『境界の彼方』 石立太一監督 言葉にならない良さを探して

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評価:★★★★☆星4つ半
(僕的主観:★★★★★5つ)

学園異能バトル系というか、こういう妖怪というか、化け物を狩るゴーストハンター的なのって、なんかだめなんだよなぁ、、、そもそも設定そのものが、あんまり好きじゃないんだよなぁ。なので、正直話自体は、あんまり好みではないなーと思うんだよなぁ、、、、まぁ食わず嫌いはよくないぞ!と思いつつ、いま、5話目。


とはいえ、なんというかキャラデザインから話の演出の仕方にしても、いやーレベル高いんだよなー。これが。京都アニメーションなんだよね、これ。いやー凄いなぁ。


というか、凄いいつも思うんだけど、『十二国記小野不由美さんが書いていた『ゴーストハント』などが思い出されるんだが、少女漫画や少女小説でも、この系統の作品って、根強いというか、物凄い基本的に深く深く愛されて人気の設定なんだと思うんだよね。なのに、なんか中学生の頃からこの系統の話って、僕はどうもあまり好きになれないしはいれないんだよなぁ。それがなんでなのか、よくわからない。よくわからないということは、まだこの類型が理解できていないってことなんだろうと思う。なので、せっかく見れるので、少し考えてみようと思う。けど、わかんないかもなー(笑)。なんでみんなこの設定好きなんだろう?。

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ということで、劇場版はまだ見ていませんが、すべて見てみました。12話。いやまったく、話の意味がわかりません(笑)。脚本として言うと、まったく面白くないとしか言いようがないです。。。。けど、凄いなって思うのは、僕はこの学園異能バトル系というか妖怪退治系というかこの手の話が全く興味なく、子供のころから手に取ることもかなりないくらいに興味がないのに、しかも1話見て、もうこりゃーダメだと見切っているのに、それでも12全話見通してしまったこと。しかも、すっごい満足感あるんですよね。これって、物凄いことではないか、と思います。これ、脚本的に見ても、マクロの設定は全くあるとは思えず、雰囲気重視で作ったとしか思えません。関係性についても、なんというか、まるでプロトタイプの、この手のビジュアルを見たら、こうあるだろ的なものを全く抜け出ていないんですが、、、、いや、それでも面白いんですよね。なんでかっていうと、映像技術、キャラクターデザイン、演出など投入されている技術が、めちゃくちゃ底堅いというか安定力がめちゃくちゃ高いんですよ。そして、、、、


栗山未来ちゃん。・・・・・これ、ヤバいっす。眼鏡っ子、ヤバいっす(笑)。


僕は、めがねっ子にはまってしまいましたが、これキャラクター凄いツボをついているというかいいです。もうそれしかないんじゃない?といいたいぐらいなんですが、逆にいうと、それだけで十分成り立ってしまっているところが凄すぎる感じです。京都アニメーションですよね?。何のために、この作品を作ったのか文脈的な意味は全く分からないんですが、いやーなんかさすがですよ、としか言いようがない作品でした。凄い技術力、総合力を持った会社なんだなーと感心しました。この映像とか、ぼくアイドルがほとんど興味がないので、なんなの?って気がしてしまうし、そもそも本編ではこのシーンってコメディだしって思うのに、キャラがかわいいとこんなにも胸がキュンキュンするのか、、、、しょせん動物だな、人間、とため息が出てしまいます(笑)



そして、★5つの評価ってのが示しているんですが、僕はこれがレベルの高い作品だと思うのは、京都アニメーションの技術の粋が投入されているからだと思うんですよ。個人的には物語の類型的に好みではないし、脚本としても、マクロ的な文脈な位置づけは、まぁいろいろ無理にこじつければできるかもしれないですが、パッと思いつかないってことは、やっぱりないと思うんですよね。つまりは、僕的に物語の燃える、楽しむ視点から、かなりスコープにはずれる作品なんですよ。けれども、京都アニメーションの技術っていっているのは、それにもかかわらず引き込まれる力があって、「そこ」には何かあるんじゃないか?って感じさせるんですよね。もちろん、よう考えれば見るきっかけになったのは、LDさんに紹介されているので、何かがあるのは当然なのかもしれないですが。それは、言い換えれば僕の文脈ではとらえられない何かがあるということなんで、それを重厚に感じさせてくれる(言葉にはできなくても)体験に、とても感動しました。


さて、僕はもともと京都アニメーションという会社単位では作品を見ていないので(物語三昧は特定の文脈か監督の文脈で見ています)、まったく他の作品のどれがそれか?とか知識が甘いんですが、それでも『けいおん』(2009-10)や『日常』(2011)、最近では『響け!ユーフォニア』(2015)の会社であることはすぐ思いつきます。傾向的に、日常の青春ものを扱った作品が多いですよね。その日常の文脈からいうと、この作品なに作っているの?って感じなんですが、ユーフォニアといい、ちゃんとロジカルに一歩一歩政策の幅を広げているのが、凄い堅実な会社だと思います。

