単語の意味でイメージされるので、日本社会にはない広がりを感じさせて、異なるものに感じるからだろうと思う。特に思うのは、ギャンブル依存症アルコール依存症うつ病や精神病などストレスマネジメント、自殺など、、、アメリカ社会ならば、社会度組織的理論的にここを包摂しようというゆるがない強い意志を感じるし、さまざまな映画なんかでも、たとえばアルコール依存症への強い社会的意識や互助会や復帰プログラムなど、社会の紐帯に包摂しようとする仕組みが試行錯誤しながら凄く向き合っているのが、感じられるんですよね。けど、、、この部分は、確かに日本社会では、あまり見ない感じがする。。。。先進国で後期資本主義社会であれば、起きる現象は全く同一だが、社会の在り方で取り組み方は全く違ってしまう・・・・。まぁ、アメリカや西ヨーロッパが偉かったり正しいわけでもなく、成熟した後期資本制の社会の共通課題なんだよね。


記事でずっと書いてきたのだけれども、高度成長からバブル期の60-80年代から90-2010の失われた低成長時代への突入期のギャップってのが、まだまだ埋まっていないんだろうと思う。90-2010の20年間って、何を目指したかといえば「失われたものを取り戻そうとあがいた」時期であって、もうそういう構造になってしまった現実から新しい未来をつくろという時期ではなかったと思うんだよね。だから、ノスタルジー回帰ばかりで、現実へのアクションが後手後手に回る。僕らはもう新しい時代に入って、高度成長やバブル期のような高い経済成長がすべてを肯定する、頑張ればどうにかなる社会ではなくなったんだろうと思う。それが悪いことではない。日本には限りなく輝く未来があるし、現在も圧倒的なストックや蓄積がある。構造が変わったのだから、そこへ取り組まなければならないと思う。大事なのは、現実を直視することなんだなぁ、、、としみじみ思う。