『響け!ユーフォニアム』 石原立也監督  胸にじんわりくる青春の物語

響け!ユーフォニアム 6 [Blu-ray]

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★4つ)

安定の京都アニメーションでした。青春を描いた部活モノとして考えたら、完璧な構成、完成度を誇る作品だと思います。文脈的に、奇抜で新しいものがあるわけではないので、これは見るべきだ!と、蛮勇をふるって傲慢に人に無理やり紹介するという作品ではないかもしれません。けれども、丁寧に物語的な「積み上げ」がなされて、妥協なく演出を精緻にすると、物語というものは、特に文脈的な特別さや展開がなくとも、深く入り込め、終わった後に深い余韻を、、、、この物語を体験できてよかったという香りを残すのだと思います。

うーん、なんといえばいいのでしょうか。よく映画的という表現がありますが、1本の大作映画を見たのではなく、1クール12話構成の日本のアニメーションの形式の枠での完成度を見た気がします。どういうことかというと、主人公の友人に加藤葉月という子がいますが、この子の塚本君への恋のエピソードが1-2はなし丸々あてられています。これ、全体の主題からいくと、枝葉のエピソードです。けれども、ここを丁寧に「積み上げ」ると、全体が立体的になるんですよね。これ、12話構成のある一定期間毎週放送する形式から生まれる日本のアニメーションの独特のものだと思うんですよ。ディズニーやピクサーの2時間の超大作では、こういう演出は脇道すぎてできないと思うんですよね。

通常は、文脈的な新規さや奇抜さがあるか、僕の個人的な審美にヒットして、良い悪いは関係なしにこれを人に見てほしい!!というような強い衝動があるものがなければ、★5はないんで、★4つになるはずなんです。しかし、それがなくとも、これだけの丁寧な積み上げの完成度は、深い味わいを残したが故に、★5つです。とてもおすすめですよ。最初に書きましたが、青春を描いた部活モノ形式の作品を下記に出紹介していきますが、そういったものが好きな人は、とてもグッとくると思うので、おすすめです。

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もう少しあとで、日常系の文脈と『けいおん』(2009)の時から話している部活モノの文脈で語る前に、僕はずっとこの作品を見ながら、ジブリ近藤喜文監督の『耳をすませば』をとても連想しました。オリジナルの小説の武田綾乃の出身地である京都府宇治市が舞台になっているので、これは関西が舞台です。『耳をすませば』は、聖蹟桜ヶ丘周辺だったと思いますが、そこが舞台なので関東で東京都多摩市らへんが舞台です。この違いはありますが、現代の日本の風景が、日常の、僕らが青春時代に見た1980年代以降の高度成長を遂げた後の日本の、あたりまえの風景が、そこに精緻に再現されています。特に、京都アニメーションの作風、と限らなくてもいいですが、作画レベルが圧倒的に向上している昨今のアニメーションでは、こうした舞台へのこだわった取材や再現を通して、ノスタルジーを喚起するような日常の風景の空気感の再現が、全体の物語の質を向上させる手法がよくつかわれている気がします。

そしてこの演出の原初というかスタートの一つが『耳をすませば』(1995)だと思うんですよ。僕は東京の西郊外に子供時代を過ごし、聖蹟桜ヶ丘など多摩川の周辺は、ほんとう身近なものだったの、ただそれが、物語の中で精緻に(とはいえアニメはある種の特徴の強調がどんなに同じように表現しても起こりますので)再現されているだけで、言い知れぬ感動が胸に迫ったのを覚えています。たとえば細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』(2013)などの舞台などは、そもそもすぐ近くに住んでいたこともあり、強烈なノスタルジーを感じさせるものでした。

