『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』 藻谷浩介著  これからの人生をどう生きるかの指針に

里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


お薦めの本です。先日のオフ会でもメチャメチャおすすめしましたが、物語三昧の思考の履歴をたどるには、これもアンカーというかポイントとなる本なので、ぜひとも読んでみてください。まぁ、というか、このあたりは、なんというか時代の流れを追いたい人には必須の本のような気がします。


あまり細かくは書く余裕がないのですが、さらっと書くと、『デフレの正体』で語られたことは、生産年齢人口が縮小していくことに経済の成長が高い相関性を示すことだったと思う。まーこまけぇーことは学者に任せることとして、つまりは、人口の伸び縮みの構成が、経済の成長・衰退に強くリンクするということを提示したわけです。そしてこれは、日本の急速な経済縮小の感覚や新興国の急速な成長をよく説明している議論だろうと思うのです。なので、大枠の予測をする時に、その国がどのような人口の構成をしているかを見れば、その国がどういう方向に進むかが予測できるのです。これ、未来予測に物凄く重要なポイントとなるのはわかると思います。アジアが高度成長したのは、この生産年齢人口が大きいベビーブーマーの層が今働き盛りにあるからです(日本や韓国を除く)。そして、既にそれは高齢化の兆しに入っており、今後は急速にアジアは老化していくことは、統計が示しています。このへんは、

老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わるとき (中公新書 1914) 2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する

大泉啓一郎さんの本がその辺を予測していますね。大泉さんの議論は、メガリージョン(大都市部とその後背地のグラデーション)がこれから資本主義の繁栄が集中していく地域で、ここには人が集中するので、生産性年齢は下がりにくいことが示されています。ようは若者が田舎から一著都会で一旗揚げようか!と出ていくのです。経済学の常識で、経済成長と「都市化」は結びついており、都市化の余地が高いほど経済ののりしりろがあります。日本列島は、高齢化が進むうえに、既に都市化がほぼ100%に近いほど進んでおりこれ以上の都市への人口集中は基本的には難しい。逆に、同じく高齢化の兆しに苦しむ中国は、まだ都市化がほとんどされていないので、その分の伸びの余地はまだある程度はあると言えます。なので中国が本当に苦しくなるのは、10-20年後。

ちなみに、このメガリージョンへの人口の集中が進むと(これは人類社会のトレンド)、必然的に田舎が急速な高齢化を迎えます。しかも資本蓄積もインフラもない状態で。メガリージョン部は、メガリージョン部で、全世界の激しい競争に勝ち抜いていかなければならないので、ここでの税金はすべて都市のインフラに回されます。メガリージョンは、上海圏、東京圏、ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、タイのバンコク圏とかそういうのをイメージしてくれればいいです。なので、国民国家内部で、メガリージョンである都市部と田舎での不公平感が高まり、政治不安定の度合いが増すだろと予測されています。タイのタクシン派の抗争なんかはめっちゃ、それだろうと僕も思います。要は一言でいうと、田舎は没落する構造があるよね、ということです。少なくとも、田舎が何らかの生き残る方法とかを示した話は、聞いたことが僕はありませんでした。


・・・・・でもうそうなのかな?、ほんとうに?


ほんとに、メガリージョンだけが生き残って、そこだけが繁栄するの?。???そういう未来を予測したした作品は確かにたくさんあります。手塚治虫なんかは、未来はドーム型の都市とか地下都市だけに人類が生き残っているイメージがたくさんありますよね。あの頃のSFのトレンドってそんな感じだったと思うのです。

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僕は物事を考える時に、「いま起きている」ことの正反対を考えておこうとするようにしています。それは、数年前からメガリージョン同士の競争がすべてで、それ以外は切り捨て没落するという話がたくさんあって、、、、ふむ、、、、ということは、、、、、


むしろ田舎に何かのキーがあるのでは?


とずっと思っていました。特に、たしかに、新興国では資本蓄積、、、特に田舎におけるインフラストラクチャーの整備、年金の整備がほとんどなされないないという問題点があって、ことは新興国ではあれば、それは正しいとは思います。しかし、、、西ヨーロッパや北米、そして日本は、フロントランナーの先行者利益をたくさん獲得しているので、田舎にもかなりのインフラが整備されているし(田中角栄!!)、壊れかけ&足りない(現行制度維持としては)とはいえども、年金制度は相当整備されています。


しかも、日本は、まだ1980年代の衰退と練度に入って30年ちょっとしかたっていませんが、それでも30年はたっています!。西ヨーロッパなんて、100年以上経過しています。ここで何らかの、解決策が模索されていないはずがない!と僕は思っていましたが、まぁ、おもっているだけで、シゴトと家族と趣味で忙しくて、そんなん調べる余裕はなかったんですが、「そこ」に何かあるはずだ?と思っていましたが、、、、

ふむ、、、この藻谷さんの指摘は、非常に興味深い。タイトルはじゃっかんベタすぎて、古き左翼的な「自然に帰れ」的なダメメッセージに聞こえてしまうのですが、ここでの本質はそういう主張ではありません。サブシステムを自律的なサスティナブルな系にしてしまおうという発想は、僕は非常に面白かった。

