コミュニティ・カレッジって何?

演説の政策面での目玉は、格差是正策です。この政策に関しては、富裕層への課税強化など議会の多数を握る共和党の嫌がる内容が多く、実現の可能性は高くはないのですが、その格差是正策の中で特に目を引くのは「コミュニティ・カレッジ」を無料化するという部分です。アメリカの大学教育に関しては、アイビーリーグを頂点としたエリート教育が注目されていますが、こうした頂点だけ見れば「アメリカは能力主義の競争社会」というイメージばかりが強調されてしまいます。ですがその一方で、この「コミュニティ・カレッジ」という制度が象徴するような、「格差是正」そして「人生のセカンドチャンス」を与えるための制度があることも、アメリカの教育システムの一面に他なりません。

中略

アメリカでは1990年代のビル・クリントン政権時に、幼稚園から大学までの「ナショナル・スタンダード」つまり全国統一のカリキュラムを策定し、特に高校から大学への「接続」に関して制度の整備を行いました。この動きに併せて高校までの段階で「学習困難」を経験していた若者には、このコミュニティ・カレッジで「高校までの学び直し(リメディアル教育)」を行うという機能も意識的に整備されて来ています。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/01/post-711_1.php
オバマが「無料化」を提案したコミュニティ・カレッジとは?
2015年01月22日(木)12時17分
プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
冷泉彰彦


アメリカで採用面接をしていると履歴書にコミュニティカレッジ卒というのがたくさん出てくる。これ、日本語に訳すると短大になるんでしょうが?、実際どんなレベルなのだろう?とずっと悩んでいました。ただ良く見かけるので、これってたぶん何らかの価値があるシステムなのか、それともまったく意味が無いのか?判断に苦しむけれども、ここで職業訓練校のような実務に必要な仕事を学びなおしたりできる感じなので、きっと意味があるんだろうと常々思っていました。そこで、今年(2015)の前半にオバマ大統領が、コミュニティカレッジの無料化をいいだしたので、ちょっと興味があったんですが、いつものごとくアメリカウッチャーの冷泉さんの記事を見ていたら説明が載っていたので、やっとこさなるほどーとわかりました。


もう既に日本の大学を卒業してから、幾星霜、日本のシステムさえ最新のものはどういうものかよくわかっていませんが、僕のブログというか人生のテーマのひとつとして、動機(モチヴェーション)はどうやって獲得できるのか?+内発性葉どうやって獲得できるのか?=リーダとのブレスオブレージュはどうやってつくることができるのか?とかいうようなものがあるのですが、それって、ようは教育というものはどういうものか?現実に社会ではどういうふうに機能しているのか?という疑問と接続するんですね。日本でも散々面接とかリクルーターとか、部下の教育とかやりましたが、、、、アメリカでもやるとは思っていなかったんで、こっちの常識というかやり方みたいなものをこつこつ勉強していけば、日本との違いがもっとよくわかるのではないか、とコツコツ考えています。


興味深いなと思ったのは、クリントン政権時に、高校から大学の「接続」を整備した、とあるのですが、、、、いいかえれば、アメリカの教育システムにおいては、大学のエリート教育?と、高校の教育に断絶があって、うまく「接続できていない」と言う問題意識があった、ということですよね。そしてこれは、なんだかとてもわかるような気がします。日本にもあるかどうか悩ましいですが、基礎的な教育と、それを使って目的に向かって専門化と、そして総合化をしていくことは、勉強でも質がぜんぜん違います。


もう少しわかりやすい言い方をすると、ぼくの友人で、仕事をしてから本を読むのが面白くて勉強するのが面白くてたまらなくなったのに、仕事が忙しくて全然その時間が無いという人がたくさんいます。かくゆうぼくもそうです。何で大学で、あんなに時間があったのに、もっと広く深く勉強しなかったんだ!!!とものすごい悲しい気がいつもしています。それはなぜかといえば、仕事をするようになってから学んだこと(=世界の仕組み)が圧倒的なのと、それが自分の人生や生活にダイレクトにリンクするダイナミックさを味わうと、もっと!!!という知的好奇心が出てくるケースが多いんだと思います。仕事をすれば、自分がいかに物を知らないかがよくわかりますし、人生の目的や方向性やベクトルとも定まったり、もしくは悩んだりするので、それについて、どうしてそうなのか?やどうすればいいのか?が切実に思考したくなるんだろうと思います。けど、もうそんな時間は無いですよね、社会人には。なので、ほんとうは、一旦社会に出てから、もう一度大学の修士などに戻るほうが、凄く意味があるんだろうと思います。なかなか難しいですが・・・・。逆に、相当の知的レベルの高く抽象思考ばかりが得意な研究者向きな人で無い限り、本当は実社会に出てから研究に戻ったほうが、ほんとうはいい研究ができるのではないかと思います。それから、ジョブチェンジや人生のやり直しをしたいときに、「学び直しのための機関」があって、かつ過去の教育の評価(学歴)にリンクしないでできるものがあると、人生の可能性は凄く広がる気がするんですね。


大量に画一的な人間を排出して、それをペーパードラフトでスクリーニングする科挙のようなシステムの一律統合運用は、成熟社会の後期資本制の社会には、そういうシステムが前提として必要なことを踏まえれば、「それだけ」ではなじまないと思うんですよね。、、、、と考えているときに、なるほど、そこの穴を埋めるために、コミュニティカレッジという制度を運用しようとしているんだなーと思いました。やっぱ全然知らんもんだなーと。