日本的意思決定の問題点

半藤一利 完全版 昭和史 第一集 CD6枚組


やっと昭和史の全体像がつかめてきました
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20141106/p1


続きです。


それと、やっぱり問うべきは、誰もが無駄だと思っていた対米戦争を、なぜはじめたのか?という日本的意思決定の謎です。


アゴVlog】日本はなぜ開戦に踏み切ったか


日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)


これは、日本の大組織、国家のグランドデザイン、制度設計における最大のポイントなので、よくよく問わなければなりません。それも、けっこうわかってきた気がします。ようは明治憲法の問題点はなにか?という問いです。松本委員会の対応を見ても、当時の日本人エリートは、この憲法に問題があったとは思っていないのですね。制度的によくできているものだ、と。民主主義にも、自由主義にもいくらでも運用可能な憲法だ、と。これは、僕もよくよくいろいろ読んできた結果、そうなんだろうなーと思うのです。ただし大きな制度上のポイントあって、僕は今それを2つ仮説でおいています。


1)独裁権力者を生み出さないように多元的制度設計をしている=非常時(=戦争時)を無視した制度設計




2)非常時のリーダーシップは、(1)元老によって憲法外の統合的指揮権を発動し、(2)薩長閥を中心としたインフォーマルな組織で横断的なネットワークで組織の官僚主義セクショナリズムの硬化に対応する



というふたつの仕組みによって、明治憲法の構造上の問題点をリカバーしています。ちなみに、明治建国から40年近く、日清、日露という大戦争を日本は勝ち抜くのは、この制度が非常によく機能していたからなので、これは制度設計上、付け焼刃で作った割には、素晴らしいものだったと思います。後期では、伊藤博文は、こりゃダメだ、とそのリーダーシップと戦争時の機能不全に、心配して政党政治を作ろうとしていますね。

伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

・・・・ともあれ、五箇条のご誓文からはじまって、日本人が自らの手で自国を近代化させた誇りあるものといっていいでしょう。侵略されたり、植民地支配や、共産党による革命でもなく、自力で独力で近代化を成し遂げたことは、我々の誇りといっていいと思います。もちろん、そのために、戊辰戦争をはじめ、血で血を洗う内戦を経験しました。近代国家を作るというのは、そういった血の贖いが必要で、アメリカの南北戦争を見るまでもなく、我々の祖先は、そうやって苦しみ抜いて、近代化を成し遂げたのです。

風雲児たち (1) (SPコミックス)

さて、わかると思いますが、1)と2)は、明治建国の、建国時の具体的な過去の反発として生まれてきたものなので、これは欠陥ではありません。なので、40年たって、この1)と2)が機能しなくなったからといって、明治憲法が欠陥を持った制度というわけではないだ!というのが最近僕がびっくりしたことです。そもそも、1)は、将軍制度(=幕府制度)への批判として生まれました。日本的、ムラ社会構造が起源というよりは、そもそも制度設計として、独裁的な意思決定が生まれないように努力したみたいなんですよ。また、そうやって危機的な国の滅びるかどうかの瀬戸際に置いて、まずは、頂点に据えた明治天皇が、大帝といわれるくらいに、とても積極的な指導者であったこと、、、また革命の元勲である元老と呼ばれる革命を生き抜いてきたすさまじい修羅場を生き抜いた指導者がたくさん日本にはおり、その人たちのインフォーマルな権力が、明治憲法の構造的な問題点をリカバーしてしまったんですね。よく考えれば、こういう危ない革命児たちがいるなかで、制度を多元化してバランスを持たせるのは、非常に理にかなったことかもしれません。


ちなみに、ここから導き出せる結論は、ようは、大きな時代の変化が起きたときに、日本社会は自浄的に組織や社会のコモンセンスをリデザインできる力が弱いんです。なので、大きな時代のパラダイムが変化して、社会の制度設計が現実と合わなくなったときには、なんとしても、憲法(=社会の基盤構造)を変えなければならないんだ!ということですね。もしこれができなければ、外圧によって壊してもらうしかありません。この二つの選択肢しか日本にはないのです。そんで、憲法の変化などの基礎構造の変革は、日本人が強く拒否する、、、、というか、多元的に設計され、かつ、多元的なムラ社会をタコツボ化して生きる、デモクラシー的なボトムの権力が強い日本社会では、バラバラになった村社会がそれぞれに既得権益を握り、根本を変える制度変革を嫌うんですね、、、意思決定がマヒして、何も動かなくなってしまう。