というのは、資本主義の全力疾走は止まらないので、メインの部分のメガリージョンでの競争は、なくなりはしないと思うんですよね。けれども、それが景気循環の波にさらされる非常に危険な構造をしている仕組みであるのもまた事実。またエネルギーの安全保障が、単純に生存だけではなく、自尊心、絆の保証と強く結びついているのは間違いない事実です。イタリアのスローフード運動やフランスの農民に対する極端な保護や、フランス語圏の防衛というのは、この魂の安全保障の話(文化防衛)ですよね!。ちなみに、この本で語られているオーストリアのケースは、なかなか興味深い。というのは、日本も森林資源が豊富な国だからね。

さて、大規模なグローバル経済にリンクした人々・・・いや「個」が大衆化しやすくて、民主主義に対して非常にリスキーな行動をとりやすいのも事実。その中でサブシステムを、個別に自立化させようという発想は・・・・なるほど!とうなりました。サブシステムって、ようは、田舎と田舎のコミュニティのことでしょう。そしてこれが緩やかに成立すれば、何が起きるかというと、都市と田舎という二元対立ではなくて、都市と田舎を行ったり来たり、もしくは半分住んで半分住むという「選択肢の余地」が生まれるはずなんです。なんでも、二項対立で考えるのは、バカのはじまりなんで。そこは、どっちも!とかミックスで考えるのが、長期的には正しいと思うのです。などなど、凄い考えさせられるものでした。


ちなみに、物語三昧的な文脈でいうと、今は「友達との絆」というトレンドの流れを追っていますよね?。この友達が欲しい、とか、絆が欲しいという議論の流れには、リベラリズムの追及の果てに個人化した人々が、もう一度、コミュニティへの帰属を求めている流れです。それって、よくリベラリストとコミュリタリアンの対立で語られるのですが、いやだかといって古き共同体主義に戻れって、もう無理ですよ。やだもん、そんなムラ社会に戻るの。なので、戻るのもなぁーかといって、現状にも未来がなさそうだし、何よりも競争主義で自己責任貫徹のリベラリズムに資本主義グローバルな戦いでの帝国の頂点を目指すのは苦しすぎる(苦笑)。


以前、帝国化する企業の話をしましたが、、、いや、あれが正しいなんて僕はつゆほども思っていマシですからね?。あんな、グローバル競争を勝ち抜いて勝ち抜いて、、、なんて話、バカみたいな非人間的な人生ですよ。あの本読んだら、やってらんねーよって思いますよ(笑)。実際、僕もグローバル資本主義の最前線で戦っているので、アップルのマネージャーだった、松井さんが、あんなの疲れたといって、会社辞めたのはよくわかります(笑)。ずっとやってらんねーよ、こんなの。

企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)
企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)

『企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン〜新しい統治者たちの素顔』 松井博著 これからの時代に必要なものとは?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130503/p3


ただし、イヤだとか感情的な反発も、ナンセンス。なので、その構造がどうなっているのか?それを知ろう!という話でした。さらに言えば、人類が前に進んで、人類社会が全体的によくなるためには、これらのグローバルな競争や発展は、不可欠であって、誰かがやらなきゃいけません。責任を取り、大規模なマクロをコントロール設計する!(=設計主義的なもの!!)ことは、人類の福祉と発展には、絶対に必要なんです。


そのために、局所的につらいことはあるかもしれません、、、たとえば、先進国の中産階級にとって、世界の労働者の賃金平均に給料が収斂するので、悲惨なほど貧乏になり没落します。けれども、これはマクロトレンドでは、間違っているとはいいがたい、、、だって、先進国のそれって「既得権益」であって、収奪なんだもの。それが解放されて、幸せになる人が人類社会にたくさんいるので、この流れはとどめることはできません。こういう帝国的なマクロの運営設計を、資本主義のルールに基づいて推し進めることは、やっぱ人類にとっては正しいんだろうと思います。・・・・先進国の自分としては、しんどいなぁ、、、とは思いますが、、、。

まおゆう魔王勇者 1「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」

あっちなみに、帝国での出世競争の非人間的な競争を「やってらんねー」といいましたが、、、これ、上記の人生のミックスで考えると、実はそうでもないんです。人類の最前線の、世界を塗り替える仕事ですよ!!!。『まおゆう』の青年商人のような、世界の構造を破壊して再創造するような仕事ですよ!。人生の一部で、逃げ帰れる、絆やコミュニティがいつでもある状態だったら、、、やってみたいと思いません?。最高に、価値のある仕事であるのも事実ですよ。


人生はバランスです。


失敗したら帰れるところがあれば、いろいろ頑張れるじゃないですか?。別に十分頑張る価値のあることではあるんですよ。帝国の建設や内部での維持管理の仕事は。人類の福祉と未来のための仕事ですから。付加価値を創りだすというのはそういうことです。


ということで、やはり、この「友達が欲しい」という絆の文脈と、里山資本主義でいっているサブシステム(=田舎)のエネルギーの自律化と、それに伴う地域コミュニティーの復権の話は、凄く接続すると思うのです。


等々を考えるので、ここにあげた本は必須ですので、物語三昧の読者は、ぜひ読んでほしいです。つーか、オフ会では言いましたが、いいから読め!(笑)という感じです。そもそもこんなわけのわかんない長文ブログ読むなら、ぜひとも、そういうの読んだ方が、面白いです!。


この話は、これから説明なしに記事が書かれる(&ラジオとかされる)はずなので、ぜひとも読み込んでおいてください。


デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)