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とはいえ、さっぱり僕が好きなものとしては、ジャンルが違う系統であるのも事実。でも、LDさんと話していて、いくつか感心したのは、何が見どころなのか?というと、やっぱりこの作品はまず、ヒロイン(栗山未来)のかわいさが、凄いですよね。ただこれね、ただ萌え〜とかかわいいとかだけで見るとそれで終わってしまうんです。普通はそうなると思うんですよね。LDさんがパターン化を拒否するヒロインのキャラクター造形といって注目していたのですが、ヒロインを、非常に設定を作りこんで、類型化を拒否するような、言い換えるとこのキャラクターってこういう子だよね、と記号化が難しい内面の作り込みとエピソードの積み重ねをするんことなんですが、それが高度に洗練化されているので、魅力的なんだと思うんですよ。この系統の始まりは、なんといっても西村純二監督の『true tears』(2008)ですね。こちらは、P.A.WORKSですが。脚本家の岡田麿里のテイストがこれでもかと出ている凄い作品で、これは絶対見ないともったいないですよ。この中の特に、石動乃絵(いするぎ のえ)が特徴的でしたよね。ルイさんと語り合ったなー。なつかしい、、、、。しみじみ。

このころからヒロインの記号化さけるような、複雑な読み取りにくい内面や行動を示す演出が目立つようになっていると思います。なので、昨今のアニメのキャラクターの女の子って、めっちゃくちゃ魅力的になっているんですよね。この子も、栗山未来も「不愉快です」というセリフで記号化しているように見えますが、それぞれのエピソードごとの意味文脈がみんな違うんで、いやはや演出すげぇと感心してしまいましたよ。

全体の脚本としては、僕が好きな政治経済のマクロにつながる話はないし、ああいう妖怪みたいなものがたくさんいる世界で、それを退治する仕事が成り立っているとか、組織化されているならば、もう少し描写のしようがあるもんじゃないか?とか、そういうのが好きな僕には最後まで不満だったんですが、結局、それはないものねだりで、そこに力点を置いていないんだろうと思います。というか、ひたすらキャラクターの強度を上げる方向に演出がされていて、そもそも、これって、下手したらキャラクターデザインが先にあって、それをいかに魅力的に見せるシュチュエーションがあるか?を考えて物語を作ったんじゃないか?と僕には見えます。なので、設定がすべて、後付っぽいテキトーなものに感じるんですよ(笑)。しかし、うまくいえないなぁ、、、なんかねぇ、演出力というかエピソード単位の完成度が高く違和感を感じさせない、LDさんがいう快楽線に沿っている感じで、サクサク見れちゃうんですよね。言い換えれば脚本の骨太さに依存していないし、優先順位がはっきりしているんだろうと思います。


あと、動き。キャラクターの未来ちゃんの表情とか、恥じらいや感情の機微が指や、身体の動きなどで演出されていて、そういうところが半端なくこだわっているのがよくわかります。そしてそれだけではなく、日常をベースとする青春ものを描いてきた会社とは思えない、バトルシーンの気持ちのいい動き。ちなみに、関係ないですが、バトルシーンの傑作は、『ストレンヂア -無皇刃譚』です。これはぜひ見てみましょう。震えが来るほどの傑作です。これはたまを使ってみるのではなく、ハードを使ってみる映画です(笑)。ああ、そういえば、同じようなことに『ハードブルー』でも感じたなぁ。。。いやまったく関連ないっぽいんですが、、、、

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でも関連ないわけではなくて、僕は理屈っぽく物語を見る人だし、こうしてアウトプットを出して自分のなかの評価基準に結び付けて楽しむことを主軸としているので、自分の軸に合わないものが理解が弱くなったりする傾向があるんですよね。それは、より物語を深く楽しむというスタンスからは、マイナスなんです。なので、同時に曇りなき眼で、自分が感じたことに、たとえことばが与えられなくても、それを拒否したりダメだと単純にはいうべきではないという戒めがあるんです。積極的にダメな理由が見つかれば別ですが。。。。なので、いつも自分が感情を感じとれているか?、自分は言葉にしないと受け入れられないタイプの感受形式を持っているけれども、それでも、言葉になっていない何かがあるのではないか?というとも気にするようにしています。ようは、感じたことそのままを言葉で塗り込めて隠してしまわないということですね。

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そうした中で、たとえば栗山未来のバトルシーンを見ていると、動きにこだわっているのがよくわかるんですよね。日常系の作風が多かったわけで、手や指の動きでの繊細な感情表現とか、動きで意味づけを与えてくる部分など、この会社は、動きから意味を感じさせる演出にこだわる傾向があるんだろうと思うんです。近藤監督『耳をすませば』以来のというか、その系譜を継ぐ風景の叙情性を、僕ら日本の1980年代以降の郊外に住む若者たちの風景を繊細に描写するなぁーーーって『響け!ユーフォニア』の記事で書いたんですが、それも雲の切れ間から光が差す俯瞰ショットで感じたことで、それも「動き」ですよね。

響け!ユーフォニアム石原立也監督  胸にじんわりくる青春の物語
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150807/p1

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でもこの動きって、言葉による批評を拒むというか、表現しにくいものなんですよ。たぶん、京都アニメーションの凄さ、技術の粋の部分は、批評化されにくい、言葉によって楽しんで語ることの楽しさで、面白さが倍化するタイプではないんだろうと思います。栗山未来ちゃんのかわいさを、どう評価するか?といえば、好きだぁ!!!とかぁ、めがねっ子もえーー!!!とかになってしまうんだと思うんですよ。それでは、言葉による批評による楽しさの加速化は起こらない。でも、言葉にされやすいもの、批評されやすいものが、素晴らしいものであるとは限らないじゃないですか。


この辺りをすごい感じさせる、素晴らしい作品でした。もっと自分で思いついた視点や、LDさんと深く話した話はあるんですが、、、それは、次回のラジオにでも。僕はまだ劇場版を見れていないので、何とか手に入れられないか探してみます。『境界の彼方』は課題図書なので、ぜひとも皆さん見てくださいー。

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