日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)

なので、暴走が起きて、自壊する。日米戦争ですね。ちなみに、外圧による変化は、日本の自滅的戦争による1945年のようなものです。その前を考えれば、徳川幕府薩長による長く苦しい内戦ですね。ようは、そんな簡単なものではないんですよね、、、、。半藤一利さんが、戦前編の講義の最後で、日本人の何がダメだったかの2番目に、事実に基づかない抽象的な空論、観念論を弄んで、それに固執して現実を無視する傾向があるといっていて、それが、あの悲惨な戦争を導いているといっていました。僕は保守ではないんですが、いやー憲法9条を守ろうとする時の今の日本の感じが、まさにこれに思えてぼくにはしかたがありません。戦前の朝日新聞などの大マスコミや軍部の若手の究極の目標は、貧しく虐げられている人の救済でした・・・・その救済のための具体的な処方は、植民地を拡大して日本帝国の権益を増やすことでした。それが常識の時代だったんですね、歴史的に。。。。なので、そもそも発想のスタート地点は善意で、文句が言いいにくいことなんですよ。でも、結果は。。。。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

・・・・・僕はですね、戦後日本の戦争をしなかったこの平和な日本で育ちました、とても愛しています。けれども、なぜ戦争がなかったかといえば、答えは明白で、(1)日米同盟、(2)自衛隊による防衛戦力の維持でしかありえないわけです。別に日本の特殊事情ではなく、戦争が起きないのは、バランスオブパワーで戦力が拮抗している時だけだというのは、もう歴史の疑いようがない事実です。


とするとですね、、、、高度成長期のシステムが、、、、1945年か以後55年体制なんて言われますが、戦後日本を繁栄に導いた制度って、もうたぶん制度疲労を起こしているんですね。それは随所に感じます。日本の世界的に強かった産業の世界における大敗北を見続けていると、もう旧日本軍の失敗にそっくりなのはみんなが共有するところですよね。日本政府や優秀な官僚の失敗も、みんな同じです。日本人、優秀だと思いますよ、勤勉だし。なのに、なんでこんなに失敗ばかりな上に、みんな不幸そうなの?っていうと、やっぱり時代の歴史的な構造の変化に社会の制度せ設計が合わなくなっているんだと思うんですよ。そんで、日本人はなかなかこれを、自分の力で自浄して、変えることができない。なので、日本を変えたければ、、、、僕は憲法を変えるしかないんだな、と思います。この場合の憲法は、なにも9条とかそういうみみっちいことではありません。別に、現代に合うようにリデザインできるならば、何でもいいと思うんですが、、、、ようは、国民的な意思の盛り上がりで、根本構造を一新しよう!という意識がいるんだなって思うんですよ。なので、たぶんどういう理由があろうと、現状を維持しようと叫ぶ人は、ほとんどの場合、究極的には日本をだめにすることの片棒を担いでいるわけです。ちなみに、大正時代とかには、明治憲法を変えようと凄い議論があったそうですが、欽定憲法を変えるなんて許さん!!という国民の意見で封殺されたそうです。ようは、変化は既得権益層やイデオロギーの観念論を信じたい人にとってすべて悪になるので、反対のための反対の観念論が、日本は随所に登場するのですね。これ、歴史的にダメなんだ、というのが、ずっと昭和史を調べてきてわかってきました。特に今の日本の左翼やリベラルは本当にダメだと思いますね。まぁ、右翼はもっとダメですが、、、何が気持ち悪いかっていうと、やっぱり現実が全く見えていないところだと思うんですよ。あと、理想がピュアで正しければ、どんな嘘も捏造も平気というのは、なんというか戦前から続く左翼思想の伝統のように見えます。別に、原発反対も再生エネルギーもいいか悪いかはわからないし、大局的にはその主義は決しておかしいとは思わないのですが、、、、見てて気持ち悪いのは、やっぱりたとえば原発稼働に関する適法な法治主義のプロセスを捻じ曲げるところとか、明らかに日本の景気が沈んでいることはエネルギーを足元みられて馬鹿みたいに高値で輸入していることなんですが、これは事実なわけですから、『これ』を前提に物事を考えて戦略なり戦術を僕は聞きたいと思うんですよ。その事実を前提に、ではどうするれば?その思想が貫徹できるのか、現実に対応できるのか?ってのをね。だって、すべての話は「事実」から始まるんだから。しかしながら、まったくそう言う事実を「含めて」ものを主張する人っていませんよね。

