『日輪の遺産(THE LEGACY OF THE SUN)』 佐々部清監督  1945年のこの時間にどういうマクロ的背景が存在するか?がやっとわかった。

日輪の遺産 特別版 Blu-ray

評価:★★★3つ半
(僕的主観:★★★☆3つ半)


昭和史の半藤さんの戦後編を聞いていて、この作品を飛行機の中で見たことを思い出した。この作品の位置づけというか、意味がよくわからなかったんですよ。それは、歴史的にこの1945年のこの時間にどういうマクロ的背景が存在するか?ということがわからなかったので、さっぱり楽しめませんでした。映画の出来は、丁寧にまとまっているし、たぶん脚本(原作は未読ですが)も浅田次郎さんの小説ですからシンプルでわかりやすいのだろうと思うのです。


でも、半藤一利さんの戦後編の講義を聞いていて、やっと、このことの意味が深く実感できるようになってきました。


簡単に言うと、1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾後というのは、世界史的に見てもとても凄いことが起きています。それは、250万人級の大日本帝国軍という軍隊が、国内で十分に組織的抵抗ができる状態でスタンバっているんですね。しかももともと軍隊は、本土防衛(地形、地政学的にアホとしか思えないが、、、、)を本気で準備していたのです。なので、そもそも特攻などという統率の外道までやっている軍隊なんですから、まだまだ十分に、やれたわけです。ここが重要です。後先を考えたら、やる意味は全くないんですが、とにかく「まだまだやれる」状態にはあったわけです。それも、250万人とかのレベルですよ!。それが、1年かからずして、見事に武装解除していく。明治建国以来、100年近くの伝統を持ち、東アジアに世界にその存在感があった、自称ではありますが世界最強の軍隊である大日本帝国軍が、反乱もほぼ皆無で、一気に武装解除していくのです。これって、凄いを通り越して、狂っているとしか思えない、ものすっごっいいいいことなんです。


単純に、イラク戦争におけるイラクとかを見ればいいんですよ。アメリカに占領されたからって言って、イラク人が武装解除を簡単にしますか?。テロも含めて、簡単に戦力できないし、アメリカの言うことなんか聞くわけないんですよ。だって、つい先日まで真逆の強い原理主義的な国家体制で、そういう風に教育されているわけですし、、、ルサンチマンというかプライドもあるわけでしょう?。できるわけないんですよ。それが、当時の日本では、250万人もの精強な手つかずの軍隊が国内にスタンバっているんですよ(燃料とか食料がないんで継戦できないとかそういうことは、もちろん彼らは考えないでしょう(苦笑))。しかも、長い間、準備しているので、かなりの備蓄もあるんですね。戦後、すぐに食糧難が来ないで小康状態を少しの間保つのは、この軍事物資の放出があったからだそうです。これ、、、、うーん、僕の感心さが伝わるかなぁ、、、1945年(昭和20年)の日本は、このあたりを境に一気に異なる国へと変貌していくのですが、それは、大日本帝国という国体を支えていた軍隊の武装解除と無力化がなければできないことなんですが、、、それまで、鬼畜米英とか戦陣訓とかとなえていた全体主義的国家が、こうも一気に変わるのは、なんで????ってことなんですが、、、、


まぁ、理由はおいおい考えていくとして、ということで、ここには大きな歴史の分岐があるんですね。


常考えれば、ここで日本が泥沼の大本土決戦をすることは、大日本帝国の国体とプライド、本義を考えればそちらのほうが当然なんです。まして、本土決戦自体は(勝つのは不可能ですが(苦笑))できるだけの準備があったわけですから。降伏も、これまでの軍隊と官僚に引きずられてきた日本の政治の仕組みからすると、何でここで止まるわけ?って感じです。逆に言うと、ここで止められるのならば、そのメカニズムは、なぜ他の戦争拡大を止められなかったのか?と問われるはずです。ようは天皇が戦争をやめさせているので、ならなんで、戦争突入を止められなかったのか?と問われてしまうのです。そりゃ、論理的です。また仮に降伏しても、個々の部隊が、簡単に反乱もなしに、武装解除に応じるというのがとても不思議です。


これは、たぶん過去の大戦争を遂行したと同じくらい、歴史的にエポックメイキングなことなんですよ。ただし、エンターテイメントや物語の視点で言うと、戦いがあるわけでも、大きくマクロに関係するわけでもない地味な出来事(=何もおきなかった出来事)なので、物語的には地味で面白くないのです。なので、エンターテイメントになりにくい。


ちなみに、では、もし本土決戦を継続していたら、どうなったか?というのは、村上龍さんの『五分後の世界』がおすすめです。物凄くいい小説ですよ。  


五分後の世界 (幻冬舎文庫)


最近、1945年以後の時代に興味が出てきました。


半藤さんの講義のおかげだと思うのですが、このCDを何度も何度も繰り返しているうちに、これまで読んできた本や見て来た映像などが、自分おなかで、「歴史として一本にまとまってきた」感じがするのですね。なので、昭和の前半の、大日本帝国史が、特に日中戦争から太平洋戦争にかけての流れが頭の中でうっすらと全体像を構成し始めてきたんですね。そのせいかもしれませんが、やっと僕の中で日本史の興味が、では1945年以降はどうだったのだろう?という方向に接続されてきたのだと思います。


思えば長かった、、、、


同時に、最近、僕の現代への分析は、どうも日本社会は、高度成長期との落差に苦しんでいるらしい、という分析になってきました。では、どうかんがえるか?といえば、歴史的に、1950-1980このぐらいの間の日本の高度成長は、どのようにもたらされて、どうの様であったか?、それがどう変わったのか?、それを知らなければなりません。そして、その状況が整ってきたんだと思います。一つは、内的な意味で、1945年までの昭和前史と大日本帝国史が、詳細はともかく大枠が腑に落ちてきました。なので、過去がどうだったか?の整理が頭の中でつきつつあります。

もう一つは、高度成長の時代とは、団塊の世代の人生なのだと思いますが、これが、「歴史」になりつつあるんだろうと思います。そろそろ、団塊の世代もリタイヤの年代です。なので社会の表舞台から退場し始めている。なので、ここで起きたことが、「歴史」として、ワンクッション置かれて、客観的にとまではいかないですが、それに近い視点が生まれるようになってきたんだと思います。


ああ、、、歴史って楽しいです。最近趣味が、じわっじわっと前に進んでいて、うれしいです。


半藤一利 完全版 昭和史 第四集 戦後編 CD6枚組