タスクの管理は、いかに要求されたことを本来やらなければいけないことと比較して、断るかにポイントがあるはずなのに、、、

今朝読んだMediumの記事には、そもそも、スケジュール帳のフォーマットが間違っていると書いていた。つまり、本来のタスクをきちんとスケジュール帳に書くことをしなければ、そういった地獄のスケジュールから絶対に逃れられないというのだ。たとえば、「来期の予算計画をつくる」というタスクがあるなら、それは期限がいつで、その期限までに、何時間かかるか先に計算する。もし、それが30時間かかるなら、スケジュール帳に30時間の予定を入れてしまうのだ。そうしておけば、会議や誰かと会うような用件ができた場合、自分の考えるライフワークバランスから、断るということも選択肢に入れやすくなる。手帳を見せて、どれほど予定が過密化を知ってもらい断るということも可能になる(かもしれない。相手が鬼の上司だとしても)


みんなスケジュール帳の使い方を間違えている!
http://www.huffingtonpost.jp/ichiro-wada/schedule_b_5261576.html


びっくりした。みんな、自分がいつもやっている手帳のスケジュールの入れ方と逆なんだ、、、、。


当たり前のこととして、最優先事項のやらなければいけない目的とタスクを計算してスケジュールを埋めてしまう。


それを主軸にしながら、他の要求を入れるか入れないか考える、、、、のが普通だと思っていた。


そんな、のべつまくなく周りから要求されることを受け入れていたら、そりゃあ忙しいわけだ、、、。


みんな逆で考えている人が多いのね、この記事とかがネットで話題になるということは。


たぶん、そんなんじゃ、アウトプット出す暇ないだろうに。



もちろん、日本社会は、会社共同体社会で、ホワイトカラーの生産性も最悪なので、意味不明の会議ばかりあるし、拘束時間を逃げると評判が最悪になったりするのは、たしかに事実です。僕も長いこと日本的大企業に勤めていたので、これがアングロサクソン的な、というかグローバルなスタンダードからかけ離れているのは、よくわかります。また、とはいってみても、それがひどく不合理だといって、日本社会の普通のパンピーリーマンに、その構造を変えることがほぼ不可能なのもわかります。



けどね、、、、絶対必要な主軸のアウトプットが出ていなければ、会社はまともに評価しませんよ。


なので、常にどう無駄なことを、波風たてずに断るか?というスキルこそが、日本の大組織では重要なのです。



そのためには、常にスケジュールを管理して、何が重要なことか?どのアウトプットが本質的に自分の評価と関連するか?を常時確認し続けながら、周りと交渉していかなければなりません。



それを意識するだけで、劇的に人生変わりますよ。まぁ、なれて息を吸うようにタスク管理ができるようになるまで、3年はかかるだろうけれども。でも、仕事の生産性が悪いと、人生を盗まれるので、これって凄い重要な技術ですよ。



なにも、アングロサクソン型の超目的合理主義的にする必要はありません。そんなん日本にいる限り無理なんだし、いきなりそんな革命を!とか国家を転覆せよ!みたいなマクロレベルの要求を考えても無駄です。物事はミクロレベルで、自分ができることで考えないと無駄です。



なので重要なのは、自分がコミットすべき優先順位づけの常時確認と、それを見ながら『断る技術』の練度を上げていくことです。


日本は会社共同体で動いているので、断る技術が、とっても上手でないと、生きるのがしんどいし、幸せになれませんし、仕事も進みません。


日本の組織のレベルが低いとか、そういうマクロレベルの嘆きは、何も改善しません。



まずは、第一歩から。できることを。








閑話休題




追記を。ちなみに、こういった、常時みんなで一緒にいたがって(笑)、意思決定のプロセスにすべての人が空気を共有しようとする、ほうれんそう的なやり方は、グローバルな、、、というのは言い過ぎだなぁ、アングロサクソン的な仕事のやり方とは逆だというのも意識しておくと、無駄な文化コンフリクトを起こさなくて非常に重宝します。アメリカやヨーロッパの企業(ドイツとか大陸側は少し違いますが、、、)は、日本のやり方と真逆をするので、交渉したり自分がそこで働くときは、マインドを逆にセットする必要があります。また、日本の社会がそういう逆のパターンで動くことを、常に翻訳して説明し続けていないと、バカにしているのか!!と彼らは怒り出すので、そのへんのルールのメタ改変ができるように常に、文化摩擦というかやり方の違いを明示して、言葉で(もちろん英語でね)説明できるようにしていないと、いきなりぶちぎれられたりレイオフされたりしますよ(苦笑)。


ちなみ、日本の仕事のやり方である、ほうれんそう型の空気共有(=プロセスをすべてのレイヤーの人間が共有する)というのは、めちゃくちゃアングロサクソン的グローバルな仕事のやり方とは相性が悪いです(笑)。日本が世界で負け続けるのも、この辺の相性の悪さにあります。しかし、こうしたほうれんそう型の全レイヤーの従業員が、情報をフル共有する仕事の進め方は、いったん物事が決定した「その後」では、アングロサクソン企業の怠惰さやぬけの多さは比較にならないほどの緻密さと安定度合いを誇ります。そりゃそうだ、全レイヤーの従業員が、全情報を共有いてるわけだから。


なので、もちろん『決定する』ということに関して、物凄い相性が悪いです(苦笑)。旧日本軍が、兵卒は世界ダントツの優秀さを誇ったのに、将軍などの司令官レベル参謀が無能(のように見えた)のは、日本の組織のこの性格に起因すると思います。実際、各国と比較して参謀や司令官の知的レベルが低いわけでもなかったと思いますが、、、、決定する部分でほうれんそう型の組織共同体の空気共有システムは、現場の意見に引きづりおろされるという、異様にいきすぎて民主的なので、「みんな(=世間・空気)」の意見に中和されて、何がしたいかわからない「決定」になってしまうんですよねー。決定が効率的であるためには、独裁的でなければならないのは、ギリシア、ローマの時代から分析され続けてきた事実です。なので今の時代背景からすると、オーナー型の日本企業は、空前の強さを誇るはず(仮説)です。まぁ、事実ですよね。


ちなみに、わかるとおもいますが、産業別に、アングロサクソン的なやり方と日本のほうれんそう空気共有型の仕事の進め方は、それぞれ得手不得手というか、相性があります。別に、どれが優れている、というわけではありません。


まっ、話が長くなったが、物事は単純じゃないってことです。