The tribes we lead - Seth Godin

Tribes
The tribes we lead - Seth Godin

これ、とてもいいですねー。最近、リーダーシップについてよく考えます。もちろんきっかけは、ちきりんさんの下記の記事。


・2011-09-27 なんで全員にリーダーシップを求めるの?
 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110927


少なくとも僕は、自分の仕事の領域にたくさんのNon-Japaneseがいるし、海外で仕事をすることも多くなってきて、、、、というか、ここ5年くらいで、なんだか、本当にグローバル化したなぁと思います。


このカタカナ訳語だといまいちイメージがつかめないのですが、中国語の全球化が実態を表していると思うのですが、なんというか、日本もこの20年ぐらいガラパゴス化(=内需のケアのために外向きになり切れない)してたんですが、それもついに終わったなぁ、、、と感慨深い感じがします。全然一般化できないのですが、まわりに子供を産む人がすごい増えていて、なんか、なんとなく「何かを抜け出した」感じがしています。まぁ人口が増えるとはおまだとても思えないけれども(苦笑)。


なんか時代のステージが変わった感じが、とてもします。


2020年の東京オリンピック開催なんかも、その感覚を強く感じさせます。おっと話がずれました。とにかく、なんだか職場がグローバル化したなぁ、、、としみじみ思うんですよ。そして、そうなってくると、やっぱり組織の在り方や生活、行動の在り方が多様化していくし、その多様化が「容認されていく」というのを感じます。もともと日本は相当なグローバルな事業を展開している超先進国なので、環境自体はいろいろ多様化していたのですが、そもそも日本社会は、ムラ社会のボス山のサルによって統治された共同体ムラ集団が横で並列に並んで覇権争いをしている、平等意識が強すぎてバラバラになる典型的な部族社会的な体質を持った構造が基盤にあるので、多様性を排除しようしようとする力学が構造的に働いていますので、なかなか、多様性を認めるって感じがしないんですよね。


でも、もう・・・もう時代だよなぁ、、、しょうがないよなーーというような「空気(=ニューマ)」を感じます。日本社会は空気の奴隷なので、マクロの空気のにおいには敏感で、なんか、もう多様性の方向にシフトしないと、サバイブ(=生き残り)できないよなーって感じが、みんなかなり末端まで腑に落ちた感じがします。


そうすると、世界のスタンダードというのは、現在、作られ始めています。ベースが英語にあるので、欧米圏の関係性やコードをかなり色濃く反映していますが、マジョリティになりつつある新興勢力の新興国もいますので、けっして単純ではありません。また、超先進国のメンバーではあるとはいえ、この中産階級ボリュームゾーンのウェイトがアジアに新興国にシフトしていく中で、いわゆるオリエンタリズムが通じるほど甘くもありません。もう時代は変わったんです。グローバル(=スケールが全地球規模に及ぶ)になるということは、北半球の一部の近代化に先行したクラブだけで運営された狭い小さい地域を、世界とか国際とか言っていた時代は終わったんですよね。そう最近、しみじみ実感します。


すると、やはり、これらの多様すぎる人々、、、クラウズ(群衆)といってもいいのですが、これをまとめて生産的な方向へまとめていく技術は、とても難しい。大衆コントロールの技術や政府に対しての信認は、容易に全体主義ファシズムを生み出すことがわかっていますし、そこまでいかなくともすぐポピュリズムに陥りやすいのは、民主主義の特徴のようなものです。また、資本制の社会が浸透していけばいくほど、「個」がバラバラになって、絆やコミュニティが崩壊していきます。ここでは、再帰的に、もう少しやわらかい言葉で言うと自覚的に集団をオルガナイズしていくことが求められます。しかも、多様性で共通点が不明なコンフリクトを抱えた集団の中で。


それがすなわち、リーダーシップ。


いわゆる西洋至上主義的な主体の幻想ではなく、それが幻想とわかった上でも、自覚的に自分の目の見える身体的な範囲で、場を作り、目的に向かって動機づけ、行動を伝染させる力。そしてそれがなければ、僕らが生きるこの後期資本制の社会、新しく通らいしてきたグローバルな人類社会では、幸せに生きられません。ことはビジネスだけに限りません。


特に日本においては、この問題はすごく目に見えていないので、意識しなければならないんだろうな、と思います。というのは、『菊と刀』ではないですが、日本社会のムラ共同体的な体質、平等意識が強いせいで、派閥抗争になって、すぐにアソシエーションが共同体化するということは、本来もっと自覚されるべきだろうと思います。あまりに自覚が弱い。高度成長で成功しすぎたので、プラス面ばかりが強調されて、時代の変革のような巨大な意思決定が自覚的にできないという戦略の弱さに対する認識が、非常に弱くなってしまった。


これが日本人の、日本民族の、陰湿さやド汚さやダメさの根源であると同時に、これがまた日本人の勤勉さ、強烈な同朋意識、素晴らしさの根源であることも、意識して明示的に社会で共有されないと、すぐ戦前の意思決定のあやふやさが典型ですが、民族、国家レベルでの失敗に結びつきやすくなると思います。


邪宗門』の主人公は、日本の大衆、クラウズの無教養さ土俗さに最後は諦めが入りましたが、なんのなんの、いまでも本質は全く変わっていないとはいえ(笑)、我々は人類のフロントランナーともいえる議会制民主主義、資本主義の最前線に200年近く経過した超先進国なのです。さまざまなインフラストラクチャーは、すでに明治維新のころの絶望の時代と比較したら、なんと恵まれていることか!。

邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)


再度、新しい時代に対して、教育体系を意識し始めるいい時期なんじゃないかな、と思います。



・・・・なんかマクロ的な言い方になってしまったんですが、、、、なんかねぇ、最近、プライヴェートでは、自分で動いてリーダーシップとって自覚的にやるとすごく楽しくていろいろなことができる時代になったのがすごくよくわかるし、、、、ビジネスにおいても、さまざまな多様性が入り乱れるところでは、共通のメタ意識として、このバラバラなところにどのようなメタレベルでの共通点を探して場を、目的に収斂させるか?ということを、常に意識すべきだというような、暗黙の感覚を、すごく感じるんですよねー。なんか、ほんと数年前とは違う。


なにか、新しい時代に入ってきているのだなー、としみじみ思います。


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