なんで比較級の世界を人は好むのだろう?


先日、twiiterで海燕さんが、わけのわからない人に絡まれていたので、それについてはなしていたこと。だれか、toggeterにまとめてくれないかな、、、。


生産性のある言葉と行動にフォーカスしないと、無駄な人生に終わる
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140613/p1


僕のこういう品性の下劣な人に対する反応って、この上記の記事が一番まとめられていると思うのだけれども、一言でいえば、人を攻撃している暇があれば、なぜ自分が幸せになることにフォーカスしないのだろう?人生に無駄遣いじゃないか?という気持ちです。


これ、いつも心から思うんですよ。僕、中学の時にこれ凄く思ったのは、いまでもありありと覚えていますが、、、ぼくは、成績が良かったので、それを物凄い攻撃したり嫉妬丸出しで攻撃する人がいたんですよ。どうも、親に、塾も行っていない僕に負けているのを散々怒られてそのルサンチマンが僕に爆発していたようなんですが、、、でもね、、、なんて馬鹿なんだろう?って僕はいつも思っていました。


だって、僕を攻撃しても、自分の成績は上がらないじゃないですか。まったく非生産的。


それにもちろん僕をいじめぬいて追い詰めることができるほどスクールカースト的な権力があればわかるんですが、僕は体育会で生徒会の人でもあったので、いや、お前ごときの攻撃って・・・・っていつも思っていました。なのに何でこんなに暴発するんだろう?って。そんなに苦しければ、勉強をもっとして俺に勝つか、、、そうでなくとも、そんなに感情がコントロールできなければ、絶対に日常生活に問題が起きて、勉強もできなくなるだろうに、、、と、なんて無駄なんだろうと思っていました。


案の定、僕はよりよい高校に合格して、まったくそいつとは異なる世界に行きましたし、大学ではさらに差がついてしまいました。そいつは、親も教育ママでお金もあったみたいだったので中学の成績は悪くなかったんですが、結局、人生踏み外して、ライバル視していた僕とは、もう大学の時点で比較にならないほどの差になってしまいました。


中学のクラスメイトだったときは、そんな5-6年後のことはよくわからなかったんでしょうが、、、、僕ははっきりと当時わかっていました。日記に残っていますので。


ここで、僕にかかわる意味が、僕を貶めたり、悪口を(教科書を隠したりとかそういうことをよくやっていました)いう意味って、、、全くないどころか無駄なことに労力を割くような非効率なことをしていると、きっとこいつは成績が落ちて、ろくな人生を歩まないだろう・・・・。なので、いまはうっとおしく、うざいけれども、5年後ぐらいにはおれに視界にも入らない奴なので、ひたすら無視して、ちゃんと勉強しよう。やりたいことをしよう、と当時の日記に書いていました。


地元なのでそいつのその後の人生はすべてわかっていますが、もうろくでもないです。人生ってこういう風に差がついちゃうと思うんです、無駄なことしていると。他人を貶めるこういって、本当に自分が成長して、より良い明日を手に入れるのに悪手なんですよ。そんな暇あったら、自分の大切なことに、好きなことに、意味があることに邁進すべきだ、と僕はいつも思います。もちろん、その間、努力して我慢する間は、自尊心は傷つくし、本当に精神的に苦しい。けれども、ロングタームで、マクロの思考をしていないと、人生は何も獲得できずに終わります。


ちなみに、当時僕は、吉田秋生さんのマンガを読んでいて、主人公のアッシュに執拗に絡む奴がいるんですよね、、、あれって、どうしてもそういうルサンチマンを拭い去れない、許せないといって死ぬまで関わり続けるやつもいるのだん、、、と物語で知った気がしました。


なので、大事なことは、そういうルサンチマンを爆発するような腐臭を放つ人間とは、まず関わらない!が第一戦略になります。でも、それでも、いろいろいってくる人が現れたら、構造的に無視できるような体制を作ること、文句を言われても揺るがない基盤を作り上げること、、、だと僕は思っています。


たとえば、ブログとかでも匿名で攻撃されたらいやな気持になりますし、マイナスの気持ちになります、、、けどね、、、本質的には、例えば、この界隈で、僕はもう質量ともに心から信頼できる仲間がそろっているんですよね。そういうのがいると、小鳥のさえずりって、本質的にはどうでもよくなってしまうんです。なので、そいつらに反論する暇があれば、よほどそれ以上に大事な仲間との仲間より深めるほうが、意味がある攻撃になります。だって、長期的には、そいつらのいるところ置いてきぼりにして、無視できるようになるからです。僕が、高校、大学と彼よりも良いところに行って、視界にすら入らなくなったように。なので、頑張るところを間違えないようにしよう、といつも思っています。海燕さんも、ブロマガで稼ぎが増えれば、ああいうののさえずりって、どうでもよくなるはずなんですよ。大事なのは、自分のやるべきこと、戦わなければいけないところだけにフォーカスしてがんばって、比較級の世界は無視すること、だと僕は思います。とても自分の感情曲線と異なることなので、なかなか難しいことなので須賀、幸せな人生を送る必須だと僕は思っています。


まぁ、twitterでも書きましたが、僕自身は、この比較級の世界は無駄だと思っているのですが、LDさんほど悟りきれないです。パンピーの僕は、そこいらの品性が下劣な奴らにやつらにガタガタいわれるのもむかつく!と思うので、ちゃんと真っ当な道で、正しく勝っておこう、というのが僕の基本戦略です。おれのオタク趣味とか好きなことにどうのこうのいわれるときに、文句があったら、僕より真っ当な社会人になってから、出世してから、友達が多くなってから、好きで楽しいことがあって充実している人生を送ってからいってくれ、といえるぐらいには、なっておこうと。


もちろん、そうなれるのも比較級の世界の差って、本質的な努力だけじゃない運が左右している部分も多いと思うので、真実は、それが何なのか?という部分はあるんだと思います。でも、僕らは悟りを開けずに、下界で生きているパンピーなんで、それはそれで多少はいいと思うのです。勝ち負けも、ある程度は大切です。人生結局は勝っていないと、だめなので。でも、勝ち方、は多様性があってもいいと思うのです。ランキングトーナメント方式の価値基準が一つの世界は息苦しいですよね。勝つことも、僕は、ほとんどが運とか初期値にかかわる部分も多すぎて、それをもって勝ちがすべてを正当化するというのも、ある意味事実ですが、、、息苦しいですし。真実的には、勝つとかいう思考自体が、人生の偶然性に対するあまりに支配主義的な思考だと思う部分もあります。僕は、そういうのだけな人は、好きには慣れません。けれども、人間の人生というのは、自分で自己責任で世界をコントロールできる!!支配できる!!!という姿勢と、世界は偶然に満ちていて人間が理解でき支配できることなどマクロと歴史からすればたかが知れていて、どうしようもなく受け入れて生きていくものなのだ、というののバランスなのだと僕は思います。


Banana fish (1) (小学館文庫)