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東京の西郊外に実際に住んでいても強烈なノスタルジーを喚起されたので、これって要は自分の青春時代、学生時代に過ごした日本の学校空間と通学の原風景なんだろうと思います。とりわけ今のよう海外に住んでいると、たとえ関西、関東や北海道などの違いがあっても、日本の学生生活を送る子供が見る原風景は、1980年代頃から変わらないのだと思います。逆を言えば、それ以前の風景はスゴイ変わっているような気がします。ちなみに、1980年代頃から、日本は急速に近代化の最終ステージに入り、バブルによって不動産投資が過熱したので、現在まで残る都市空間のデザインがここで変化したと僕は思っているので、1980年代という境を設定しています。この物語の舞台、キャラクターたちの見る風景を、精緻に再現することによって、見るもののノスタルジーを喚起させて、感情移入を深める手法というのは、そもそもエンターテイメントの手法としてのオリジナル、起源は、ウォルト・ディズニーのディズニーランドの創造にあるのですが、そこは話が長くなるので割愛して、とにかく最近のアニメーションには、この風景を精緻に描くことで世界に厚みを持たせる手法がよくつかわれ、特に京都アニメーションの十八番ですよね。僕は神戸守監督の『エルフェンリート』(2004)の鎌倉の景色やP.A.WORKS西村純二監督の『true tears』(2008)の北陸の景色をとても連想します。

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どちらも素晴らしい傑作なので、ぜひとも未読の方はおすすめです。この現実の風景を精緻に描いて、ノスタルジーを喚起する手法について話したのは、ルイさんととても深く語ったのが懐かしいです。二作品とも、ルイさんがすすめてくれたんですよね。この背景を精緻に描いていくというのは、日本のアニメーションの質をどんどん向上させていっている感じがしますが、このノスタルジー化もしくは聖地巡礼などの文脈で語られるような聖地化みたいな文脈に進んでいるのです。アニメーションとしてこういった方向の発展が、将来に寄与するかどうかまではまだ考えていないのですが、ほんとディズニーなどのアメリカのアニメとは発展の方向が違いますよね。いやー多様性があって楽しいです。

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この視点ともう一つみたいのは、やはり『けいおん』を初めて見た時に、永遠の日常、無菌系の発展形態の流れです。監督の石原立也さんも『日常』の監督を思い起こされて(僕はKeyの作品を全く見たことがないので、そっちは思い浮かばないんです)、やはり僕としては『日常』の監督というイメージがありますね。特に、『響け!ユーフォニアム』は、シリーズ演出が『けいおん』の監督の山田尚子さんとなっていて、連続性を僕はとても感じました。日常系の出発点は、『あずまんが大王』の4コマ漫画から『らきすた』なんですが、これらの作品を見るときに、やっぱりキーは、「時間性をどうとらえるか」もっとぶっちゃけてわかりやすく言うと、ようは、卒業するかどうか?って話なんですよね。日常系を、永遠という形容詞をつけていたのは、「卒業したくない」、いまこのままで時が止まってほしいという欲望というか意志が強く働いていると感じたからなわけですが、そこから脱出しなければならないのか、出て行かなければならないのか、大人にならなければいけないのか?という軸で考えると、時間が進む、つまり卒業するかしないかは、重要なこれらの作品を評価する上での分岐点だと思うんです。クリエイターとして作品を作る時も、時間が進むことを肯定でとらえるのか否定でとらえるのか、それが重要なポイントになるはずです。けれども『けいおん』は、もともとのオリジナルのマンガを見ると、そういった時間性は4コマ漫画で背景が精緻に描かれていないので、そういった命題に特に構造的にこ与えている作品ではないのですが、京都アニメーションでアニメ化した時に、めっちゃ背景がきれいなので、とても現実感が増してしまい、あれ、これ卒業するよなって、方向に焦点があってしまったんだと思います。もともと山田監督や京アニがそういうことを考えてコンセプトしたかはわかりませんが、背景をちゃんと描くと、現実感が増していき、4コマ漫画の持った記号性から脱客していく効果があったんですよね。まぁ、小難しいことではなくて、ようは、僕らは『けいおん』のアニメを見てて、時間の流れと学生生活のノスタルジーと青春を強く喚起されたってことなんですよね。

