コードギアス反逆のルルーシュを見直しました!

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 5.1ch Blu-ray BOX

最近忙しすぎて、記事が全く書けません。とはいえ、アメリカは今3連休なので、9/1はlabor dayですので、さすがに少し余裕がある。昨日、こつこつ毎日1-2話ぐらいで、ストレスの緩和のために見続けた『Code Geass: Lelouch of the Rebellion』のR2を見終わりました。いやーえがった。僕、反逆のルルーシュ、物凄い大ファンなんですよ。リアルタイムの時も、たくさん記事を書いていますよね。なので、この胸にとても残っている。文脈的に意味があっただけではなく、たぶん物語としてととても好きなんだろうと思います、こうして見直すということは。


古い作品って、見るのを躊躇するんですよね。ましてどんなに名作でも一度見たものは。これだけまだ見ていないものが溢れていると、なんだか時間の無駄なような気がして、時間は限られているので、、、、だけど、だからこそ、贅沢って感じがします。また年齢が変わったり、経験が変わってみると、見方も凄く変わるので、こういうのいいですね。記事こそ書く余裕はないですが、精神の平衡を保つためにも、毎日Kindleで漫画を大人買いしたものを見続けていたりします。ああ、こういうのがこれだけ容易に手に入るって、今の世界は素晴らしいですね。ほんとうに。


これ、一気に通してみると、いろいろなことを思いました。


一つには、R1というか、最初のシリーズが圧倒的に名作で出来がいいってこと。それは、日本が植民地となりエリア11という支配されているところでのレジスタンスという、非常に物語のテーマが絞られていて、そこを丁寧に描いているからだろうと思う。このテーマは、やっぱりおもしろいんですよね。ニッポン・バンザイという叫びは、戦前のイメージが強くて、あまりイメージがよくないのですが、レジスタンスで描かれたり、イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』の栗林中将のバンザイのように、意味や文脈が変わって描かれると、センスオブワンダーがあって、凄い感動します。レジスタンスものでは、僕はアメリカのドラマで『V(ビジター)』というのがあって、あれが好きだったなー。

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また、僕は全作品中圧倒的に、枢木スザクが大好きなのですが、、、、大好きというのとは違うかなぁ、、、現代日本人のヒーローを描くと、これって凄いモデル的なヒーローだなって思うんですよ。だって、物凄い矛盾溢れている。命を守ることや、すべてを守ることに固執するが故に(絶対平和主義的な)、自分が壊れていく様や、それ程の平和主義者なくせに、軍人になって凄い武力を持っているという矛盾。彼の価値は純粋に、軍事力としての部分が多き。。。存在そのものが武力なんです。結果ではなく、手段に優先順位を置く極端さ。その矜持と自覚。そしてなによりも「それならば自分はこの世界に生きる必要性を感じません」と言い切る、手段に殉じる強烈な殉教精神。そして、その殉教精神がただの自殺や逃げに収まり切れない何か大いなるものにつながっている王の器を感じさせるところ、、、まぁ、LDさんのスザク解釈そのままですが、R1では、そのスザクのキャラクター性が、十全に表現されており、R1はまさにスザクが主人公といってもおかしくない、レジスタンス・ニッポンの象徴のような存在でした。この、矛盾溢れる、平和を志向するのに暴力的存在であったり(本人は矛盾で凄い苦しむし、悲しいんだけど、ものすごく強かったりする)、手段に殉じようとする忠義的な、合理性では測れないような極端な思い込み(=外からはミステリアスに見えるところ)って、現代日本をすごい感じさせる気がします。タイプムーン衛宮士郎なんかもこの造形に近いと思うんです。この全てを救おうとして、自分が壊れていくことや、結果を重視する合理精神を超えて、手段へのこだわりを見せる、、、ものすごく甘くバカなんだけれども、それが貫かれると一種のすがすがしさと感心をもたらすんですよね。すげぇ、不可解な人なんだけど。これって、現代日本だよなーて思うんですよ。


CLAMPさんのキャラクターデザインもいいんだろうなー。CLAMP的には、スザクのデザインが、明らかに主人公格ですよね(笑)。僕は、スザクが、物凄い好きです。ちなみに、CLAMPさんも、ちょうちょう好きです!!!