「空気」の構造: 日本人はなぜ決められないのか


大体において、悪いことは悪いんだ!というような、現実無視、ピュアな理想を信じて進行しない奴は悪だから叩け!みたいな、日本的意思決定の最悪手法である「空気による演出」・・・空気ファシズムとでもいおうか、、、そういもので抑え込もうとするじゃないですか? 科学的な議論も、客観性も何もない。もうそういうのって、思想の正しさ云々よりも前に、日本の近代史は、この空気による現実性の無視によってすべて失敗してきたのだから、まさに、その態度こそを壊してつぶさなきゃいけないものなのは、もうわかっているわけですよ。けど、マスコミを中心に、そこの構造的改革が全くなされていないのが、、、現代日本の問題点なのでしょうねぇ。憲法9条の問題も、思想としては面白いと思うんですが、、、、現実的にこれがあったから平和だった「わけじゃない」のは現実見れば当たり前のことだし、海外は誰もそんなこと思っていない。そんでたぶんこの手の憲法は世界中にたくさんあるし、もちろんパリ不戦条約だっけか?あの辺の思想の系譜の現実化したものなので、それほど珍しいものじゃない。まず、そういう全体像から語る人って、ほとんどいませんよね。僕も自分で近代史を勉強するまで、、、この歳になるまで、ほとんど知りませんでした。平和憲法なんて珍しくもないんだってこと、戦争しないなんていっているものはいくらでもあること。なんか日本の特別さの主張のように思っていましたが、、、それって、ナショナリズムやなんちゃって右翼思想とほとんど同じ感情の表出にすぎないんですよね、、、最近それがよくわかるようになってきましたよ。ユニークなのは、交戦権の否定とかそういう部分で、、、ではそれが、どう機能したか?、国際的な紛争をテクニカルに、現実的に処理する手法として、それをどう提唱できるか?とか、そういう現実的な分析なしには、平和素晴らしい!とか、何言っているわからないどうでもいい空念仏なんか、恥ずかしいだけなんですが、、、そういう恥ずかしい感情の表出以外の、具体的な平和思想の戦略やプラグマティツクな提案とか見たことがありません。。。。ようは、空気によるファシズム状況を作りだすための、道具にすぎないんですよ。専守防衛は、スイスの例からいって、国民皆兵の強大な軍事力の保持から、国土を灰にする気概(本土決戦)が前提になってしまう戦略だというのも、歴史的事実であって、それを語らないで、専守防衛なんて言うのも・・・。なので、本当は言っている人たちはだれも本気じゃないんだと思います。観念論に絶対帰依して、自分の動機の正しさを表出しているだけのナルシシズムなんですよ。本気で実現するってことが、どういうことか全く理解できていないんだ。現実にプラグマティツクにやろうとすれば、そんな唱えているだけで他者を圧殺するいじめ的空気の形成なんかしないと思うんですよね。空気によるファシズム的な状況の形成は、日本の最も失敗する大局を見失わせるやり方なんですから。僕は、そういうの見ていると、、、ああ、本気じゃないんだなーって、しらーっとします。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ