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でもね、やはりまだまだ、永遠の日常、無菌系の全盛期の作品で、当時僕はあずにゃん問題(笑)といって、あれだけ才能があるあずにゃんが、なんで真剣に部活をやって、将来のプロを目指すためのトレーニングとしないのか、ただ、だらっと永遠の日常的な世界の中でたゆたって過ごしていいのか?って怒っている(←大きなお世話ですね(苦笑))んですが、学園モノに、卒業していくという時間性・・・・・要は青春ものとしての、要である「いまこの時は、二度と戻ることがないもの」という感覚を挿入した途端、部活モノの重要な分岐点である、楽しく過ごせばいいのか?、それとも勝つためにやるのか?という物語の姿勢への命題を呼び起こすのは自明だったからだろうと思います。これとても論理的だと思うんですよね。なので、『けいおん』を描いて、かつ、次にきっと似たようなコンセプトが通りやすいだろうともいますし、手法的にも技術的にもレベルが蓄積されているなかで、クリエイターが、真剣な部活モノの・・・・勝つために戦う部活を描くというものを、無菌系的なコンセプト、もっとぶっちゃければ『けいおん』と反対の作品を作ってみたいと思うのは、まぁ、そうだよなって思うんですよ。

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石原立也さんの『日常』も、まさに、学園生活の日常部分を切り取っていて、ここには、時間性がほとんどない俳句みたいな作品なんですが、この作品は、漫画もアニメも、僕とLDさんが永遠の日常、無菌系の最高峰と位置付ける『ゆゆ式』(2013)と並ぶ傑作ですので、ぜひ見てほしいのです。

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永遠の日常をベースにする無菌系の初期のこれらの作品群と『響け!ユーフォニアム』(2015)の時間は二度と戻らない!という青春の中での切実感は、真逆なのがわかります。ユーフォの物語の構造を動機で切り取ると、主軸は、主人公が中学の時に全力を尽くせなかった後悔を、そのリグレットを、どうやって高校時代で取り戻すかというところにあります。もうこれ、卒業とともに、いったん物語がすべて終わってしまい、もう戻ることはないという時間の緊張感の中に最初からその本質までどっぷりつかっています。もちろん、そもそも青春の部活モノの形式は、別にこうした永遠の日常と無菌系の文脈でわざわざ語らずとも、そもそもが、そうした、「今この時しかないもの」をどうやって燃焼しつくすか?というテーマに支えられますので、文脈とは関係なく、いや別にこの物語類型を描くなら、こうしかならないだろうといえるんですが、やっぱり関わっている石原立也監督さんや山田尚子さんが、この以前に、こうした時間が止まった学園生活を描く作品を書いていた後にこれが描かれているのは、面白い見るべき点だと思うんですよね。

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さてさて、僕このユーフォを見ようと思ったのは、海燕さんたち友人たちが、これはいいって騒いでいたからなんですが、部活モノや『けいおん』の後の文脈なんで、京アニだし、きっとけいおんと同じキャラクターデザイン的だろうと思っていたのですが、うーん、似ているけど、なんとなくそもそも本質的に違う気がするなぁーーって、うんうん、うなっていて、この系統の顔どっかで見たことあるんだよなぁ、、、って、思っていたんですが、これって、キャラクターデザインが、アサダニッキさんなんですね!。『青春しょんぼりクラブ』大好きで!。恋愛の物語だったのに、途中から群像劇に代わって、青春ものになって、、、って、僕これすごい好きなんですよ。ユーフォの小説の挿絵も書いているんですね。これ、最終回で気づいたんですが(←遅い)、この組み合わせを考えた編集者の人、凄いです。小説の内容にめちゃぴったりっている。
   
青春しょんぼりクラブ 5 (プリンセス・コミックス)

あっと、ユーフォ自体の話に全然なっていないので、そっちに帰りましょう。この作品は、僕はとっても軸がしっかりしている作品だと思いました。それは、主人公の黄前久美子ちゃんの、中学時代に本気になれなかったことの後悔を、高校でリベンジして返すって動機の設定です。久美子自身が、非常に懐疑的で、飄々としているタイプで、本気になりにくい冷めた、とまでは言わないが、熱く成りにくい性格に設定されているのも、時代性をとても感じます。たぶん、いまの世代の若者は、最初から巨人の星やワンピースのように、俺は熱く燃えるぜ!という動機のストレートな表出には、感情移入がしにくいと思います。けど、やっぱり時代は、通常の成長物語を、丁寧に成長物語を描くことに帰ってきている感じがするのは、先日『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を見ている時に思ったことです。もちろん僕らが言う、新世界系の話が出ているところで、「どこにも行きつかないところ」でループして、自分の内面世界のナルシシズムの檻に入って、現実から逃げていくことを求めていたエヴァンゲリオン以降の時代性の部分へのはっきりとした離脱が、、、というか、感覚的には、文脈と基礎が変わってはいるものの、もう一度、成長物語のターンへ時代が回帰している印象を受けるんですよね。そうした中で、成長することの基礎の基礎って、、、たぶん、後悔でしかありえないって僕は思うんですよもう少し情緒的で、リグレットと書いたほうがいいかなぁ。