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もう一つは、R2の、、、なんというのだろう、何人かの友人は、R2って出来が悪いっていうんですよね。話がおとぎ話の様に極端だし、話が飛びすぎるって。僕は多分、当時の評価も同じこと書いているんですが、R2絶賛しているんですよね。それは、この作品が、R1で広げすぎた風呂敷を、ちゃんと1)物語的に収束さえようと意思しているところ。2)またその時点でありうる物語的(SF的?)文脈のすべてを書き切るという荒業に出ているところです。


何度も書いているんですが、商業作家というか、作家の一番重要な部分の一つは、広げた風呂敷をどう収束させるか?というところにあります。アイディアだけで広げるのはできるんですが、それを収束させるのには技術と根気と力量が必要です。そして、完結しないと、傑作としてアーカイブに残りません。相田裕の『ガンスリンガーガール』を僕が絶賛する理由はそこに有ります。そして、作家の人に聞くと、この風呂敷を収束させるさ行ってつらく険しくしんどいってみんな言うんですよね。少なくとも僕が知る限りでは。それは、もう結論が決まっているところへ落とし込んでいく「作業」になるからだろうと思います。これが、ちゃんとできているってのは、僕は、R2は素晴らしいと思うのです。仮にそのために、24話で話が描ききれないボリュームになって、演出の丁寧さが失われたとしても、僕はギリギリ破綻しないラインで保たれている、そのぎりぎり感が素晴らしいと思いました。

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コードギアスが、演出の丁寧さ、、、言い換えれば各エピソードの積み上げを、ショートカットしたことには、僕は意味があると思っています。けっして尺が足りないからだけではなく、たとえば100万のキセキのエピソードでは、特区ニッポンからレジスタンス分子を分離するために、確かにあの話は政治的な可能性としては、物凄い論理的にわかるものです。というか、あれしかないでしょう。けど、ユーフェミアが構想したナンバーズとの共存政策は、世界政府への一歩なので、あれを超えて物語を進めようと思うと、凄まじい積み上げが、、、それこそ、24話まるまる描く話になってしまいます。けれども、それでは、R1と同じで、ニッポンという一国家や民族のレジスタンスの物語になってしまいます。それでは、もうパターンなんですよ。それを超えようと思うって、尺を残そうとすると、百万のキセキで一気に話を進めなくてはいけない。


その後、超合衆国で、ニッポンと同じような状況の各国を連邦的に同盟を結ぶ方法、軍事力を一元的にもたせる(これかわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』でやってましたねー)こと、これって、ようは世界政府の樹立の物語なんですよね。ガンダム・サーガで僕がいつも話しているテーマにつながっていく。


じゃあ、ナショナリズム(=ニッポンのレジスタンスの物語)から、地球連邦政府に飛躍するために、論理的に物語の世界ではどういう分岐があるかといえば、5つ(いまぱっと思いついたので整理しきれていないですが)あるんですね。その5つをすべてちゃんとわかるように描いているんですね。これって、真のグローバリズムが成立して、世界というつ政府が成立するにはどうすればいいのか?という、ガンダムサーガの世界と現代の僕らの世界の間にある問題点なんですね。次の世界政府に行くためには、逆に言うと以下のような問題点と解決方法がある。


1)シャルル・ジ・ブリタニアによる力による1国による世界制圧(ネオリベラリズムですね!)


2)ゼロが志向した超合衆国:各国政府が軍事を放棄して同盟を結ぶことによる世界政府の樹立・純粋軍事力の確立をどうするかの問題(グローバリズムの追及ですね)


3)集合無意識に人が統合されることによる戦争のない世界の成立(SFの最大テーマである全体と個の結論ですね!)