半藤一利さんの日本をだめにしたものをまとめると、の、その1では、「日本人は熱狂するとダメな意思決定をするので、熱狂してはだめだ」というのがありました。最近の歴史学の最前線では、サンフランシスコ条約以来の日本の戦争責任の基本的な歴史認識である「すべては暴走した軍部が悪かった=なので、戦争指導者をA級戦犯として処刑」と意見は、もうそんなことは全くない、というのが主流のような気がします。加藤陽子教授の説を追っていると、いかに当時の日本が、民衆による熱狂、大マスコミによる扇動、政治家による追認のセットで戦争が拡大していったのがわかります。つまりは、軍部だけが悪いわけではないのです。軍部は、永田鉄山をはじめとするリーダーに恵まれ権力争いでも皇道派を軒並み追放して「一枚岩」になった珍しい日本の組織なので、そういう意味では、影響力がでかかったのも事実です。しかしながら、山本七平や様々な人が指摘していますが、日本は近代国家であったので、軍部が軍を動かすには、予算が必要なんです。内閣の承認も。昭和史の戦争を見ていると、様々な部分で、それが容易にその敷居を飛び越える。これは、国民世論の後押しがあったからの部分が、凄く大きいと思うのです。つまりは、日本は、いったんシステムがリニューアルされてから時間がたつと(だいたい40年ほど)制度疲労起こして迷走しはじめ、本来変えるべき根本のシステムを観念論で現実を見ないで反対し続けて、そしてその閉塞感を打破するためにもっともやってはいけない方向へ「空気による意思決定」でみんなが間違いだとわかっている一番ダメなところに暴走して自壊するってのが、まぁパターンなんですね。


ということで、日本人は熱狂して何かをするのは、それも危ないのですね。なので、じゃあーーー一気に憲法改正とか言うのがいいかとなると、、、うーん、それもだめそうだなーという気もします。どういうふうに時代の構造がずれたときに、リデザインをするのか?ってのは、実は大きな日本史の謎の、、、問うべき価値のある謎のような気がします。


一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))


ちなみに、なんであんなに、軍部と大マスコミの世論誘導に民衆が弱かったのか?、、、、もちろん、226の影響、、、クーデターと暗殺の恐怖が常に時代を動かしていたのも事実なんですが、この「空気の演出」の構造は、もっともっと知りたいと思っています。ちなみに、明治憲法においては、重臣リベラリズムという安全弁があって、本来は、皇室(皇室は伝統的に親イギリスで、リベラリズム重視の教育を受け続けている)及びそれを補佐する重臣群は、リベラリズムが深く強く根付いていて、これに海軍が結びついて、日本は簡単に極端な方向へ起動がずれないようになっていました。実際、昭和天皇以下、重臣は、君側の奸として陸軍に蛇蝎のごとく嫌われていました。昭和天皇自体も、性急な全体主義的な行動には、一貫して嫌悪しています。226事件の鎮圧に置いても、昭和天皇は、非常に怒り狂っていますよね、最初の最初から。こうした立憲君主主義的というか、華族制度に見られるような既存秩序の安定化のための制度設計の安全弁が、なんで軒並み機能しなくなるかというと、、、、


それは、226がそのコアの一つですが、僕は右翼によるテロリズムを基礎とした「空気の演出」だと思うのです。空気を演出するには、世論を感染させる必要があって、この世論の感染は、テロリズムによって形成されているんじゃないかな?という仮説を最近持ち始めています。きっかけは、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論 巨傑誕生篇』を読んで、このあたりのテロリストの生き様を、ちゃんと主観的に、一通り眺めたからでした。いろいろ読んではいましたが、いまいち、文章だと理解しずらくて、この漫画で一気に世界が広がった気がします。やっぱり漫画はいいですね。イメージができやすい。


ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論 巨傑誕生篇
ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論 巨傑誕生篇


でも、そうなるとですね、、、、この戦前の右翼思想を追っていくとなると、、、、必然的に、亜細亜主義の思想にぶつかるわけです。これがなんだったのか?ということ。西郷隆盛をスタートに頭山満と受け継がれていくこの思想のコアをかんがえなければならないと思うんです。もう一つ言うと、それは、日本人とは何か?、もう一つ言いいかえると天皇という存在は何なのか?という問いです。やっと、、、ここまで来たなって感じがします。ここに行くことはなんとなくわかっていたのですが、それ以前の勉強が不足しすぎてて、まったく理解できないうちはここに手は付けれないなって思っていたんですが、、、、やっと、、、という気がします。


「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで 単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜 近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ)


ちなみに、さすがに小熊さんとか片山さんは一気には難しいので、まずは、安彦良和さんの素晴らしい物語群で予習ですね!!!。


天の血脈(1) (アフタヌーンKC)


ちなみに、『ゆきゆきて神軍』の天皇への告発は、この文脈で考えると、感情的にわかってくる気がします。



アゴVlog】目的のない戦争 〜「野火」から「ゆきゆきて神軍」まで〜


いやー最近、すごい面白いです。


未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―(新潮選書)