高度成長期の時代ごろ、団塊のJrまでは、僕はルサンチマンやトラウマがキーワードだったと思うんです。なんか成長を目指すのは、そうした心に瑕疵があるからで、その恨みつらみを現実にぶつけて、どっかんどっかん成長して、現実に復讐するみたいな(笑)。けれども、今の若者、80年代以降に生まれて育っている人には、高度成長期のきらめきとか、落差とか、光と影とかそういうのってないんだと思うんですよね。そうした中では、やっぱり、時代がマクロ的に大きく生まれないので、ルサンチマンや恨みも、大きくは生まれない。なので、冷めてしまうし、社会背景の成長が期待できないので、未来が明るいとも思えない。とはいえ、そうはいっても、そうした中でも、結局のところ、シニカルに冷めていても、楽しいことは何もないって、痛いほどわかってきたんだと思うんですよね。けど、そもそも最初から才能があって、目標にまっしぐらに生きている高坂麗奈のような選ばれた道を走っている人はいいかもしれないけれども、、、彼女のような人には彼女のまた別のドラマがあるんだけれども(特別になりたいけどなっていない自分への強烈な不安とか、、、)、やっぱり、僕は、ここが頑張り切れてもいないし、かといって、やめてしまっていることもできない、どっちつかずな中途半端で生きている久美子が、ちょっとしたリグレットや疑問を抱えながら、北宇治高校吹奏楽部が全国を目指す大きなうねりの中に巻き込まれ、その中でさふぁいあや麗奈との関係たち、仲間との絆を深めていくことで、「本気で生きること」を知っていく、というのは、とても感動します。


というのは、彼女は運よく、中学の後悔を、高校で返すことができました。けれども、周りの友人と話していると、ほとんどの大人は、なんであの時、あの青春時代の尊い時間に、もっと頑張らなかったんだろう、捨て身になれなかったんだろう、、、そうしていれば何かが変わっていたんじゃないかという後悔を抱えて生きています。僕は、中学と高校はほんとダメダメな人生で、二度と戻りたくないのですが、、、その後悔を、僕は大学で逃げずに戦って、大学はとても幸せでした。そして、一度そういう本気を知ると、大事なところで逃げない、負け癖をつけない努力ができるようになって、成功したり成長したりとまでは言えないんですが、後悔を克服するとまでは言えないですが、まぁ、自分がやれるだけはやれてるなって、思えるように生きて行けるようになりました。なので、この後悔が大きくなると、トラウマやルサンチマンになって、心が壊れる原初の傷みたいなものになるんですが、、、、でも、こういうリグレットというか、何か、これじゃダメだというようなマイナスポイントがなければ、人というのはそんなに頑張らない生き物だと思うんですよね。そういう後悔の克服のドラマトゥルギーを、見事にショート、コンパクトにまとめていて素晴らしいと思いました。


物語の落差というか、落ちもの系の空から女の子が降ってくるという幸運を、最初に経験させて、それがほしいならば、と試練を与えて覚悟を試す構造が、あると過去に僕は書きました。契約と再契約の概念ですね。これって、人が素直に受け取れるとても自然なものだと思うんですが、同じように、人が何かをがんばる、というのは、やはりそういう後悔、リグレッドのような瑕疵がなければ、簡単にできないんじゃないか、と思うんですよ。だって、最初から、なんの後悔もなくがんばり続けている人を見たら、それはそれで、ひいちゃいますよね。もしくはそれに根拠を求めるとしたら、親からのトラウマ(教育)、、ってこれもトラウマ、瑕疵、ルサンチマン系と同じになるのか、、、、親から、何の瑕疵もなく、エリート教育で育てられて、まっすぐ前には知っている人を見たら、、、おっと、これって麗奈のことですね、、、意や俺とあの人は違うって、「あいつは違う感」が大きくなってしまいますよね。