4)シュナイゼルによるダモクレスによるシステム(=核ミサイルのような戦略殲滅兵器)による恐怖による平和の確立


5)そして、世界の憎しみを一人の人格に集中させることによる、王自らが犠牲になることによる人類の統合ですね。
 

それぞれに、既に過去の先例があります。2)の純粋軍事力って、かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』ですね。これは、4)のダモクレスのシステムと同じものでもあります。戦略原潜で、世界中に核ミサイルによる恐怖で戦争をなくすことです。これは、現在まで続く米ソの戦略とほぼ同じですね。お互いが同じだけの戦略核兵器を持ってバランスすれば、世界は平和になるという考え方です。これ、現在の人類の基礎構造となっている考え方です。そして事実、この危ない状況下で、人類はまだ生きている。

沈黙の艦隊(1) (モーニングKC (192))


3)は、少し角度が違うのですが、SFの全体と個という究極のテーマの一つで、これがもっとも有名なのは、アーサ−・C・クラークの『幼年期の終わり』と庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画ですね。この辺の全体と個のテーマをうまく説明している評論では、中島梓さんの『道化師と神』がおすすめです。同時に栗本薫さんの小説『レダ』と『メディア9』の3作を読むと、完璧にこのディストピアモノやSF古典テーマの骨格が完璧に理解できるようになると思います。この3作は手に入れるのが難しいかもしれないですが、現在でも色褪せない読みやすさと面白さ、そして、SF古典の中心テーマを非常によく理解している人が、その自覚をベースに描いた作品であるので、僕はペトロニウスの名にかけて傑作であり読む価値があると思います。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫) 新世紀エヴァンゲリオン TV版 プラチナ コンプリート DVD-BOX (全26話+ディレクターズカット版4話, 660分) [DVD] [Import] レダ1 (ハヤカワ文庫JA) 

あっちなみに、3)はCの世界のこと言っていて、これは、弱者であった時の記憶を色濃く持った為政者がよくこの発想にたどり着きます。ようは、ミクロで人間が信じられないことと、マクロを体験した時の人類の欲望のありかたの醜さ、どうにもならなさが重なって、人類なんかなくなってしまえ!!!!(デビルマンですね)と思いつくか、人間に、自分と他者がいるという構造的問題点があるからこそ、こういう争いが起きるのだ!!!という事実から、ならば人類の自己と他者という壁をなくしてしまえば、お互いがわかりあって、戦争や争いはなくなる!と考えることですね。とても論理的ではあります(苦笑)。


改訂版デビルマン(4) <完> (KCデラックス )

このテーマはいろいろありますが、人類補完機構シリーズを描いたアメリカの作家のコードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith)の『ノーストリリア』(Norstrilia)とか『第81Q戦争』 (The Instrumentality of Mankind)とか、古典でありますねぇ。ちょっとずれるけれども、非常に古典的な貴志祐介さんの『新世界より』とか沼正三家畜人ヤプー』なんかも、人類を作り替えてしまおう!という志向性は、この集合的無意識に人間を溶かしてしまえ!(構造的に人類という種を作り替えてしまえ!)という発想と同じなのかもしれません。ふと思いました。この辺どれも大傑作なので、続けて読むと、面白いですよ。『家畜人ヤプー』は、ちょっと読むのはしんどいので、確か漫画化されていたので、そっちで読むといいかもです。これもどこに力点を描いて描くかで、作品の焦点が変わってしまいますね。一番典型的なのは、やはりクラークの『幼年期の終わり』が王道ですね。小川一水さんが『フリーランチの時代』という短編集で、最初に書いているのが、これだったはず。ああ、あれは、集合無意識に溶けるのではなくて、人類が違う種になってしまう話でしたね。

新世界より(上) (講談社文庫) 第81Q戦争―人類補完機構 (ハヤカワ文庫SF) 家畜人ヤプー 1 (バーズコミックス) フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)


このへんは、SFに全体と個というテーマがあると認識して読まないと、なんでさまざまな作家が、いろいろなパターンを追求してアイディア勝負で物語をつくるのかが、わからなくなります。この辺は教養がいる見方ですね。ちなみに、最近でこのテーマは、水島監督の00の劇場版でしたね。これ、ルイさんに、見ろ見ろって言われてたんだよなー。。。。懐かしい。


『劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer―』 水島精二監督 人類の正しい発展の次の段階とは?http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121207/p1

劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer― [DVD]


そして、5)は、なんといっても永野護の『ファイブスター物語』のアマテラスの帝ですね。まぁ、これは読んでいないと、ちょっともったいなさ過ぎるでしょーという日本のエンターテイメントの世界で現在進行中の生きる伝説なので、まず読みましょう。まぁ簡単にアウトラインを言うと、アマテラスという皇帝がいるんですが、その彼が、ずっと殺し合いをしている星団中に大侵攻をするんですね。そして星団をすべて統一する。しかしそれは、一つに統合することの出来ない人類を一つにまとめるための手段だったんですね。自分に憎しみが集中すれば、バラバラだった民族や国家が統合すると。そして、彼は星団統合後、自分の部下に自分を殺すためのレジスタンスを作り、自分を殺せという命令を出します。もちろん秘密裏にね。まさに、ルルーシュがやったことと同じでしょう?。人類は敵がいれば統合するという、逆に言えば、敵がいる限り殺し合い続けてしまうという黄金律というか人類の存在の在り方を逆手に取ったわけですよ。この物語類型は、たくさんでています。


ファイブスター物語 (3) (ニュータイプ100%コミックス)


たとえば、

ヴァンパイア十字界』7巻 城平京:著 木村有里:画 そこまで個人がマクロを引き受けていいものか
http://ameblo.jp/petronius/entry-10042160254.html

ヴァンパイア十字界』 "THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE"
http://ameblo.jp/petronius/entry-10041498470.html


ここで、この話の類型を僕が初めて見つけたときですねー。

ヴァンパイア十字界1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)


話が長くなりましたが、ようは、コードギアスR2って、この時代に展開している、「現代のわれわれの社会」と「地球統一政府がある世界(ガンダムの世界)」の間にある飛躍を超えるには、どういう可能性の分岐があるか?というテーマがあって、エンターテイメントの世界では、上の5つぐらいの可能性の分岐の物語類型がつくられ続けているんですが、、、コードギアスR2の凄いところは、この全てをちゃんと描いているんですね。たった24話の中に。それは、これまでの作品では、物凄い尺を使って描かれてきています。『ファイブスター物語』なんかを見ても、わかりますが、もう終わらない物語級の長さです。それくらい、もう一つ現実のわれわれが体感していることを超える概念を物語でわかるように表現するには、難しい技術だからなんだろうと思います。それを、ショートカットしている(積み上げが弱くなる)とはいえ、破綻せず、物語のダイナミズムを失わずに描き切ったのは、僕は本当に素晴らしいと思いました。これ一気に見ると、そのすごさが凄く感じます。よくこの短い中に、これだけの巨大な類型を5つも突っ込んだなって。特に、ラスト10話しぐらいで、一気にこの可能性の分岐を、シャルル→シュナイゼルルルーシュと一気に畳みかけます。これは本当に荒業ではありますが、僕はその挑戦意欲と、完成度は、大成功のレベルだと思います。だからこそ、もう一度見直したくなるんだろうと思います。


そういえば、びっくりしたのですが、アメリカで買うと、アニメのDVDって、めっちゃ安いんですね。なんでだ???。


Code Geass Lelouch of the Rebellion R2 - Coffret 2/3 (Saison 2)