けど、結局、まっすぐ最初からぶれずに目的を追求して、孤独にも耐えられる才能の持ち主である彼女でさえ、「特別であること」、、、特別になろうとすることへの恐怖と日々戦いながら生きているんですよね。



この作品って、それが、組織に、チームに、そして一度しかない青春の時間のなかで、個人ではコントロールしきれないうねりに巻き込まれていくことを良く描かれていて、僕はとても感動しました。



ひとつだけ、この作品の肝の部分は、あの新任の先生が、なぜいきなりあれほどの強い意志を持って、全国を目指すことに妥協なく動けたかってことだと僕は思います。それは、実は、この作品のなかではわからない。もしかしたら小説ではあるのかもしれませんが、このアニメーションの中だけではわかりません。僕は思うのですが今の時代の高校生では、ひとつ間違えば、生徒が先生を苛め抜き、PTAとかさまざまな裏で動いて、徹底的に排除するようなことが起きても不思議ではないほど危険なことをやっているなという気がしました。最初に覚悟をというか、あのようなアクションをすれば、どういう風に子供たちが動いていくか、職員室の権力構造はどうなっているか?など、あの新任の先生がそういうこともすべて見越した、ザ・経験者的なプロフェッショナルとすれば、あの程度のことはあるかもしれませんが、、、一度できた集団の伝統や雰囲気を、、、空気を変える、ということは、ものすごい技と権力を必要とすることなので、僕は、あそこがどうしても、もうひとひねりほしいなって思う感じが物語的には感じました。と同時に、脚本家あっぱれ、とも思いました。というのは、12話のアニメーションでそれを描いたら中途半端になってしまう可能性もあり、そこは、良くぞ思い切ったと思うのです。


僕はこの作品を見ている間中、大傑作『青空エール』を連想していたんですが、この作品で吹奏楽の大名門校である白翔(だっけ?)をひいきいる先生の肩には、勝ち続けなければ予算が出ない、伝統を汚せないという重圧が、これでもか描写があり、それが生徒たちミクロの関係や夢をぶち壊したり翻弄されていていくさまがつながって書かれています。人生というのはそういうものだし、組織に所属していることはそういうものだと思うんです。この『響け!ユーフォニアム』というアニメーションだって、これだけ無理な練習をしていれば、先生の肩にかかっているさまざまな学校空間のしがらみは、凄いものがあると思うんですよ。けど、そういうのはほとんど出てこないで、久美子の視点からのみに近い形で物語が収斂しているのは、脚本家あっぱれ、だと僕は思いました。ここは、これが正しいと僕は思います。


青空エール リマスター版 18 (マーガレットコミックスDIGITAL)



いい物語はさまざまな物語を喚起させてくれます。僕はこのアニメを見ているときに、すっげぇ青春を感じたのですが、、、、青春を感じるときに、ああ、これが青春だなーって僕が思う物語って、岡野さんの『フルーツ果汁100%』なんです。これって、恋愛がメインの少女マンガなはずで確かにメインはあるんだけど、それ以上に、群像劇的にいろいろな人のキャラクターの重みが大きくなって、恋愛だけじゃなくなってしまった感じなんですよね。これ意図しているかしていないか、わかりませんが、そのあたりのテイストが忘れられなくて、というか好きで、学生時代に何度も何度も読み返したのを覚えています。もちろん岡野史佳が大ファンだっているのもあったんですが、青春というとこの作品を僕は強く連想するんです。非常に似た構造で、あれ恋愛のラブコメじゃなくなっちゃった?的名感じが、『青春しょんぼりクラブ』にもいえて、これも僕、凄い好きなんですよね。恋愛ラブコメ作品だと、少女マンガ少女マンガしてしまって、それはそれで好きなんですが、青春というよりは、恋のことだよなってテーマが違う気がするんですよ。青春の学校空間って、いろいろなものがごちゃ混ぜになって、先輩後輩とか関係性も入り乱れて、それで時が休息に過ぎていって、二度友だらない感覚が、3年と短い時間なので強烈な、、、、この辺のこと一度もう少し深く考えてみたいなぁ、、、青春とは何なんだろう、どういう物語類型があるんだろう?って。



とりあえず、ここに上げた諸作品は、どれもすばらしいです。ぜひともお勧めです。


フルーツ果汁100% 第1巻 (白泉社文庫 お 3-1)